壁画
「ふぅぅぅ~~~~~~」
体の中の色々な悩みや痛みや罪悪感や居たたまれなさなどの疲れが、吐き出した気の抜けるような溜息と共に体から去って行くの実感するジンタ。
長老や半魚人とマーメイドの集落の方のご厚意もあって、ジンタ達は彼らが日頃からお風呂代わりに浸かっている温泉に来ていた。
そこは大小の岩で囲まれた岩場の温泉らしい温泉なのだが、その広さが異常だった。
ジンタが湯に浸かり背を預けている場所から、向こう岸でバシャバシャとはしゃぎ温泉内で泳いでいるミリアとあ―ちゃんまでの距離がおおよそ五〇メートルはある。
左右にもそれ位の広さがあり、今この温泉に浸かっているのだろう、この集落の全員の人達が入っても、まだまだ全然余裕なほどの広さがあった。
「これが、温泉なんですねぇ……」
隣で座っているイヨリが少し感動したように呟く。
温泉とはいえ、当然今全員は水着のまま入っている。
お風呂は裸で! と言い張るミリアだったが、頑としてイヨリが拒絶し、最終的には「いう事を聞きなさい!」と切れたイヨリにゴチンとされ、さすがにミリアも押し黙った。
そして温泉に入ったのだが、なぜかマーメイドの皆さんは見事に胸元の水着を取ってご入浴して来ようとしていたのを、これまたイヨリが「今日だけは水着のまま入って下さい!」と長老に直談判。
「半魚人はどうしましょう?」と言う問いに、一度ジンタを見たイヨリが「一応そちらも何時も着けているものを着けたままでお願いします」と頼んでいた。
そんな訳でしっとりとした裸の付き合い的な温泉というか、ジンタが知るところでは有名なスパリゾートと言ったところに近い形の温泉となった。
「イヨリって温泉は初めてなの?」
「はい、私の生まれ故郷である集落の近くにはありませんでしたし、第一階層のラペンの近くにもありませんでしたから」
確かに、第一階層にいた時に、ラペンでそんな話は聞いたこともない。もっとも第二階層に来てからも聞いた事ないが……。
ジンタがそんな他愛もない事を思っていると、
「まあ、ジンタさんはミトさんと一緒に入ったみたいですけどね」
グサリと来る一言をイヨリが投げて寄こした。
「い、いや、だからそれは……。ほんと、ごめん……」
ぶくぶくと、口までを湯に隠しながらジンタが謝った。
「ほ、ほんと、き、気持ちいいですねぇ」
「んだ、わっち眠くなってくるだぁ……」
「よ~~し、誰が一番潜ってられるか勝負だ!」
「おれっちはミトには負けねえ!」
「リゼット、顔、お湯につけるの恐いよ!」
「また~、ミトはいっつも子供みたいなこと言って……」
「あーちゃん、獣人化して泳ぐのズルい!」
「あーちゃんは早いよ!」
「オヨギデ マケナイ」
「水の中ならぁ、負けないよぉ~」
「み、皆さん待つですわ!」
洞窟内、しかも温泉の湯気煙る先の、いたる方向からみんなの声が響いている。
「みんなも満足しているみたいですね~~」
イヨリの満足そうな言葉に「そうだなぁ~~」とジンタは返す。
しかし、返してはいるのだが、ジンタは別なところを見、別なことを考えていた。
ジンタの見つめる先には、マーメイドと半魚人が数人居た。
そこは広い温泉内に数カ所ある温泉から突き出た岩山と化した場所。
そこの岩に腰掛け、下半身の魚部分だけをパシャパシャと湯に入れるマーメイドの女性達とジンタ同様にどっしりと湯に体を浸けている半魚人達。
その光景をぼーっと見つめながらジンタは思う。
海の岩場でこの光景を見たら、いたって納得出来るのだが……。
何故だろう……、温泉でこの光景だと、魚部分が煮えちゃわないかすごく心配に思えちまうなぁ……。
などと、とんでもなく訳の分からない、でもどうしてもそう思ってしまう、自分でもよく分からない心配をしていた。
そして、そんな心配をしながら見ているジンタだが、隣に座るイヨリからはそうは見てもらえるはずもなく、
「あ、あの、ジンタさん? またどこをジィッと見てるんです?」
静かに、しかし熱気の篭もった震える声のイヨリに、ジンタはハッとなる。
「い、いや違うんだ。これは何と言うか色々思っていなくても、なんかそう思ってしまうことというか……」
「へぇ~~、どんなことを思っていたんです?」
