神鳴りの祀り 2
雷昇りの祭壇と呼ばれる遺跡にまつわる話には、現地の人々に伝わる宗教的な伝承と、研究を経た末に判明した事実とがある。
(一つが、荒神である魔神を鎮めるため、つまり封印するための祭祀場として地の民が造った、とする伝承…)
ビアンカは、当初の目的通りに雷昇りの祭壇へと向かい、近場の高台から早速スケッチを行っていた。
構造を見ると、遺跡は四角の、神殿状の建造物が渓谷に沿うように造られており、各建造物が全て天空回廊で接続している状態である。また奥まった場所には、どのような原理によるものか、回廊の接続が無いにもかかわらず、まるで宙吊りにでもされているかのように空中に留まり続けている建造物が点在している。
そして、峡谷の底には黒い雷雲のようなものが滞留しており、雷昇りの祭壇の名の通りに壁伝いに電流を走らせていた。
ビアンカはスケッチを続ける。
(そして研究の結果、あの構造物は、再生可能な燃料として、封印した魔神の強大な雷の力を利用するための、地の民の工業施設だった、と…)
しかし、いかに人が出入りできるようになっているとはいえ、この場所へ金属製の装備を身に着けての立ち入りは厳禁である。
もちろん、現地の職人による特殊加工が施された装備や、精方術の使用による落雷対策は可能ではあるが、基本的に、この遺跡の近辺へ立ち入る際には金属製の物品の持ち込みは避けることが常識であった。
「さて、と。スケッチはこれくらいで…。観光、行くとしますか!」
道具を片付け、触媒として持ち込む予定の杖と腕輪を身に着けると、遺跡に続く道へと戻っていった。
この遺跡を訪れた旅人がまず口にする一言は、その外観の壮麗さについてか、その特異性による静電気の影響についてかの、どちらかだと言われている。それほどまでに、この地の帯電性は高い。
ビアンカにしても同様で、遺跡敷地内に一歩足を踏み入れた瞬間、体の露出面にざわざわとした感覚をもたらしてきた。
「中に入ればこの感覚は何とかなるみたいだけれど…。ざわざわするのはどうにもね…」
事前に調査して得た情報を元に、遺跡内部へと進入する。
最初に彼女を迎えたのは、外部とは違う、白磁のような継ぎ目のない内壁と、何やら待合室のような内装だった。それは古代文明の施設に特有の内装で、特に産業施設でよく見られた。
「うーん。この内装の壮麗さは凄いね。普通、建材の継ぎ目くらいは見えそうなものなのに。どうやって造っていたのやら」
壁に触れながら、奥の通路へ向けて歩いていく。
「加えて、この灯り!これが雷の力を用いた“電灯”というものなんだね。都市部ではガス灯を導入してるけれど、ここまで万遍なく照らすことは出来ないね。昔はこの灯りが当たり前だったっていうんだから…」
松明でも、ガス灯でも、精方術によって生み出された光でもない、人工の灯りの存在に感嘆しながら、天空回廊を行く。側面に配された窓からは外の様子が見え、時たま、奔る電光が壁伝いに走っていく様子を見ることが出来た。
「わぁ…。雷って、青い色をしてるんだね。初めて知ったよ」
見える光景に高揚感を覚えて、観光を心から楽しむビアンカ。
「わっ、雷があちこちに走っていく。これは描いていきたい。記録して帰りたい」
さらに進んだ先にあった展望台のような場所からは、遺跡の全景、というわけでもなかったが、その大半を見渡すことが出来た。
峡谷の底に滞留している黒雲からは絶えず雷光が放出されており、それが遺跡の設備に伝播すると、そのまま一気に外側へ向けて走り抜けていく。そのような光景を間近で見ることが出来るのがこの遺跡の魅力と言えた。
そして、ついにビアンカは、回廊が接続していない施設に隣接している場所までたどり着いた。
「ここかな。高台から見えていた場所は…」
空気が抜けるように開いたドアを潜り、中へ入ると、意外にもそこは他と比べても変わりなく、特別な内装があるとか、機械があるとか、そのような事も無かった。
(うん?意外と、普通?)
