会遇(2)
コンコン、というノック音を聞いて、ヒューズは胡乱気に瞼を開ける。
「ん……今、何時だ……?」
かなり長い時間眠っていたような気がして、そんなことを呟く。
しかしここは、そんな自分が暮らしてきた文明とは大幅に違う世界。
商人ギルドお預かりの宿屋とは言え、商人でもない彼が使う部屋に、時計などという高価なものが置かれているはずもなかった。
ついつい首を回して探してみるが、そういえば入ってきたときに時計が見当たらないことが印象的だったことを思い出して、早々に諦めた。
と、その瞬間。
目の前に現在時間を示しているのであろうホロモニターが出現した。
「うわあっ!?
……って、あぁそういえばそういう機能も追加されてたっけ」
時刻を確認して、ヒューズはそのウィンドウをスワイプして削除すると、ベッドから降りる。
すると、それとほぼ同時に扉が開いて、駆け足で人が入ってくるのが見えた。
「ヒューズ、大丈夫ですか!?
何かありましたか!?」
ミャオは部屋に飛び込んでくるなり、ヒューズの体に抱きついた。
「大丈夫だよ、ミャオ。
心配してくれてありがとう」
彼はそう言うと、彼女の頭に手を置いてとりあえず落ち着かせた。
しかし……。
網膜に直接ホロモニターを投影するとは思わなかったな。
ま、仕方ないけど。
「そういえばさ、ミャオ。
お腹空かない?」
⚪⚫○●⚪⚫○●
ということで現在俺たちは、宿屋の一階にある食堂に訪れていた。
コロエも誘いたかったが、行商の準備があるとかで、暫くは一緒にいられないらしい。
「マスター、何かできるだけ安くて美味しいものを頼む。
あ、それとお金について軽くご教示願えないかな?」
カウンター席に並んで腰掛けて、マスターと思しき人物にそう声をかける。
「はい、畏まりました。
……あれ、貴方。先程コロエさんとご一緒でした方ですよね?」
マスターは人好きの良い笑顔で答えながら、そんな質問を立てる。
「ああ。
盗賊に襲われていたところを少しね」
「そうですか……。
ということは、懸賞金稼ぎの方ですか?」
「いや、通りすがりの旅人だよ」
「失礼しました。
詮索するようなことを言って、申し訳ない」
彼は少し申し訳なさそうに眉をハの字に傾けると、両手を合わせて上体を前傾させた。
たぶん、これはこの国(もしくは地方)の礼なのだろう。
俺は頭を上げるように言うと、話を戻す。
「それで、お金のことを知りたいんだけど。
どれがどれくらいの価値なのかを教えてくれないかな?」
「はい、畏まりました。
それでは、お話させていただきますね」
マスターはとても丁寧な対応で、お金の価値について話してくれた。
まず、この国では、大きく分けて二種類の硬貨が使用されている。
一つは地方で扱われる、純度の低いエー硬貨。
もう一つは、中央や都といった、人がよく集まり、物流の中心となるようなところで使われているエッチ硬貨。
エー硬貨とエッチ硬貨は、二倍の価値の差があり、同種のエー硬貨二枚がエッチ硬貨一枚と同じ価値を持つ。
一番価値が低いのは銭貨。
十枚集まると銅貨になり、更に十枚集まると銀銭貨になる。
銀銭貨も十枚集まると次のランクである銀貨になり、同じく十枚集まると金銭貨になる。
そして、更に十枚で金貨になり、それ以上も同じく十進数で白金銭、白金貨、金剛銭、金剛貨になるという。
ランクが上がるには同じものが十枚必要というところは変わらないので、至って計算しやすいところにある。
マスターは実際に硬貨を見せながら総説明してくれた。
流石に金貨以上のものはなかったけれど。
補足すると、銭とつく硬貨には全て、真ん中に四角い穴が空いている。
これは、それぞれの硬貨の純度を調整する際に開けられたものらしいが、今は関係ないので他所に置いておく。
(となると、大体銭貨一枚が一ダイム(十セント)くらいって考えでいいのかな)
とすると、銅貨一枚が一ドルの価値だな。
