思い
5話と6話は、玲視点で展開されていきます
雨は静かに降り続けていた。木々は整然と雨を受け、パタパタと音を響かせる。いつも閑静な住宅街は一層その静けさを際立たせていた。お互いを強く抱きしめながら、この数年間の記憶をゆっくりと補完し終えた頃、どちらからともなくゆっくりと離れた。
「ご、ごめん、水原。」
「気にするな。」
「で……今日はどうしたの?わざわざウチまで来て。」
「先週私が休んだ日の化学のプリントを貸してもらいたくてな。」
「いいよ。少し汚いけど、上がって。」
「お邪魔するわ。」
いつも通りにしたいのに、なぜかすごく緊張する。原因は明らかに今さっきまでの抱擁と、彼が「昔を思い出した」と発言した事なのは明らかなので、私がどうにか出来ることもでもない。息をゆっくりと吐き出してから、彼に案内されるがままリビングにあった食卓へと案内された。
「じゃあ、ここ座ってて。今、お茶とか出すから。」
「えっ、いや、その……」
「あっ、もしかして時間ない?」
「そ、そういうわけではないのだが……お邪魔かと思ってな。」
「大丈夫だよ。親はしばらく帰ってこないし。それまでには内容も簡単に説明できると思うし。……って、俺から説明を聞くこともないか。」
「せっかくの機会だ。是非教えてくれ。」
「分かった。クラス一位の水原に俺が教える日が来るとはなぁ。」
「順位は関係ない。宜しく頼む。」
「うん。」
一度予習していた内容ではあったが、授業を聞いたわけでもなかったので、こうして彼を経由してでもそれを聞けるのは貴重だ。もっとも、いつも授業の半分は寝ているので影響がそれほどあるかは微妙だが。
「で、こういう式になるみたいなんだ。」
「1-α≒1の近似はαが極めて小さい値、というのはどれくらいなんだろう。」
「先生は0.05より小さければって言っていたけど、確かに難しいところだな。」
「ありがとう。基本的な展開は分かったよ。門村、先生とか向いてるかもな。」「実はちょっと考えてるんだよね、教員。」
「そうなのか。良いと思うぞ!」
「ありがとう!」
無邪気に笑う門村が今日は輝いてみえた。
「一応、このノート貸すね。」
「ありがとう、門村。長居して悪かった」
「そんなことないよ。こうやって話した方が俺も覚えられるし。」
「じゃあ、またな。」
「うん。」
ただ帰るだけなのに、すごく名残惜しい。昨日もあって、今日もあって、明日だって会うのに。夏祭りでたった一度だけ出会った私のことを思い出してくれただけでも嬉しいはずなのに、これ以上なにを求めてるんだろう。
神様がくれた奇跡。夏休みに出会って、同じ学校に彼が転入してきて。ちゃんと約束を守ってくれたし、もうそれで十分。
なのに、なんで……
「水原?」
「わ、悪い。少しボーッとしてしまった。また明日な!」
逃げるようにその場を立ち去った。なにか私に向かって叫んでいた気もしたが、振り返ったらなぜか泣いちゃう気がして。あちらこちらに水たまりが出来た道を走り抜け、息を切らしながら自宅へ転がり込んだ。
「玲、おかえり~。」
「お姉ちゃん……。ただいま。」
「ノート借りたんだね……って、門村くんのやつじゃん!もしかして、彼氏?」
「ち、違うわよ!そんなわけないでしょ!」
「昨日、遊びに行ったのは?」
「か、門村よ?」
「やっぱり……」
「だから違うっての!友達よ、友達!」
「そんな怒らないで。でも、あなたが遊びに行くなんて、意外ね。」
「忘れてると思うけど、昔、夏祭りの次の日に、高知県に送り出した子よ。」
「えっ、あれ、門村くんだったの?」
「やっぱりね。」
「でも、あなたも相当彼のこと好きね。」
「な、なんでそんな……。」
「だって化学なら、化学の教員であるアタシにまず聞くでしょ、普通。」
「あっ……。」
◇◆◇◆◇
転入からおよそ半年経った今、私の隣にいることがもはや日常となっている祐くん。今日もいつも通り隣の席に座り、寝ていた私に「おはよう」と声を掛けてくれる。それに呼応するように目を覚まし、私も「おはよう」と返す。変わらない毎日だけど、それが私にとっても十分幸せな時間。
