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討伐後

「ふ~~、わたしはもうお腹一杯だよ」

「あーちゃんも、一杯だよぉ~」

「リゼットも、もう無理だよ~」

「いや~~食った食った~~」

「おれっちも食ったぜ~~」


 例に漏れず、いつもの面々が長老宅の食事の誘いに一切の遠慮をせずに目一杯を食べ尽くした。


「あ、あの、本当にここまでお世話になってしまい、ありがとうございました。本当に美味しかったです」


 ごろんと寝転がり手足を大の字に伸ばし、如何にも満足そうに横になっている五人を何とも言えない目で見た後、イヨリが長老にお礼を言う。


「イヤイヤ ワレラモ コウシタモテナシハ ヒサカタブリジャ アレホドミゴトナタベップリ ジツニキモチヨカッタ」


 半魚人の大きな口を満足そうに持ち上げる長老。


 クラーケンの討伐が終わり、さて戻ろうとなったのだが、如何せんジンタを始め全員の疲れや消耗具合がひどかった。


 結果、長老や集落の皆さんのご厚意もあり、今日は集落でお世話になることになったのだ。


 もう一度温泉にゆっくりと浸かり疲れと汗を洗い流した後、こうして食事(主に材料は倒したクラーケン)を頂いたのだ。


 イカだった時の足はイカの味。タコと成った部分はタコの味、とクラーケンの実に見事な妙味さに、ジンタを始め全員(これに関しては集落の皆さんも同じだった)が最初戸惑った。しかし、食べ始めてしまえばイカとタコ、焼いて良し煮て良し、組み合わせて良しと絶品だった。


