遭遇(2)
西暦三千年代初期。
とある発明家が、こんなことを言い出したのが、ソレの切っ掛けであった。
「魔力を……道具を用いなければ魔法技術を使えないのって、不便だよな?」
西欧魔術特区E区、某魔法技術開発研究室にて、とある男性が、量子コンピューターの幻晶画面を眺めながら、ポツリと呟いた。
「あぁ?んなの当たりめぇじゃねぇか。
道具無しで、どうやって波形の調子合わせろってんだよ?」
「うん。
それで考えたんだけどさぁ。
医療用に使われていたナノポッドってあったじゃん?」
「あ〜、あの灰色の沼事件の?」
「そ、アレアレ」
灰色の沼問題。
それは、医療用に作られたナノマシン、ナノポッドが引き起こすだろう問題として、十世紀前ほどから危惧され続けていた、ナノマシンの暴走による一つの課題であった。
いわゆる灰色の沼事件とは、ナノポッドに組み込まれたアルケミーシステム(周囲の物質を使って、必要な物を調合するシステム)による自己増殖バグが引き起こした事件であり、二世紀ほど昔に発生。
丁度開発途中であった、平行世界移行システムにより、一時は危機を押さえ込むことに成功したが、その教訓より国連は、自己増殖機能をもつナノマシンの製造を全国に禁止させた。
彼――トーマス・ジャクソンは、丁度それに関する記事を、ホロモニター上に展開していたところであった。
トーマスはそれに視線を向けながら、話を再開させる。
「国連は、アルケミーシステムの自己増殖機能がダメって言ったんだよな?
じゃあ、アセンションシステムで自己増殖させる分には、大丈夫なんじゃねぇの?」
「……すまん、話が見えねぇんだけど。
今何の話してんだっけ?」
同僚のオプターが、頭をガリガリと掻きながら、トーマスに返す。
「だからさ。ナノマシンにアセンションシステム積んで、からの自己増殖させればいいんだよ」
「だから、何のために?」
「そりゃもちろん、道具を使わずに魔術使うために決まってんだろ?」
「「はぁ!?」」
トーマスはつまり、簡単に言えば魔素ともいえるP粒子のルーターを、ナノマシンに積んでバラ撒こう、と言っているのだ。
ナノマシンを作るくらいの技術なら、今の科学技術を持ってすれば簡単である。
実際問題、ナノマシンを使った犯罪は、ここ数世紀でうなぎのぼりである。
肉眼では視認できない小さな異物。知らぬ間に吸い込んで、細胞にバグを作ることすらも容易なのである。
だから、ナノマシンそのものも、実は製造を禁止している国も多くあるのだ。
しかし、西欧魔術特区は違った。
それをいいことに彼は、自己増殖をアセンションシステムを利用して制御し、どこでも魔術を扱えるようにしようと計画したのである。
結果的に言えば、その実験は限られた空間でのみ行うことが許されることとなった。
量子コンピューターに、音声認識エンジンと、中東魔術特区で使用されている最新型の嘘発見器である、マインドリーディングプログラムの改良を積んで、術者の言葉と思考による魔法の演算を可能とした。
「移動プログラム、前進……移動プログラム、停止」
試験として呼ばれたアルバイトの少年が、命令式としてプログラミングされた音声を紡ぐ。
ナノマシンが命令式を読み込んで、暫くするとアルバイトが支持した通りに、目の前のボールが前進し、停まる。
おお、と科学者たちは歓声を上げた。
「荷重プログラム、上昇」
続いて告げられる命令式に伴って、ボールは上空へと浮上し――
「移動プログラム、停止」
垂直に浮上したそれは、完成を完全に無視した動きで停止する。
それから全ての動作確認を経て、動作上の問題はなしと判断されると、その実験はさらに数人のアルバイターによって繰り返されていくのだった。
⚪⚫○●⚪⚫○●
――そういう経緯があり、今ではごく限られた地域のみではあるものの(ヒューズが眠りから覚めた時点では、その限りかどうかは少し怪しいところがあるけれど)そのように音声認識による魔法技術の行使が出来るようになっていた。
「クラフトプログラム、服」
ヒューズは今しがた狩獲った獲物の毛皮で、最低限の衣服をこしらえると、茂みの中から姿を表した。
「すごい……。
ヒューズ、呪い師様だったんですか?
驚きました」
一瞬にして衣服を編み上げた(ように見えた)ヒューズを見ながら、銀髪の少女はキラキラと瞳を輝かせる。
「まあ……そんな感じかな」
おまじないというよりも、空気中に散布された、ナノマシンの魔法技術によるものなんだけどね……。
しかし、そんなことを彼女に説明しても別にどうでもいいことなので、ここはサラリと流しておくことにした。
⚪⚫○●⚪⚫○●
オリビスは、近づいてくる獣の血の匂いに重い目蓋を開ける。
彼は二人が夜中にいなくなったことに気がついていたが、特に気に留めることはしなかった。
普段……それも、ミャオ一人だけであるならば、呪いを使って彼女の安否を常に監視していたのだが、しかし今回はミャオの番も一緒だ。
特に何をどうするともすることはなかった。
だが一つ、二人の距離を近づけるために、矮小なゴブリンを脅して、あの小僧の衣類を盗む程度の手は出したが。
「しかし……」
オリビスはその白い毛の間から、盛大な溜息を吐いた。
近づいてくる獣の血と肉の匂いにまぎれて、人間の欲情したとき特有の、臭いニオイが鼻を刺激する。
このニオイは、あの二人のものだ。
何があったかはわからないが、どうやら性的な興奮をお互いに覚えるような事件があったらしい。
「ヒューズ、貴様はもしや童貞か?」
帰ってくるなり、言一番にそんな罵声を掛けるヤギュウのオリビスに、ヒューズは不思議な表情をした。
「いきなりなんですか?」
「さしずめ、泉でミャオの裸でも見てのだろう?