さっそく周囲を調べ、メモ帳に、情報に簡単なスケッチを付与して記録していく。
「ん、あれ?」
すると、内装の一部に不可思議な点を見つける。
(あの宙に浮いている施設がある方向に、何か、黒い窓がある?)
白磁のような壁の一部に、まるで絵画を飾るように縁取りされた黒い部分があることに気が付いた。加えて、黒い部分には何かを表す文字列や記号、数字らしきものが表示されており、数字については絶えず変化を繰り返している。
(この記号は…、ヘーリニック言語圏、地の民の数学用語?文字列は…誘導…電流量?)
ビアンカは、ここまでに得てきた言語学の知識を動員し、表示されている文字列や記号を解読していく。
(取り敢えず、メモしておこうかな?ああ、でも。この表示。多分、奥の「神鳴りの踊り場」に電流を誘導しているってことなんだろうけど…。どうやったら、そんなことが出来るんだろう?)
そして、様々な感嘆するべき事実や疑問に思考を巡らせていた、その時だった。
突然、黒い窓の表示が大きく変わり、文字列が「大規模放電現象に関する対応状況」というものに変化し、数学用語の方も、受け止めた電力量を表す単位へと変化した。
「こ、これって?え?」
その変化が終わった直後、頭上にある灰色の網目から人間の声らしきものが流れ始めた。
『…施設内部の見学者、及び、職員の皆様に、お伝えします。現在、エクリアのマナ出力調整のための、放電現象を誘引しており、施設外部は大変危険です。この放送が聞こえておられる方で、現在屋外におられる方は、至急、お近くの避難区画への移動をお願いします』
ビアンカは、声を聴きつつ翻訳も行い、意味を考えていく。
「避難誘導?大規模放電現象…って?」
言葉の意味を理解しても、その伝えたいことの真意も同時に理解できなければ、事態は把握できない。外の様子を確認するため、急ぎビアンカは窓に寄った。
「うん?あれは…」
見える景色は、最初に見た放電現象の連続と変わりはなかったが、その規模は大きく変化していた。走る電光の頻度を始め、一回に流れる電光の量も倍以上に増えていた。
加えて、宙に浮いている施設が、幾つかを残して移動を始め、まるで何かを誘導するための線路でも築くように配置し直されていく。最後に、残った幾つかの施設が線路の周囲に螺旋を描くように配置されて終わった。
「あの施設は、初めからこのために造られていたんだね。大規模だなぁ…」
一方、施設内部に響く声は状況の変化を伝え続けており、もはや誰も聞く人のいない中、避難を誘導している。
文言は基本的に同じではあったが、次第に状況発生までの時間についての説明が追加され、そして、時が来た。
それはまさに、豪烈とでも表現すべき光景だった。
一瞬、谷の底が光ったかと思うと、まるで龍が天へと昇る時のように雷が奔り、その全てが先ほど移動を終えた施設へと誘導されていく。吸い寄せられた雷は、そのまま一条の光線へと変換されたあと、奥にある神鳴りの踊り場へと向けて螺旋状に放出されていく。加えて、その余波なのか、施設外部へ向けて放たれている雷の規模も、大きなものとなっていた。
これらの現象が、ほんの一時に目の前に展開されたのだった。
「はー……」
余りにも印象の強い出来事が立て続けに起こり、ビアンカはしばらく窓から離れることなく、外の景色に釘付けになってしまっていた。避難を誘導していた声は、今は状況の終息を報せるものへと変化しており、それをしばらく続けた後で終了した。
「これ、神鳴りの踊り場が危険って言われてるのも分かる気がするなぁ。どうやっていこうか…」
声が聞こえなくなった後で、ビアンカは今後の行動について改めて考えさせられていた。
彼女の観光旅行は続く。




