逃惑
生い茂る草の中から、ミトはヒョッコリと顔を出した。
右、左、そして再度右に目を走らせた後、頭の上に生える真っ白なうさぎのような耳をクルクルと動かす。
「ふ~~、近くには誰もいないようだな」
そう安堵の息を漏らして言うと、
「うん、おれっちもそうだと思ったぜ」
「竹、私お風呂に入りたいですわ。すぐお湯の準備を」
「あわ、あわわ、ベ、ベンジャミン、まだここはそんな事出来る状況じゃないですよ」
「うん、わっちもそう思うですだ」
「ベンジャミン、ちょっとは今の状況を考えなさいよ、私だって入りたいんだから!」
「エルちゃんもですか? 熱いお風呂は無理ですが、氷風呂ならすぐに用意出来ますよ?」
「雪目さん、それだと風邪ひいちゃいますよ」
わらわらと緊張感のない一行が、ミトの後ろから出て来た。
「なんだかなぁ。ベンジャミンだけじゃなくってさ、どう見ても竹と梅以外緊張感ないだろ?」
「えぇ――っ! ミト私は緊張しまくりだよ!」
「エルファス、お前とりあえずその手に持つお菓子を食べるのを止めろ」
「えぇ……、おなか空いた。今日はここでお肉焼こうよ」
「こんなところで焚き火なんかしたらすぐオーク共が来ちまうだろうが!」
「あのミトさん、そんな大声だとそれこそオークが来ちゃいますよ?」
「ぎゃーっはっはっはっ。ミト、雪目さんの言うとおりだぜ」
「あ、あの、松さんもその大声は止めて下さい」
「んだ、わっちも竹さんの意見に賛成だす」
「とりあえず天気もいいですし、お昼にしません?」
「私は、チーズとハムのサンドウィッチが良いですわ」
それぞれが円を作るように座り出す。
だめだ……、今のこの状況に危機感を持ったヤツがいねえ……。
いつもはそっち側のミトだが、今回に関して言えばミトまでそっち側に行ってしまうと、止められるヤツがいなくなる状況だった。
ミト達の拠点である北東の砦が襲撃を受け陥落してから、今日でもう五日目。
自分達が逃げ切ることだけを考え、必死に砦を抜け出し、隠れることに成功はしたが、そこから先がどうしようもなかった。
移動しようにも、オーク達の見回りが厳しく、どうしても身動きがとれなかったのだ。
やっと今日の早朝から警備が緩み始め、こうして移動を開始し始めたのだが……。
四日も息をひそめ、ほとんど洞窟と呼べるかどうかの洞穴の中でギュウギュウに押し込む形で隠れていたせいか、移動を開始しだすと今までの鬱憤を晴らすかのようにはしゃぎだしてしまったのだ、結果、気を付けているはずの自分も含めた全員が。
簡素とはいえ腹ごなしをすませ、ミト達は移動を開始した。
「食べてる時にも話してたけど、ここは砦よりさらに北の森の中だ、つまりおれ達は完全に孤立している」
「だから、ぐる~~っと迂回しながら、東の砦に向かうって言うんでしょ? 私だってそれぐらいちゃんと分かってるよ、ミト」
隣で歩きながら、エルファスが唇を尖らせる。
「まあ、そうかも知れねえけどよ、一応何度でも復唱するのは大事だからな」
食後の倦怠感を振り払うように伸びをし、頭の後ろで両手を組みながらミトは言い返す。
「ですが……、襲われたのはこの砦だけでしょうか? もしこの砦だけが襲われたのなら東の砦からもう取り返すための部隊が来ていても不思議ではないと思うのですが」
一応の行動に備え、獣人化雪女の姿で歩く雪目が、この八人の中で参謀的な立場として話に割り込む。
「確かにそれは分かるけどよ、それでもおれ達ってこのルートか、もしくはオークの支配している森を通るしか道がねえからな」
「確かにそうですよねえ、真っ直ぐ砦を突き抜けると言うのはあまりにリスクが高い、というよりそれこそ無謀ですしねえ」
雪目同様、何時もは深い青色をしている腰まである髪を、獣人化し流れる水と化し、雪目の隣を歩く水音が口にする。
「でもよぉ。おれっちは思うけど、砦を落としたオーク達は次ってカナンの街に攻めるんじゃないのかな?」
クリクリお目々をクルクルと動かし、ミト同様に頭の後ろで腕を組みつつ松が言えば、
「そ、そうですよね、普通に考えれば砦を攻め落とした相手は、お、奥に奥にと進むはずですし……」
