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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

"Innocent Eclipse"-無邪気な人喰い-

作者: NEKO

この物語、作者本人が変わり者です。

しかし、主人公はそれ以上に変わり者ですし、

登場人物は更に変わり者です。

割と残酷です。

想像力豊かな人、文章を映像化出来る人は心してお読み下さい。

人を殺すのはいけない事ですか?

ー殺人罪。刑法第2編第26章に定められている立派な犯罪です。

では、牛肉や豚肉、鳥肉や魚肉を食べるのはいけない事ですか?

ーいいえ。健康の為に野菜ばかりではなく、肉や魚も食べる事を推奨しています。

牛や豚、鳥や魚を殺すのはいけない事ですか?

ーはい。動物の愛護及び管理に関する法律によって、動物の命は守られています。無闇矢鱈に殺してしまったら犯罪です。


じゃあ、「人を殺さず、人肉を食べる」のはいけない事じゃないんだね。

そう告げた彼の表情は満面の笑みだった。


「倫理観」という言葉がある。

この言葉を知ったのはいつだったか。意味を考えたのは何歳になった頃だっただろうか。

誰もが心のうちに保持しているであろう倫理観。倫理観=人として歩む道。人道。行動の善悪の基準。この認識で構わないと思う。

この言葉が通じるのは動物の中で人間だけだろうか。

人間は動物である。

ここでイメージして欲しい。

動物の世界とはどの様な世界だ?

私が思う動物の世界とは「弱肉強食の世界」。そこに人間界のような慈悲はない。だが、この言葉は人間界にも部分的に当てはまる。

自らよりも弱者である動物を淘汰とうたし、自らのしゅの存続を知らず知らずのうちに求める。

しかし、先ほど述べたように、人間界には慈悲がある。人間は弱者を救おうとする。

他種たしゅが絶滅しそうになれば保護する。自らが滅びへの道へといざなったにも関わらず。

また、弱った人間も救おうとする。何も関係のない他人ひとでさえ。

完全なる弱肉強食の世界で生きていない人間は動物として劣等種なのか。

否。

人間は自らを劣等種なんて全く思っていない。むしろ優等種と考えているだろう。

この議論は難しい。そもそも、劣等種や優等種なんて所詮、人間が定めた基準でしか無い。私が人間を劣等種か優等種か定めたところで基準が明確ではない、無意味な区別に過ぎない。

だが、彼が定めれば基準は明確、答えは自明だ。

彼以外の全ての動物が動物として劣等種。何故なら彼は唯一無二だから。


私の友人。

ここでは「彼」としておこう。

彼は一言で表せる。「変わり者」だ。

もちろん私が定めるところの「変わり者」であり、彼からすれば私が「変わり者」になってしまう訳だが。

彼はよくこんな事を口にする。

「言の葉は言霊なり。言霊は力である。」

彼が私に何を伝えたいのか。真意は分からないが、深読みせずに素直に捉えれば、言葉は決して相手に意思を伝えるだけに用いる道具のようなものではない、言葉自体に意味があり、その意味が力を持っている。という事だろう。「変わり者」の言う事を理解出来るとは思っていない。ふーん、と興味がなさそうに頷いておけば良い。

彼の口癖はいつもある話を持ち出して口にされる。

その話が弱肉強食の話。

「人を殺したら犯罪。動物の肉を食べても犯罪ではない。でも、動物を殺せば犯罪になる場合がある。ならば人を殺さず、人を食べるのは許されるね。」

人を殺さず、人を食べればそれは傷害罪などに当てはまりそうだが、彼は極刑に値する犯罪、則ち放火殺人窃盗等々凶悪犯罪以外は許されるものだという考えらしい。

確かに、たった何十年か拘束された後、所謂いわゆる日常生活に戻れるのなら許されると称するのもあながち嘘ではない。まぁ、拘束されることよりも後に待つ社会的制裁の方が辛いだろうから日常生活に戻れるかは疑問なところだが。その話をすると長くなるから、感覚の外まで放り投げ捨てる。

「常に謎なんだ。人は弱い存在である牛や豚、鳥や魚は抵抗なく食し、食べた人に対して批判の言葉なんて決して口にしないのに、同じ弱い存在である人間を食おうと主張すると狂人のように扱い、食べても無いのにおかしな奴とののしられる。一体何がいけないんだ。」

