浮遊石 一
「これが中身だ」
保健医が、閉じていた手の平を広げるとそこには小さい石があった。
ジンタは、神妙な顔で保健医が見せた石をまじまじと見た。
本当にこれでもかってぐらいにまじまじと右から左から、上から正面から、見た。
しかし、どう見てもそれはタダの石にしか見えなかった。
「えっと、つまりお前さんが持っていた、あの『非常時にしか開かない箱』長ったらしいから、『開かずの箱』と命名するとして、その『開かずの箱』の中には石が入っていたと言うことか?」
ジンタは呆れたとばかりに溜息を溢す。
「タダの石、か……」
自嘲気味に笑みを浮かべる保健医に、ジンタは結局いたずらか、まあそんなもんだよな、と思いながら、笑みを返してみんなを手伝うべく踵を返そうとした。
「まあそう急くなよ、君。まだ話は終わってないぞ?」
「みんなも疲れてるのに動いてるんだ。俺だけここで休んでるわけにもいかないだろ」
ジンタと保健医の二人がいるのは、後片付けをしているみんなから少し離れたゴブリンの森の一角。
真顔で「箱が開いた、ちょっと二人で話がしたい」と言ってきた保健医に連れられ、疲れた体にムチを打って片付けしているみんなから離れてここまで来たのだ。
その話が『開かずの箱』の中身がタダの石だったのなら、別に隠すようなことではないのだから、みんなの前でいえばよかったのに、とも思ってしまう。
まあたしかに、だ。学校に数千年も前からあり、一度も開いたことのない箱でとして保管され来た物が、実はタダの石でしたって言うのは滑稽で恥ずかしい事かも知れないが……。
とりあえずジンタも疲れてはいるが、それでも同じぐらい疲れているみんなに仕事をさせて自分だけサボろうとは思わない。
だから、こんなことで呼ばれたことに少しだけイラッとしたが、学校としての名誉や威厳を加味すれば、少しは納得もする。
「恥ずかしいなら、その箱の中身の事を誰にも言わなければいいだけだろ? 別にそれを知っているのごく一部の人だけなんだから」
この話はこれで終わりとばかりに、ジンタは保健医に背を向け感心なさそうに手を振って歩き出した。
「まったく、君は本当に話を聞かないな」
「はいはい、そうだな。俺も今日はすげー疲れてんだ。下らない話になんて付き合ってられるか」
「まあ、そう言わずもう一度こっちを見てみろ」
ぐいっと肩を掴まれた。
溜まっていたイラッとした感情が噴き出るように、ジンタは肩の手を払い除け、振り返った。
「なっ!」
そして絶句した。
ほんと、今日だけで俺って何度絶句してるんだろうと、思ってしまうが、してしまうものはしょうがない。
そして今回絶句している理由は保健医にあった。
いつもならジンタの頭半分ほど低い位置に頭の天辺の巻き上げアップした髪があるはずの保健医が、今ジンタの目の前にはウエスト然に薄い胸があったからだ。
それがどういう事か、一瞬理解出来なかった。
しかし、驚きにゴクリとツバを飲む間に、一つの答えが生まれる。
きっとこいつは何かに乗っていると。
倒れた倒木か、はたまた、ドラゴンがなぎ倒した木の切り株か。
とりあえず、ネタが分かればソレを確認すればいい。
ジンタは下を見た。
そしてゆうに三秒は地面と保健医の足を見て固まった。
――あれ? 地面とこいつの足の間に七〇センチほどの空白がある……。
ジンタの頭の中では、本来その空白地帯には木がおいてあるはずなのだ。それがなく、透かしたというとか、何もないように向こう側の地面が見えている。
「あ、あれ?」
思考が動き出して、さらに五秒して、ジンタは口の動いた。
「あれれ? ちょっと、あんた一体どんなマジック使ったんだ?」
魔法を扱うマスターであるエルフに、マジックと言うのも滑稽だが、ジンタはそう尋ねてしまう。
「マジック……か。そう思いたくなるのも分かるが、そうではない。――いやタネがあると言う意味では、これもマジックかも知れないな……」
ふわふわとした感じで浮いたまま、保健医は眼鏡を押し上げた。
「おいぃぃっ! ほんとにこれどうなってんだよっ!」
人は考えが纏まらず自分の中で答えが導き出せない時、答えを知っていてほくそ笑んでいる奴に、八つ当たりするように切れるモノだ。
特に、いつも言い合いをしているような間柄であればなおさらだ。
「ちょっ、君、白衣の襟首を掴むのはやめろ! いま説明するから、だから引っ張るな、バランスが――ああっ!」
早く教えろとばかりに必死に揺さぶるジンタに向かい、保健医が覆い被さるように落ちてきた。
「いたたた……」
「まったく、君は少し落ち着きってもんを……」
「あんたがもったいぶるからだろ」
起き上がろうと、ジンタが保健医を退かすように手を伸ばす。
ぺたっとした手応え。
「「あっ」」
それがどこに触れているかなんて言うまでもない、二人の視線は保健医の胸に向く。
「き、君っ!」
「いや、悪ぃ。でもそんな感触一切なかったからっ!」
「はぁ~~~ッ!」
「あ、いや、なんかちょっと、少し、微かにあったような気もする……」
バキッ!
