会遇
「……子供?」
幌の影から現れたのは、ボロボロのマントを羽織った、真紅の髪をした少女だった。
少女はギリッと歯ぎしりをすると、無言でクロスボウをこちらに向ける。
「……ない」
ポツリとこぼれ落ちるようにして聞こえた言葉は、しかしヒューズに届くことはなかった。
語尾だけを聞き取った彼は、それが自分に対して投げかけられた言葉だと判断し、聞き返す。
「……何?」
ギリギリと弓が撓り、弦を引き絞る音が、十数メートルほど離れたところまで聞こえてくる。
ゼンマイを引くたびに、ギリギリギリという音が響き、矢がつがえられる。
そこには明らかな怒気が含まれており、ヒューズが後ろ足を引くには十分な迫力があった。
「私は子供じゃない!」
少女は咆哮すると、限界まで引き絞った弦を開放した。
「!?」
ほぼ見切ることのできない速度で、矢が飛来する。
普通ならば、それを避けることなど出来はしなかっただろう。
しかし、ヒューズは些か普通ではなかったので、驚きながらではあったが、それに対して対処してみせた。
カラン、という音と共に矢が地面に落ちる。
真っ直ぐに飛んでくる矢というのは、精度が高ければ高いほど対処はし易い。
例えるならば、それはただ鋭く細く速いだけの拳と、対処は変わらないのである。
……具体的に言えば、ヒューズはそれを、裏拳で打ち落としたのだった。
ヒューズからしてみれば、体が勝手に反応したという感覚なのだったが……。
(これも、あの生命維持装置の効果……では、ないだろうな。
流石に……)
一瞬の硬直。
その隙きを狙って、別の角度――正確には上空――から弱い空気の圧迫を感じる。
ヒューズは直感に任せて前足を一歩踏み出し、両腕を前に突き出す。
左腕で飛来してくる棒状の何かを引っ掴み、体を捌きながら引き寄せる。
右手を飛んでくる肩口に添えて、地面に叩きつけるように捌く。
よくわからないが、体が勝手に最適化された行動を紡いでくる。
(なんだ、この感覚……?)
「がっは!?」
気がつくと、俺はククリナイフを持っている男性を投げ倒していた。
ギリギリギリ、と言う音が、かすかに鼓膜を打つ。
俺は咄嗟に反応して、その男からナイフを取り上げ、首根っこを引っ掴み盾にする。
次いで取り上げたククリを、彼の首筋に添える。
「き……穢ぇぞ、テメェ……!」
ヨーゼフは目尻に瞳を寄せて、背中越しに俺を睨む。
同時に、クロスボウの弦を引き絞る音が止まる。
「大人しくしろ、盗賊」
告げると、真紅の髪をした少女はこちらを睨みながら、あぶみを下げた。
「武器を捨てて、マントを脱いで両手を上げ、目を閉じろ」
ナイフの腹をヨーゼフに押し付けながら命令すると、イェンは歯噛みをしながらその要望に答えた。
マントを脱がせたのは暗器を見つけるため。
持っている武器だけを捨てさせて、暗器を隠したままにされていては、いくら見た目が無防備でも意味がないからだ。
案の定、彼女のマントの下からは、信じられないほど大量のナイフが吊るされたベルトが隠されていた。
おそらく投げナイフの類だろう。
イェンはそれも脱ぎ捨てると、両手を上げて、指示通りに目を閉じ――
「イェン、逃げろ!」
突如、ヨーゼフがそんな雄叫びを放った。
その声にイェンはハッと目を見開くと、思い出したかのようにくるりと背を向けて闘争を始めた。
「あっ!?」
「へっ!
お前の好きにはさせねぇぜ?
お生憎うちの嬢ちゃんは驚くほど足が速ぇからな!」
威張ったような態度をとる盗賊のヨーゼフに、若干腹を立てる。
そうこうしているうちに、イェンは既に木々の合間を抜けて、姿が見えなくなってしまっていた。
「ザマァ見やがれ!」
本当に大人げないと思うが、ちょっとイラッときたので手刀で気絶させたけど、俺は悪くないよな?