平目だったイヨリの目が、より細められる。
「え? あ、いや、何と言うか、その~~……」
そのまま思っていたことを口にするには、近くにマーメイドや半魚人の方が多く居て、説明出来ずに口籠もるジンタ。
むむむ~~~、と本気で顔を近づけてくるイヨリに首を背けた時、
「ジンタさんっ!」
ロンシャンが、偶然とはいえ今日二度目の助け船を出してくれた。
「おぉ。どうしたロンシャン、何か問題でもあったか」
ジンタは、スクッと立ち上がった。
チラリと見たイヨリは、大きく頬を膨らませていた。
そんな顔も可愛いなとは思うが、やはり怒らせるは何とも申し訳ないと思ってしまう。
以後気を付けようと、心に決めつつ、ジンタは歩き出した。
ジンタが歩き出すと、後ろで立ち上がる音がした。
きっとイヨリだろうと思いながら、ジンタは進んだ。声のしたロンシャンの方へと。
「ジンタさん、こっち、ここです」
歩くジンタの耳に、ロンシャンの興奮気味な声が温泉の中に立つ一つの岩場の反対側から響いてきた。
「どうしたんだ、ロンシャン?」
言いながら、ロンシャンが食い入るように見ている岩場を見る。
「こ、これは…………」
ジンタもその部分を見て、声を止めた。
「これ、何だと思います? 僕には悪ふざけだとは思えないんですが」
興奮し、ジンタに顔を向けるロンシャン。
しかし、ジンタはそれに答えられなかった。
ロンシャンが見ていた場所は、広い温泉の真ん中辺りに出来た岩場の山。
そしてロンシャンが指差すそこだけは、全部自然のまま出来ている温泉の中で、ほぼ唯一だろう丁寧に削られ、平らに処理された場所だった。
その平らに削られた場所に描かれていたのは壁画。
絵は、ある一人の人物に向かい全員が平伏すと言う、昔の壁画によくあるモノだった。
しかし、少し変わっているのは崇められている人物の後ろに、消えかかっているのか、それとも始めからあやふやに描かれているのか、何かがいるように見える。
ジンタには、その絵がふざけているのか、それとも何かの意味を成しているのか、すぐには分からなかった。
元々温泉の真ん中にあるせいだろうか、お風呂に入りながら手入れをするというのか、タオルで拭かれることが多いせいだろう、描かれている壁画はかなり削れて薄くなっている。
そもそも、そこに描かれている壁画自体、相当に月日が経ちすぎているせいもあるだろうが。
そして描かれている岩を穴が開くほど凝視していたジンタの耳に、イヨリの言葉が届く。
「あら? ここには何か書かれているように見えるけど?」
ハッとなり、ジンタは隣に立っていたイヨリの視線を追い掛ける。
それは壁画の下方、壁画に対し、ちょうど直角に、まるでイスの座る部分のように削られた箇所に、確かに壁画ではない何かが書かれている。それは絵と言うよりは文字だった。
その文字と思しき部分は、上部の壁画以上に、削れ、消えかかっていた。
「これは一体……」
ジンタも、ゆっくりと岩の表面に触れ、呟く。
「ソレハ ムカシ ワレラノセンゾガ コノチニミチビイテクレタカタヲ ワスレヌヨウニ カイタトイワレル ヘキガ デスジャ」
壁画と文字を、目に焼き付けるように見ていたジンタとロンシャンの後ろで、長老が言った。
「この地へと導いてくれた?」
「ソウデスジャ」
ジンタのくり返した言葉に大きく頷いた後、長老はもう一度大きく、今度は壁画に向け頭を下げた。
深い、深い礼の後、頭を上げた長老は、ジンタとロンシャンにお湯に浸かりなさいと促しながら、自分も湯に浸かる。
そして大きすぎる目を瞑り、語り出した。
ジンタとロンシャン、そしてイヨリとリカの四人は、長老から語られる話に一切口を挟まず、静かに聞き入った。
全てを話終えた長老の口から、
「イジョウガ ワレワレノソセンガ コノチ二ミチビカレ コノバニコレタ イキサツ デスジャ」
と締められた後も、ジンタ達は目を閉じ、考えを纏めるように押し黙っていた。
長老の話は、昔話にしてはよくある類いの話だった。
昔、自我など持たず、ただ地上でそして海で暴れていた半魚人とマーメイド達。
その二種族の中、ある半魚人が突如我を取り戻した。