起き上がった二人だが、ジンタは元々ドラゴンの血で真っ赤だった顔から、まだ真新しい自分の血が鼻から流れていた。
「あ、あのそれで……、そのあんたが浮いていた理由のタネ明かしをして欲しいんですが……」
上っていた頭の血が、鼻から多少でも出たことによって、なんとか落ち着きを取り戻したジンタが、理由の説明を今だ機嫌悪そうにしている保健医にお願いする。
「分かっている。それを説明するために君一人を呼んだのだからな」
完全にプンスカモードの保健医だったが、おもむろにポケットの中に手を入れると、さっきの石ころを取り出した。
「それ石ころだろ? しかも何だよ四つって……」
「確かにこれは石ころに見える。しかしこれは普通の石じゃない」
時々、保健医はこうしてもったいぶった言い方をする。
そう言う時はいつも、さっさと先を言えよ! と苛立ち加減に促すところだか、さっきの失態? もあり、ジンタは代わりに眉根を寄せ睨むことで、早く説明しろと促した。
「ふむ、これはタダの石ではなく、『浮遊石』だ」
自分でさっさと言えと促すように寄せていた眉根が、より一層深く溝を作る。
「『浮遊石』?」
とりあえず、頭が理解出来る前にくり返し言ってみた。
「そうだ、これを持つと宙に浮ける。さっきの私みたいにな」
寄せていた眉がぴくっと動いて、ジンタはとりあえず右手を保健医にだした。
「ちょっと俺にも貸してくれるか?」
言っている言葉とは裏腹に、疑いに満ちた目元、怪訝にヒクつく笑み、痛々しそうな人を見るよう瞳、つまり半信半疑だ。
「なんだ、その如何にも私は信じてません、と言ってるような表情は……」
すっごく嫌そうな顔で、しかし保健医は一つだけ『浮遊石』なる石をジンタに渡した。
持った感じ、それは本当にタダの石だった。
微妙に軽いような、ザラザラする感じがしなくもないが、はっきりいって石の範疇からでるほどではない。
そして、その石をただ、もっただけでは別段浮く感じもしない……。
「おい――――」
「魔力を石に込めるんだ」
ジンタが避難の声を掛けようとしたが、保健医は被せるように説明してきた。
「魔力を?」
「そうだ」
ふむ、と頷いて、ジンタはゆっくりと『浮遊石』に向け、魔力を意識を送り出す。
最初は、普段それが当たり前でまったく気にもしていなかったが、重力により自分そのものが下に引っ張られていたんだ、と感じられるようにふわりと体が軽くなった。
そしてもっと魔力を込めると、その軽くなる感覚、今まで下に感じていた重力のような感覚が上に空へと向け働き出した。
「お、お、おぉ、おおおおぉ」
足をばたつかせるも、ジンタの足の裏はもう地面から離れていた。
「おい、これどうやって降りるんだ?」
地に足が付かないことがこんなにも人を混乱させるとは思っていなかったが、このまま空の彼方、この世界が階層になっているのなら、その階層の天井まで飛んで行ってしまうんじゃないかと、ジンタはパニックになっていた。
「そう慌てるなよ君。実は、君が慌てている姿を見て、私はすっきりとした気持ちになっているんだが」
本当に楽しんでいるのだろう、保健医の口元がにこっと笑みを作る。
「いや、マジで! マジでどうすれば――――」
「魔力を流して浮いているんだ、その供給を止めればいいに決まってるだろ」
青ざめながらも必死のジンタに対し、あっさりと保健医は答えた。
「あ……なるほど」
言われてみればその通り、何にも慌てる必要など一切なかった。
ジンタは、ゆっくりと『浮遊石』に魔力を流すの止める。
それに合わせるように体が下がり地面に足が付き、自分の体の重さ、つまり重力を感じた。
「いや~~、すごいなこの石」
「そうだろう、そして追加で教えておくとだな、その程度の大きさの石ならいいとこ、一メートルほどまでしか、浮き上がれないと思うぞ」
「そうなのか?」
「扱う者の、魔力量にもよるが、普通程度ならそれ位のはずだ」
「ってか、あんたこの石のこと詳しいのか?」
「詳しくはない、がこの階層で、こんなレアなものが手に入るとは思ってもいなかった」
「もっと上の階層なら取れるのか?」
「取れなくはない、と言いたいが、果たして今も取れるのかどうか……、とりあえずこの『浮遊石』がとても貴重なのは確かだ」
「ふむ、とりあえず、これがあれば次ドラゴンが来た時、地面が揺れるのを回避できるな」
ぐっとガッツポーズをし、より勝ちに近づいたことを喜ぶジンタだったが、