 そんな食事も終わり夜寝るまでの一時を、ジンタ達は各家族に用意された家でゆっくりとくつろいでいた。


 長老から借りた浴衣を着たジンタは、テーブルに置かれたお茶のような飲み物を啜る。

 テーブルの向こう側では、本当の姉妹のように、浴衣を着て同じような仕草で寝ているミリアとあーちゃんがいる。


 そしてイヨリはもう一度温泉に行っている最中だ。


 まるで、自分の生まれた世界の温泉宿のようなところだなと、ここ最近めっきりと思い出さなくなった過去をふっと思い出した。


「あっ」


 思わず声が漏れた。


 昔を思い出したと同時に、ジンタは思い出した。


 ――そうだ、あのクラーケン。俺はあいつを知ってたんだ……。


 自分がこのリリフォリア世界にやって来たのはミリアに喚ばれたからだが、そもそも、喚ばれる原因と関係あるのだろう、あのゲーム媒介。


 ――階層伝説リリフォリア。


 あれでジンタはクラーケンと戦っていた。


 あのゲームでは、逆だった。タコから始まり最後はイカに成っていた。

 しかも、海ではなく地上で戦うボス扱いだった。


「む~~~~~」


 一頻り、唸りながらそのことを思い起こす。


 しかし、どう考えても、あのゲームで戦ったクラーケンより、今回の方が強かった、ように思える。


 まあゲームと現実の違い、だろうな。


 ジンタがそう結論付けようとした時、後ろからイヨリがジンタに声を掛けてきた。


「あのジンタさん、本当に今日は行くんですか?」


 ハッとなり、ジンタは振り返った。


 イヨリは、心配そうな、それでいて少し拗ねたような表情をしてジンタを見下ろしていた。そして続け様に口を開き、


「今日は色々とありましたし、もしよろしければこの話は後日と言うことにした方が……」


 テーブルの向かいに行き、正面になるように座ったイヨリはそこで口をつぐむ。


 ほかほかと湯気が立ち上っているの見ると、もう一度温泉に行って来たのが良く分かる。

 艶のある真っ黒髪にちょっと紅潮している肌、そして浴衣がよく似合う。


 まるで新婚旅行だなぁ、と思ってしまうが、ジンタはそれを口にはせず、「あ~~」と言葉を選ぶように頭を掻いた。


「いや、多分だけど、あの約束は今日が一番有効的だと俺も思うんだ」


「ですが、雪目さんは第二段階に成ったのですよ? もし今の疲れ果てたジンタさんが抵抗してもきっと敵わないかも知れないじゃないですか……」


 飄々とした感じで答えたジンタに、もう少ししっかりして下さいとばかりに、頬を膨らませ、きっと睨むイヨリ。


「うん、まあ襲われたら確かにまず俺じゃあ勝てないよなぁ……あははは」


 さっき以上に飄々と、まるで何にも考えてなさそうにジンタは答える。

 何かほっとする瞬間に思わず意識が弛む。


「む~~~~」と唇を尖らせ唸るイヨリを、頼りなさそうな眠そうな困った笑みで向かえるジンタ。


 そこに家の引き戸がとんとんと叩かれ、返事も待たず浴衣の袖を捲ったミトが入ってくる。


「おうジンタ」


 気軽に片手を上げるミトに、ジンタはふよふよとした感じで軽く手を上げ返し、イヨリは頬をフラませたまま、ミトを睨んだ。


「ちょ、なんかイヨリさん怒ってないか?」


 大仰に身を竦める動きを見せるミトに、ジンタがあははと笑う。


「いや~、今日のあの雪目さんとの約束のことで、色々と心配してるらしいんだよ、イヨリは」


「ああ、その事か。でもおれから言わせてもらえれば、今日が一番あの約束を果たすには絶好の日だぜ」


 ミトは、それこそイタズラな笑みを口に浮かべていた。


「どうしてですか? ジンタさんは今一番疲れがピークで第二段階に成った雪目さんに何かされそうになったら、きっと抵抗出来ませんよ!」


 あはあは、と間の抜けた様な力の無い顔で笑うジンタと、くっくっくっと悪代官のように笑うミトに対し、イヨリが納得出来ないように告げる。


「ん~~、でも今日を逃すと、それこそジンタの身が危ないと思うし、おれも気が気じゃなくなると思うぜ、イヨリさん」


「ん~~~」とまだ納得出来ないようにイヨリはジンタとミトを睨んで唸る。


「まあイヨリ、そんなに心配なら明日の朝一番、雪目さんと俺の居る家にくればいいよ。なぜ俺達がこれだけ今日が良いと余裕を持っているのか、きっとそれが分かるから」


 そこまで言って、ジンタはよいしょと重い腰を上げ、立ち上がる。


「ミトが来たってことは、そろそろ時間なんだろ?」


「そうだった、雪目の奴が落ち着かないようにオロオロしてっから、おれがジンタを呼んで来るからもう一度温泉入りに行ってこいと伝えておいたんだ」


「そうか、じゃあそろそろ行っておかないと、後で難癖付けられちゃ敵わないしな」


「そうだぜ、今回が一番のチャンスだ。しっかり雪目の出した命令通りにやっておかないと、今回は無効ですから、とか言われたら敵わないぜ」


「そうだな」


 ミトと二人でへらへらと会話しジンタは、「ん~~~~っ」と今だ納得出来ないように唸り唇を尖らせているイヨリに、心配するなというには頼りなさげに手をヒラヒラと振ってミトと一緒に部屋を出た。



           ※※※※※※※※



 雪目は浮かれていた。


 説教と言うにはおこがましいが、今回の件において、みんなが自分や水音やラーナを置いて行ったことに関しては多少の怒りもあった。


 しかしそもそもだ、マスターであるエルファス達の行動を同じ場所に居ながらきっちりと気を付け、把握出来なかった自分達も自分達なのだ。


 だから、クラーケンを第二段階と成って倒した後、体力気力共にズンッと疲れが押し寄せてきた時、正直に言えばジンタを始めみんなに対する怒りなどというものは、ほとんど存在しなくなっていた。


 しかし、いざみんなの元へ戻ってみるとどうだろう。


 全員が済まなさそうに謝ってきた。


 普段であれば、いえ、私も言いすぎました。と前で頭を下げるみんなと同等以上に平謝りするのだが、なぜか今回だけは、ついつい調子に乗ってしまった。


 第二段階に成れたことに浮かれていたのもあるだろう。

 みんなが倒しきれずに困っていたモンスターを自分が倒した、と言うのもあるだろう。


 とりあえず雪目にしては思いっきり調子に乗り、普段であれば絶対にそんな雰囲気の中で言わないだろうことを、つい口にした。


 それは、


『今日のことは私も許せません。もし本当に反省する気概があるのでしたら、ジンタさんは今晩私と一緒の部屋で寝て下さい』


 普通になぜそうなる? と意味が分からないにも程があることであったのだが、聞いた全員が恐らく逆らえない雰囲気になっていたのだろう、一瞬ぐっとなった。


 気まずそうな沈黙が数秒流れ「冗談ですよ~やだな~」と言おうとした雪目だったのだが、その直前リカが、


「まあ確かにそうですわね。今回は作戦としてはあまりに穴だらけでしたし、雪目さんがお怒りになるのも分かりますわ。もし私もロンシャン様がエルファス様のような目に合わされたとしたら、真っ先にジンタさんを斬り殺しますから」


