夏ノ記憶
「いってきます!!」
「気をつけてね~。あっ、ちゃんとお好み焼き買いに来てね~!」
「分かった、分かった!」
洗面所で髪型を少しだけ整え、格好がおかしくないかもう一度確認。こうして少しおしゃれをしたのは、久々に誰かと遊びに行くからだ。集合場所であった学校は家からさほど離れているわけでもないので、急ぐ必要は無いはずなのに、早く行きたい気持ちが高ぶっていた。15分くらい早めに着く感じ行って、待っているくらいが一呼吸おけるしちょうど良いだろう。
玄関を飛び出して、いつもの通学路を黙々と歩いた。蝉の鳴き声が辺りを埋め尽くし、ただですら暑いのに、その感覚を助長させていた。
「おはよう、門村。今日は暑いな。」
「そうだね……って水原?!」
「どうした?」
「いや、早すぎだろ。」
「あっ、いや。待たせるのは悪いと思ったからな。」
さすがというか、全く彼女らしい。
「どうした?」
「あっ、いや。いつもと違うなぁって。」
普段は少し暗い感じのイメージの彼女だったが、今日は水色のワンピースに白い帽子。シンプルだがおしゃれな格好だった。全く日に焼けていない、細くて白い腕もそれを引き立たせていた。肩から提げていた茶色い鞄も似合っており、そのスタイルの良さも相まって、見た目は雑誌に載っているようなモデルさんのようだった。
「ど、どこか変か?」
「いや、そんなことないよ。寧ろ、綺麗でびっくりした。」
「ほ、本当か?」
「うん、ホント……。」
「そ、そうか。それは良かった……。」
ホッと安心した表情の水原。らしくない、と言ったら失礼かもしれないが、今日の彼女は普通の女の子みたいだった……って、これも失礼か。とにかく、すんなりと褒め言葉が出てくるほど、綺麗だった。俺水原も少し照れて気まずくなり、俯きながら祭りの行われているその場所へ向かった。
遠くの方で子ども会の少年少女達が御輿を担いでいるであろう声が聞こえ、徐々に夏祭りモードのエンジンがかかり始めた。その高揚感は少年時代を彷彿させ、俺も彼女もその歩みを速めていた。
こうして、プライベートに二人で歩くのは初めてなのに、なんとなく懐かしいし、リズムも合う。お互いになんとなく楽しくなっているのも分かるこの沈黙も、心地良かった。
「なぁ、門村。」
「どうした?」
「君と歩いていると、なぜだか安心するな。」
「えっ……?」
「なんだか懐かしい感じがするんだ。」
……エスパーか。こうも意見や思いが合ってくると不気味にさえ思った。いつもの通り特に言葉に感情が乗っているわけでもないので、その真意はよく分からないが。特にそれから話すこともなく、目的地である夏祭りが行われている「公園」と彼女の呼んでいたその場所に着いた。
「うわっ、懐かしいな~!」
「懐かしいの?」
「うん。実はホントにちょっとの間だけど、この辺に住んでたことがあってさ。昔、こういうところで遊んだ気がするよ。」
「そ、そう……。」
「ん?」
「なんでもない。早く行きましょう。」
「お、おい。ちょっと待ってよ!」
いろんな地域で祭りに参加してきたので、どれがどこの記憶は曖昧だったが、この「公園」の広さで少しずつ思い出してきた。前にも一度、ここに来たことがある。厳密に言えば「住んでいた」というよりも引っ越しと引っ越しの間に一時的に親戚の家で生活をしていたというだけなので、何をしたかまでは覚えていない。そういった意味で言えば、新鮮な気持ちでお祭りを楽しめそうだ。
さすがに昼間なので、そこまで屋台が出ているわけでもなかったので、少しだけベンチでまだ疎らな会場を眺めることにした。
「さて……今から、どうする?」
「どうしようか。さすがにちょっと張り切り過ぎちゃったかな」
「……例年通りならもう少し人がいて、屋台も始まってるんだがな。」
「見た感じ、まだ準備中って感じだね。」
持っていた鞄から扇子を取り出し、パタパタさせながら涼む水原。今日の彼女は何でも画になる。そんな彼女をぼんやりと見ていた時ふと、思いついたような顔をして俺の方を見た。
「ど、どうしたの?」
「門村、うちにくるか?」
「……へっ?」
思わず変な声が出てしまった。ウチって……水原の家?!おそらく彼女のことだから、間違いなく色々なことを理解しないで言っている気がするが。
「ここにいるのは暑いからな。ここから近いし。」