「いや、それは無理だ」
保健医は手に持つ四つの『浮遊石』に目を落とし断言する。
「なぜ?」
勝ち気になったところに水を差され、少しカチンと来たジンタ。
「さっきも言ったろう。この程度の大きさでは人一人を一メートルほどしか浮かせられない。つまり、いいところこの石を持つ四人だけ」
「四人だけ……」
「当然、割れば、それだけ体積が小さくなり効果も下がる」
「じゃあ、たった四人だけしか――」
「しかも、さっきも言ったが、これは魔力を扱える者じゃないと持てない、つまり――」
「マスターだけしか……」
「そう言うことだ」
ジンタは普通の『召喚されし者』と違い獣人石を持たない。だから獣人化も出来ない。
そして通常、マスターであるエルフ達から、互いを繋ぐ赤い糸(マスターしか視認出来ない)が繋がり、そこからマスターの魔力を分けてもらう。
その魔力は『召喚されし者』の胸の真ん中にある『獣人石』に力を与え、その魔力のお陰で通常三〇才ほどになると完全な石と化し、『獣人石』は輝きを失い、獣人化も失ってしまうのだが、その現象を止めることが出来るのだ。
他にも、いろいろな特典はある。
不老になるとか、回復が早くなるとか(これは微妙すぎて判断が難しい)などなど。
そしてジンタにはその『獣人石』がない。つまりミリアから送られてくる魔力が行き着く場所がなく体の中を巡っている形になるんじゃないかと、目の前の保健医は言う。
結果、代わりにマスターであるミリアとの繋がりで流れてくる魔力を扱うことが出来るのだ。
「そうなると、この石は勝手が良くないよな?」
「まあな、そうなるだろう」
普通に考えて、ジンタをはじめ、『召喚されし者』はマスターの召喚によって喚ばれているわけで、その役目は永遠の時を一緒に家族として生きること。
そして、一生を掛けて自分達を召喚した『召喚せし者』であり家族でもあるエルフのマスターを守ることが役目とも言える。
守るべき対象、家族で娘や妹や弟的存在を、戦いの矢面に立たせるなど、誰も望まないし通常はしない。
多少の例外、自分から突っ込んでいく(ミリア)。少し体を鍛えさせる(エルファス)などもあるが、それも家族達は最大限に自分の身を盾とする覚悟をして成り立っているのだ。
つまり石が扱えるからと言って「前に出て戦え」など、言うはずもないしありえないのだ。
――そうなると、現状ではこの石。
ジンタは保健医が持つ四つの石に目を落とし考える。
――自分以外で扱えそうなのは…………………………。
自然と、ジンタの視線は上に上にと向かい、保健医の顔に辿り着く。
「おい、その薄ら笑いと、見つけたみたいな目はやめろ」
「いや、あんたなら一応エルフだし、例え傷付いても、いやぶっちゃけ死んでも誰も気にしないというか」
「君はほんとぶっちゃけたな! 確かに私にはもう家族はいない! しかし、私が死んだらこの階層の最高のヒーラーがいなくなるんだぞ?」
「いや、もうロンシャンあたりなら『ハイヒール』も使えるだろ?」
「ぐっ……」
保健医が、よろめくように後退る。
ジンタそんな保健医に向け、ふっと真顔になる。
今まで聞かなかったことがある。
今まで聞けなかったことがある。
何度となく、さりげなく聞こうともした。
しかし、それはどこか互いに避けるように躱してきていた。
それを今、この場で聞こうと思った。
弛んでいた空気が少し張る。
保健医も少し雰囲気を悟ったのか、ゆっくりと真っ直ぐに立つ。
一呼吸の間をとって、ジンタが口を動かす。
「そういえば今まで気にしなかったというか遠慮していたというか聞かなかったけど、あんたも一応マスターなんだろ。一体俺達のような『召喚されし者』であるあんたの家族達はどうしたんだ?」
言い切った。
すっごく緊張したし、何度も言葉が詰まりかけて止まりそうにもなった。
それでもジンタは言い切った。
いつもはすました顔の保健医、その眼鏡の奥の金色の瞳が一瞬激しく揺るんだ。
「まあ、なんだ、な。こういう付き合いをしていれば、いつかは聞かれることだと思っていた。だからだろうな、我々教師や役所に務めるエルフ達は、普段から接触を避けてこぞって友達を作りたがらないのは……」
そこまで言った保健医は、赤くなり始めている夕焼けに染まりはじめた空を一度仰ぎ見て、息を吐いた。
「君も、何となくそう思っていたのだろう? だから今まで聞けなかった。いや聞かせない雰囲気を私を含め、全員が発していたのだろうな」
