お題「ミルクティー」
アスファルトを撫でる冷たい夜風が、街路樹の落ち葉を吹き散らしていく。
街灯に照らされながら歩道を行く人々は、防寒具を着込み、目を細めて強風に耐えている。
じきに雪が降る。
森本は大通りに面した喫茶店にいた。
ウェイトレスの制服が可愛いと、森本の通う高校の男子生徒にも好評の店だ。
今夜も店内を見渡せば浮ついた態度の同級生がちらほら見受けられた。
もっとも、彼らの態度はなにもウェイトレスがすべての原因というわけではない。
鬱屈とした受験期が通り過ぎ、今は次のステージへ上るまでの準備期間、いわば空白の時間なのだ。
浮かれていてもおかしくないだろう。
森本は退屈な外の景色を窓ガラス越しに眺めながら、テーブルに肘をつき、結露したグラスに差されたストローに口をつけた。
良く冷えたアイスティーが喉を潤し、氷がカランと音を立てる。
暖房を効かせ過ぎている店内は異様な暖かさだった。
森本はすでに濃い緑のブレザーを脱いでいる。
やがて川口が戻ってきて、テーブルの向かいに座った。
手にはドリンクバーから持ってきた湯気の立つミルクティーがある。
「あれ?」 森本は眉根を上げた。
「冷えた。飲みすぎだ」川口はそう言って腹をさすりながら渋い顔をすると、ふぅふぅと息を吹きかけ、白いカップに口をつけた。
「お前は平気なのかよ」
「ぜんぜん」
「それで、どこまで話したっけ」
「……どこまで、っていうほどの話じゃないよ」
森本は溜息交じりに言った。
「暗い顔しやがって。わっかんねぇな。難関って言われてたN大受かって、ついこの前まで喜んでたじゃん」
「本当に勉強好きなのかな」
「はぁ?」
川口は顔をこわばらせた。
森本の両親は二人とも教師だった。
幼い頃から塾通いで、趣味らしい趣味は特に持たず、ただ親に言われるがままに勉学に専念してきた。
森本はそのことを疑問に思わず、これまで反抗することも無かったが、受験という一区切りを迎えたことで、ふいに立ち止まってしまったのだ。
「分からなくなっちゃってさ。ずっと勉強勉強ってやってきて、勉強好きなつもりでいたけど……。ほら、このまえのライブ」
「あぁ? ……ああ、卒業ライブか。なんだ、見てたのかよ」
「川口、すごく楽しそうでさ。こう、ギターをじゃかじゃか弾いてさ。歌も上手で、スポットライトがぎらぎらして、観客とか、わぁーって騒いで……、なんか、格好良かったんだよ」
川口は顔を少し赤らめて手を振った。「あー、よせよせ、上手くなんかない」
「それで、四月から専門行くんでしょ。音楽の」
「まあな」
「ギターが好きだからでしょ?」
「そうだな」
「……本当に勉強がしたいのかな」森本はテーブル突っ伏した。「親とか、塾の先生とか、すごいんだよ。勉強できなきゃ人間じゃない、みたいなさ。もうおっかないの」
「うぇ、やだやだ」川口は舌を出した。
「褒められるのは好きだし、クラスのみんなから『勉強できる奴』って思われるのも嫌いじゃないし、別にそれもいいかなって思ってたんだ」
「はは、先生にもでかい顔できるしな」
川口は笑ってそう言い、森本も「まぁね」と返した。
「でも楽しそうに音楽やってる川口を見てさ、自分は、周囲の考えを自分の考えだと思い込んでるんじゃないかって、そんな風に。なんか、自分には、本当はなにか、やりたいことがあるんじゃないか、って。今は見えてないだけで……」
森本は体を起こし、川口の手にある温かなミルクティーを眺めた。
茶色がかった乳白色をしたその液体は、紅茶とミルクが完全に混ざり合い、カップの中で揺らめいている。
「それを言ったら俺だって、周囲の影響受けまくってるよ。ギター始めたのも親父の影響だし、全部が全部悪い方へ考えるのは変だ。きっと、大学いったらそういうことも分かるんじゃないか?」
「そういうものなのかなぁ」
「知らねぇよ。大学行くの俺じゃないし」
「……冷たい」
「お、冷えたか? ホット飲めホット。腹壊すぞ」
「他人事だと思って」
「実際その通り」
川口なりに気を遣ってくれているのだと感じ、森本は少しだけ気が楽になるのを感じた。
「使わないなら、もーらいっ」
川口は森本の手元にあったレモン汁の入ったポーションを奪い取ると、蓋を開けて自分のミルクティーに注ぎ込んだ。
「えっ、入れるの?」
「あ、間違えた。これガムシロップじゃなかったか」
直後カップの中でいくつかの白い塊がぷかぷかと浮き始めた。
レモンの酸によって牛乳の成分が分離したのだ。
ものすごく嫌そうな顔をする川口を眺めて、森本は涙が出るほど笑った。
<了>