第43話 とある街に住む少女。
小さな看板が控えめに飾られているお店から、1人の少女が出てくる。
「おばさん、コブおじさんのとこに行ってくるよ?」
店から出ようとして、思い出したように店先で振り向くと、奥からしゃがれた女性の怒鳴り声が聞こえる。
「メイ!先に皿を洗ってからだよ!」
「お皿はもう洗ったよ。もう行ってもいい?」
「きちんと洗ってなかったら承知しないからね!爺さんがちゃんと食べたか確認してから戻ってくるんだよ!後、迷ったらすぐ誰かに道を聞きな。」
「大丈夫、もう迷ったりしないよ。」
少女はそう言うと膝丈のスカートを揺らしながら、街頭を歩き出す。
サイズの合ってない大きなメガネを手で何度も持ち上げ、髪の毛は肩ぐらいに切りそろえられていた。
少し外にはねる毛先を直そうと、もう片方の手で何度も押さえながら歩いていく。
少し歩くと街の真ん中に大きな噴水が見える。
少女はその噴水がとても気に入っている様子だ。
噴水のてっぺんについている青みのある石で作られた鳥の飾りが、自分のよく知っている人に似ている気がするからだ。
鳥に似た人はきっと、その話を聞くと全力で『似てない』と否定する事だろうけど。
この鳥はこの街のシンボルらしい。
おとぎ話ほどでは無いが簡単なお話があるらしく、その話をおばさんに聞いた時にその鳥がどうしてもオーガストと重なった。
『オーガスト元気でやってるかなぁ。』
テクテクと歩く舗装されたレンガの道を、噴水を見ながら通り過ぎる。
よそ見のお陰で、曲がり角から出てきた人に危うく激突するところだった。
丁寧に頭を下げると、向こうも笑顔でお辞儀をしてくれる。
この街は平和だ。
小さな街だが、住人が密に仲がいい。
秋になると特産のリンゴに似た木の実がたくさん実った。
りんごと違うところは結構酸っぱくて、お菓子にしないと食べれないのが難点。
噴水を越えると、石屋のおじさんのお店が見えた。
店の扉をノックすると、奥からぶっきらぼうな返事が返ってくる。
「コブおじさん、イオさんのパイを持ってきたよ。」
扉を覗きながら、声をかける。
奥からおじさんが顔だけ覗かせて、手招きをした。
「今度はどんな加工をしているの?」
おじさんの手元を覗き込む。
「おい!危ないぞ。加工中の原石に、そんな近くによるんじゃない!」
慌てて私の頭をぐいっと押した。
「あ、ごめんなさい。またウッカリしてた。」
頭を押さえながら持ってきた袋を顔の前に出した。
「これパイね。ちゃんと食べてね。」
そう言いながら袋をおじさんの横に置いた。
おじさんはちらりと私を見ると、フンと鼻を鳴らす。
そして袋をガサガサと漁ると、パイを口に押し込んだ。
これでいいか?と言わんばかりにパイのなくなった袋を私に見せて得意げな顔をした。
「いいね!ちゃんと食べた事おばさんに報告しとくね」
「ああ、ちゃんと言っといてくれ。」
そう言ってまた鼻を鳴らした。
「今度もすごいね、これもこの領地から出た石?」
「これは北の方で取れた石だ。この辺からこんないい石は取れない。」
「へぇ、そんなんだね」
私はそう言うと、また怒られないように石を覗き込む。
私の好奇心をくすぐる様に、おじさんは私に向かって加工途中の乳白色の石を放り投げてきた。
それを人差し指と親指で挟んでランプの明かりで照らしてみる。
ランプの灯りを反射して、薄く白い石が私の頬を照らした。
「ムーンストーンだね…」
「…ほう?」
「ああ、夜に輝く月みたいだから。そんな名前かなって思って…。」
「名前はない、クズ石だったからな。
いんじゃないか?」
「ムーンストーンでいいの?」
「いいっていいって。名前がついてたほうが、売れそうだしな。
これはどんな効果で、どれに付ける?」
「…そうだね、健康の石だよ。長寿とか…そうだ!旅人のお守りとして売ればいいんじゃないのかな?」
「…それはいいな。旅の無事を祈る石。早速これを終わらせるから、また明日見にきてくれ」
「うんわかった。私ももう戻らないと怒られちゃう。」
私は空いた袋を握り閉めて、再び元来た道を歩き出した。
お店に戻ると既にお店は客で賑わっていた。
そろそろ陽が傾き始める時間。
お腹を空かせた人たちが集まってくる。
この街で唯一、食事が取れるお店はここしかない。
台所がある家はまだ少ないので、お腹空いたらここに食べにくる人がほとんどだ。
店の入り口で配達用のカバンをフックにかけて上着を脱いでいると、顔見知りのお客さんが私に挨拶をくれる。
その挨拶に答えていると。
「メイ!もう皿がいっぱいだよ!!早くしな!」
厨房からおばさんの声が響く。
「はーい!今行きます!」
私は急いでお客でギチギチの椅子と椅子の間を抜け、厨房へと向かった。