自虐気味に「ははっ」と保健医は笑う。
ここで止めようとも思った。これ以上は触れてはいけないとも思った。
しかしジンタそれらを口にするのではなく、グッと地面に向け垂らした手で自分のズボンを握り絞めることで抑えた。
「君の予想通りだよ。第一階層やこの階層にいる大人のエルフ達は、自分の喚んだ『召喚されし者』、つまり家族を全員失った者達なんだよ」
何となく分かっていた。
予想はついていた。
それでも、本人の口から聞きたかった。
ジンタは沸き上がってくる衝動が口から漏れ出ないよう、血が出るほど唇を噛みしめる。
「まあ、死んだ者の代わりを新しく召喚するってことも可能ではあるんだけどな。我々はそれを望まなかった。家族一人だけを失った者なら、他の家族がいてつらい思いをさせたくないと、新しく召喚することも考えられるだろうが、な。家族全員を一気に失い、自分だけ生き残ってしまうと、もう一人がいいと、もう家族はいらないと、思ってしまうんだよ」
きっともう数百年も前の話なのだろう。
まだ二〇才前後のジンタには、到底理解出来ないほど長い月日を経ているのだろう。
それでも、今目の前に立つ女性には昨日のことのように感じられているのだろう。
普段はからかい合い、ののしり合い、バカを言い合う間柄のその女性の瞳が、家族と一緒にいた昔を、昨日のことのように思い出しているのが、ジンタにも分かった。
聞いてしまった。
今まで避けていたこと、きっと聞いても答えられないことだろうと知っていた。
いつものように笑いながら、それでも――なんて言えることはないと。きっと自分ではそれを癒やせる言葉をかけてあげることは出来ないと、分かっていたことを。
声を掛けられない、ただズボンを手が真っ白になるほど強く握り絞めるしか出来ない無知な自分。
唇が真っ青になるほど、噛み締めて堪えるしか出来ない役立たずの自分。
重苦しく押し黙ったままの時間が流れる。
それがふっと弛む。
「まあ、昔のことだ。それにそれは私の思い出であって、君の思い出ではない。あまり気にするな」
保健医の優しい言葉。
しかし、それでもジンタは声を出せなかった。喉の奥に蓋がされているように。
ぽんっと肩に置かれる保健医の手。
「君は家族を失うなよ」
それが喉の奥の蓋を壊した。
「ああ、俺は失わねえ」
ジンタはそうはっきりと答えた。
「まあ、だからだな~。とりあえず私はこの石を使ってドラゴンと戦うなんてことは出来ない、ってことだ」
いつものように、どこかおちゃらけたように保健医。
「まあ、そういうことにしておいてやるさ」
ジンタもいつもの軽口でそれに答える。
「そう言えば、どうして箱は開いたんだ?」
ふと、頭にそんな疑問が浮かんだ。
「ああ、私も正確には分からないんだが、ドラゴンの血を浴びた後、かな。なんとなくポケットに違和感があってな。そしたら開いていた」
「箱は?」
「それならポケットに――」
保健医が必死で自身の普段は白衣、しかし今は真っ赤に染まっている白衣のポケットに手を入れ引き抜こうとしている。
「おいおい、そんなに出せないのか?」
あまりに必死さに、ジンタが呆れる。
「ああ、なんというかな、箱が一気に開いた、というのか、今はポケットの中で紙のように平らに広がった感じでな、ポケットの内側で引っかかってるんだよ」
「それは大変だな、俺も――――」
「ジンタさ――――ん」
手伝おうか、と言い掛けたジンタだったが、後ろから自分を呼ぶ声が響いたため、振り向いた。
「どうしたロンシャン?」
走ってきてたのはジンタ達同様に真っ赤に染まっているロンシャンだった。
幾分息を切らせてはいるがロンシャンは立ち止まるなり、ジンタの腕を掴んで引っ張った。
「目を覚ましたミリちゃんがちょっと大変なんです」
心臓が一瞬ドキリと跳ねた。ジンタは緊迫した気持ちを抱いて、ロンシャンに引っ張られるまま、後を付いていった。「これが中身だ」
保健医が、閉じていた手の平を広げるとそこには小さい石があった。
ジンタは、神妙な顔で保健医が見せた石をまじまじと見た。
本当にこれでもかってぐらいにまじまじと右から左から、上から正面から、見た。
しかし、どう見てもそれはタダの石にしか見えなかった。
「えっと、つまりお前さんが持っていた、あの『非常時にしか開かない箱』長ったらしいから、『開かずの箱』と命名するとして、その『開かずの箱』の中には石が入っていたと言うことか?」
ジンタは呆れたとばかりに溜息を溢す。
