値遇
――ずっと、夢に見ることがあるんだ。
暗い、暗い地面の下の向こう。
一人で、彼は鎖に繋がれて、眠っている。
私は、彼が気になって、毎朝毎朝、もっとあの場所に居たいと願う。
お日様の光を浴びて、キョウギョウヅクの葉が、朝の靄の雫に濡れて、朝日を浴びるのを見て、私はもう一度会えないだろうかと、瞳を閉じる。
だけれど私は頭を振る。
頭を振り続ける。
目を覚まさせ続ける。
私は今、彼のいるあの場所へと、歩を進めているのだから。
一分一秒たりとも、その時間を無駄にはできない。
私は朝日を浴びると、側に寄り添うようにして眠っていた白いヤギュウの毛を撫でた。
今度こそ、見つかるといいね……オリビス……。
⚪⚫○●⚪⚫○●
目が覚めた。
感覚的には、それほど時間が経過している感じは無さそうだ。
おそらく、今までの拷問による疲れが一気に出たのだろう。
そんな考察をしていると、不意に、目の前に誰かがしゃがみ込んでいるのが映った。
女の子である。
もしかしてとは思うが、まさか、俺が拷問されるなら女の子の方がいいって言ったからか?
だからって、こんな幼気な少女を出してくるか……?
そんな風に、全く持って的はずれな思考を続けていると、俺が起きたことに気がついたのか、彼女は少しビクリとして、何かを話した。
『うわ、あ、お、起きた……!』
何語か理解できなかったが、その少女は驚いた風に、少し後ずさりする。
そして、また何かを喋ったかと思うと、ブンブンと首を横に振って、意を決してという言葉が似合いそうな態度で、こちらに歩み寄ってきた。
どうやら拷問官ではなさそうである。
そんなことを考えていると、少女は、腰に巻いた簡素なポーチから、ボロボロになった一冊のノートを取り出した。
その表面には、見知らぬ文字で、数個の単語が並べられている。
「わたし、の、なまえ、は、ミャオ……です。あなたは、だいじょうぶ……ですか?」
拙い英語で話しかけてくる、ミャオと名乗るそれは、俺の顔を覗き込みながら、心配そうにそう尋ねてくる。
「大丈夫だよ」
俺はそう返すと、ニコリと微笑みを返した。
すると、そのミャオと名乗った少女は、パァァ!という擬音語がつきそうなほどの満面の笑みになった。
言葉が通じたのが、それほど嬉しかったのだろうか?
そんな彼女に、何だかこちらまで嬉しくなってしまうのは、なぜだろうか。
「いくつか、しつもん、してもいい、ですか?」
しばらくそんな風に俺の事を見つめていたミャオは、突然ハッとした顔になって、そんなことを聞いてきた。
「いいよ」
ゴクリ、と、彼女の喉がなる音が聞こえる。
「あなたは、なぜ、ここに、いるのですか?」
ゆっくり、ゆっくりと確かめるように、ノートを覗き込みながら、恐る恐るとヒューズに質問をするミャオ。
「わからないよ」
俺は、彼女にも理解できるように、ゆっくりとそう返事をする。
「どうして?」
「さあ?」
残念ながら、その質問には答えられない。
なぜなら俺自身も、なぜこんなことになっているのかいまいちわからないからだ。
俺は肩をすくめると、首を左右に振って、申し訳ないという気持ちをジェスチャーで伝える。
以前日本に留学したときに学んだのだ。
会話を効率良くすすめるには、相手に合わせるということも必要だということを。
この技術は、教師として働いていたときもよく役に立ったので、身に沁みている。
でもま、ジェスチャーくらいなら、日本に行く前にもよく使ってたけどね。
それはさておき。
「次は、こちらから質問してもいいかな?」
今しがた、少し気になる事案を見つけてしまった。
なので、俺はそのことをミャオに尋ねることにした。
「今は、西暦何年かな?」
「……?」
尋ねてみるが、しかしミャオは何を言っているのかよくわからなかったらしく、小首を傾げるという形で、俺に返答をした。
この動きから読み取れる情報はつまり
・彼女は西暦という単語を知らない。
・もしくは、寝ている間に文明が滅んで、西暦が終わった。
なぜ、そんなことを考えたのか。
理由は簡単だ。
俺を閉じ込めていた鉄格子やら手枷の鎖やらが腐食していたからだ。
たった数時間、長くても数日寝ていたくらいでは、金属はこう簡単に腐ったりはしない。
それに加えて、雨漏りを思わせる周囲の水溜まり。
明らかにここ数日の出来事としては、かなり怪しい部分があるのだ。
俺は、必死にノートのページを見返しているミャオに、先程の質問をしなかった事にする旨を、なんとか身振り手振りを交えて伝えると、静かに息をついて、拷問部屋の天井を見上げた。
天井からは、若干木の根と思われるものの一部が垣間見えている。
それはあの時から、もう何世紀というスケールで時間が経過していることを、雄弁に物語っているのではないだろうか。
ふと、そんなことを考えるのであった。
⚪⚫○●⚪⚫○●
お互いの自己紹介を終えた二人は、その場を後にすることにした。
手枷はそれ程力を入れることなく破壊することができたので、その場から立ち去ることにあたって、それは障害にはならなかった。
(やはり、もう何世紀かは時間が経過していると見てもいいだろう)
だとすると、ヒューズは寿命がなくなったと言っても過言ではないのかもしれない。
もし仮に、これが災害などによるものだとしたら、なんとかして実家に帰ってみたいのだが……。
「なあ、ミャオ。これからどこに向かうのかとか、決まってるか?」
ゆっくりと、わかりやすいようにそう尋ねると、彼女は急いでポーチからノートを引きずり出して、ペラペラとめくった。
『えーっと、これで合ってるのかな……』
「わからないよ」
「わからない……?
あ、決まってないってことか」
何かを呟いたあとにそう応えを返すミャオ。
拙い英語だが、発音はほぼ完璧である。
彼女の母国語なのであろうその言葉は、スペイン語かドイツ語に近かったし、発音は普通にできるのだろう。
「だったらさ、一度実家に寄ってみたいんだけど、いいかな?」
再び俺のセリフに、急いでノートをペラペラと捲るミャオ。
そして、暫くすると、こちらを向いて、コクリと笑顔で頷いてくれた。