よく襲わなかったな」
(な……なぜそれを……!?)
ギクリ、と体を震わせ硬直するヒューズの隣で、なぜか頬を赤らめて下に俯くミャオを視認するオリビス。
「お見通しだ、小僧。
ワシがどれくらい生きていると思っている」
「……えっと、六十年くらいですか?」
「戯け。
二百年じゃ」
今度は別の意味で硬直してしまった。
どうやら驚きすぎて、機能が止まってしまったらしい。
「嘘だ」
嘘だけど。
とりあえずそう嘯いて、ワシは二人が――主にヒューズが抱えている、首のないワニ目の動物の骸に、視線を移した。
「ああ、これですか?
丁度良かったので、朝食にどうかなと思いまして」
ヒューズはどさりとその巨体を地面に下ろすと、手を手刀の形にして、それを捌き始めた。
「振動プログラム、高周波」
ワシはそんな様子の彼を、目を細めながらその様子を観察する。
(小僧、呪い師だったか……)
が、呪い師としては三流もいいところだな。
オリビスはワニを捌く彼の手を見ながら、そんな風に考える。
彼の頭の中には既に、ヒューズを呪い師として教育することが決まっていた。
(さて……。
先ずはどこから教えたものか……)
そんなことを考えながら、本日の朝食は進むのであった。
⚪⚫○●⚪⚫○●
ワニのスープという、都会ではなかなか味わえない朝食に眉をしかめてから暫く。
俺たち二人と一頭は、湿原を抜けて登山道に入っていた。
聡慧な“話す獣”のオリビスによれば、この道はよく行商人や旅人、狩人といった人物がよく通る道らしい。
それゆえに、よく盗賊も現れるのだとか。
「へぇ、盗賊ですか……」
話す獣のオーラに当てられて、自然と敬語口調になりながら、ヒューズは相槌を打つ。
「我が主は空前絶後の可憐さを秘めておられる。
小僧、よくよく周りには注意するようにするのじゃぞ」
「わかりました」
以前から感じていたが、どうやら彼の中のヒエラルキーに於いては、俺はどうやら最下層にいるらしい。
それもこれも、ヒューズ自身が彼に敬語で話しているせい……なのかもしれない。
彼は内心で自嘲気味に溜息をつく。
「大丈夫ですか、ヒューズ?」
「大丈夫だよ。
それにしても、随分と上達したね、英語」
「そうですか?
そう言ってもらえると、嬉しいです」
ミャオはニッコリと微笑みながら、俺の顔を見上げてくる。
「……!?」
ヤヴァイ……。
これ、超絶かわいい……!!
まるで、砂漠に生えた、健気な一輪の花のような笑顔。
それは突如現れたオアシスのごとく、彼の心を癒やしていく。
更に彼女が、自分の嫁になりたいと自ら申し出ているのだから、これほどまでに幸福に思うことはないだろう。
「小僧、発情するなら他所でしろ」
しかし、そんな天国も長くは続かなかったようだ。
「……はい」
概ね、それはオリビスの中から生じた嫉妬心なのだろうけど、そんなことに気がつくはずもないミャオは、そんなオリビスのセリフにきょとんとこれまた可愛らしく首を傾げるのであった。
閑話休題。
しばらくそんな風に道なりに進んでいると、一行は目の前の道を塞いでいる幌馬車に出会った。
どうやら数刻前に話していたような行商人らしい。
「俺じゃあ言葉わかんないしな……」
ヒューズがポツリと、そんな言葉をこぼした。
できるなら俺が前に出て、ミャオに格好いいところを見せてやりたいのだが、お生憎言葉がわからない。
俺に話せるのは英語と日本語くらいなものであるからだ。
そんな無念のつぶやきを、ここぞと聞き取ったオリビスは、小声で彼に話しかけた。
「心配するな小僧。
ワシが言葉をわかるようにしてやる」
「そんなことできるんですか?」
怪訝な声で尋ね返すヒューズに、ミャオが振り向いて言葉を代弁する。
「大丈夫です。
オリビスは呪いも得意なんですよ!」
えっへん!
と、自分のことでもないのに、そう自慢げに語るミャオ。
彼女がそこまで言うのなら、もしかするとそうなのかもしれない。
ヒューズはこくりと頷くと、ミャオの言葉を信じて、オリビスに援護を要求することにした。
⚪⚫○●⚪⚫○●
ヒューズはヤギュウの背を降りると、堂々と幌馬車の方へと近づいていった。
近づくに連れて、何やら話し声が聞こえてくる。
「……ちっ。苦労して襲ってこんだけかよ……。
マジ萎えるわぁ」
「そう言うなヨーゼフ。
これだけあれば、あと三日は生きれる」
「イェンは気楽でいいなぁ……。
お前はもっと欲を持つべきだぜ、盗賊として?
これホントマジで」
「お前はもっと語彙力を身に着けたらどうだ?
そんなだから前回の強盗も――」
「わーったよ!
うっせぇなぁ……」
どうやら聞く限り盗賊のようであった。
状況から推察するに、丁度行商人を襲って金品を略奪しているところ……ということだろうか。
盗賊は二人組で、どうやら一人は女のようである。
「ところでさぁ、イェン」
(気づかれた!?)
「あぁ、気づいてるよ。
おい、お前。そこで何してる?」
そんな声が聞こえてきたかと思えば、幌馬車の影からひょっこりと現れた人影があった。
真紅の髪に、薄汚れたマントを着込み、手にはクロスボウが携えられている。
そして彼女の身長は、とても低かった。
「……子供?」