「爺さん、ちゃんと食事をとったかい?」
「うん、ほら袋は中身空っぽになったよ。」
袋が空いていることを確認してもらい、エプロンをつける。
「おじさんまたいい石仕入れてたよ。加工も今度いじらせてもらえることになったんだよ」
お皿を洗いながら、忙しそうに動き回るおばさんに話しかける。
おばさんは私に顔だけ向けると、『よかったじゃないか』とニヤリと笑った。
私も嬉しそうに笑い返した。
お皿を洗い終わって、今度は芋の皮を剥く。
茹でた芋は熱く、何度も手から滑り落ちそうになったが、堪える。
私が芋に遊ばれていると、再び厨房に戻ってきたおばさんが立ち止まった。
「そういえば、今日も来てたよ。」
「…ん?」
「『アンタ』を知らないか?って貴族の使いが。」
「…そう。」
私のそっけない反応におばさんは再び忙しそうに鍋を振った。
そして、また口を開く。
「うちには『エイプリル』と言う娘はいませんって言っといたよ。
だってアンタ、メイって名前だもんなあ。」
そう言うと豪快に笑った。
「うん、『エイプリル』は知らないね。」
私は下手くそに笑い返した。
お父様のネーミングセンスは私に遺伝していたのか。
お父様と言うか、ディゴリーの血がセンスないのかもしれない。
この街に流れ着いたときに、私はとっさに『メイ』と言う名前を言った。
単純に自分がいなくなった時の日付を思いつき、そう言った。
月が変わろうとしていたギリギリ最後の日だった。
次の日だったら私の名前はジューンになっていたはず。
どうせならもっと可愛い名前を考えておけばよかった。
エイプリルをやめて、メイだなんて。
4月から5月になっただけ…。
はたまた6月になってたか。
そういうセンスがないことはこれで諦めがついた。
半年近くも使っていたら、メイにも愛着が生まれてくる。
あれからもうそんなに立つんだなぁ。
芋を剥き終わって、手を冷やす間に回想する。
冷たい桶に手をつけると、ヒリヒリと赤くなった指先がジワジワと冷えてくる。
ここはディゴリーの領地の端っこの街。
鉱山で栄え、流しの労働者が住み着く街だ。
すぐ横の山を越えると、隣の国への国境が見える。
私はここで隠れ住んでいた。
あれからオーガストと別れ、学校から出た私は。
まず王都の広場の露店で、持っていた加工済みの鉱石を何個か引き取ってもらい、旅人用の服を揃え、遠くへ行く準備をしてみせた。
食料だとか、旅に必要な護衛も何人か雇い、痕跡を残す。
そして2つ向こうの大きな街へと行く馬車に乗り、王都を出る。
王都を出たところで私は馬車を降りて、護衛の方だけで目的地へ向かって貰ったのだった。
大きな街に着くのは馬車を乗り継いで、1ヶ月以上もかかるはず。
私を探す誰かが護衛を見つけ、問い詰めたとしても。
私と王都で別れたと告げるころには、1ヶ月前の私の情報は乏しく、その時点で私の消息は途絶えるというわけだ。
無駄にお金はかかるが、これで私を探すものは手がかりを失う。
護衛には自分の所持金の半分以上を渡したし、頼んだ通りに嘘をついて『大きな街で別れた』と言ってくれても混乱は増加する。
しばらく王都に隠れて、警備が落ち着いたのを見計らって、この街目指して歩き出した。
私がこの街についてすぐ、おじさんのところで残りの鉱石を売ろうとしたら、格好が旅人だったせいもあり、どこかで盗んできたと思われたらしく、おじさんに捕まってしまう。
自分で加工したと証明するために、おじさんの工房で久々に鉱石を磨いた。
久々に充実した空間に、涙があふれ、泣きながら加工した。
わんわん泣き続ける私の腕に、おじさんがほだされて、イオさんを紹介してくれたのだ。
イオさんはコブさんの元奥さんで、言葉遣いは悪いけど初対面の私を自分の娘のように扱ってくれている。
「そういやガイは何処行ったんだい?」
「ガイ?そういえばお使い行く前から見てないよ?」
「全くあの子は!!妹をほっといて何処に行ったんだ全く…!」
私は何も言わず苦笑いをした。
そろそろ手が冷えてきたので、溜まった洗い物を再びし出すと、イオさんが私を呼ぶ声がする。
「メイ!こっちにも皿がたくさんあるから下げておくれ!」
『はーい』と返事をして、エプロンを取る。
客の前に洗い物のエプロンしたままは不衛生だとこないだ怒られたばかりだから。
イオさんの食堂はお酒も出すため、酔っ払いの人もたくさんいる。
しかもみんながみんな顔見知りではない。
流しの鉱山労働者も入れ替わりが激しいのだ。
仕事に疲れて酔っ払うまで飲んでいくので、ガラの悪い人も時々いる。
誰のいなくなったテーブルの皿を一生懸命に抱えて運ぶ。
3往復目にはお客さんももう、疎らになっていた。
今空いているお皿はこれで最後かな?