「タダの石、か……」
自嘲気味に笑みを浮かべる保健医に、ジンタは結局いたずらか、まあそんなもんだよな、と思いながら、笑みを返してみんなを手伝うべく踵を返そうとした。
「まあそう急くなよ、君。まだ話は終わってないぞ?」
「みんなも疲れてるのに動いてるんだ。俺だけここで休んでるわけにもいかないだろ」
ジンタと保健医の二人がいるのは、後片付けをしているみんなから少し離れたゴブリンの森の一角。
真顔で「箱が開いた、ちょっと二人で話がしたい」と言ってきた保健医に連れられ、疲れた体にムチを打って片付けしているみんなから離れてここまで来たのだ。
その話が『開かずの箱』の中身がタダの石だったのなら、別に隠すようなことではないのだから、みんなの前でいえばよかったのに、とも思ってしまう。
まあたしかに、だ。学校に数百年も前からあり、一度も開いたことのない箱でとして保管され来た物が、実はタダの石でしたって言うのは滑稽で恥ずかしい事かも知れないが……。
とりあえずジンタも疲れてはいるが、それでも同じぐらい疲れているみんなに仕事をさせて自分だけサボろうとは思わない。
だから、こんなことで呼ばれたことに少しだけイラッとしたが、学校としての名誉や威厳を加味すれば、少しは納得もする。
「まあ、恥ずかしいなら、その箱の中身の事を誰にも言わなければいいだけだろ? 別にそれを知っているのごく一部の人だけなんだから」
この話はこれで終わりとばかりに、ジンタは保健医に背を向け感心なさそうに手を振って歩き出した。
「まったく、君は本当に話を聞かないな」
「はいはい、そうだな。俺も今日はすげー疲れてんだ。下らない話になんて付き合ってられるか」
「まあ、そう言わずもう一度こっちを見てみろ」
ぐいっと肩を掴まれた。
溜まっていたイラッとした感情が噴き出るように、ジンタは肩の手を払い除け、振り返った。
「なっ!」
そして絶句した。
ほんと、今日だけで俺って何度絶句してるんだろうと、思ってしまうが、してしまうものはしょうがない。
そして今回絶句している理由保健医にあった。
いつもならジンタの頭半分ほど低い位置に頭の天辺の巻き上げアップした髪があるはずの保健医が、今ジンタの目の前にはウエスト然に薄い胸があったからだ。
それがどういう事か、一瞬理解出来なかった。
しかし、驚きにゴクリとツバを飲む間に、一つの答えが生まれる。
きっとこいつは何かに乗っていると。
倒れた倒木か、はたまた、ドラゴンがなぎ倒した木の切り株か。
とりあえず、ネタが分かればソレを確認すればいい。
ジンタは下を見た。
そしてゆうに三秒は地面と保健医の足を見て固まった。
――あれ? 地面とこいつの足の間に七〇センチほどの空白がある……。
ジンタの頭の中では、本来その空白地帯には木がおいてあるはずなのだ。それがなく、透かしたというとか、何もないように向こう側の地面が見えている。
「あ、あれ?」
思考が動き出して、さらに五秒して、ジンタは口が動いた。
「あれれ? ちょっと、あんた一体どんなマジック使ったんだ?」
魔法を扱うマスターであるエルフに、マジックと言うのも滑稽だが、ジンタはそう尋ねてしまう。
「マジック……か。そう思いたくなるのも分かるが、そうではない。――いやタネがあると言う意味では、これもマジックかも知れないな……」
ふわふわとした感じで浮いたまま、保健医は眼鏡を押し上げた。
「おいぃぃっ! ほんとにこれどうなってんだよっ!」
人は考えが纏まらず自分の中で答えが導き出せない時、答えを知っていてほくそ笑んでいる奴に、八つ当たりするように切れるモノだ。
特に、いつも言い合いをしているような間柄であればなおさら。
「ちょっ、君、白衣の襟首を掴むのはやめろ! いま説明するから、だから引っ張るな、バランスが――ああっ!」
早く教えろとばかりに必死に揺さぶるジンタに向かい、保健医が覆い被さるように落ちてきた。
「いたたた……」
「まったく、君は少し落ち着きってもんを……」
「あんたがもったいぶるからだろ」
起き上がろうと、ジンタが保健医を退かすように手を伸ばす。
ぺたっとした手応え。
「「あっ」」
それがどこに触れているかなんて言うまでもない、二人の視線は保健医の胸に向く。
「き、君っ!」
「いや、悪ぃ。でもそんな感触一切なかったからっ!」
「はぁ~~~ッ!」
「あ、いや、なんかちょっと、少し、微かにあったような気もする……」
バキッ!
