第26話 急な来客。
ローウィン様が部屋に来たのは、もう既に白々と夜が明けてきていた。
扉が静かに開いた音で目を覚ます。
どうやら少し寝てしまっていた様だ。
今まで閉じていた目を開こうと、ゴシゴシとこする。
「…遅くなってすまない。
随分と待たせてしまった様だな…。」
「…いえ、すみません…ウトウトしてしまって…」
気がつくと、オーガストもラルフ様もいなくなっていた。
彼らはエドエドさんと一緒に、続き間にある別の部屋にいる様子。
私の上にオーガストの上着と、ラルフ様の上着が2つかけられていた事に気がつく。
また張り合ったのだろうか。
上着を見ただけで、想像がついてしまう。
思わず笑ってしまい、口元を押さえた。
「やはり、笑うとザラによく似ている…」
ローウィン様は私を見て、懐かしむ様な笑顔を浮かべたが、すぐに悲しそうな顔に戻った。
「…そうですか。」
ザラは確か、私の母親の名前。
私にはいい思い出がなくとも、ローウィン様にとっては母とのいい思い出があるのだろう。
私を通してそれを思い出す様に、ローウィン様は悲しそうに笑った。
「もう夜も明けてきた事だし、本題に入るよ。早く戻らないとディゴリー家も誘拐かと大騒ぎになってしまう。」
そりゃそうだ。
朝が来たら私もオーガストもいなくなっているわけだから。
お父様が泣いてしまう!
その前に帰らなければ!!
…メイヤーさん、今日ばっかりは寝坊してくれないだろうか?
ローウィン様は、一度私から目を伏せ、再び私を見た。
その目はさっきの悲しそうな目ではなく、強い想いを感じた。
「先程君を訪ねてきたのは『パウエル』という、君の父親。
そして私の弟だ。
ちなみにラルフの父親は私の兄で、スタインバーク家名は今、我々3人兄弟がそれぞれに持っている。
知っての通り、2代前まではこの国の王として在った。
派閥の争いに疲れ、国の発展を願い、我がスタインバークはレッドメイルに王位を譲り、公爵として現在は生活している。」
所々に言いにくそうに、スタインバークの歴史を簡単に告げる。
私は何度も組んだ両手に力がこもったのを見つめていた。
「パウエルは兄弟の中でも1番の野心家で、我が家が代々隠していた召喚の儀を使い、王に返り咲こうとしているのだ。」
「…召喚の儀…」
ボソリと復唱すると、ローウィン様は困った様に手をまた強く握られた。
「ザラは私の旧友だったんだ。
城に勤めだしてからも、よくうちにも遊びにきてくれた。
そんな時、留学していたパウエルがうちに戻ってきて、彼女に目を付けた。
パウエルにとってザラを本気で愛していたのかは定かではないが…ザラは本気だった様で…。
彼女が君を授かった時、本当に嬉しそうにパウエルに報告していた。
…私も嬉しかったよ、彼女が私の家族になるということが…。」
ローウィン様は目をまた私から視線を外し、目を伏せました。
「お腹が少し目立ってきた頃、ザラが不安を口にする様になった。
自分が眠っている間にパウエルがお腹の子に何かをしているのではないかと。
私も兄もその話を聞いて、思い当たることを…まさかと。
パウエルの行動を不審に思い、問い詰めたんだ。」
握った手が真っ赤になる程、力がこもる。
「パウエルはお腹の子供…君に召喚の儀をしていた。」
「召喚の儀…。」
私はもう一度繰り返した。
「この世界に異世界の魂を呼び戻す『魔法』と言ったほうが早いかな…?」
「それは、自分が王になるためですか?」
「もちろんそれもある、だが…。
異世界の知識を得るためだ。」
「異世界の知識…。」
私の前世としての知識なんてたかが知れてるのではと思ったが、黙る。
この世界に私の知識を使うとなると、何が負になるかを。
「王になるためには、どうしなきゃならないと思う?」
「…レッドメイル家に手紙を出して、王位を譲ってください!なんて平和的な話ではないことだけはわかりますけど…。
争いは避けて通れませんよね…?」
「そうだ、戦争を起こすために異世界の知識は有利だ。」
「…そんなこと言っても、武器の作り方とか爆弾の作り方なんて詳しいことわかりませんよ?」
「…詳しくなんてなくていいんだ。どんな物が存在するかを教えてさえくれたら。
あとはこっちでそれっぽく研究して作り出せる。
知りたいことを知りたいと思う人間の貪欲さは計り知れないからね…。
その『爆弾』や『武器』だけじゃない。
どんな病気が流行っていたかとか、それを知るだけでもヒントになる。」