「そういえば今日、髪型違うね。なにか、良いことあった?」
「……あ、あぁ。」
眠かったから邪魔にならないようにポニーテールにしたとはよもや言えず、そう返すしかなかった。だが、ただですら人見知りなのに、昨日お姉ちゃんが言っていたことが木霊してうまく話せない。それ以上特に話すことも考えられなかったので、机に伏したまま再び目を閉じた。
「起立、気をつけ、礼、着席。」
私の数少ない親友の一人であり、HR委員の藤垣綾子が号令を掛け終わって、担任の連絡事項読み上げ時間が始まった。とりあえず耳だけは傾けておくか。
「今日は3時間目の化学と4時間目の体育の時間を入れ替える。で。えぇ、みなさんに一応お知らせしておこう。近く、門村祐介君は引っ越すことになったそうだ。詳しいことは追って連絡する。では、一時間目の準備。」
淡々とそう述べて教室を出て行った。突然の事に上手く反応することが出来なかった。……祐くんがまた転校?しばらくして、ようやくクラスも理解できたようで、教室全体がざわざわと音を立てる。
だが、当の本人はというと……
「ね、ねぇ、水原。俺、引っ越すの?」
「……。」
知るか!と言いたいところだが、せっかく貫いてきたキャラクターを壊す気もしたので、とりあえず無言で首をかしげておいた。まぁ、この地域に一週間だけ滞在してまたどこかへ行ってしまうなんてこともやってきた彼の親ならやりかねないことではある。それに、それをわざわざHRで担任言わせるくらいだ。おそらく、先ほどの連絡は間違いないだろう。
<また、あの時みたいになっちゃう……>
ふと、そんな言葉がよぎった。どうしたらいいのだろう。自分は何をしたらいいのだろう。悩んでも考えても、その答えが出る気配はない。ただ一つだけ、私の中で決めたこと。
<……もう、後悔はしない>
私はとにかく、動くことにした。自分に素直でいたいから。そして……もう、つらいのは嫌だから。
普段通り、授業をのんびり寝過ごしてしまったため、起きたときにはすでに昼になっていた。周りから弁当のにおいがする。私は、弁当をもって綾子の待つ屋上へ向かった。これは、日課だ。
「なぁ、綾子。」
「なんや、レイレイから話なんて珍しいな。」
「私は、パンダか。」
「おぉ、これまた珍しい。玲がツッコむなんて。」
一息ついたところで、「それで、どうしたの?」と、彼女が標準語になる。会得したのは最近で、若干なまりも残っているが、それもまた可愛いからずるい。彼女みたいに生きていたら、こんな苦労もしなかったのかな。
「相談があるんだ。実は、門村のことなんだが……。」
「どうしたの?あっ!もしや、好きになっちゃったとか?」
「……。」
「……もしかして、当たり?」
「うん。」
まさか、ここまで的確に当てられてしまうとは思っていなかったし、まして、それが一番始めの候補として出てくるとも思っていなかった。彼女も完全に冗談で言ったらしく、呆然としていた。
「それで……何か知っていないか、と思ってな。」
「なるほどね~。玲ちゃんも乙女ね。」
「う、うるさい。」
「で、情報のことだけど。残念ながら門村についての情報はほとんど回ってこないのよね。かなりガード堅いのよ。今回の件に関して言えば本人も知らなかったようだし。」
あれだけ先輩後輩とコネクションがある噂好きの綾子が知らないとなれば、これ以上周りから彼を知ることは難しいな。
「アナタの方が、色々知ってるでしょ?」
「昔、一度会っただけだ。」
「でも、そのときから惚れてるんでしょ?彼に。」
「そ、そんなことは……。」
「そうだから、覚えてるんでしょ。玲は。」
「……。」
「それに、彼と一番長く一緒にいるのって実は玲だよ?」
「そうなのか?」
「私は一応否定してるけど、玲と門村くん。結構噂になってるんだよ?」
驚きすぎて声も出なかった。まさかそう見られてるとは思わず、嬉しくも恥ずかしくもあり、祐くんがそれについてどう思ってるのかも気になったり……。いろいろな感情が正面衝突し、頭がショートしかけた。
「玲。アレ見てみ?」
「……春香か?」