 などと、より雰囲気に深みを増すことを口にした。


 隣でロンシャンがリカを窘めるが、もう場の雰囲気は、冗談でしたと言えなくなってしまうほど重くなり、雪目自身ではもうどうしようもなく、成り行き任せにしたところ。


 自身の家族であるミトが、神妙そうな顔で組んでいた腕を解き、ジンタに向かって言ったのだ。


「確かに、雪目が怒るのも無理はないとおれでも思う。しかし、今回の件は突発なのもあったし、おれ達自身だって、この洞窟に落ちたのは、バカンスの一環で遊びの延長から始まってしまったことでもある」


 ミトはそこで一度言葉を切り、そしてすっと人差し指をジンタに向けて、


「だからジンタ、今回、いや今夜だけは雪目の言う通りにしてやってくれよ」


 と、まるで雪目には神に見えるような発言を繰り出した。


 ミトがそこまで言ってしまうと、流れは完全にその方向に進め始めた。


「まあたった一晩だろ? べっつにいいじゃねえかジンタ~」


 独自のノー天気な雰囲気のまま、松が頭の後ろで手を組んで言えば、


「リゼットも、一晩ぐらいならジンタと一緒に寝てもいいぞ?」


 などと意味を分かっていないリゼットが同意し、


「わたしもジンさんと一緒に寝てもいいよ?」

「あーちゃんもだよ?」


 純粋な意味でミリアとあーちゃんが同意し、同じマスターであるエルファスはそれがどういう事か意味を知った上で、


「そうですよ~ジンタさん~ 雪目と一晩ぐらいは~」


 と怪しい目をさせて乗っかった。


 反対意見を出したいだろうイヨリは、そこまで場の流れが進んでしまうとダメとは言い出せない様子で口をパクパクさせていた。


 最後に、腕を組み苦渋に顔を顰めて目を瞑っていたジンタが、ミトのヒソヒソ話しを聞いた直後、目を開け言ったのだ。


「分かった。今日は雪目さんの言う通りにします」


 と。


 そこまで話が進むと、後はとんとん拍子だった。


 時間は夕食後、就寝の少し前。


 ジンタが雪目と二人っきりの家で話をして、後二人で一緒に寝るとなった。


 これは何のいたずらか、昔母親から聞いた、いつも側にいて、しかし目では見えない雪神様なる者の私に幸せになれとの采配か。


 などと、思わず雪神様を拝んでしまったほどだ。


 それからの雪目は常にぽーっとしていた。


 待てど待てど進まない時間を相手に。


 何とか進んだ時の中、集落の方が用意した食事を味も分からず口に放り込み。


 ただ、なぜか、ことあるごとに熱心に温泉だけは何度も入った。


 ――今夜のために!