「…そんな小さな情報で…?」
思わず背筋がヒヤリと冷たくなった。
軽く考えていた私の知識は、とてつもない影響を与えるのかと思った途端、言い知れない恐怖が私を襲った。
カタカタを体が小さく震える。
思わず2つの上着を握りしめた。
私の様子を見てローウィン様は手を伸ばそうとしたが、その手を途中でぎゅっと握りしめ、反対の手のひらで包んで隠した。
「何度も何度も失敗したんだと思う。実際私たちしか知らない『魔法』は、もしかすると存在だけ知られていて、誰も怖くて確かめた事ないものだったのかも知れない。
私もただの言い伝えだと思っていた。
だが、あれだけやめろと釘を指したにもかかわらず、ある時それが成功したとパウエルはみんなの前で言った。
確かにお腹に何かが吸い込まれたと。
私たちは困惑した。
まだ生まれてもない子供に成功したと言われても、目で見えない分、ピンと来てなかったのもある。
だが…一番動揺したのはザラだったと思う。
彼女は誰にも何も言わず、うちを飛び出した。
転々とあっちこっちの国に渡ったとこまでわかった。
必死で探した。
パウエルも、私も兄も…。
まさか実家に帰っていたとは誰も気がつかなかったんだ。
私に手紙が届いたのは君を助けに行く前の日だった。
私にしかわからない偽名で、ただ一言『子供を助けて』と…。」
私は鼻の奥がツンとしたのがわかった。
助けてと。
おそらく助けて欲しかったのは、自分の手から。
自分が何するかわからないから助けてと、彼女は言ったのだ。
『自分』を助けてではなく、『私』を助けてと。
初めて彼女の愛情があった事に気がつく。
愛して信じていた人から変な儀式にかけられ、バケモノを産むかも知れない恐怖に負けた自分。
それでも産もうと決めて守ろうとした事実。
うっすらと目の奥が温かくなり、涙が溢れてくる。
私が瞬きをすると、それは頬をこぼれ落ちた。
改めて『母』がとても不憫に思う。
「変な儀式をしたために、前世の記憶という『私』とこの体の持ち主である『エイプリル』が2人存在してしまったわけですね。
…今はうまい具合、どちらもこんな自分をすんなり受け入れてしまっていて、どちらも1人のエイプリルとして違和感なく過ごせていますが…。」
私の頬から流れる雫をずっと目で追っていたローウィン様は、私の言葉に少しホッとされた様だった。
それは私のことを心配してか、それとも自分の弟がしでかした後始末についてかはわからないけれど。
「手紙を貰って、すぐに君を助けに行った。
ザラはもう手遅れな状態だったが、君の『父上』がすぐ君を助ける事に協力してくれて、現在の君がいる。」
ローウィン様の手が、私に伸びた。
今度はちゃんと、私に触れる。
そして、頬の涙を指で拭った。
「すまない…。本当に。
君をひどい目に合わせてしまった…。」
私はゆっくりと首を振る。
「過去の痛みはもうあまり覚えていません。
私、忘れっぽいんです。
今は生きていて良かったなと思えることが多く、助けてくださったことを感謝します。」
『最近、友達も出来たんです』と、ついでに近況まで報告した。
私の報告に、何度も頷き、ローウィン様も嬉しそうに目頭を押さえた。
「叔父上、もう話は終わりですか?」
しびれを切らした様にラルフ様が部屋へと入ってくる。
「…すいません、止めたんですけど…」
オーガストもエドエドさんも、追いかけて飛び込んできた。
「話はある程度は…。だが、まだお前の望みは伝えてないぞ?」
「一番大事なことをまだ伝えてなかったのですか?」
そういうと、ラルフ様はまた私の隣に腰をかけた。
「…ラルフ…。これは我々の一存では決めかねる事だ。まずはエイプリルの気持ちも…」
「エイプリルは俺の事どう思っているんだ?」
ローウィン様の言葉も途中で、ラルフ様が私に詰め寄る様に近寄ってくる。
「…どう思うとは?」
「好きか、嫌いかだ。」
「2択ですか?」
「そうだ。1か10で。」
「どちらかといえば、友達になってくれましたし、す…」
「エイプリル!」
オーガストが突然叫ぶ。
「エイプリル、ダメだよ。返事はよく考えて。」
「…返事!?」
ラルフ様がニヤリと笑う。
「スタインバークはこの召喚の秘密を外に漏らさぬ様に守り続けなければならない。
その為にラルフは君と君の秘密を守る為に、婚姻を結ぼうと言っているんだ。」
「いつ言いましたか!?」
聞いてませんけど!?