「そっ。」
そこには、校内放送のパーソナリティーを担当している高橋春香がいた。しかも一緒に食べているのは……大沢光。祐くんの親友だ。
「春香と大沢、付き合ってるらしいよ。秘密らしいけど。」
「そ、そうなのか……。」
「私から見れば、春香たちも玲たちも同じようにしか見えないけどね~。」
春香は、綾子を介して知り合い、家の方向が同じなので一緒に帰ったりする仲になったが、そんなことになっているとは全く気付かなかった。確かに最近、「今日は用事があって、遅くなるから先に帰ってて。」と言われることも多くなっていたが、なるほどそういうことだったのか。
「玲、もう次の時間始まるから、行こう。私も春香に続かなきゃ!」
「『あこがれの石川くん』とくっつくんだよな。」
「そうそう、ウチの愛する……って何言わすんじゃい!」
「いい乙女っぷりだな、綾子。」
「……レイレイにだけは言われたくない。」
◇◆◇◆◇
帰りのHRも終わり、私は鞄に教材を詰めた。ほとんどまともに使ったことはないのだが、ダンベルと枕の代わりにはなっているので一応は持ってきている。
「玲ちゃん、一緒に帰りましょう?」
「春香か。久しぶりだな。今日は大丈夫なのか?」
「えぇ。今日は私、部活も用事もないから。」
久しぶりに、春香と共に帰る。何だか落ち着かないのは、久しぶりに帰っているせいなのか、それともさっきの話を聞いてしまったからなのか。
「そういえば、玲ちゃんは恋してる?」
「ふぇっ?」
「玲ちゃん可愛いなぁ。で、恋してるの?」
「……えぇ。」
「う、嘘!あの人見知りの玲ちゃんが?!」
「……じ、自分からふっておいて、その驚きようは何だ。」
正直、恥ずかしい気持ちは多々あるが、こういうチャンスを逃すわけにはいかない。春香はというと、おどおどしながら上の空といった感じだ。
「も、ものは相談なんだが……。」
「へっ?わたしに?」
「あぁ。その恋についてなんだ。」
こんなに素直に話したことはない、というほど自分の話をした。もう何を言ったか良く覚えていないくらいに。あっという間に時は経っていたようで、いつの間にか、私たちは春香の家の前にいた。
「今日はありがとう。」
「私こそ、聞いてもらえて嬉しかったよ。」
「じゃあね。」
彼女が背を向けて、玄関へと向かう。自然に手を振って見送る。……でも、それではいけない気がした。
「春香!」
「えっ?」
気がつくと、私は彼女を呼び止めていた。心臓の鼓動が速まっているのがよく分かった。何なんだ、この感覚は……。
「聞きたい事があるんだ。」
「どうしたの?」
「門村の気持ちはどうなんだろう……。」
「う~ん。それは、分からないわ。」
腕を組んで、悩んでくれる春香の姿がなんだか嬉しかった。こうやって話を聞いてくれて、時間を割いて考えてくれる。こんな人に相談できて私は幸せだ。しばらく可愛らしい声で唸ったあと、何かをひらめいたように「あっ!」という顔をした。
「じゃあ、大沢くんに聞いてみるよ。」
「えっ?」
「い、一応、付き合ってるんだ。」
頬を染めながら、真剣な目で、そう話してくれた。
「秘密……じゃ、なかったのか?」
「玲ちゃんだもん。」
「……ありがとう。」
こんなに信用してもらえていたのか、私は。ずっと、私には綾子以外にはできないと思っていた友達。祐くんのおかげで、私が閉ざしてきた人の輪が少しずつ広がっていくのを感じた。見送ってくれた春香の笑顔に、私の出来る精一杯の笑顔を送った。
「また明日、春香!」
「また明日~!」
100m先を左に曲がって直ぐの所に私の家はある。高まった心拍数に合わせるように、何となく全力で走ってみた。ここが住宅街じゃなかったら叫びたくなるくらいの高揚感に身を任せ、混み上がる感情に押されてその勢いを加速させた。
「わぁっ!」
「えっ?!」
慣れないことはするものじゃない。完全に前方不注意だった。角を曲がって歩いてくる人に気付くこともできなかった。大きな胸板にはじき飛ばされ、尻餅をついた。
「ご、ごめんなさい。」
「大丈夫ですか……って水原さん?」
「……大沢?」
