プロローグ(2)
仕事も終わり、放課後。
俺は特区にある行きつけの店へと足を進めていた。
「……」
特に誰かが一緒と言うわけでもなく、ただ急ぐというわけでもないので、運動も兼ねて徒歩で目的地へと向かっていた。
「……ん?」
ひよこの鳴き声を模したBGMを隅に、俺は横断歩道を渡る。
と、ふと何気なくあたりを見回した俺の視界に、一人の子供が、まだ一時停止の信号が点いているというのに、車道へと飛び出す姿が目に映った。
その先には、リードを離れた大型犬がいて、どうやら子供は、その犬の散歩の最中だったようだ。
だが、この何気ない視覚情報が、この時自分の人生を百八十度も変えてしまうとは、微塵も思ってはいなかった。
目の端に映る、黒のボックス車。
だが、見るからに様子がおかしかった。
その時は、考える暇などなかった。
おそらく考えていたら、躊躇してしまっていただろう。
ヒューズは咄嗟に、車道へと飛び出した子供の方へと駆けていく。
男の子の襟をひっつかみ、勢い任せに後ろへと投げ飛ばして、俺との位置を反転させる。
瞬間。
俺の視界は真っ白に塗り潰された。
⚪⚫○●⚪⚫○●
鼻を突く、独特な匂いを感じて、俺は目を覚ました。
(何があったんだっけ……?)
鼻に違和感を覚えて触れてみると、そこには管が刺さっていた。
目だけを動かせば、そこには点滴に繋がれた自分の腕が見え……え?
「なんだ……これ……」
何か管のようなものが繋がれているのは、感覚で理解できた。
だから当然、そこには腕があるのだろう。
だが、俺から見えているのは、毎日よく見る、見間違えるはずもないあの肉の腕ではなかった。
「う……わ……」
恐る恐る、指を動かしてみる。
微かな駆動音とともに、視界に映るそれは、握ったり開いたりを繰り返した。
――魔導義手。
魔法技術の開発により、あらゆるエネルギーの可逆化を可能としたこの特区では、別段珍しいものではない。
簡単に言えば、今まで電動モーターによって動かされていた義手は、魔力の登場によって、意志の力で動かすことができるようになったという、ただそれだけのものだ。
義手と言うからには、欠損した部位を補うために使われるものである。
つまり、それが俺の腕についているということは――。
「――――――!!!!」
声にならない叫びが、病室を木霊した。
「う……腕が……。俺の……腕が……ぁ……」
その日、俺の体は四肢を失った。
⚪⚫○●⚪⚫○●
ヒューズの異常を聞きつけた医者が、それから数分もしないうちに駆けつけてきたが、彼の話が一切耳に入ってくることは無かった。
だが、視覚的な情報による誤差のせいか、その発狂も長続きはしなかった。
「落ち着いたか、ヒューズ?」
黒人の医者が、ニヒルな笑みを浮かべながら、フランクに話しかけてくる。
「ああ、落ち着いた……」
彼のバリトンボイスに、少し宥められて、俺は深く息をついた。
「はぁ……」
「そう落ち込むなって。十年前なら、こんなの日常茶飯事だったろ?」
「それは、お前があの前線で戦ってた頃の話だろ?俺はそこには居なかった」
黒人の医者――グラードは、俺のそんな話を聞いて、ん?と首を傾げた。
「おっかしいなぁ。俺の記憶じゃあ、アンタ、兵士の戦闘訓練に手を貸してたってなってるんだが……」
「人違いだろ?」
「そだっけ?」
俺は笑いながら、グラードにそう返す。
「まぁいいや。そんじゃ、正常なうちに、全部話してやっから忘れるんじゃねぇぞ?」
彼はそう言うと、脇においてあったボードを手にとって、それに視線を落としながら、手術の内容や、運ばれてきたときの状態などを語って聞かせた。
曰く、俺が運ばれてきたときには、既に四肢が外れていて、死ぬ一歩手前という状態まで血が抜けていたそうだ。
グラードが言うには、手術室に運び込まれる前に死んでいても不思議ではなかった状態らしい。
そこで彼は、試験運用中の最新型の生命維持装置を心臓部に組み込むことを提案し、なんとか一命を取り留めたらしい。
「まったく、大変だったんだぞ?治す方の身にもなってみろ?俺の冷や汗が何度お前の内臓に落ちたことか……」
「おい……!?それは流石に聞き捨てならないぞ!?」
「だーいじょうぶだーいじょうぶ!ただのジョークだよ、笑ってくれや!グハハハハ」
笑えねぇよ、普通……。
俺は肩を落とすと、苦笑いを浮かべてみせた。
「何はともあれ、一命はとりとめたんだ。しばらくは安静が必要だが、すぐに普通の生活に戻れるぜ!安心したまえ、ヒューズ戦術顧問殿!」
「だから、それは人違いだって言ってるだろう?……あ、そういえば、子供は?怪我とかしてなかったか?」
ふと、自分の手足が無くなったことで頭から抜けていた重要事項を思い出した俺は、そういえばとグラードに尋ねてみる。
「子供……?あー、あの娘ね。うん。かすり傷だけだったぞ。特に目立つ外傷もなし。とりあえず検査はしてみたが、特にどうということはなかったぜ」
「そうか……。なら良かった。……ん、あの娘?あの子供、女の子だったのか?」
「まあ、生物学上は?」
「へぇ、そっか……」
男だと思ってた。
こりゃ、後で見舞いに行ってやる必要があるかな?