コレの基準はエー硬貨の基準で考えたほうが良さそうだな。
「エー硬貨とエッチ硬貨って、どうやって見分けるんだ?」
ふと、脳裏に浮かんだことを、店主に尋ねてみる。
「見分けやすいように、コインの裏面に木のシンボルが描かれています。
一本だとエー(一)、二本だとエッチ(二)という具合ですね」
なるほど。
「んじゃ、銅貨二枚に収まるくらいの値段で、美味しいものを頼むよ」
「承りました、少々お待ちくださいませ」
⚪⚫○●⚪⚫○●
「……あー、良かったらでいいんだけどさ」
軽い食事を摂った後。
ヒューズはミャオをコロエの部屋に預けた後、再び一階の食堂へ降りてきていた。
「なんでしょう?」
マスターはにこやかに笑いながら、グラスを置いた。
「ここに来た時、街の規模に反して、人の数が少ないように見えたんだ。
何かあったのか?」
常駐の騎士団が言っていた、鵺という存在も気になる。
そもそも、鵺は日本の伝承にあるモンスターだ。
言葉としては、よくわからないものという意味だったはずだが……。
ヒューズが尋ねると、店主は少し渋い顔を見せる。
「そうですね……。
物武という職業をご存知ですか?」
「あぁ。
モノノ怪を専門の狩人みたいなものだろ?」
「正確には、国や個人に要請されて、モノノ怪を退治したり、モノノ怪から行商人や街を守ったりする職です」
なるほど。
つまり、鵺っていうのはモノノ怪なのか。
「……それで?」
「モノノ怪は強力な呪いを操って、人に危害を与えます。
鵺は、モノノ怪の中でも更に強い呪いを扱うので、普通のモノノフでは太刀打ちできないんです」
なるほどなぁ……。
それで、街の人たちは怯えて外に出てこないと。
だから人が少なく感じる。
そういえばオリビスも呪いを使ってたな。
もしかしてあの『話訳』スキルも呪いの一種なのかもしれない。
あれ?
じゃあオリビスもモノノ怪なのか?
本人(?)は話す獣と言っていたけど……。
「話す獣とモノノ怪はどう違うんだろう……」
「どちらも一緒ですわよ」
ポツリ、と呟く彼のセリフに答える人がいた。
コロエだ。
「マスター、エールをお願いしますわ」
「承りました」
⚪⚫○●⚪⚫○●
翌朝。
ヒューズはミャオをコロエに預けて、街の酒場で聞き込みをしていた。
話題は、モノノ怪について。
昨日、コロエや酒場の店主が話していたモノノ怪という存在は、どうやら魔法技術をつかう獣のことらしいということが判明した。
そこで、ふと疑問に思ったのだ。
あのルーターを介して魔法技術を使うには、口頭による入力が必要である。
にも関わらず、普通人語を話さない獣達が、なぜそれを行えるのか。
それがまず一つの謎である。
もしかしたら、俺が知らない内にそういった生物兵器でも作られて、それが今に残っているのかもしれないが……。
記憶が確かなら、国際法でそういった生物兵器の創造、合成、召喚は固く禁止されていたはずだ。
禁止されているというだけで、できないわけではないので、どこかの誰かが禁を破り、そういった事をしたのかもしれないが……。
(なにか、引っかかるんだよな……)
それは、直感にも似た何か。
……そういうウィジェットでも追加されたのだろうか?
例えば、第六感を鋭くする、みたいな。
そんな疑いのもと、街中の酒場を訪れてみたのだが、いかんせん、人がいない。
一人もいない。
いや、何人かは外を出歩いている人もいたが、みんな怯えた様子で、そそくさと建物へと隠れていく。
寂れているというか、閑散としているというか。
それだけ、鵺を恐れているということなのだろうか。
これではコロエさんの行商も、商売上がったりとか言うやつなんじゃないか?
と、そんなことを考えながら、森閑とした町中を歩いていると、どこからか騒ぎ声が聞こえてきた。
気になって、そちらに意識を傾けてみると、その声ははっきりと耳に伝わってきた。
「なんだ、クソジジイ!
喧嘩売ってんなら買うぜ、コラァ?」
なんだ、揉め事か?