「んだ、わっちもそう思うだ」
竹と梅の二人は、完全に食後の眠気でフラフラしているベンジャミンを間に挟み、手を掴み引っ張るように歩かせながら同意した。
「確かにそうかもな、でもそういうリスクもあるが、別の可能性的に、落ちた砦を取り返すため別の砦のヤツ等やおれ達同様に逃げ延びていたヤツ等と合流しやすい方、つまりはリスクもそれなりに高いけど、リターンも大きいだろう方を選択したんだろ、おれ達は」
「確かに、そうですね」
確認するようなミトの言葉に雪目だけが答える。もっとも、その口調は小さくやや緊張を孕んだ声音でだが。
理由は簡単、先頭を歩き口を動かしていたミトが、止まれと言うように両腕を左右に広げ、立ち止まったからだ。
「ミト、なんかいるの?」
「まだ分からねえ、でも数人かな、歩く音が聞こえる……」
みんなに上体を下げ、身を隠すように落とすよう指示をだしながらミトは答えた。
「おれっちが見てくるか?」
「頼めるか?」
「んじゃ、いっちょ行ってくるぜ」
短いやり取りで松だけが動く。中腰の姿勢のまま、高速移動で木々の間を抜けていく。
「さすが種族大リスだけあるな、こういう障害物の多い所じゃおれでも追いつけねえだろうな」
「ミトは下半身がウサギだからねえ、走るというより跳ねるって感じだもんね」
「いやエルファス、おれはアルミラージだからな? ウサギじゃないからな?」
おでこから伸びる一本の角を必死に指差しミトはアピールする。
「ん~~、でも移動を開始してこんなすぐに遭遇するなんて、やっぱりまだ警戒が強いのかなぁ」
エルファスはミトのアピールを完全に無視し、考えを口にする。
「そりゃあそうだろ、普通に考えてみればヤツ等からしてもここは敵陣地だぜ?、そりゃあおれでも警戒するぜ」
「うん、そうだよねえ……、でもさもう五日も経ってるし、もしなんの抵抗もなかったとしたら、砦の先、カナンの街は大丈夫かな?」
「エルファスが心配するのも分かる、おれもそうだからな。でも、今はおれ達が無事にいられるようにしなといけないからな」
「そうだよね……、うん、みんなで無事にここを抜けないとね」
吹っ切れたように頷くエルファスの金色のクセッ毛頭を、ミトはちょっと強めに撫でた。
「お――い、見てきたぜ!」
偵察の割に大きな声で手を振り戻って来る松に、全員の目がジト目になる。
「あいつってさ、種族としては確かに偵察向きだけど、根本的な性格って絶対偵察向きじゃないよな……」
「で、です。松さんはどこにいても目立つ人ですから……、しゅ、種族云々ではなく、あの人本人は偵察向きじゃないです」
「んだ、わっちもまだ家族になって皆さんより日が浅いだども、あの人はどこにいてもよく分かるだ」
松と家族の、竹と梅からもお墨付きを得た。
徐々にミト達の元へ近づく松は、かなりの大きな声(本人は口元を抑え、ミト達だけに伝えるようにしているつもり)で「オークが五匹にゴブリンが二匹、この先にいるぞ」と伝えた。
が、
その言葉を言い終えるかどうかの段階で、前方で待つミト達全員は頭を上げ目元を揉んでいだ。
それからミトが全員を代表するように口を開いた。おれっちはやってきたぜと言わんばかりにクリクリお目々を輝かせている松に。
「あ~~、松」
「ん? なんだミト?」
「お前、ちょっと後ろ見てみ?」
「ん? 後ろ?」
意気揚々と戻って来る早歩きをピタリと止め、松は勢いよく後ろを振り返った。
そこにはふっさふさでもっふもふの栗色で黒い縦縞が目に入った。
「ありゃ? こりゃこれはおれっちの尻尾だ」
ヒョロヒョロと自分で動かしている大きな尻尾に一瞬小首を傾げた後、松はひょいっと自分のもふもふ尻尾を横に退かした。
尻尾を退かすと同時に、
「ブヒッ!」
と声が響く。
振り返った状態の松と、その後ろにいた豚の顔を持つモンスターの目が合った。
「あ、あれ?」
松の間の抜けた声に、
「お~~い松、早く戻ってこないと死ぬぞ」
ミトの忠告の声が響いた。
「だ~か~ら~偵察に行って、なんでこんなことになってるんだってーの!」