起き上がった二人だが、ジンタは元々ドラゴンの血で真っ赤だった顔から、まだ真新しい自分の血が鼻から流れていた。
「あ、あのそれで……、そのあんたが浮いていた理由のタネ明かしをして欲しいんですが……」
上っていた頭の血が、鼻から多少でも出たことによって、なんとか落ち着きを取り戻したジンタが、理由の説明を今だ機嫌悪そうにしている保健医にお願いする。
「分かっている。それを説明するために君一人を呼んだのだからな」
完全にプンスカモードの保健医だったが、おもむろにポケットの中に手を入れると、さっきの石ころを取り出した。
「それ石ころだろ? しかも何だよ四つって……」
「確かにこれは石ころに見える。しかしこれは普通の石じゃない」
時々、保健医はこうしてもったいぶった言い方をする。
そう言う時はいつも、さっさと先を言えよ! と苛立ち加減に促すところだか、さっきの失態? もあり、ジンタは代わりに眉根を寄せ睨むことで、早く説明しろと促した。
「ふむ、これはタダの石ではなく、『浮遊石』だ」
自分でさっさと言えと促すように寄せていた眉根が、より一層深く溝を作る。
「『浮遊石』?」
とりあえず、頭が理解出来る前にくり返し言ってみた。
「そうだ、これを持つと宙に浮ける。さっきの私みたいにな」
寄せていた眉がぴくっと動いて、ジンタはとりあえず右手を保健医にだした。
「ちょっと俺にも貸してくれるか?」
言っている言葉とは裏腹に、疑いに満ちた目元、怪訝にヒクつく笑み、痛々しそうな人を見るよう瞳、つまり半信半疑だ。
「なんだ、その如何にも私は信じてません、と言ってるような表情は……」
すっごく嫌そうな顔で、しかし保健医は一つだけ『浮遊石』なる石をジンタに渡した。
持った感じ、それは本当にタダの石だった。
微妙に軽いような、ザラザラする感じがしなくもないが、はっきりいって石の範疇からでるほどではない。
そして、その石をただ、もっただけでは別段浮く感じもしない……。
「おい――――」
「魔力を石に込めるんだ」
ジンタが避難の声を掛けようとしたが、保健医は被せるように説明してきた。
「魔力を?」
「そうだ」
ふむ、と頷いて、ジンタはゆっくりと『浮遊石』に向け、魔力を意識を送り出す。
最初は、普段それが当たり前でまったく気にもしていなかったが、重力により自分そのものが下に引っ張られていたんだ、と感じられるようにふわりと体が軽くなった。
そしてもっと魔力を込めると、その軽くなる感覚、今まで下に感じていた重力のような感覚が上に空へと向け働き出した。
「お、お、おぉ、おおおおぉ」
足をばたつかせるも、ジンタの足の裏はもう地面から離れていた。
「おい、これどうやって降りるんだ?」
地に足が付かないことがこんなにも人を混乱させるとは思っていなかったが、このまま空の彼方、この世界が階層になっているのなら、その階層の天井まで飛んで行ってしまうんじゃないかと、ジンタはパニックになっていた。
「そう慌てるなよ君。実は、君が慌てている姿を見て、私はすっきりとした気持ちになっているんだが」
本当に楽しんでいるのだろう、保健医の口元がにこっと笑みを作る。
「いや、マジで! マジでどうすれば――――」
「魔力を流して浮いているんだ、その供給を止めればいいに決まってるだろ」
青ざめながらも必死のジンタに対し、あっさりと保健医は答えた。
「あ……なるほど」
言われてみればその通り、何にも慌てる必要など一切なかった。
ジンタは、ゆっくりと『浮遊石』に魔力を流すの止める。
それに合わせるように体が下がり地面に足が付き、自分の体の重さ、つまり重力を感じた。
「いや~~、すごいなこの石」
「そうだろう、そして追加で教えておくとだな、その程度の大きさの石ならいいとこ、一メートルほどまでしか、浮き上がれないと思うぞ」
「そうなのか?」
「扱う者の、魔力量にもよるが、普通程度ならそれ位のはずだ」
「ってか、あんたこの石のこと詳しいのか?」
「詳しくはない、がこの階層で、こんなレアなものが手に入るとは思ってもいなかった」
「もっと上の階層なら取れるのか?」
「取れなくはない、と言いたいが、果たして今も取れるのかどうか……、とりあえずこの『浮遊石』がとても貴重なのは確かだ」
「ふむ、とりあえず、これがあれば次ドラゴンが来た時、地面が揺れるのを回避できるな」
