授業中の悪だくみ
初デート(仮)の計画が決まった私たちは4コマ目の講義に間に合うように分かれた。とはいっても東谷はもう今日は授業がなく、4コマ目があるのは私だけだったが。学部は一緒でも学科が違う私たちは2年生になった現在、講義が被ることはほとんどないのだ。昼食をそれぞれで取った後に集まっていたのだが、あの話だけで2時間ほど費やしていたらしい。いや、あの話自体はせいぜい20分くらいのもので、ほとんどの時間はユーネちゃんとルリちゃんのかわいさを語っていたのだった。映画はさらに楽しみになったとだけ言っておこう。
4コマ目の私の授業は工学部の中でも建設系だからこその授業ともいえる測量実習で、簡単に言うと屋外で地図的なものを作るためにいろいろなものを測るというものだ。今回は大学内の中庭っぽい位置で授業が行われている。夏の真っただ中で暑いのに、次の時間もこの続きがある。カフェで話し込みすぎたらしく時間がなかったため日焼け止めが塗れていない私にはなかなか厳しい。建物の影となる部分に置いてある荷物の中から、そっと日焼け止めクリームを取り出せるタイミングを見計らっているのだが無理そうだ。今日は薄手の上着などを持ってきておらず、むき出しの腕が日焼けするのが怖いのだけれども。
この授業は必修の授業のわりに、先生が厳しいと有名だ。何名かの先輩も単位を落したらしく、この授業が始まったときには見覚えのない顔の生徒も何名かいた。とにかく単位を落さないように、一生懸命課題に取り組むことにはしている。もし留年したら学費は当然のように私の負担になるのだから。というか、早く社会人になって自由にできるお金の量を増やしたいから、留年するわけにはいかない。
「紗羽―」
ニヤニヤと笑いながら、昼食を一緒に取った友人の木下真梨香が近づいてきた。真梨香はこの学科にいる数少ない女子のうちの一人だ。いつもフェミニン系の服を着ているが、この授業のある日はきちんとパンツスタイルで大学に来る。パンツスタイルなのにかわいらしい雰囲気が損なわれない真梨香に、私は毎回驚かされてばかりだ。そんな服装の印象とは対照的に、真梨香は話しかけやすく、適度にオタク気質だ。なんというか、聞き上手なのだが自分の好きなことは適度に話してくれる感じ。
真梨香は男子に人気があるのだが、授業中はほとんど私といる。この学科には女子が全体の十分の一しかいない。残りの9割は男子だ。このかわいらしい友人といると、異性からの「女子同士で固まるな」という目が痛い。男子の気持ちもわかる。けれど勉強したかったからこの学科を選んだとはいえ、私だってどうせなら女子に囲まれて勉強したい!
近づいてきたからずっとニヤニヤしている真梨香に嫌な予感がしつつも「どうしたの?」と要件を聞いてみる。ただ、雑談したかったから私のところに来たのかもしれないし。
「お昼取った後どこ行ってたの?」
「カフェで友達と話してた」
「友達って男子だったじゃない。東谷君といたでしょ?」
やっぱり、私のこと見てたか。あのニヤニヤ顔から十中八九そうだと思ってたけど。嫌な予感は的中したらしい。
「東谷は友達だから、間違ってないでしょ?」
冷静にそう返す。少しでも動揺したらだめだ。この友人は恋愛的な話が大好きで、実際には違うのに「紗羽は東谷君のことが好き」くらいに思ってそうだ。というか実際にもうすでに思われている。なんでも距離が近いから、だそうだ。仕方ないじゃないか。あれは男友達に対する距離感ではなく、なんというか同志に対する距離感なのだ。
ていうか、ついさっき仮にでも付き合うことになったから、友達という関係は間違いになるのだろうか?