想像してみよう。

目の前に美味しそうなステーキがある。

この肉は先日戦力外通告され、職を失い、ホームレスとなった日本産、元スポーツ選手の一級品ステーキです。

……吐き気がしてきた。

これは私が一般的に身につけておくべき倫理観というものを持ち合わせているが故に起きる症状なのだろう。

人は自らの倫理観で色々な物事を判断する。

人の善悪の判断もそうだ。

一つ例え話をしよう。

怪人が自らの生活の為に、他者が努力なくもらったパンを奪う。そして、自らの生活の為にそのパンを死守しようとピコピコハンマーや水鉄砲で抵抗しただけにも関わらず、駆けつけたヒーローは強烈な殴り技、蹴り技で怪人を撃退する。

どちらが正しい?

多くがヒーローを正しいと言うだろう。皮肉れ者がいる事は否定出来ないので、多くがといった言い方になってしまうが、殆どの人がヒーローこそ正しいと言う。

そもそも冒頭の「怪人が……」の段階で結論は出ていた。誰でも想像できる答えだ。

ヒーローは善。怪人は悪。

そんな善悪の判断の仕方は好まないが、私も己の倫理観に基づいて善悪の判断をしているのだろうから批判できる立場にない。

彼にヒーローと怪人の話をした時、彼はこう答えた。

「そこに客観的に見た善悪などない。パンを取られたものからすればヒーローが善、怪人が悪。ヒーローからしても同様だね。対して、怪人からすれば全くの逆だ。じゃあ何故善悪が存在すると思う?それは怪人が弱いからさ。君の話の中でも怪人はヒーローにやられている。もし、君の話の中に登場する怪人がヒーローを倒していたのなら、怪人は善人になり得ただろう。歴史は強者を善とする。強者が常識を作り、その常識を元に人間の倫理観とは形成されるものだ。だから世界はまさに弱肉強食!」

そして始まる彼の弱肉強食論。

話を幾度と聞いて思う事がある。彼にとってこの世界なんて実はどうでも良いのではないか?

ただ人の肉が食べたいだけではないのか。そう思えるほど人が他人ひとを食べない事を批判する。

だが、よく考えてみたら自然界でも共喰いは珍しいのではないかとふと思ったことがある。

残念ながら、それは無い。文化、儀式、禁忌などの概念を手にしまった人間くらいなのだ、共喰いに否定的なのは。

彼の考え自体は理解出来る。だから私は彼の話を聞いていられる。

ただ、人を食べない理由か分からないと主張する人間だ。

近くにいたらいつか食べられてしまうかもしれないというのに、懲りずに付き合う私も彼と同様、なかなかの変わり者かもしれない。

そんな同様(仮)だと思い始めた頃、私は彼に尋ねられた。

「人は現在この地球を支配していると言っても過言ではない。つまりは動物の頂点、最高位だと考えられる。しかし、人が空腹のライオンの前に現れればこのライオンに食い殺される。人は最高位である強者であると同時に、弱者に食われる弱者。ならばライオンという弱者より上である最高位の強者、人間が食わぬ理由がどこにある?」

・・・頭の構造が少し違ったようです。同様(仮)と言った発言は撤回させて頂く。


彼にとって「人を食う」ことは決して悪いことではない。牛肉や豚肉、鳥肉や魚肉を食べるのと何ら変わらない認識なのかもしれない。それも一つの正解だ。

しかし、私にとって「人を食う」なんて行為は考えられない、吐き気がする。犯罪云々の話ではなく、生理的に受け付けられない考えだ。それもまたひとつの正解だ。

「どうして人を食べたらいけないんだ?」

「どうして人を食べて良いと思うんだ?」

主観的正解と正解のぶつかり合い。

一般的に正しいもののぶつかり合いは融合によって解決される。しかし、ある物事一つに対して、真っ向から対立する正解と正解は融合なんて不可能。

真逆なのだから。

ならばどのように決着するのか。

数だ。「Aは正しい。Bは間違っている。」と万人が思えばそれが正しいものとなる。神の目線から見た実際の善悪は置いておいて。

例としてよく挙げられるのは戦争だ。他人ひと一人殺すのが許されないはずの世界で万の単位で人を殺すことが黙認されているのだから。人殺しがいけない事とされていたのに、大人数が「国家の為、天皇の為」と殺人を行なった。戦争において行われる殺人行為をこれは殺人ではない、殺人に当たらないなどと主張しながら。正しさなんて浜辺にそびえ立つ砂の城よりもろはかないものなのかもしれない。