それがこの地へと半魚人とマーメイドを導いた先導者。
そして、先導者が自我を失った仲間達に触れると、触れる者全員が自我を取り戻していった。
ある程度の人数に自我を取り戻させると、先導者は全員を連れ、この場へと導いた。
この地辿り着き、先導者は全員に語ったそうだ。
『そなた等には本当にすまぬと思う。ここに居ればお主等は一生を自我を失い荒れ狂うだけの人生には成らぬはずじゃ。本当に済まぬ、こんな地下でしか生きられぬお主等を生んでしまったこと、それを生むことを止められなんだこと、本当に済まぬとわしも心痛く思う。じゃが、そんなわしも心から思う。お主等が、どうかこの地で健やかに元気で幸せに生きて欲しいと、そう願う所存じゃ』
そう言った先導者の体が光輝き、その光が収まると、先導者は意識を失いバタリと倒れた。
そして目覚めた後、自分が何をしていたのかまったく覚えていないと言うことだった。
それがこの壁画に描かれていることと、書かれている内容なのだそうだ。
この長老の話で気になったのは、大きく分けて二つ。
一つはこの場について。
確かにこの場は地上と違いどこかおかしい。
それは、ジンタも感じていた。
それが何なのかと問われれば、うまく言い表せない。
ただ先程、ロンシャンやエルファス、ベンジャミンとも少し話を交わし、ここでは魔法を扱うのがいつも以上に疲れると話をした。
ジンタも一度自身に強化魔法を使ってみたが、いつもよりも何というか薄いと言うのか、集めるのが大変というのか、そんな感じがした。
ミリアだけは『エターナルエルフ』と呼ばれる存在なせいか、ジンタ達よりはそう感じていないと言っていたが。
ジンタとロンシャンは、一連(ミリア以外)を鑑みて、一応の結論として、この場は魔力が薄いのでは? と大まかに結論付けたのだ。
そしてもう一つ。
遙かな昔と言って話していたのでこれも定かではないが、その話の中の先導者の身に起きた現象とその口調。
それらに対し、ジンタには思い当たる節があった。
そこに思い至った、しかしまだ核心が持てないジンタが、チラリとロンシャンを見た。
ジンタがロンシャンを見たように、ロンシャンもまた確認するかのように、ジンタを見ていた。
互いに目を向け合って数秒、二人は同時に頷き合う。
「ジンタさん、やっぱりこれって……」
「ああ、まず間違いないだろうな。ミリアの時、あの時のリゼットと同じ感じだよな。それに口調も」
確認合わせするかのように、二人が口を開いた。
もう一度、再度の確認をするように頷き合った後、ジンタは長老へと向き、
「その先導者の言っていた言葉――いや、口調は長老が今言ったような口調だったんですか?」
遙かな昔、永久とは言わないまでも、長老とて当時のその場に居たとは思えない。だから分からないかも知れないが、それでもジンタは確認のためそう尋ねた。
「クチョウ トナ ?」
長老の大きな頭が微妙に傾げる。
「いや、何というか、独特な言い回しというか、しゃべり方だったんだなぁと思いまして。――あははは」
わざとらしく頭を掻くジンタ。
「フム スクナクトモ ワシハ イチゴンイック ソノママノハズジャガ …………」
最後をやや尻つぼみ的に言いながら、長老は考えるように視線を逸らし、
「オソラクハ マチガイナイハズジャト オモウ」
もう一度向き直った時、そう言った。
「それはどうしてですか?」
ロンシャンが、ジンタの代わりにもう一度尋ねると、
「ソノ ヘキガノシタ二カカレタブンハ ソノトキノコトバヲ カキシルシタモノ イマハモウ ワレワレノナカデモ ヨメルモノハイナイガ ワシノセンセンダイマエノ チョウロウマデハ ヨメテイタモジジャカラダ」
なるほど、とロンシャンも納得したように答え、あごに手を置き考え込む。
そしてジンタは、長老の言葉を聞き、もう一つの事実を思い出していた。
『気を付けろ『神』は『エターナル』を殺すぞ』
ジンタにそう教えてくれたのはミリア達の通う中学校の保健医だ。
もっとも、第一階層の小学校では校長も兼ねていたいたのを考えると、もしかしたらジンタがまだ知らないだけで、何かもう一つぐらい役職があるのかも知れないが。今はそんな事はどうでもいい。