「いやいや……いいのか?」
「そうと決まれば、行くぞ。」
そういいながら、ゆっくり立ちあがるとそのままトコトコ歩いていった。意外と速く歩く彼女を、俺は慌てて追い掛けた。
◇◆◇◆◇
水原の言うとおり彼女の家はその公園から五分と掛からないところに位置していた。辺りでも少しだけ大きいその家の玄関を開け、誘導されるがまま、彼女の家の中に足を踏み入れた。
「おじゃま……します。」
返事はない。どうやら、ご両親はいらっしゃらないらしい。そんなことを気にする様子もなく、彼女はスタスタと進み、奥にある階段を上った。そして、上った直ぐにある部屋の前でふいに止まった。
「私の部屋。」
「そ、そうか。」
「……入って。」
「う、うん。」
初めて入った女の子の部屋。心の準備なんか出来てるわけもないし、もし家族の人……たとえば水原先生がいたら、この状況をどう思うかなんてことを考えたら、ドキドキが止まらなかった。
壁は水色。6畳くらいの部屋で、左奥には綺麗に整頓された勉強机があり、ノートパソコンが置いてあった。その横にあった大きな本棚には、参考書や小説の他、意外にも少女マンガが並んでいた。
「どうしたの?もしかして、緊張してる?」
自分の部屋だからか、今の言葉には感情が割と乗っていた気がした。化学実験室で会った時もそうだったが、気が緩んだらもっと女の子らしく話したりできるんじゃないか……。そう思ったことがバレたのか、軽く咳払いをすると「とりあえず、ベッドに座っててくれ」と言って、部屋を出て行ってしまった。
ベッドに座るのは少し緊張するし、じっと立ってるのもそわそわしたので、先ほど目に入った大きめの本棚を眺めた。てっきり小説とか堅苦しい文章ばっかり読んでるのかと思ったが、こうしてみると案外普通の女子高生と同じなのかもしれないな。
「どうだ……好きな本はあったか?」
「……!!」
「驚かせてしまったか。気にせず好きな本があったら読んでみてくれ。」
気配を消していた彼女が完全にふいにつかれてしまった。びっくりした表情を全面に出した俺をフフッと小さく笑うと、してやった顔をした彼女はベッドに座った。
気を取り直して、許可を得た上でいろいろな本を眺めていると、一番下の段に少し大きなファイル群が見えた。1年生学校プリント一覧、学級通信一覧……相変わらずまめだなぁ。
「で、これは……アルバム?」
「な!!!」
その中身を広げると、表紙のページには「大切な思い出」という付箋と共に小さな女の子と男の子が二人でピースしている写真があった。後ろの大きな花火のせいで完全に逆光になっているせいで顔はまったく認識できない。
「この写真、なんで取っといてるの?」
「な、何を勝手に見てるんだ!門村!」
「いや、どれ見ても良いって……。」
慌てた様子で俺の手からそれを奪うと、自分の胸に抱いた。
「こ、これはだめだ。」
「そ、そうか。悪かった。」
「いや、私が見せたのが悪かった。」
必死の形相だったが、すぐに我に返った水原は少し照れながら、彼女は俺と視線を合わせずに言った。
「……昔の写真だ。」
「そっか……。」
昔の写真を見られるのは確かに恥ずかしいよな。妙に納得してしまった俺と、顔を赤くしたままの水原。その間に流れる無音の時間。どうも気まずくなってしまったので、俺は彼女が出してくれたお茶を飲んだ。すると、彼女も目の前のお茶に軽く口をつけてから、奥の棚から折りたたみのチェス盤を持ってきた。
「チェス、やらないか?」
「出来るの?」
「もちろん。出来るから持ってるんだ。」
「勝っちゃうよ?」
「どうだろうな。」
転校する前の学校で流行り、思い切りハマッたからちょっとは自信がある。ネットでも対戦して、それなりの勝率だったし。だが一手進むごとに、状況はどんどん悪化していく。
「まだやるか?」
「まだ終わってないからね。」
「そうか。じゃあ……Checkmate」
「う、嘘だ!」
割と時間を掛けながら考えたのに、まるですべてこちらの手の内が分かっているように戦われては、手の施しようがない。
「完敗だ。ところで、水原。今何時だ?」
「う~ん。」
彼女が腕時計を見た時に、丁度いいタイミングで夕方の御輿が「ワッショイ」という音と共にこの家の前を通ったのが聞こえた。それも含めて言い時間帯だと判断したのか、水原は「よし」といって立ち上がって、姿見の前で軽く服装と髪を整えた。