「いやいや、最初はおれっちのせいだけど、その後のはミトが思いっきり暴れた結果じゃないか?」
「ばっ、なんでおれのせいなんだよ!」
「もう、ミトも松さんもなすり付け合うのは止めてください、つまり二人のせいですなんですから!」
仲裁に入ったエルファスの言葉に「「うっ」」と言葉を詰まらせる二人。
現在ミト達八人は、オークとゴブリン達によって森の中を追いかけ回されていた。
当初、松のミスで連れてきたオーク五匹とゴブリン二匹を瞬殺したのだが……、やり過ぎた……、ミトが……。
目一杯に蹴り飛ばした最後のオークに対し、「ミトキック――――ッ!」を叫んだ結果、別のオークとゴブリンの巡回に見つかったのだ。そしてそれらを対処しているうちに、あれよあれよとオークとゴブリンが増えていき、今では必死で逃げている最中だった。
「ところで、適当に走ってますが、こっちで合ってるんですかね?」
「わっかんねえ」
獣人化した雪女の美貌が半分近く元のくたびれてた老婆の顔へと戻りかけながら、息を切らせつつ問い掛けた雪目の言葉に、ミトは素直に答えた。
「え――――っ、じゃあミトってば適当に走ってるの?」
エルファスの大げさな驚きの言葉に、ミトは走りながら口角をつり上げ、鼻の穴をぷくーっと膨らませる。
「うわ~~その顔、ミトさん本当に適当に逃げてますね?」
水音が荒い息以上に、胸を上下させながら言う。
「ほ、本当ですか、ミトさん?」
「そうなんだすか?」
竹と梅の悲しそうな瞳に、ミトはより一層鼻の穴をぷく~っと膨らませる。
「お、おれだってこんな来た事もねえ森の中、道なんて分かる訳がねえよ!」
最後には大空に向かいミトはやけっぱちに叫んだ。
「と、まあミトさんをからかうのはここまでにして、実際どうしましょう?」
「か、からかうって……」
ミトを、一応フォローしつつ雪目が全員に聞く。
「どうするって言われても……」
マスターであるエルファスが言葉を詰まらせ、全員も無言になる中、
「こっちですわ」
もう一人のマスター、何時も喧しいぐらいしゃべるのだが、今日は食事後からほとんどしゃべっていなかったベンジャミンが指を示した。
「え? ベンジャミン道分かるの?」
エルファスが驚き尋ねると、ベンジャミンはハッキリと首を横に振る。
「道は分かりませんですわ」
「「「「え????」」」」
全員が驚き、ベンジャミンの顔を見た。
「ちょ、ちょっと待てベンジャミン、道が分からないってお前……」
自分のマスターであるが、さすがに今の現状で適当はまずいと松が声を掛けるも、それを竹が手で止める。
そしてジィーっとベンジャミンを見つめた後、尋ねる。
「ベ、ベンジャミン、本当にこっちでいいのね?」
「ええ、こっちでいいですわ」
竹の問い掛けに、ベンジャミンは真っ直ぐ指を差し示したまま有無もなく答えた。
「わ、分かったわ。じゃあそっちに行きましょう」
頷く竹に、全員が不安一杯の目を向ける。
竹は全員の視線から逃げるように視線を泳がしながら、
「り、理由は、わ、分かりませんがこの子――ベンジャミンはたまにこうなる時があるんです。まるで何かに惹かれる、――い、いや引き寄せられる様に歩き出すといいますか……」
「ああ、そう言えば、確かにそういうところがあるよなぁ」
「それって当てになるのか?」
ミトが聞くも、松は曖昧に頭を掻くも竹は違った、泳がせていた瞳をしっかりとミトに向け竹は答える。
「で、でも今の状況で一番行こうとしている道をしっかり持ってるのはこの子、ベンジャミンだけですから、私はこの子に賭けてみたいです」
竹とミト、二人の視線が交差して数秒、ミトは大きく頷いた。
「分かった。確かにおれ達の中で、どう動いたらいいのか分かってるヤツは一人もいねえ、正直ベンジャミンの奇行かも知れねえけど、それでも中途半端な行動をするよりそっちの方がいい。みんなもそれでいいな?」
全員が頷くのを確認して、ミトはベンジャミンに言う。
「お前の示す通りに行くぜベンジャミン。だから道案内を頼む」
「分かってますですわ」
ベンジャミンは一度だけコクンと小さく頷き、自身で指を向けた方へと真っ直ぐに走り続けた。