⚪⚫○●⚪⚫○●
「先程は助かりましたわ、ヒューズさん。
まだ名乗っておりませんでしたね。
ワタクシの名はコロエ。
見ての通り、行商を営んでおりますの」
「はぁ、どうも……」
それから暫く後。
ヒューズ一行は幌馬車の荷台に揺られていた。
ちなみにオリビスは、気がついたら呪いによって小動物の姿に化けていた。
化ける、と言うよりは、変身に近いかもしれないが。
俺は御者席で馬の手綱を引く麗人に、そっけない返事を返す。
ちなみにこのコロエという行商人。
かなりの美人である。
ヒューズの趣味とは違ったタイプの美人で、属性区分で言えば、巨乳のお姉さん系に、商人のような雰囲気と目を合わせたような感じである。
「あの……コロエさん」
「何かしら?」
「どうして、その……護衛も付けずに、この道を通ってたんですか?」
ふと、先程から疑問に思っていたことを、ミャオが首を傾げながらそう尋ねた。
「そうねぇ……。
強いて言えば、身の危険を少しでも小さくするため……ですわね」
「え?
護衛をつけた方が危険なんですか?」
「ワタクシの場合はね?
ほら、ワタクシってスタイルが良いでしょう?」
こちらに視線を流しながら、そんな風に自慢げに語るコロエ。
ミャオの視線はそんな彼女の胸部に向けられて――そして、自分の胸を見下ろし、着ていたポンチョの上から、両手で胸をパスパスと叩く。
(気にしてるのかな?)
そう思いながら、俺も自然とコロエの脇から見える横乳に視線を移し、そしてそんな様子のミャオの行動を見て、なんだか微笑ましく思ってしまう。
そんな彼の視線に気がついたのか、ミャオはムッと頬を膨らませてこちらを睨んだ。
「ヒューズも、あーいうのが好みなんですか?」
「誤解だよ、ミャオ。
俺はあんな脂肪の塊には興味無いから」
「し、脂肪の塊……!?」
励ますように、ヒューズはそう言葉を作りながら、彼女の銀色の頭にポンポンと手を乗せる。
どうやら自慢のスタイルを貶された彼女の悲鳴は、ヒューズの耳には届かなかったようだ。
項垂れるコロエをサラッとスルーしながらミャオは、何か考えるような素振りを見せる。
そして不意にポンと手を叩くと、こんな言葉をのたまった。
「……もしかしてヒューズ、ショタコンなの?」
「おい、どうしてそうなった……!?」
ていうか、この世界にもショタコンなんて言葉があったんだな。
⚪⚫○●⚪⚫○●
暫く山道を進むと、段々と木々がまばらになってきた。
どうやらもうすぐ山を抜けるらしい。
「さ、もうそろそろ着くわよ。
罪人の手綱はしっかりと握っておいてくださいな」
コロエは前を向いたままでそう微笑みかけると、少し急になってきた坂を下って、見えてきた巨大な壁に向かって、足を速めた。
門兵による検問の後、ヒューズはこの世界に来て最初の街に足を踏み入れることになった……のだが、検問の際に盗賊に会ったことや、一人捕らえたことを話すと、すぐに街に常駐している騎士団の詰め所へと案内されることになった。
「まったく……。
鵺の件だってまだ片付いていないのにさぁ……」
騎士団詰め所。
コロエとヒューズの話を聞いた女性騎士が、肩をすくめながら罪人と資料に視線を流す。
(鵺……?)
「そう言うな、リイロ。
ごめんなぁ、御仁。
せっかく盗賊を捕らえてきてくれたのに」
「いえ、お気になさらず」
リイロと呼ばれた騎士を嗜めて、苦笑いしながら平謝りする。
この街の名前はロゼロという。
山の麓にある少し小さ目の街で、コロエの説明によれば、モノノ怪と呼ばれる種の動物を狩ることで生計を立てている、物武と呼ばれる人たちが興した街らしい。
詰め所へと向かう道すがら、街を見ながら、俺はふと思う。
人数が少ないように見えるのは、もしかしたらその鵺とかいうやつが関係しているのかもしれない。
(ちょっとは、気をつけたほうがいいのかもな……)
俺は内心でため息をつくと、隣でこちらを怪訝に見上げるミャオに、微笑みを向けた。
すると、彼女もそれに答えるように笑顔を向けてくるのであった。
⚪⚫○●⚪⚫○●
「そういえば二人とも、今晩の寝床は決まっていませんわよね?
よろしければ、ワタクシがいつも使っている宿に行きません?
