異変
「ほ~~そうか、もうそんな時期なんだなぁ~」
クリクリお目々をさみしげに細め、空を見上げるのは武器屋のオヤジだった。
「ええ、まあそう言うことなんで、今は少しでも出来る事をと思ってるんですけど、これがなかなか――」
ジンタは、自分の装備である直剣と反りのない五角形の盾、それに革の鎧と足当てとグローブをオヤジに手渡す。
ここは、つるっつるに禿げたハゲオヤジが居を構える武器屋、今ジンタだけで武器と防具の手入れをお願いしに来ていた。
「ほんっと、ミリアちゃんが無事に卒業まで来れて、ほんっとうによかったなぁ」
ジンタの装備を受け取りつつ、オヤジが涙を流さんばかりに頷いている。
「そ、そんなすごいことなんです?」
「そりゃあおめえ、当たり前だろ」
「ん~、俺的には普通にしていただけなんですけど……」
いくつか普通じゃないこともジンタの頭によぎるが、そこはスルーする。
「はぁ~、その普通が難しいんだろうが」
「普通が?」
やれやれと首を振るオヤジに対し、ますます分からずジンタは眉を寄せる。
「お前がここに――、ミリアちゃんの『召喚されし者』として来て、もう一年ぐらいか?」
「まだ、経ってはいないですが、ほぼですね」
「この一年、お前はミリアちゃんやイヨリちゃん達と色々と出掛けたり、遊んだりしたろ?」
「ええ、それはまぁ……」
オヤジの言わんとしていることが分からず、より眉間にシワを寄せる。
「その中には色々な事故の可能性だってあったはずだ。それこそ運が悪ければ転んだだけでなんてのもな」
「――事故、ですか?」
「ああ、確か夏に川遊び行っただろ?」
「確かに、行きましたけど」
ハニーハニービー事件を思い出し、ジンタは苦笑いを浮かべる。
「その時、もしかしたらの可能性の一つとして、ミリアちゃんが溺れて死んでたかも知れないだろ?」
「……え?」
ハニーハニービーに襲われて、というのは頭にあったが、溺れるというのはすっぽりと頭の中にはなく、ジンタが意表を突かれたように声を漏らす。
「それ以外にも、ちょっとしたことで人はすぐ死ぬんだぞ? ましてやマスターであるあの子達は肉体的にはかなり脆弱なんだ、まだ小さい子供というのもあるが、な」
「そ、それは……」
淡々と、というよりは少し重く感じる語調でオヤジが語る中、ジンタはここまでこれたこと、それ自体が幸運なことなんだなと自覚してくる。
それと同時に、そんなことを普通に口にしてくるオヤジは、もしかしたら自分のマスターがそういった当たり前の中の不幸に出会ったのかも……と感じていた。
「……確かにそうですね、俺無事なのが当たり前過ぎて、そこが一歩間違えれば不幸と隣り合わせであることを忘れていました」
オヤジに、気付かせてくれたことの感謝も込め、頭を下げる。
「これからは――」
日々の無事を感謝していきます。そうオヤジに向け口を開きかけたジンタは、オヤジの変化に気付いた。
「オ、オヤジさん?」
訝しみジンタが口を開くと、オヤジは両手に持ったジンタの装備を落とし、向かい合うジンタの後ろを指差した。
「どうしたんです?」
ジンタが、オヤジの指差す方へ振り向くと、
「なっ!」
青空、その一箇所がかなり遠くだが、それだけにかなり広い範囲だと分かるような黒い影となってうごめき徐々に近づいて来ていた。
※※※※※※※※
――――時間は少し遡り――――
学校を出てラペンの街の中央噴水前で、ジンタと別れたイヨリとミリアは夕食の買い物へと来ていた。
「いいイヨリ、夕ご飯の買い物が終わったら次はお菓子だからね!」