万人が絶対的に正しいと信じてきた「人を殺してはいけません」という考えや、教えられずとも悟る「人を食べたらいけません」と言う考えを否定する意見をぶつけてきた者との議論の着地点をどこにすれば良いのか、バカで無能な私には分からない。


だから私は彼のすべてを肯定した。


対立するAとBとの考えは融合する事なく、片方の一方的捕食にて解決した。

私は議論を放棄したのかもしれない。

真っ向から対立している話し合いにおいて、考える事を放棄するのは最も恥ずべき行為であり、対立相手に失礼である。

利害関係があるなら別だが、私と彼の間で一つの結論が出たところで、私の意見は言わば民意。彼の意見は狂った考え。

何も変わりはしない。

根本として無益な議論なのだ。

無益な議論を行い、続ける為には互いの確固たる意志を必要とする。

たった一人で良い。たった一人、自らと異なる考えを自らにぶつけてきてくれる相手に自分の考えを納得してもらいたい。

そんな確固たる意志が。

彼の全てを肯定する行為は、彼にとってどういう事なのか。何を感じるのか。

それは、子供が大人に対して真剣に意見を述べたのにも関わらず

「はいはい、そうだね。」

と相手にされず受け流される時に生じる子供の憤りの感情に近しい。

そこで「別に大人に自らの意見が聞いてもらえると思ってないし、平気だし」的な皮肉れた答えは求めていない。素直な子供は相手にされないことを悲しむものだ。仮に自らが例外的であっても、理解だけはして欲しい。私や彼は悲しむのだ。彼はその点においては私と同様に常識的だったのである。

全てを肯定する私を彼は認めなかった。

彼には確固たる意志があった。

常識的である民意をぶつけるこの私だけ、たった一人だけで良いから自分の考えを心の底から納得して欲しい。

そんな意志が。

残念ながら、私は彼にはこのままでいて欲しいと思っている。民意を納得して欲しいなんて全く思っていない。

彼の持論、ほぼ全てに反論してきた私が

突如、全ての話を肯定して頷き始めた時に彼が感じたのは絶望。

溢れ出す負の感情を言葉に出来ず、彼は遂に行動として表現した。

目を背け、感情なく頷く私の両肩に手を乗せると、目を見ながら激しく揺さぶり問うた。

「君はどうしてしまったんだ。あれほど意志を強く持っていた君が、何故そんなに簡単に頷くようになってしまったんだ。いつから君は変わってしまったんだ。」

いつから…か。

いつの日からか私は彼を全肯定する事にしたんだよ。議論に決着をつけるために。君は決して望まない、結末を迎える為に。そもそも私に強い意志なんてなかった。常識はずれをただ見てるだけという事が出来なかった。だから話を聞いて議論を続けても彼の味方が増えるわけじゃない。彼はいつまでも一人。ならば、私くらいは彼の味方でいたかった。幼い頃から画一化された教育に漬けられ、自らの確固たる意志というものを持たない私なら、私に確固たる意志を持って話してくれる彼の味方になれる。友人が望むなら議論を続けるべきなのか。それがどれほど無益であろうが。一応悩んだんだ。その末の結論だ。