護衛してくれたお礼ということで、代金はワタクシが持ちますけれど」
騎士団の人から報奨金をもらってから暫く。
さて、これから宿を取りに行こうという話をミャオとしていると、そんなことを提案してくるコロエの姿がそこにあった。
二人は、そういう事ならご相判に預からせて頂こうということで、彼女の言葉に甘えることにする。
コロエがいつも使っているという宿は、商人ギルドが経営している宿屋だった。
商人ギルドでは、その商人の階級に応じて、宿舎の一部屋を無償で借りることができるという特権があるそうだ。
そこで彼女の提案で、ミャオとオリビスがコロエと、ヒューズは別の部屋を借りることになったのだった。
が、しかしそれに至るまでに色々なことがあった。
色々の内容は、簡単に言えばミャオが俺と同じ部屋がいいと駄々をこねたことだ。
「夫婦が別室で寝るなんてありえません!」
とは、ミャオの言葉である。
彼女は下から睨みつけるようにコロエを見上げる。
「いけませんわ、ミャオさん。
殿方にも、夜一人になりたいときがございますのよ。
ということで、申し訳ありません、ヒューズさん」
どこか意味深な笑みを湛える彼女だったが、その視線が俺の目ではなく別の場所をチラリと映したことには気が付かなかったことにする。
そんなこともあって、俺は一人別室になったのである。
「ふぅ……。
やっと落ち着ける……」
彼は用意されたベッドに腰を落ち着けると、意外とふかふかなベッドに背中からダイブする。
(時代はおそらく中世初期辺り……なんだろうな)
木の柱が丸見えの天井に視線を泳がせながら、とりあえず現状の整理を始める。
初めて乗った馬車は乗り心地着悪く、とても休めたものではなかった。
そのためか今になって、段々と眠気がヒューズを襲う。
(考えるのは、起きてからでもいいかな)
そんな怠慢な思考を最後に、彼は眠りへと落ちていくのであった。
⚪⚫○●⚪⚫○●
気がつくと、真っ白な空間にいた。
おそらくこれは夢だろう。
これが夢だとわかる夢を見るのは初めてだが、なるほど。
これが明晰夢というやつか。
彼――S・ヒューズは「不思議な体験をしたな」程度の関心で、周囲を見回した。
ヒューズは良く、夢を覚えている方ではなかった。
だからこの感覚はなんだか新鮮に思えて、冒険心をくすぐられる。
ふと、眼前に何かが流れてきた。
流れてくるというよりは、落ちてきたか、降りてきたか。概ねそんな感じの印象を与える風な形で、それは目の前を通り過ぎる。
釣られるようにして、降ってきた空を彼は呆然と見上げてみる。
するとそこには、大量の文字群がとぐろを巻いていた。
いや、これは文字というより、計算式だろうか。
よく目を凝らしてみると、見知った数式がチラホラと見える。
「コンピューターの関数……?」
呟いて、すぐに違うとわかる。
「いや、これは魔術公式だ……!
あぁ、そうか。
何処かで見たと思えば、あれはアセンションシステムの関数じゃないか!」
しかし、なぜそんなものが俺の夢に……?
呟いて、そしてまた生まれる疑問に、彼は怪訝な表情を浮かべる。
彼の予想ではおそらく、あの黒人の医者であり我が友人のグラードが埋め込んだ、最新型の生命維持装置が関係していると踏んでいる。
しかし……。
再びヒューズは顔を顰める。
これがもし、その装置の副作用なのだとしたら、なぜ今になってこんなことが起こるのか。
何かに干渉したから?
以前と今で、何か違いがあるのか?
だとしたら何だ?
しかし、その答えはすぐに導き出された。
目の前に文字が浮かび上がったからだ。
そこには、ナノルーターを介した魔術の行使が原因であるという旨が表示されていた。
「あ、なるほど」
更に文章は追加される。
《告知:ナノルーターを使用し、魔術を行使しました。》
《 これより、魔導義手、及び魔導義足の調整を行います。》
《告知:これより、肉体情報の更新を行います。》
《 更新中。暫くお待ちください…………。》
《告知:調整を完了しました。》
《 魔導義手及び、魔導義足に、ショートカット機能をアップデートしました。》
《告知:体外からの魔術干渉を確認しました。》
《 ウイルスデータを除去し、言語情報を最適化します。》
《告知:これより、言語情報の最適化を行います。》
《 更新中。暫くお待ちください…………。》
目まぐるしく追加されていく文章を目で追いながら、先程の推測が正しかったものだと理解した。
(機能のアプデ……だよな、これ)
恐ろしい機能が着いてるものだ。
ヒューズは頭を振ると、どこか諦めたようにため息をついた。