夕食に使う野菜、じゃがいもやニンジンの鮮度を野菜屋の前でしゃがみ込みチェックしているイヨリの後ろでミリアが鼻息を荒くしている。
「はいはい、じゃあお菓子は今日の晩ご飯をミリアがしっかりと全部食べたら、今度買いましょうね」
視線を野菜に向けたまま、イヨリはミリアに切り返す。
「え~~、じゃあ今日のお菓子は~~」
今にも泣きそうな顔と声でミリアが懇願するも、
「今日は買いませんよ~~」
クスクスと笑いながらイヨリが念を押す。
「ぶ~~」
ミリアが一度ガックリとうな垂れた後、ガバッと頭を上げる。
「よ~~し、だったら今日の晩ご飯はパンケーキだよっ!」
気合いを入れる方向を切り替えた。
「パンケーキってあなた……」
さすがに野菜から目を離し、イヨリが呆れたような目でミリアを見る。
「パンケーキならわたし、ペロッと何枚でも食べられるよ! それでしっかり食べてから明日はお菓子を一杯だよ!」
ガッチリとカッツポーズするミリアに、イヨリは首を振り溜息を吐いて、
「ミリアには悪いけど、晩ご飯にパンケーキはありません。今日のご飯はシチューです」
イヨリは立ち上がると同時に、野菜屋のおばさんに選んだじゃがいもとニンジン、そしてタマネギを指差し注文する。
「え~~~~、シチュー~~……、まあ、それなら――」
「あと、ブロッコリーもお願いします」
「待ってイヨリ! ブロッコリーは、ブロッコリーはいらないよっ!」
緑輝くブロッコリーを指差すイヨリの腕を掴み、ミリアは必死にイヨリの指をブロッコリーから引き剥がす。
「好き嫌いはいけません、なんでもちゃんと食べないとダメです!」
クスクスと笑うイヨリ。
しかし、必死になってイヨリの腕を押さえていたミリアのチカラが一気に弛んだ。
「あらミリア、もう諦めたんです?」
イタズラな笑みをミリアに向けたイヨリだが、その表情が一気に曇る。
「……ミリア?」
訝しむようにもう一度名を呼ぶ。
ミリアはイヨリの腕を掴んだまま、少し嫌そうに眉を顰め、ぼう然として遠くの空を見つめていたが、イヨリに呼ばれ、ぴくりと頭を軽く動かした後、
「イヨリ、なんか……なんかイヤなのが来るよ」
と呟いた。
※※※※※※※※
「おらおら~~、エ~ル~ファ~ス~、もっともっと夜ぐっすり寝れるように走れ走れ~~っ!」
「ミトの鬼~っ! 悪魔~っ!」
「はっはっはっ、それがどうしたエルファスっ!」
「――ペチャパ~イ~」
ゴンッ!
「いった~~い~~」
「な、なぜ私まで走っているのでしょう……」
ジンタ達と別れた後、ミト達三人は学校から自分達の家までを、食後の運動として走って帰っていた。
「ミト、ほんとに痛かったよっ!」
頭をさすりながら、それでも走るエルファス。
「何おぉ~~~~っ!」
握った拳に、ミトがはぁ~~っと息を吐きかけるのを見て、エルファスのペースがさらに上がる、逃げるために。
「ま、まだペース上がるんですか……これ?」
普段でも死にそうな顔色の雪目が、酸欠込みのさらに死にそうな顔で前の二人に声を掛けるが、二人はもうかなり遠くまで進んでいて、聞こえてそうもない。
「はぁっはぁっ、私はこれ以上無理です、エルちゃんがんばって下さい」
死にそうなほど荒い息遣いをして雪目は足を止め、その場で立ち止まり息を整え始めた。
「おらおらおらっ!」
ぺしっぺしっと、ミトが途中で拾い上げたちょうどよいしなりをする木の枝でエルファスのお尻叩く。
「いたいよ~~、そんな叩いたら、お尻が腫れちゃうでしょっ!」
「少しぐらい腫れた方が良いんじゃないか、エルファスは!」
ケラケラ笑うミトに対し、
「じゃあミトもそれで胸を叩けば、少しは――」
ゴンッ! ゴンッ!