 そして遂に、その時が来た。


 家族達にとあてがわれた部屋の中で、ミトが立ち上がった。


「さって、じゃあおれはジンタを隣の家に呼んでくるから、雪目は最後にもう一度温泉入ってくるだろ?」


 その言葉は強制的ではなかったのだが、雪目には自分の方から先に待つなど到底耐えられなさそうなので、何度も強く頷いた。


 先にミトが部屋を出た。次いでバスタオルを手に雪目が部屋を出ようとした時、エルファスが目をキラキラと輝かせて、


「頑張ってね雪目!」


 体の前で両腕を折り、グッと応援するように両手でガッツポーズをした。


「は、はい。私頑張ってきますよエルちゃん」


 感涙し、雪目は敬礼して部屋を出た。


 借りている家を出て、温泉へと向かう途中、


 ――今日は水音さんにも色々感謝しなくちゃいけませんね。


 温泉に入り長老宅で食事をし、部屋に戻るなり疲れ果てたように眠ってしまった水音に心の中で今日何度目かのお礼を言う。


 洞窟内、昼間は洞窟内の石が発光し明るいが、何故か夜になると、その数が減り、まるで夜空のように暗く天井を仄かに照らす。

 早くに寝て、早くに起きるのがこの集落の習わしなのか、時刻的にまだ夜の八時を過ぎたばかりなのに、辺りはしんと静まり返っている。


 暖かそうに湯気を立ち上らせる温泉に着き、見える範囲では誰も居ないことを確認した雪目は、長老から借りていた浴衣を脱いだ。


 無言で温泉に浸かり数分、体の芯から温かくなり始める。


「さて、この雪目の一世一代の時がやって来ましたわ」


 高まり、頭に上る血流を落ち着かせるように、ぱしゃりとお湯を顔にかける。


 それでも収まらず高鳴る鼓動。

 それを落ち着かせるように夜空のような洞窟内の天井を仰ぎ見て、すーはーと深呼吸をくり返した。


 落ち着き始めた心音を確認し、雪目は湯から上がった。


 浴衣を着て、ゆっくりと歩き出す。


 期待より不安が大きく、今までの人生で、常に期待していたことであるのに、足取りは気を抜けばすぐに方向転換し逃げ出そうとする。

 それを何とか押しとどめ縫い止めて先へと歩く。


 歩け歩け、動け動け、と念じながら歩いていたせいか、気付けば目の前にジンタが待つ家の入り口があった。


 立ち止まり、引き戸に手をかけようとするも、色々と自分の中で逡巡し、手を引っ込めてしまう。それを数十回。


 このままでは埒があかない。自分でもそう気付いた雪目は、深呼吸をし覚悟を決める。 そして勢いを殺さずに引き戸を開けた。


 ガラガラガラ、ッドン!


 勢いよく開けたせいか、引き戸がかなり大きな音を響かせ行き止まりのための柱にぶつかった。


 その音に雪目自身が一番驚き、つい「す、すいません」と、溜めていた覚悟を霧散させ、小さな声で呟いてしまった。


 はっとなり、口元に手を当てた後、もう一度深呼吸。


 そして玄関に入り引き戸をゆっくり閉める。


 部屋の中は真っ暗だった。


 しかし、確かに誰かがいるのが分かった。


 微かだが人の気配を感じるし、良く耳を澄ませば、規則正しいまるで寝息のような息遣いが聞こえた。


 草履を脱ぎ、玄関から部屋へと上がる。


「お、お邪魔します……」


 最小の声音で呟き、雪目はゆっくりと部屋の中を歩いた。


 大して広くない部屋では、もうテーブルは退かされ、布団が二枚敷かれていた。


 右側はこんもりと盛り上がり、そこにジンタが寝ているのだと雪目にも分かった。

 だから、恐る恐る隣の布団に自分も入った。


 心臓が破裂しそうなほどバクバクと動いているのが分かる。

 種族雪女である自分は常に普通の人より体温が数度低いが、それが今はかなり跳ね上がっていることが体のほてり、顔のほてりで認識出来る。


 落ち着け落ち着けと、何度も自分にそしてドクドクと体を叩くような音で響く心臓に言い聞かせる。

 しかし、一向に落ち着く気配はなく、むしろ悪化しているのか、より一層さっきまで以上に顔が猛烈な熱を帯びていく。


 ――こ、これはまずいですよ、早くどうにかしなければ。


 高鳴り早まる鼓動に、雪目は慌ててしまう。


「あ、あの、きょ、今日は、よ、よろしくお願いします」


 精一杯に大きな声を出したつもりだが、ほとんど声になっていないほど小さいのが自覚出来た。


 それでも、ここまで来たからにはと、人生最大の見せ場、初夜と言ってもいいこの日のため、勇気を振り絞り隣で眠るジンタの布団に潜り込もうとした雪目だったが……。



 ――…………あ、あれ?



 異変が起きた。



 ――あ、あら? な、なぜ?



 何度も、ジンタの布団へ潜り込もうと腕を伸ばしても、まったく腕が動かない。いや、どうも腕だけではない。

 気付けば布団を被った状態で横向きに縮こまった体勢のまま体がまったく動かなくなっていた。


 ――こ、これは一体……


 早く行かなければ、でも体が動かない、色々混乱する頭で必死に考えるが、どうしてなのかさっぱり分からない。


 しかしどんなに動こうとしても、まったく体が動こうとしない。まるで心と体が別々になったように感じるほど、雪目の意思に反して体は動いてくれなかった。


 そうやって何度も動こうとした結果、雪目の頭はいつしかいつもの平常性を取り戻し、冷めた。


 ――ま、まずい、一生に一度の幸運が、初夜が、このままでは逃げてしまう……。


 さーっと、元々ないに等しい血の気が引いていく。


 ――ここまで来たのにこのままでいられるものですか!