でも、真梨香に知られるのは少し面倒だから黙っておこう。なんか一瞬で私たちが付き合い始めたという噂が広がってそう。実際には真梨香が誰かの恋愛関係の話を他人に言ったことはないのだが、なんというかイメージ的に広がりそう。我ながら失礼なイメージである。
「紗羽は空きコマに用事ないと思ってたから、一緒に過ごせると思ってたのにー。東谷君と過ごしてるなんてっ」
冗談めかして真理子はそう言ったけど、これはからかわれる流れだ。このまま話してたら確実にからかわれる。
「先生の話聞かないと。私、この授業苦手なんだよね」
そう言って真梨香のもとからから離脱しようとする。測量そのものは好きだが、授業が苦手なのは事実だから嘘じゃない。私たちの学科がこうやって外で測量しているのは教室で普通の授業を受けている人たち、特に1年生には新鮮らしく、ジロジロとみられているのを感じるからだ。もうすぐ前期が終わるこの時期には1年生も慣れてきているのだが、それでも見てくる人はいる。見られることになれっこな真梨香は私の考えも知らずに「この授業、紗羽は得意じゃない。それより、東谷君のこと!」なんて言っている。 どうやら離脱には失敗したようだ。まあ、ほとんどの場合に失敗するけど。
「東谷君とは中学の同級生なんだよね」
「うん。何回か同じクラスだったこともあるよ。東谷に聞いたの?」
「そうだよ。じゃあ、二人は幼馴染ってこと?」
「いや、真梨香は幼馴染の意味わかってる……?」
「……実はあんまりわかってない」
しかし、そこで思いついたのだ。いや思い出したのほうが正しい。真梨香と東谷は友人関係にある。さっきの一言からわかる通り、そこそこは話す機会もあるのだろう。その友人関係に至った理由というのがサークルなのだ。真梨香の入っているサークルは二つあり、一つはテニスサークル。もう一つは東谷と同じゲームサークルだ。そこに東谷に思いを寄せている、少しヤバそうな女子も所属していた。
今日のカフェでの密談で決まった、私が東谷と付き合うための条件は私がブロマイドを東谷に1枚あげて、その上例の女子を牽制するというものになっている。その代り、東谷は彼氏として私の家に何か月後かにあいさつに来てくれる。
そこで、例の女子を追い払うという条件達成のために真梨香を利用できるのではないかと考えたのだ。利用と言ったら聞こえが悪いけど、そんなたいしたことをするわけではない。真梨香に東谷と付き合うことになったことを言うだけでいいのだ。言ってしまえば恋愛の話が好きな彼女のことだから、私に詳しい話を聞こうとするだろう。あとはそれに丁寧に応えるだけ。
ゲームサークルの例の女子が東谷にアプローチしているのは、サークル内では周知の事実らしい。東谷がその女子に困っているというのも。
だから東谷に彼女ができたという情報を東谷や私に確認を取ったうえで真梨香は例の女子に伝えてくれるだろう。真梨香が伝えるときに「彼女のほうと友達なんだよね」と付け足してくれてもいい。
これはいける。軽い牽制にはなる。
そう思った私はすぐに行動に移した。
東谷と付き合うことになったことを真梨香には黙っておくという作戦をやめにして、照れたような表情を作って真梨香に向き直る。元演劇部の私にかかればこんな表情を作るのも朝飯前だ。って言っても、演劇部は高校時代に3か月だけやって途中で退部しているのだが。ユーネちゃんのファンをするためには、演劇部の練習時間が想像以上に長かったから仕方ない。
「実はね……」
東谷と付き合うことになったんだ、と恥ずかしそうに言う予定だったがそれは先生の言葉にさえぎられた。「後で」とだけ言って先生の言葉を聞く。先生は今回の測量における注意点を今更言い、「今回で前期の測量は終わりだから、単位が危ない人はしっかりやること」なんて言葉で締めくくった。その言葉によって私たちは測量の授業に真剣に取り組むことになり、真梨香とふざけた話をするような余裕はなくなったのだった。
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