思わず驚いて立ち上がる。
「今言ったじゃないか。」
そういうとラルフ様は私をまた側に引き寄せる。
立ち上がっていた私は、ストンとまたソファーへと座る。
「さぁ、1か10だ。エイプリル。
私とこの国のためスタインバーク家の一員として生きていこう!」
「ちょっと、待って!婚約は…!」
抱きしめられた腕の中で拒む様に暴れる。
婚約は、やだ。
だってやな思い出しかない。
あんな何度も破棄されたので、暫くしないでおきたいトラウマだってある。
「オーガスト…!」
「エイプリル…。」
助けを求める様にオーガストを呼ぶが、彼は力なく私を見つめている。
「オーガストは元々スタインバークの使いだ。私に逆らえない。」
「それは何と無く気がついてましたが、オーガストはもう、うちの子ですよ!うちの問題解決が優先です!」
ジタバタとオーガストに手を伸ばす。
ラルフ様の腕に、私を逃さまいと力がこもる。
「彼を孤児院から引き取ったときに、僕たち契約したんですよ。
一生を安心して生きる為に、スタインバークに絶対の服従をと。
だから無駄です。
僕たちは自由だけど、自由ではない。」
エドエドさんがオーガストの肩にそっと手を添える。
「オーガストはラルフ様が望む事に、逆らえないんです。」
オーガストが目も虚ろにずっと床を見つめていた。
「オーガスト!!」
オーガストは名前を呼ばれ、私を見る。
悲痛な顔で。
「わ、私に断る権利があるのであれば、お断りしたい…!」
オーガストの目を見つめながら、抵抗する。
オーガストの瞳の奥が、うっすらと歪んだ。
私の伸ばした手を掴もうとする。
それをエドエドさんがオーガストを抑え込む。
「そんな権利はないよ、エイプリル。」
ラルフ様はそういうと、私の髪をひと束取り、口付けた。
「俺と婚姻を受けなければ、パウエル叔父さんから君を守るすべがなくなる。」
「…友情特典でとかは!?」
結構真面目に言ってるつもりなんだが、ラルフ様は私の言葉に壮大に吹き出した。
「そんな特典ないわ!むしろ俺からの好意を受け取らないとなると、俺は君から離れるしかないしな。」
「しかし何で私があなたと婚約したら、パウエル公爵は私に手出しをできなくなるのですか!」
「言い方が悪いが、所有権の主張だよ。」
「しょ、しょゆうけん…」
思わず言葉を失ってしまう。
物か!私は物か!!
スタインバークの考え方は一体何なのだ?
私は王族戦争の道具なのか!
相変わらず抱きしめられそうなのを抵抗中なので、ラルフ様を突き放そうと頑張っている腕がプルプルと痺れてくる。
ダメだこのままだと、ラルフ様の胸にバフンとなってしまう。
そうなるともう力では負ける。
この腕から逃げることは不可能になる…!
ラルフ様はそれをわかっているのか、徐々に力が強くなっていく。
「パウエル叔父は今は君が娘だから自分の元へよこせと主張している。
だがスタインバークで継承権の高い俺が君を嫁に迎えるとなると、継承権の低い叔父は手出しができなくなる。
そしてそれをスタインバーク内で処罰することもできる。
だから俺は君を守ることができるって訳だ。」
「結局あなたも野心家ではないですか!スタインバークが王位に返り咲くことを望んでいらっしゃいますよね!?」
プルプルする腕に力がなくなってくる。
段々とラルフ様の胸が近づいてくるー!
「君の知識をいい風に使うことはローウィン叔父上も賛成してくれている。
その知識を国民のために使うには、公爵では無理だ。」
「…領地を持ってらっしゃらないからですか?」
「それもある。」
ラルフ様はニッコリと微笑む。
「さぁ、1か10か。」
「…1か1にしか聞こえない…!」
ふと、腕に力がなくなった。
バフンとラルフ様の胸に頬が埋まる。
ラルフ様は嬉しそうに微笑む。
「…決まりだ、婚約者どの。」
そういうとラルフ様の顔が私にゆっくりと近付き、唇に触れた。