「さぁ、いくぞ。」
「そうだね。今度こそ、今日はよろしく。」
「その前に、少しやりたいことがあるんだ。」
「なに?」
彼女は少し窓の外に視線をそらしながら言った。
「少し、部屋の外で待っていてもらえないか?」
「ん?」
「着替えたい。」
「お、おう。」
言われたとおり外に出ると、先ほど彼女が着ていた服を脱いでいく音がした。少し硬そうなそうなものが机に置かれる音や、シュルシュルと聞いたこともない音が聞こえ、変にドキドキしている自分がいた。
「おまたせ。」
出てきた水原を見て唖然とする。彼女は青色に花の模様の着物を纏っていた。
「……凄く、似合ってるよ。」
「キミにそういってもらえて良かった。」
「えっ……。」
それ以上、言葉も出なかった。これ以上、俺の語彙ではそれ以上の表現できなかった、と言った方が正しいかも知れない。彼女は「ありがとう」とだけいうと、下に降りていった。
「それじゃあ、行こうか。」
「よろしくね。」
楽しい時間の始まりから、心臓は速く脈打っていた。
◇◆◇◆◇
家を出た俺たちは、迷うこともなく先ほどの広場へと向かった。先ほどまではなかったその通り道にもたくさんの屋台が見えた。お祭り独特の良い匂いがあちらこちらに漂っており、少しお腹が空いた俺にはキツかった。
「いらっしゃい!お好み焼きだよ!!お二人、ひとつどうかな?」
通り過ぎようとすると、水原は立ち止まった。その目はいつになく、好奇心の目だった。
「一つ、いただけますか?」
「はいよ!!」
どうやら、ご夫婦でやっているようで、二人の息はピッタリだった。
「しかし、お嬢ちゃん綺麗だね!!サービスしちゃうよ!!」
とか言っている直ぐ隣で女性がそのおじさんの耳を引っ張ると、それに呼応するようにおじさんは、痛い!!とか言っている。何とも面白い風景だ……って……あっ!!!
「父さん!?」
「なんだ、祐介じゃないか!」
ということは、この女性は……
「なになに?彼女と一緒に祭り?」
「違うよ、母さん!」
「こんな美人、アンタにはもったいないね~。」
「からかわないでよ~。」
両親にゲラゲラ笑われ、お好み焼きを貰うや否や、真っ先にその場を離れた。これ以上ここにいては、何を言われるか分かったものではない。何も考えていなかったから、自分が水原の手を持って引っ張っていたことに気がつけたのは、櫓の組まれた、この祭りのメインになっている公園の中央部分に着いてからだ。
「ごめんな、水原。これじゃあ本当にそうみえちゃうよな……」
「ふふ……私は構わないぞ。しかし、面白いお父様とお母様だな、相変わらず。」
「何だよ、相変わらずって。」
「あっ、いや。間違いなく君の親だ、ということだ。」
すると、堪えきれなくなったようで、彼女は口に手を当ててクスクス笑いだした。思えば、水原がこうして笑っているのは珍しい。徐々に人間らしさが見えてきた彼女が凄く良くて、なぜかすごく嬉しかったので、そのまま見ていることにした。
それから一段落したところで、お好み焼きを二人で分け合い、腹ごしらえをした。
「私もお腹が空いていたんだ。お好み焼きがあって良かった。」
「俺もお腹空いてたんだ。」
「気が合うな。」
「ホントにな。」
「じゃあ、行こうか。」
「おう。」
懐かしい気持ちを噛みしめながらまず始めに向かったのは「型抜き」の屋台。図書室での打ち合わせでも彼女が一番始めに行きたいと言っていたところだったので来てみたわけだが。
「み、水原……。」
「ちょっと待ってくれ。もう出来る。」
何という集中力だ。最高難易度のそれを少しずつ丁寧に進め、俺が3階失敗している間に、彼女はそれを完成する所だった。彼女の容姿とその本気度が相まって、徐々にギャラリーが出来ていた。
「……出来た。」
「お、お嬢ちゃん凄いなぁ。最高レベルクリアだよ。」
といって、5000円を受け取っていた。一回100円だから彼女は4900円も得をしたことになる。この間に、300円の損をした俺は少し寂しくなった。俺が更に100円損しそうになったときに、水原は両手に綿飴を持ってやってきた。
「こ、これは?」
「待ってくれたお礼だ。」
「ありがとう。」
「こちらこそ。では、金魚掬いに行こうか。」