 奮起し、答えを導き出した雪目の脳と意思は、最大限の力を絞り出すように体に命令を出す。


「ぐぎぎぎぎぎぎぎ…………」


 歯を食いしばり、顔中に血管を浮かせて必死に動かそうとする。


 ……こ、このまま、このまま終わらせるわけにはいかないです‼‼


 さっきまでの気恥ずかしさや躊躇などというものは全部吹き飛び、いつもの以上に必死な雪目は、死に物狂いでジンタの布団へと動こうと意識を馳せさせる。


 布団の中で鼻息を荒げポタポタと汗を滴らせ、蒼白な顔を真っ赤にさせるほど渾身の力で動こうとするが、体は一切答えてくれない……。


 それでも諦めきれない雪目は、何度も休憩を挟み、必死で体を動かそうと、やり方を変え、タイミングを変え、色々と試した。


 その日の夜中じゅう、ずっと…………。


 きっとこの日、二人の居る部屋の様子を外から聞き耳を立てている人がいたとしたら、雪目の艶めかしくも激しい息遣いだけが聞こえただろう。


 何も起きていない部屋の中と違って…………。




           ※※※※※※※※




 朝、何時にもまして早起きをした――いや正確には一睡もせずクマを張ったイヨリは、どこから聞こえてきているのか分からないニワトリの鳴き声を聞きながら、急いでジンタと雪目のいる家へと走っていた。


 昨日ジンタは大丈夫だと言っていたが、その言葉を信じないわけではない、しかし、それを信じ切れるほど、イヨリだって落ち着いていられるはずもない。


 この世界、リリフォリアは男女比一対九以上と言われているし、イヨリにもそれは正しいと思えた。


 そんな世界の中で、一人の女が一人の男性を束縛するのはわがままであるのはイヨリにも理解出来る。


 まだ人を好きになる事を知らなかった時は、それが当たり前だとイヨリも思っていたし、いつも周りに女性を連れている男の人を見ても、それが普通なのだとも思っていた。


 でも、だ。


 それは人を、一人の男性を好きになったことがなかった時だからだ。

 やっと気持ちが通じ繋がった相手が、誰か別の人と一つ屋根の下で一緒に寝ることを聞いて、イヨリは落ち着いていられなかった。


 今でこそ落ち着いてきてはいるが、それこそ好きだ時付いた当初は、別の女性と話しをしているのを見かけてもいい気はしなかったし、笑っていたら彼はきっとあの人が好きなんだと、落ち込むこともあったほどだ。