枝を後ろに放り投げ自由になったミトの左右の拳が、速射砲のようにエルファスの頭へと叩き付けられた。
「いった~~い~~っ!」
「そんなん、お前が悪いっ!」
ミトが走りながら鼻息をまき散らし両腕を組む。
直後、ピタリとエルファスが立ち止まった。
「ぬおっ! エルファスなにいきなり立ち――――」
勢い余ってエルファスを追い抜き、急停止し振り返りながら言い掛けたミトの体を、虫が這うような感覚が走る。
「な、なんだ?」
エルファスに向けかけた目を、もう一度、今度はエルファスが見つめている方向へとミトも向けた。
「……ミトも気付いた?」
「ああ、なんてーか、怯えている? 動物が? なんだ……これ?」
獣人化したアルミラージの耳が忙しなく動く。
「分からない、分からないよ。でも、これ……、なんかおかしいよね……」
ミトの背に隠れるようにエルファスがしがみつく。
「ああ、これはなんかやばそうだ……」
ミトの額に一筋のイヤな汗が流れ落ちる。
「どうしようミト?」
「とりあえずは雪目だな、それと……」
ミトは怪しい気配を感じた方向とはほぼ反対の、小学校へと目を向けた。
※※※※※※※※
「くーかー、くーかー、むにゃむにゃ……」
食後のお昼寝は常識! とばかりに、豪快に机で突っ伏し眠るリゼットにリカの頬が痙攣する。
「まったく、なぜこんな子がロンシャン様に喚ばれたのか……」
主であるロンシャンは今、豪快に眠るリゼットの横で分厚い本を開き、集中し読み耽っている。
しかし、そんな対象的な二人を見ていると、なぜか落ち着くから不思議だと感じるのもまた事実だった。
きっとこの勉強家で若いマスターは、自分が頑張りすぎてしまうと無意識に認識し、その抑止力として無自覚で弛みまくっているリゼットを喚んだのではないか、と思ってしまう。
――本当はロンシャン様の弛む役……、私がやりたのですが……、どうにも私らしくありませんものね、さすがに……
リカは少し悲しげに三階建ての小学校、その三階部分にある図書室の窓から外へと視線を向けた。
外はまだ少し肌寒くもあるが、これから徐々に過ごしやすく心地よく感じる季節を迎えるのだと分かるほど、良く晴れた青空が広がっている。
「今年はもう、この第一階層の春は経験出来ないのですわね」
つい、口から溢れた。
「そうだよね、今年の春はもう第二階層だよね」
ただ溢れた言葉に返事がくる。
振り向けば、集中し本を読んでいたロンシャンがリカへと目を向けていた。
「すいません、気を散らせちゃいましたか?」
少し申し訳なく、しかし返事をくれたことをやや喜びつつリカが謝る。
「ううん、ちょうど一区切りしたところだったから大丈夫」
にこりと笑みを返してくるロンシャンに、リカは胸一杯の幸せを感じ、いつもはややつり上がり気味の目尻を一気に急降下させる。
「何かお飲み物――紅茶でもお持ちしましょうか?」
「ううん、大丈夫」
「そうですか」
ロンシャンとの和やかで緩やかな心地よい会話と雰囲気を楽しんでいたリカに、
「ギャッ! ぎゃぎゃぎゃっ! な、なに! なんだ! これなにっ!」
リゼットの意味の分からない寝言のような叫びが邪魔をした。
「こんっの! お黙りなさい」
ゴチン! と慌てふためきキョロキョロと辺りを見渡すリゼットの頭を、目一杯に小突く。
が、リゼットは全然落ち着かない。むしろよりひどく慌てふためいている。
「ちょ、ちょっと、リゼットどうしましたの?」
強く殴りすぎたか、と内心思ったが、どうにも違うようだった。
いつもピコピコ動くアホ毛だが、それが何時にもましてグルグルと異様な速さで回っている。まるで何かに反応し怯えるように。
「リゼット、何があったの?」
ロンシャンもリゼットの異様ともいえる慌て振りに、心配し声を掛ける。
「わ、分からないよ! でも、なんかおかしいよ! いつもと――――ううん、違う、なにか分からないけど全然違うよ! こんなのリゼット初めてだよ!」
混乱と怯えにリゼットの目には涙が浮かんでいる。
「一体何が――」
リカとロンシャンがリゼットの異変に困惑し、目を合わせた時だった。
それは体全体を一気に這い回った。
「なっ!」
「リカも感じた?」
自分が身震いしている事実に驚愕したリカに対し、ロンシャンも同じことを感じたかのように聞いてくる。
「ええ、なんですの……これは?」
「わ、わからない、でもリゼットはこの気配を感じてなのかな?」
「多分そうですわ。この子は……そういう危機に対して敏感ですから……」
ブルブルと頭を抱え震えているリゼットを、ロンシャンが抱きしめる。
「とりあえず、ここに居ちゃまずいと思う」
「同感ですわね、とりあえず非難を」
「うん、場所は……」
「食堂でよいかと」
「そうしよう」
リカが先導し、ロンシャンが怯えるリゼットを連れ、後についていく。