「……。」

私は口を閉ざした。何も彼に伝えずに黙る事こそ最善であると、この時私は判断した。

彼に問い詰められた瞬間から意思表示する事をやめた。

それでも彼は私を見つめ続けた。

「君は…至上にして至極にして至高である思考を放棄したんだな。」


彼はそれ以上、何もいう事なく私の前から姿を消した。


彼のいない世界は退屈であった。

前談で推測出来るだろうが、彼がいなければ私も一人なのである。私は彼の話を聞く事で彼を助けているかのような感覚であったが、彼も私を孤独から救っていたのである。

気付いた時にはもう遅い。

人間は愚かである。

無いものには気づけない。有るものだけ眺めては御座なりな扱いをする。そして失ってから初めて有ったものの重要さや失った事の重大さに気づく。

彼は私にとってかけがえのない存在であった。失った直後に私は気付いた。


消息も分からない彼を思う日々は長いようで短かった。


ある日。

彼は自らの居場所を明かす事なく、私に手紙を送りつけてきた。

地味な封筒に便箋数枚。

書かれていた事。

前記。見覚えのある人間の名前数個。それと同じ数の短文。後記。

私は手紙を読んで、彼を思う事をやめた。そして、かけがえのない存在などと思ったことを悔いた。

彼は我々と一線をかくす存在であったと思い出した。彼は唯一無二である事を。

私の前から消えた彼は、私にとってはもう悪魔になっていたのだ。


『久しぶり。元気かい?

突然君の前から姿を消してしまった事は申し訳ない。君と過ごした日々を懐かしく思っている。あの楽しかった日々をひと時も忘れた事はない。

さて、何故手紙を書いたのかを伝えよう。それは君と繰り返してきた話に結論が出てからだ。急いじゃいけないよ。

まずは結論までの道のりを記そう。

君の前から姿を消して数日間は一人で考えていた。しかし、限界を感じた。かといって、共に進んでくれる友なんていない。

だから、考えてたどり着いた事を実行した。

二十代、三十代、六十代の男女をある基準を定めて、選んで、肉を頂いた。今頃、行方不明になってテレビや新聞でも報道されているだろうね。

以下に細かく記そう。

①〇〇〇〇(24・男)

スポーツをやっていた彼からは主に筋肉を頂いた。

②●●●●(23・女)

スポーツをやっていた彼女からは主に筋肉を頂いた。

③□□□□(33・男)

健康的な生活を心がけている彼からは主に内臓と局部を頂いた。

④■■■■(30・女)

程よく肥えた彼女からは主に内臓と局部の他、乳房と尻を頂いた。

⑤◇◇◇◇(61・男)

御歳おとしを召した方の味も知りたく、主に筋肉、内臓、局部を頂いた。

⑥◆◆◆◆(65・女)

御歳を召した方の味も知りたく、主に筋肉、内臓、局部を頂いた。

上記したもの以外にもそれぞれから脳味噌や目玉などの頭全般を頂いた。

全て火を通すのみ、味付けは無し。

感想に移ろう。

人肉はどんな味だったか。

やや苦みと歯ごたえがあって、実に美味しかった。だが、残念ながら特別な味はしなかった。まるで豚肉。正直期待外れだった。しかし、全てが期待外れだった訳ではない。

特に気に入ったのは視神経。あれは珍味の中の珍味。あの味は忘れられない。

上腕二頭筋や大腿筋などの赤身の部分も美味しかった。心臓や肝臓などの内臓や男の局部も想像以上に美味しかった。

対して。予想はしていたが、味を期待していた女の乳房と尻はあまり美味しくなかった。やはり脂肪分の多い部位は水っぽくて美味しくない。女の局部もイマイチだった。

年齢差についてだが、やはり二十代、三十代にの若い肉の方が良かった。歯ごたえが違う。同じ部位だとしてもだいぶ違う。

結論を述べよう。

至上にして至極にして至高である思考と行動の末、至った結論だ。

人が人肉を食べない理由。教育のせいであることも確かだが、主たる理由は手間にある。

食料探しから困難である。見つけたとしても、調理は自ら行わなくてはならない。必ず大きなリスクが伴うことになる。それほどの価値は感じられなかった。

危険を冒してまで禁忌への一歩を踏み出すほどのものではなかった。

しかし、それも一度人肉を食べるまでの話。抵抗は一度で消えた。人肉は依存性が強い。強すぎる。一度食べてしまったらもう止まれない。あの味が忘れられない。人肉捕食欲求が止まらないんだ。

それが最高に気持ち良い。


だから君にたった一つだけ伝える。


君もこちら側へと来るべきだ。』

楽しんでいただけたでしょうか?

テーマは『カニバリズム』=人肉嗜食じんにくししょくです。

書いてる時はノリで書いてるので、そうでも無いですけど、読み直してみるとなかなかキツイ描写が・・・な作品でしたね。

NEKOらしい作品だと思います、はい。

それでは次回(新作?)もお楽しみに!

NEKOでした。

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