キョロキョロと確認して、集めたお皿を手に持った。
狭い椅子と椅子の間をすり足で通り抜けていく。
お皿を割らずに通り抜け終わってホッとする。
もうすぐ厨房に入るというとこで、お客さんに呼び止められた。
「なぁ、ここに座って酌ぐらいしたらどうだ?」
突然、皿でふさがっていた手首を引っ張られる。
慌てて皿を割らまいと体制を整えようとしたが、バラバラと皿がすごい音と共に床に散らばった。
お客はニヤニヤと割れた皿を見つめ、私の手首をまた引っ張った。
「…やめてください。」
皿の割れる音にイオさんが厨房から走ってくる。
「ちょっと何やってんだい!!その子を離しな!」
イオさんがおタマを振り回しながら近寄ってきたが、お客は私を離そうとせず、腰に手を回してきた。
「おいおい、お酌ぐらいサービスでしてもらってもいいだろうよ。」
「バカ言うじゃないよ。うちの娘にひどいことしたら承知しないよ!!」
イオさんがおタマを振り上げると、お客はイオさんを突き飛ばした。
そのままイオさんが後ろにひっくり返った。
「おいおい、俺に敵うと思ってんのか?」
そう言うとイオさんの転がったおたまを、イオさんに投げつけた。
「おばさん!!」
倒れて動かないイオさんの額から血が滲む。
疎らに残っていたお客さんたちが立ち上がり、イオさんの方へ走り寄ってくれている。
私は暴力男を睨みつける。
腰に回った手を必死で剥がし取ろうと暴れた。
すると暴力男が私を睨み付け、緩めた反対の手を私に向かって振り上げた。
「この女…!!」
殴られる…!
そう思い、頭を庇うように両手を頭の上でクロスした。
「メイ…。」
こんな状況だと言うのに、静かに私の名前を呼ぶこの人。
「ガイ!!何処に行ってたのおおお!バカ!」
私が叫ぶ。
私を殴ろうとした男の手をつかみ、あっという間に捻り上げた。
「メイ、これどうする?」
「とりあえず、自警団の人呼んでくる!あと、おじさんも!
だからそいつ捻ってどっか転がしといてー!
あと、イオさんの手当ても!」
長身の黒ずくめの男は、首をかしげる。
「首をひねって転がせばいいのか?」
「殺しちゃダメ!!縛って転がすの!
もぉ〜、イオさんがああ!!早くして!」
男は『わかった』と小さく言うと、腕を捻られ痛がる男をあっという間に縛り上げた。
イオさんの介抱をするところまで見届けて、私は夜の街頭を走るのだった。
コブおじさんが自警団の人を連れてくる頃には、イオさんもだいぶ落ち着いていた。
イオさんは気がつくとすぐ、捻り上げられて伸びてる男を蹴っ飛ばした。
「あんたこの街に2度とこれなくしてやるから覚悟しな!!
あと組合に掛け合って皿代と私の治療費も請求するからね!」
「ばぁさんタダじゃ転ばないなぁ…」
憤慨するイオさんを見て、コブさんは安心するように息を吐き、頭をかいた。