その保健医が教えてくれた実在する『神』。
そしてそれはそのまま『エターナル』という存在であるミリアリタを殺すという存在でもあると言うことだ。
ジンタは保健医から聞いたその話を、ロンシャンにもイヨリにも、そして当然当人であるミリアにも教えていない。
ジンタ達がこのまま進めば、その存在のことも分かると保健医は言った。だからその時までジンタはその事を伏せているつもりなのだ。
怯えさせたくない、不安にさせたくない、そう言った気持ちも大いにある。しかし、それと同等にジンタもその意味、その言葉を信じられない、信じたくないというのもあったからだ。
そして『神』なる存在は、ここで二つの種族を救った。
そんな存在が、何故ミリアを殺すのか、何故あの時の保健医の顔がやや怯えていたのか、それをジンタ自身がまだ知らないのだ。だから誰にも教えない。無駄に悩ませたりさせたくない。今はみんなが、もっと伸び伸びと元気に真っ直ぐに、人生を謳歌してほしいから。
「もしかしたらここは、皆さんのために作られた場所なのかも知れないですね」
ジンタが、深く、深く、考えに入り込んでいると、ロンシャンがそんなことを言った。
「ソレハイッタイ ?」
長老の疑問の声にジンタもロンシャンを見る。
「いえ、なんと言いますか、ここって自然に出来た場所には見えなくないですか?」
言われたジンタは辺りを見渡す。
「広い天井、広大な地下空間、温泉に綺麗な飲み水、そして洞窟内に生えている草やトカゲなどの食料と海からの魚も豊富、そしてそんな全てがある空間で、皆さんは安心して生活出来るなんてどうにも出来すぎているようにしか僕には見えない」
ロンシャンの言う通り、ここはあまりにも出来すぎている空間だと、ジンタも思っていた。生活に必要な条件がすべて揃っているのだから。壁画と長老の話ではここに案内されたと言っていた。それはこの場所を作ってから、彼らをここに迎えたと言うことなのだろうか。
これだけの規模の洞窟と、生活に必要な環境を整え、さらにどうして暴走してしまうのか本人達にも分からない、彼らのその原因に対して対応されているこの空間。
ここを用意することなんて、果たして普通の者に出来るだろうか。この規模の物を破壊するのだってジンタには想像が出来ない。それを、これだけの規模を創造することなど、破壊することより想像出来ない。
そんなことが出来ると言うことは、きっとその存在はやはり『神』しかいないと。
――だとしたら、やはりこのリリフォリアでは神は存在しているのか――
そう考えが及んだ時、ジンタの背筋がぞくりと震えた。
破壊と創造。
そんなことの出来る存在相手に、ジンタは、いやイヨリやあーちゃん、それにみんながいても、戦い『エターナル』であるミリアを守る事が出来るのだろうか……。
どうその存在を軽く見積もっても、ジンタがどうこう出来る相手ではない。
今更ながらに、保健医の言っていた『『神』の存在を言えるわけがない』という言葉の意味がジンタにも分かった。
無意識に足がガクガクと震える。湯に浸かっているにもかかわらず体が冷える。呼吸が、息が短く早くなる。動悸が早鐘の様に鳴っていく。意識が朦朧として、頭がフラフラする。
遠ざかっていくような意識と感覚の中、ジンタの背中にスッと暖かい感触が触れた。
「ジンタさん、大丈夫ですか?」
後ろで同じように湯に浸かり話を聞いていたイヨリが、ジンタの背に触れ声を掛けたのだ。
一瞬だけ、びくりと体を揺らしたジンタだったが、その後は、イヨリの触れている温もりを起点に、震えが止まり、体に温もりが戻り、早鐘のように鳴っていた鼓動は落ち着きを取り戻し、悪循環な思考が消えていった。
――そうだ、俺達はまだ、何も『神』と戦うと決まっているわけじゃない。
その存在がいることは知っている。そしてジンタ自身その存在と話をしている。しかし、その相手は決して話の通じない存在ではなかった。
もしかすれば、ちゃんと話し合いで何とかなるのかも知れない。
イヨリに触れられることで落ち着いたジンタは、目を瞑った。
ゆっくりと深呼吸し直し、ジンタはもう一度心の中で呟いた。
――そう、まだ戦うと決まったわけじゃないんだ、と。