ぐっとガッツポーズをし、より勝ちに近づいたことを喜ぶジンタだったが、
「いや、それは無理だ」
保健医は手に持つ四つの『浮遊石』に目を落とし断言する。
「なぜ?」
勝ち気になったところに水を差され、少しカチンと来たジンタ。
「さっきも言ったろう。この程度の大きさでは人一人を一メートルほどしか浮かせられない。つまり、いいところこの石を持つ四人だけ」
「四人だけ……」
「当然、割れば、それだけ体積が小さくなり効果も下がる」
「じゃあ、たった四人だけしか――」
「しかも、さっきも言ったが、これは魔力を扱える者じゃないと持てない、つまり――」
「マスターだけしか……」
「そう言うことだ」
ジンタは普通の『召喚されし者』と違い獣人石を持たない。だから獣人化も出来ない。
そして通常、マスターであるエルフ達から、互いを繋ぐ赤い糸(マスターしか視認出来ない)が繋がり、そこからマスターの魔力を分けてもらう。
その魔力は『召喚されし者』の胸の真ん中にある『獣人石』に力を与え、その魔力のお陰で通常三〇才ほどになると完全な石と化し、『獣人石』は輝きを失い、獣人化も失ってしまうのだが、その現象を止めることが出来るのだ。
他にも、いろいろな特典はある。
不老になるとか、回復が早くなるとか(これは微妙すぎて判断が難しい)などなど。
そしてジンタにはその『獣人石』がない。つまりミリアから送られてくる魔力が行き着く場所がなく体の中を巡っている形になるんじゃないかと、目の前の保健医は言う。
結果、代わりにマスターであるミリアとの繋がりで流れてくる魔力を扱うことが出来るのだ。
「そうなると、この石は勝手が良くないよな?」
「まあな、そうなるだろう」
普通に考えて、ジンタをはじめ、『召喚されし者』はマスターの召喚によって喚ばれているわけで、その役目は永遠の時を一緒に家族として生きること。
そして、一生を掛けて自分達を召喚した『召喚せし者』であり家族でもあるエルフのマスターを守ることが役目とも言える。
守るべき対象、家族で娘や妹や弟的存在を、戦いの矢面に立たせるなど、誰も望まないし通常はしない。
多少の例外、自分から突っ込んでいく(ミリア)。少し体を鍛えさせる(エルファス)などもあるが、それも家族達は最大限に自分の身を盾とする覚悟をして成り立っているのだ。
つまり石が扱えるからと言って「前に出て戦え」など、言うはずもないしありえないのだ。
――そうなると、現状ではこの石。
ジンタは保健医が持つ四つの石に目を落とし考える。
――自分以外で扱えそうなのは…………………………。
自然と、ジンタの視線は上に上にと向かい、保健医の顔に辿り着く。
「おい、その薄ら笑いと、見つけたみたいな目はやめろ」
「いや、あんたなら一応エルフだし、例え傷付いても、いやぶっちゃけ死んでも誰も気にしないというか」
「君はほんとぶっちゃけたな! 確かに私にはもう家族はいない! しかし、私が死んだらこの階層の最高のヒーラーがいなくなるんだぞ?」
「いや、もうロンシャンあたりなら『ハイヒール』も使えるだろ?」
「ぐっ……」
保健医が、よろめくように後退る。
ジンタそんな保健医に向け、ふっと真顔になる。
今まで聞かなかったことがある。
今まで聞けなかったことがある。
何度となく、さりげなく聞こうともした。
しかし、それはどこか互いに避けるように躱してきていた。
それを今、この場で聞こうと思った。
弛んでいた空気が少し張る。
保健医も少し雰囲気を悟ったのか、ゆっくりと真っ直ぐに立つ。
一呼吸の間をとって、ジンタが口を動かす。
「そういえば今まで気にしなかったというか遠慮していたというか聞かなかったけど、あんたも一応マスターなんだろ。一体俺達のような『召喚されし者』であるあんたの家族達はどうしたんだ?」
言い切った。
すっごく緊張したし、何度も言葉が詰まりかけて止まりそうにもなった。
それでもジンタは言い切った。
いつもはすました顔の保健医、その眼鏡の奥の金色の瞳が一瞬激しく揺るんだ。
「まあ、なんだ、な。こういう付き合いをしていれば、いつかは聞かれることだと思っていた。だからだろうな、我々教師や役所に務めるエルフ達は、普段から接触を避けてこぞって友達を作りたがらないのは……」