こんなにニコニコ笑えるんだな、この子も。そう思いながら彼女を追いかけた。いつもよりも明らかに楽しんでることが、前を歩いている彼女の雰囲気からよく伝わってきた。
「じょ、嬢ちゃん。ちょっとうますぎねぇかな。」
「そうか。じゃあ、最後の一匹としよう。」
ここでもまた、彼女の「腕」は冴えていた。大きめの金魚を4匹すくい上げると、それを俺に渡してきた。だが、集中していたせいでいろいろと他に対する集中が切れていた。慌ててそれに気づき、耳打ちをした。
「はだけちゃってるって!」
「案外男の子だな、キミも。」
「少しは気にしてくれ!」
「分かった。」
「しょうがないな~」とか言いながらなぜかニコニコしたまま持っていたポイを俺に渡し、胸の開いてしまった所をキュッと締め直した。
「もう少し金魚を取りたかったら、取って良いぞ。」
すでに2つダメにしていて且つ一匹しか釣れていなかった俺は、渡されたポイを遠慮無く使った。だが、彼女と同じような大きめの金魚を狙った結果、勢いよく跳ねてポイを突き破っていった。
「残念だったな。」
「う、うん……。」
「そろそろ次に行こう。」
「ここから先は決めてなかったよな。どうする?」
「実は、行きたいところがあるんだ。」
その目がいつになく本気だったので、「分かった」とだけ返し、彼女の誘うままに屋台も人気も無い方向についていった。
◇◆◇◆◇
「おいおい、どこにいくんだ?」
「ここよ。」
「ここ?」
彼女が指さしていたのは、今日の午前中に座ったベンチだった。だが、昼と夜の顔は全然違っていて、周りに電灯がほとんど無いことに気がついた。
「ちょっと休憩ってところか?」
「あぁ。」
その瞬間だった。彼女の後ろに広がる空に突如として大きな光の花が咲いた。
パン、パンパン
「花火か!」
「綺麗だろ?ここは私の秘密の穴場だ。」
「そういうことか。」
そのまま、俺たちの間に言葉は無くなった。何も話さず、打ち上がっていく花火をこうして眺めているのが、妙に落ち着くのだ。どちらからともなく、顔を合わせて微笑んだ。
その次の瞬間、水原はふいに弱々しい優しい口調で話し始めた。
「ねぇ……祐くん……。」
突然の呼び方の変わり方と言い方、そしてその表情が妙に妖艶で、顔がどんどん赤く変色していっているだろう熱を感じた。
「な、なに?」
「花火、綺麗だね。」
「ど、どうしたんだ、水原。いつもと口調が違……」
彼女がその表情を変えぬまま何かを話しているのは分かったが、空で我先にと、競うように満開を迎えていく色とりどりの花々がそれを邪魔してきた。水原も、しばらくしてから話すことを諦め、空を見上げることに専念した。
花火がすべて終わった頃、肩が少し重くなっていた事に気がついた。そこには、小さい子供のようにスヤスヤ眠る水原がいた。ふいに自分の心臓の鼓動が速くなっていることに気付かされた。起こすと言うことも可哀想だったので、俺はしばし、そのままにしておいた。……決して、可愛さに見とれていたわけではない……たぶん。ただ、今はそうしてあげたかったし、そうしたかったから。
◇◆◇◆◇
彼女が目を覚ましたのは午後9時。聞こえてきたいろいろな人の声も音楽も聞こえなくなっており、すでに祭りは片付けの終盤に入っていた。
「し、しまった。私としたことが……。」
「大丈夫?」
「重かっただろ。」
「そんなことないよ。」
慌てて立ち上がり、少し着崩れてしまった着物を整えた。
「今日はありがとう。寝てしまって申し訳なかった。」
「気にしないで。さて……そろそろ帰ろうか。」
「そうだな。私は家が近いから、ここでお暇する。」
「いやいや、もう遅いから送っていくよ。帰り道も一緒だし。」
「では、お言葉に甘えて」という彼女とさっきの一緒に出てきたあの大きな家の前まで移動した。
「ありがとう。明日は祝日だから、ゆっくり休め。」
「楽しかったよ。また明後日ね。」
家に入っていく彼女に手を振り、俺も帰途についた。
家に帰ると、机の上にはサランラップの掛かったおかずと一枚の手紙が置いてあった。それは母からのもので、今日は疲れたから早く寝る、という内容のものだった。俺は、感謝しながら、それをゆっくり食べた。
部屋に戻ってベッドに寝転がり、スマートフォンを確認した。
今日はありがとう。私も楽しかった。
また、宜しく頼むね。
水原玲
その日はいつもよりも深く眠ることが出来た気がする。