おそらく、彼は春香の家に行くところだったんだろう。これからさっきまで相談していたことが彼に知られるのかと思うと、なんだか恥ずかしくなって、その場から全力で立ち去ることしか出来なかった。
「前見て走れよ~」
呆然とする彼を置いて、私はそのまま家に飛び込み、自分の部屋に走り込んだ。顔を枕に埋めて、独り言。
「恥ずかしい……。」
◇◆◇◆◇
翌日は休日だったので、私はショッピングに行くことにした(いや、そんな風情のあるものではないな)。普段は外に行くことすらしないのだが、今日は親に晩ご飯を作っておくように頼まれてしまったのだ。せっかくの休日だというのに……。
「あら!水原さん?」
一瞬、春香かと思ったが、この声は違う。似ているのは間違いないが、彼女は私のことは「玲」と呼ぶ。ということは……
「……高橋姉、か。」
「もう、そろそろ呼び方変えてよね。一応、夏美って名前があるんだから!」
「そうか、すまない。」
「で、今日はお買い物?」
「私に何か用か?」
「いや、そんなこともないんだけどね~。」
なぜか私のあとを付いてくる彼女と共に、夕飯の品物を買いそろえる。たまねぎ、ニンジン、りんご、牛肉に……。
「へぇ、レイレイは家庭的なのね。」
「……レイレイはよせ。っていうか、誰から聞いたんだ、その呼び方。」
「誰だろうね~。」
「綾子か……。」
「いいじゃない、レイレイ!」
「……だから。」
「今日はカレーですか~。」
「……もう勝手にしてくれ。」
「やった~。」
どうして、姉妹だというのにここまで性格が違うのだろうと、疑問に思うほど、二人は違っていた。春香はあんなに親身には話を聞いてくれるし気を遣ってくれる。でも、姉の方……夏美はマイペースに私のリズムを崩してくる。そして、それは今日も平常運転だ。私が会計を終えて店を出た後も付いてきたので、近くの喫茶店でお茶をすることにした。
「用事があるんだろう、私に。」
「さすが水原さんね~。実はさ、彼氏とカラオケ行って少し遅くに帰ったら、真剣な顔した春香と大沢君がいて……ってどうしたの?そんなに驚いたりして。珍しいものね。」
「そ、その内容は聞いたのか?」
「あら、じゃあアレは本人了承の上での相談だったのね~。」
ニコニコしながら、彼女は私の顔をのぞき込んでくる。完全にふいをつかれて、かなり素の顔が出てしまったらしい。
「……聞いたのか。」
「ふふ、ごめんなさいね。でも、アタシにも出来ることがあったら言ってね。」
「いや、夏美には何も関係ないだろ?」
「そう?アタシは、春香のお姉ちゃんだし、三村勇太の彼女よ?」
「そ、そう……なのか?」
「あまり学校じゃべたべたしないからね~。てなわけで、何でも相談して。」
私は呆気にとられていた。彼女から現れた意外な優しさ。やっぱり姉妹なんだ、と実感させられた瞬間だった。そして、完全に盲点だった「三村」という存在。彼はあまりに祐くんに近すぎて気付かなかった。
「……あ、ありがとう。」
「な、何よ、急に改まったりして。……照れるじゃない。」
頬を赤くしながらそっぽを向いて照れ隠しをする彼女。なんだか、いつも以上に可愛らしくみえた。まさか姉妹に同じことを相談するとも思わなかったが、彼女は彼女らしい陽気なテンションで私の話を真摯に聞いてくれた。
「でも、あなたも実は乙女だったのね~。」
「……う、うるさい!」
私の反発は完全に無視されていた。彼女は少し優しめな声で、会話を続けた。
「そういえば、明日が彼の最後の登校日でしょ?」
「……えぇ。」
「チャンスは、一度きり。しっかり伝えなさい。」
「やれるだけ、やってみる。」
会計を済ませ、彼女は更にショッピングを続けるらしく、私にほとんど縁の無いおしゃれな洋服屋へ向かった。
「今日は楽しかったわ。明日の結果報告、期待してるよ」
「ありがとう。」
あのときは花火に負けたけど、
今度は、ちゃんと伝えたい。
もう二度と、それをあなたに伝える機会は無いかもしれない。
でも、もう二度と、後悔はしたくないから。
次回が『アマオト』シリーズ最終話です。お楽しみに!