 それほど一喜一憂し、やっと一緒になった相手が別の人に目を向けるのは、悲しいと想う反面、怒りを覚えてしまう。


 自分の中のいろいろな感情が止めどなく溢れ渦巻いて、自分を分からなくさせる。


 今向かっている先で、ジンタがもし雪目と一緒に寝ているの見たら、自分が何をし出すか自分でも分からない。


 その場で崩れ泣き出すのだろうか。


 怒りに我を忘れて襲いかかるのか。


 それとも、この色々と荒れ狂う感情全て吹き飛び、何も想わなくなるのか。


 どうなるのか自分でも分からない。


 それでも今は、どうなるのかまったく分からない中、ジンタの元に行かなくてはならないのだと理解していた。



 渦巻く感情の本流を体に宿したままのイヨリの視界に、ジンタ達のいる家が近づく。


 走ったせいもあるだろう、しかしそれだけではない心臓の高鳴りがバクバクと胸と体を叩く。


 それを押し止めるように、一度胸前で両手を組む。


 数度、落ち着けと諭すように大きく深呼吸をくり返し、イヨリはゆっくりと引き戸に手をかける。


 目を瞑り、覚悟を決め、引き戸を引く。


 ガラガラガラッッドン‼


 勢いを付けすぎたのか引き戸は家を揺らすほどの勢いで柱にぶち当たった。


「あっ!」


 と、思わず声が漏れた。


 とりあえず、叩き付けた柱から申し訳なさそうに、気持ち分だけそっと引き戸を戻した。


 ほっと、何故か一安心したイヨリに、


「んあイヨリか? おはよう」


 寝起きなのが聞いてるだけで丸分かりなジンタの声が聞こえた。


 びくっとなるが、声のした方へイヨリは目を向けられない。


 どうしても、躊躇し戸惑ってしまう。


「ん? どうしたんだイヨリ?」


 自分の中のやるせなくも焦り憤る気持ちをまったく知らずに、何事もないように気軽に声をかけてくるジンタに、幾分むっとしてしまうがほっとする気持ちもある。


 大きなアクビの後、「ん~~~~~っ」と体を起こし伸びをしているのだろうジンタの声が聞こえる。


 そこまで行くともう覚悟を決めるしかない。

 イヨリは、思いっきり息を吸い込んでから息を止め、一気に部屋の中へと顔を向けた。


 まず目に入ったのは、大きく伸びをして、アクビのせいで出たのだろう涙を浮かべた、間抜けにも程があるほど間抜けな顔をこちらに向けたジンタだった。


「おはよう」


 腕をぱたりと布団に下ろすと同時に、肩もがくんと下げてジンタが気の抜けたような声を出す。


「お、おはようございます」


 返そうとした、と言うよりは条件反射的に口が動き、ぺこりと頭を下げた。


 ハッと我に返り、頭を上げジンタを見る。


 当のジンタは、ゴキゴキと頭を左右に動かしていた。


 その仕草はイヨリもよく知っている。寝起きの際、いつもジンタがしている仕草だった。


 至って平然としているジンタの行動に、イヨリの方が困惑してしまう。


 ひょっとしてこの人は、他の人とそういうことをしても平然としていられる人なのかしら。それともいつもの慌てふためく様が演技で、実はかなりどうどうとした態度が出来るとか……。


 自分の心配する気持ちが、ある一定以上を越えての相手のこの態度。

 逆に心配していた相手が疑わしく思えてきて、イヨリは押し黙りつつも、ついジンタを睨んでしまう。


「あのジンタさん」


「ふぁ~~~、ん? 何?」


 話掛けると同時の大欠伸、それすらも今のイヨリには演技に見えてしまう。

 猜疑心がもたげてきて、今やそれ一色になりかけているイヨリの心を映すように、目は疑わしそうに細まっていく。


「雪目さんは……どうしたんです?」


 思いっきり、疑うような低い声が出て自分でも信じられなかったが、今の自分の心境そのままでもあるのだ、と納得もしてしまう。


「ん? んん~~~~……」


 ジンタが、イヨリの気持ちに気付いたのかどうかは怪しいが、少し真面目な顔になり、唸りながら隣の布団を見た。


 確かに布団は盛り上がり、人が一人、入っているようには見える。が、何故そのままでいるのかが分からない。


 二人に色々とやましいことがあり、それで咄嗟に隠れたにしても浅はかすぎる。

 そもそもジンタと二人で寝る、そういう予定になっているのだから、雪目からすれば隠れる意味もないはず。


 布団の中に隠れているとはいえジンタと自分の話は聞こえているだろうことは容易い。 部屋の沈黙がジンタと二人、布団をじっと見ていることも雰囲気で分かってもいいものだ。


 しかし、まったく動く気配がない。


 どれくらい待っただろう。いい加減話掛けようとしたその時、


 ――――う、うぅ……


 すすり泣く声が聞こえ、布団がその声に合わせ微かに上下した。


「ゆ、雪目……さん?」


 くぐもって聞こえる声は、誰だか判断出来なかったが、今の状況を鑑みて、イヨリは雪目の名を呼んだ。


「は、はい……、う、うううぅぅ……」


 返事はあった。しかしその声は、布団の中、くぐもって聞こえるのに、イヨリには悔しげでやり切れなさそうに聞こえた。


 もう一度ジンタと目を合わせると、ジンタはコクンと頷いてから隣の布団を一気に捲り上げた。


「う、うううぅぅぅぅ」


 クリアになった声は、やはり悔しげな泣き声を伝えてきた。


 そして開けた布団に上、横向きに丸まった形で寝たままの雪目が、大粒の涙を溢していた。


「えっと……雪目さんはずっとそこに?」


「……はい、ジンタさんの隣に行こうとしたら体が急に動かなくなりまして……、ずっと、ずっっっっっっっと、何とかしようとしていたんですが、結局今までちょっとも動かせずに……」