そこまで言った保健医は、赤くなり始めている夕焼けに染まりはじめた空を一度仰ぎ見て、息を吐いた。
「君も、何となくそう思っていたのだろう? だから今まで聞けなかった。いや聞かせない雰囲気を私を含め、全員が発していたのだろうな」
自虐気味に「ははっ」と保健医は笑う。
ここで止めようとも思った。これ以上は触れてはいけないとも思った。
しかしジンタそれらを口にするのではなく、グッと地面に向け垂らした手で自分のズボンを握り絞めることで抑えた。
「君の予想通りだよ。第一階層やこの階層にいる大人のエルフ達は、自分の喚んだ『召喚されし者』、つまり家族を全員失った者達なんだよ」
何となく分かっていた。
予想はついていた。
それでも、本人の口から聞きたかった。
ジンタは沸き上がってくる衝動が口から漏れ出ないよう、血が出るほど唇を噛みしめる。
「死んだ者の代わりに新しく召喚するってことも可能ではあるんだけどな。我々はそれを望まなかった。家族一人だけを失った者なら、他の家族がいて、その者だけにつらい思いをさせたくないと、新しく召喚することも考えられるだろうが、な。家族全員を一気に失い、自分だけ生き残ってしまうと、もう一人がいいと、もう家族はいらないと、思ってしまうんだよ」
きっと、もう数百年も前の話なのだろう。
まだ二〇才前後のジンタには、到底理解出来ないほど長い月日を経ているのだろう。
それでも、今目の前に立つ女性には昨日のことのように感じられているのだろう。
普段はからかい合い、ののしり合い、バカを言い合う間柄のその女性の瞳が、家族と一緒にいた昔を、昨日のことのように思い出しているのが、ジンタにも分かった。
聞いてしまった。
今まで避けていたこと、きっと聞いても答えられないことだろうと知っていた。
いつものように笑いながら、それでも――なんて言えることはないと。自分ではそれを癒やせる言葉をかけてあげることは出来ないと分かっていたことを。
声を掛けられない、ただズボンを手が真っ白になるほど強く握り絞めるしか出来ない無知な自分。
唇が真っ青になるほど、噛み締めて堪えるしか出来ない役立たずの自分。
重苦しく押し黙ったままの時間が流れる。
それがふっと弛む。
「昔のことだ。それにそれは私の思い出であって、君の思い出ではない。あまり気にするな」
保健医の優しい言葉。
しかし、それでもジンタは声を出せなかった。喉の奥に蓋がされているように。
ぽんっと肩に置かれる保健医の手。
「君は家族を失うなよ」
それが喉の奥の蓋を壊した。
「ああ、俺は失わねえ」
ジンタはそうはっきりと答えた。
「まあ、だからだな~。とりあえず私は一人者なんでな、この石を使ってドラゴンと戦うなんてことは出来ない、ってことだ」
いつものように、どこかおちゃらけたように保健医。
「まあ、そういうことにしておいてやるさ」
ジンタもいつもの軽口でそれに答える。
「そう言えば、どうして箱は開いたんだ?」
ふと、頭にそんな疑問が浮かんだ。
「私も正確には分からないんだが、ドラゴンの血を浴びた後、かな。なんとなくポケットに違和感があってな。そしたら開いていた」
「箱は?」
「それならポケットに――」
保健医が必死で自身の普段は白衣、しかし今は真っ赤に染まっている白衣のポケットに手を入れ引き抜こうとしている。
「おいおい、そんなに出せないのか?」
あまりに必死さに、ジンタが呆れる。
「なんというかな、箱が一気に開いた、というのか、今はポケットの中で紙のように平らに広がった感じでな、ポケットの内側で引っかかってるんだよ」
「それは大変だな、俺も――――」
「ジンタさ――――ん」
手伝おうか、と言い掛けたジンタだったが、後ろから自分を呼ぶ声が響いたため、振り向いた。
「どうしたロンシャン?」
走ってきてたのはジンタ達同様に真っ赤に染まっているロンシャンだった。
幾分息を切らせてはいるがロンシャンは立ち止まるなり、ジンタの腕を掴んで引っ張った。
「目を覚ましたミリちゃんがちょっと大変なんです」
心臓が一瞬ドキリと跳ねた。ジンタは緊迫した気持ちを抱いて、ロンシャンに引っ張られるまま、後を付いていった。
ちょっと遅めの正月休みだったのもあり、ここまで二日置きぐらいで書いてましたが、以降また少し遅れます。
ご了承下さい




