値遇(2)
天井から水が滴り落ちてくる地下牢を抜けて、地上に出ると、そこは森になっていた。
どうやら最初の予想通り、あれから既に何世紀か経ってしまっていたらしい。
グリードが組み込んだという、あの生命維持装置の魔術道具は、どうやらかなりの性能を有しているようだ。
何せ、不老どころか、テロメアさえまでも修復してしまうのだから。
(半分、ゾンビになったものかな……)
そんな感慨を覚えながら、先行する民族衣装姿の少女ミャオに付いて行くと、少し開けた場所に出た。
『オリビス。ただいま』
ミャオは何かを言いながら、いわゆる部屋の状態になっている場所の中央に鎮座坐している、山羊と牛を足して二で割ったような、白い大型の動物の下へと駆け寄っていく。
その動物の大きさは、身長六フィートもあるヒューズの、優に三倍ほどの体躯を持っていた。
大型動物と言うより、これはもう怪物と言っても差し支えないのではないだろうか。
そんなことを思っていると、ミャオはこちらに手を差し出しながら、その白い怪物(?)に何かを話し始めた。
『オリビス。
彼が、夢の中に出てきた男の人だよ。
名前はヒューズ』
途中で、自分の名前を呼んでいたのが聞こえたので、おそらく紹介でもしているのだろう。
俺は軽く会釈をすると、「はじめまして、ヒューズです」と自己紹介をした。
怪物に自己紹介するというのも、なんだか変な気もするが、そういえばジェシーが以前こっそりと学校に連れてきていた犬のマーチンには、おはようと声をかけていたし。
別に気にするようなことでもないかな。
俺はそう思い直して、ソレに笑顔を向けた。
「ふむ……貴様が、我が主の仰っておられた“夢の人”か」
すると、どこからともなく……いや、頭では誰が話したのか理解は出来ていたのだが、年老いた、それでいて聡明そうな中国の聖人を思わせるような、深い男声が、鼓膜を打った。
「……」
その言葉を脳が言語として理解してからしばらく、彼の体は硬直し続ける。
「貴様、ヒューズと言ったな。
“話す獣”を見るのは、初めてかな?」
コクリ、と、反射的に首肯するヒューズ。
「そうか」
彼(?)は一言そう呟くと、ゆっくりと目を閉じる。
すると、すぐ近くで、紙をパラパラとめくる音が聞こえてきた。
どうやらミャオがこちらに話しかけようとしているらしい。
大凡の内容は、予想できるが。
彼女はページを捲る手を止めると、目で何やらそのページに視線を流しながら、話を始める。
「この子の名前は、オリビスです。
彼は、とても、頭がいい。
だから、人と、話ができるんです」
先程は少しぎこちなかった英語が、いつの間にか流暢になってきているのに少し驚きながらも、彼女の言った話を、俺は脳の中で分解する。
おそらく、彼女はこの怪物が……とか言ったら怒られるな。
山羊牛……やぎうし……ヤギュウ……。
うん。ヤギュウと呼ぶことにしよう。こっちのほうが格好いい。
それで、話の続きだが、おそらく彼女は、このヤギュウは、ただ単に頭がいいから、人の言葉を話せるのだと思っているようだが、俺の考えは少し違う気がする。
なぜか。
それは、ヤギュウの口の動きが、英語のそれとは全く別であったからだ。
日本のラノベとかで言う、多分都合よく言葉が理解できるスキルでも、コイツにはあるのだ。
仮にこのスキルを「話訳」と呼ぶことにしよう。
「少し、落ち着いたか?」
ゆったりとした声音で、ヤギュウが尋ねてくる。
「はい、なんとか」
「なら良かった。
ワシの名はオリビスだ。
これからよろしく頼むぞ、ヒューズ」
彼はそう言うと、フーンと鼻を鳴らして、首をぐるりと回した。
⚪⚫○●⚪⚫○●
顔合わせを終えた二人と一頭は、ヒューズの実家があると予測される場所へと向けて、歩み始めた。
ミャオと俺は、五メートル近いオリビスの背中に跨って、トコトコと森を抜ける。
一応地面に世界地図を書いて、大体どこの辺りかというものを見せたのだが、どうやら理解されなかったらしく、とりあえず大体の方角を決めて、そちらへと進むことにしたのだった。
しばらく進んでいると、森が開ける場所に出た。
広大な湿原が見えるその場所からは、轟々と滝の音が聞こえてくる。
マイナスイオンバンザイ。
ここに来る途中、ミャオといろいろな話をした。
なぜ、あんなところに来たのか。
もともとどこに居たのか。
この世界に暦はあるのか。
文明レベルはどのあたりなのか。
……エトセトラ。
ミャオはその質問に対して、丁寧に答えてくれた。
彼女はもともと高山に住む遊牧民族で、イマリ族というらしかった。
彼女が住んでいた土地を離れたのは、ある日夢の中に度々、鎖に繋がれたヒューズの姿を見て、気になったからだという。
ただそれだけ。
「見つけたあとは、どうするつもりだったんだ?」
「お婿さんに迎えるつもりでした」
衝撃の回答を耳にして、俺は耳を疑った。
「お婿さん……って、俺を……?」
「はい!」
こちらに笑顔を向けて、元気に肯定するミャオ。
「それはまた……。
どうして?」
「何度も何度も、夢に出てくるんですから。
もうこれは、運命と言っても過言では無いと、私は思いました」
豪胆な人だ。
ミャオはふふふと、可愛らしい笑みを浮かべて、こちらに背中を預けてくる。
ちなみに、ヤギュウのオリビスに鞍はつけていないので、その反動で少し滑り落ちそうになったのは秘密だ。
ヒューズは、この世界の暦のことも聞いた。
それによると、今は緑暦の十五年らしい。
緑暦の前には、魚暦というものが数百年あったらしいが、それ以前のことは、資料が見つかっていないらしい。
安直なネーミングセンスだな、と思ったのも秘密である。
文明レベルは、絹織物や鏡が盛んな時代らしい。
彼女らは遊牧民族なので、農耕はしていなかったようだが、中には定住して暮らしている部族もおり、そこには人工の川まであるという。
これはおそらく、水路のことだろう。
閑話休題。
開けた場所についた俺たち二人と一頭は、そこで休憩を取ることにした。
……といっても、そこは湿原。
下はジメジメしていて、座るには少し勇気のいる場所だった。
なので、比較的乾いている木の上に腰掛けてから、道中でもいで来た果物を食べて昼食とすることにした。
その日の夜、急にお腹が痛くなったのは、言うまでもないことだろう。