 うううぅ……、と恨めしそうに泣き続ける雪目。


 それが本当だとすれば、当然何もなかった、いや出来なかったことになるが、それでほっとする気持ちもある反面、あまりの不憫さに、同情する気持ちも多かった。


 泣き続ける雪目の声だけが響く中、


「イヨリさん、ちょっとごめんよ」


 後ろから元気なミトの声がした。


「ミ、ミトさん」


 イヨリは、道を譲りながら声を掛けた。


「ん? なんだいイヨリさん?」


 振り返りもせず、ミトは応じながら迷いなく家に上がり、布団で横向きに寝ている雪目を「よっと」声を出して、ひょいっと持ち上げる。


「えっと、雪目さんがそうなることを知っていたんですか?」


 確信あったはずだ。

 ミトは昨日言っていたではないか、大丈夫、今日が一番安全な日なんだと。


「あ~~うん。知っていたっちゃあ知っていたかな」


 なははは、と開いている手で頬を掻く。


「えっと、雪目さんのそれって一体……」


 なおも問いただそうとするイヨリの横を通り抜け、雪目を抱えたミトが言う。


「あ~~、一応ジンタも知ってるからさ、ジンタに聞いてくれると助かるかな? 一応雪目がこうなることは知っていたけどさ、やっぱ、さすがに可哀相になってきちまうし」


 なはは、とさすがに少し悪い事をしたなと表情が語っている。


 おいおいと泣き続ける雪目を肩に担いだまま、ミトは自分達に用意された家へと消えていった。


 それを見送った後、イヨリは気まずさを思い出した。


 こうなることを知らなかったとはいえ、思いっきりジンタを疑ってしまったわけで、しかもその態度が見て取れるほどだったのだから。


「え、え~~~と……」


 流れる気まずさに、一応の前振りを入れ、イヨリはジンタに振り向いた。


「あ、あのジンタさん……、雪目さんのあれは一体……?」


 イヨリがジンタに問う。心苦しさと申し訳なさに目を逸らしながら。


「うん、あれって第二段階に初めて成った時の反動だよ」


 完全に起き上がり、イヨリの元へと歩いてきながら、ジンタは首をもう一度ゴキゴキ鳴らしながら言った。


「反動…………」


 聞いた直後は、よく分からなかった。そして口にした瞬間、思い出した。


 ゴブリンとの戦い、あの時初めて第二段階に成ったミトと松が、次の日ガチガチの筋肉痛で動けなかったのを。

 確か、もう一人、リカも成っていたが、あの人は重傷だったため、筋肉痛を自覚すらしていなかったが……。


「つ、つまり、雪目さんは第二段階の反動で……?」


 並び歩きながら、話を続ける。


「うん、まあミトや松とタイプが違うから、どういった症状が出るかは分からなかったけど、ミトや松みたいに日頃から鍛えている奴でもあれだけ動けなくなるほどだったんだから、雪目さんはそれこそキツいんじゃねえのかなって話をしていたんだ」


「な、なるほど……。だから今日が一番だったんですね」


 納得したようにイヨリは頷いた。


「まあそうなんだけどさ、さすがにミトじゃないけど、あそこまで悔しそうにされるとなぁ……」


 きっと布団を引っ剥がした時の、雪目の表情を思い出したのだろうジンタが、苦虫を噛み潰したような表情をして頭を掻いた。


 イヨリもさすがにあの表情は可哀相に思えてくるが、それはそれ、何となく自分も騙されていたようでちょっと意地悪をしたくなってきた。


「じゃあジンタさんは、雪目さんと色々したかったんですね」


 声を低め、つんっとわざとらしくそっぽまで向く。


「えっ! い、いやそんな事はないけど、だ、だけどだなぁ……」


 しまったと顔にありありと浮かべ、ジンタがしどろもどろに言い訳を吐く。


「嘘ですよ、さすがに私もあの雪目さんの表情には少し可哀相だと思いましたよ」


 いたずらが成功したと言うように、べっと舌を出してイヨリは言った。


「え? じゃ、じゃあイヨリは俺が雪目さんと――――」


「そこまでは言ってません!」


 へラッとしたジンタに、釘を刺すように低く言い切る。


「だ、だよなぁ。はははは……」


 バリボリと、ジンタがわざとらしい笑いをしながら頭を掻いた。


 すべてがすっきりし、ほっと安堵した時、少し遠くでジンタとイヨリを呼ぶ声がした。


 見れば、ロンシャンが手を振っているのが見えた。

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