何か気になったヒューズは、騒ぎの聞こえる方へと足を急いだ。
するとそこには、大男が取り巻きと思われる人を引き連れて、袋小路に老人を追い詰めている画が見えた。
「別に喧嘩を売っているわけではない。
お前程度の実力では、犬死するだけじゃからやめておけと注意しておるのじゃ」
老人はひどく落ち着いた様子で、大男に悟りかける。
何があったんだろう?
犬死?
って、聞き入っている場合じゃないよな。
助けないと。
こういう時、たしか「おまわりさん、こっちです!」って叫ぶのがセオリーだって、日本のアニメで言ってたな。
どこかズレている気もしないではないが、とりあえず俺は大声で手招きをするような仕草をしながら、叫ぶことにした。
しかしこの時、このあと自分の身に降り注ぐ厄災に、まだ俺は気づいていなかった。
「衛兵さん、こっちです!」
すると、ヒューズのその声に気づいた大男が、「ア゛ァ゛?」と唸りながら、こちらを振り返った。
「・・・(°∀°川)」
あまりの迫力に、一瞬たたらを踏む。
「おい、ガキ」
「は、はいっ!?」
いつかの強盗よりも、何よりその巨体に気圧されて戦いたヒューズは、少しだけ後悔しながら、それを見上げる。
男は無言でヒューズへと近づくと、俺の頭ほどの大きさのある手で、胸ぐらを掴んだ。
「調子に乗るなよ……?」
……これ、どうしたらいいんだろ?
ラノベとかだと、こういうシーンって大概何か助けが入るものだけど……。
「……」
チラリ、と周囲を確認する。
老人は頼りにならない。敵の子分は論外。路地に誰か居たっけ?いたような気もしなくもないが、ちょっとそれを頼るのは無理があるだろう。
(これ、自力で切り抜けるの?)
でも、まあククリナイフ持った盗賊は簡単にいなせたし、ボウガンの矢だって見切れたんだ。なんとかなるんじゃね?
「何とか言えや、ゴラァ?」
「はっ、はひっ!?」
いや、無理だわ。これ、諦めるしかないわ。
学校で不良児を拳で相手にした経験はなかったし、何よりこんなゴツいやつ身近にいなかったからそもそも経験がない。
……いや、こいつと不良児を比べるのはおかしい気もするが。
ここは、腹をくくって、痴態を晒してでも見逃してもらうしか無い。
そう考えた時だった。
ふと、彼は首を傾げると、暫く耳を澄ませたようにじっと動かなくなった。
(どうしたんだ……?)
不審な行動に、ヒューズの心に不安が募る。
すると突如、男はチッ、と舌打ちをすると、クソッと悪態をついて、俺を壁際へと放り投げた。
「っ!?」
咄嗟に体を捻って、壁を蹴ることで衝撃を躱しながら着地した俺は、怪訝な面持ちを携えて警戒する。
しかし、つぎに不良男が取った行動は意外にも撤退だった。
(ふぅ……。
なんとかなったみたいだな……)
俺はとりあえず安堵の息をつくと、老人の方へ視線を移した。
「だ、大丈夫ですか?」
「あ、ああ……。
ありがとう、助かったのじゃ」
老人はペコリと頭を下げて、そう礼を言う。
それにしてもこの老人、見た目にそぐわず声がすごく高いな……。
そんな心の中が顔に出ていたのだろう。
老人はムッとした表情を作ると、しばらくして何かに気がついたかのようにパンと手のひらを打った。
「そうじゃな、こんなナリじゃ不審に思うのも訳ないじゃよ」
老人がそう呟くと、彼の体から白光が漏れ出した。
「……ッ!?」
思わず腕で目を庇う。
暫くすると、ストッという音が響いて、老人がこちらに語りかけた。
「もう良いぞ、青年」
「……え?」
そんなセリフに、彼の方に目を向けてみれば、そこには一糸まとわぬ金髪灼眼の幼女が、腰に両拳を当てて、仁王立ちをしていた。
「幼女……?」
「幼女とは失礼な!
ワシはこう見えても――」
「――君、そこで何をしているのかね?」