第五話(1-5-2) 甲斐路結芽
難読漢字等でルビを多用しています。
その為、読み辛いと思われる向きもあるかも知れませんが、ご容赦下さい。
1-5-2
朝食を済ませて琉歌の自室に戻り、二人は作業を始めた。先ずは正確に歌詞を覚え込まなければ、と云う事で歌詞表示サイトを参考にして、部屋に在ったルーズリーフに歌詞を書き込んでいく。2曲分書き終わり、暫く読み込む。其の後、iPhoneから曲を流し乍ら、息継ぎの間合いは歌詞上の何処なのか、また強弱の付け方などを具体的に、歌詞の余白に書き加えていく解析作業に入った。琉歌の主導で事は運ばれたが、糺凪は其の周到さ、徹底ぶりに舌を巻いた。
「……あ、あの……ルゥさんって何時もこんな風にしてるんですか……?」
糺凪の若干気後れした様な訊き方を察した琉歌は、柔らかな笑顔を意識して答える。
「いやいや、此処迄丁寧には遣ってなかったよ。今回は他人様の楽曲だから。自分達の為の曲なら未だしも、お借りして遣らせて頂く以上、間違えたり、適当に遣る訳にはいかない……って、思うだけだよ。当のご本人さん達が知る由も無くても、ね」
勿論糺凪にだって、カヴァー曲である以上、其れに対しての敬意は有る。だが、改めて琉歌の口から其の発言を聞くと、自分の思いが未だ未だ甘かった、と痛感する。
「……さ、じゃあそろそろ実際に歌ってみよっか? 糺凪ちゃん、お願い出来る?」
「――あ、はい!」
琉歌が起立したので、糺凪も慌てて立ち上がる。琉歌に背を向け、糺凪は発声練習を始めた。
――なんて雰囲気の有る声出しなんだろう……。琉歌は圧倒され、息を呑んだ。単なる喉の暖機運転なのに、神々しささえ覚える。発声練習自体が売り物に為る様な、集客出来る水準の芸術性を備えている。琉歌は思わず、発声練習を遮って尋ねた。
「……ご、御免ね糺凪ちゃん。其の声出しって、何時も舞台前に遣ってるの?」
「あ……えぇ。此の位は遣っとかないと喉壊しちゃうんで。地方の10分1ステージでも欠かさず遣りますね」
ケロリと言う糺凪の背中に、琉歌は後光を幻視した。発声を再開する糺凪の背中を見詰める琉歌は、此の後ろ姿は旧シトロンヘロンのメンバー達に取って代え難く頼もしかっただろうな、と思いを馳せる。
志川の策略に加担する形で、結果的に琉歌は旧トロンから糺凪を奪い取る形となった。残されたトロンのメンバーに対する申し訳無さや涙を流させてしまった不甲斐無さ、悔しさは、今でも有る。だが今は、其の思いよりも、糺凪と同じステージに立ちたい、一緒に遣ってみたい、と云う思いが琉歌の中では優っている。
志川の立ち位置に沿って、都合の良い様に言ってしまえば、此れはトロンに課された試練でもあるのだ。圧倒的な実力を有する、歌唱面での大黒柱であった糺凪を失った状態で過酷なメジャーの世界を泳ぎ渡れるのか、其の底力、真価が半強制的に問われているとも云える――。
「……ルゥさん?」
糺凪が立ち尽くし思案に沈んでいる琉歌を覗き込む様に首を傾げている。琉歌は歌い手としてのスイッチが入った糺凪の艶やかな声にハッとした。
「あ、あぁ……御免ね。じゃあ、『風と散り』の方、歌ってみて? 糺凪ちゃんの歌聴いてから、私が何処にハモリ入れられるか、考えてみるから」
「了解です!」
ひょっとしたら、糺凪との活動を所望する様に為る琉歌の心の動き迄も、志川は自身の遣り方を正当化する材料として想定していたのかも知れない――。琉歌はiPhone5sの画面を押下し乍ら、背筋が冷える感覚を味わっていた。
〔――ふぇっくしょぃ!〕
「おいおい、風邪かね? 大丈夫かい? 今時季は気を付けんと」
〔いや、何か悪寒が……。風邪引いた感覚は無いんですが〕
「じゃあ、誰かが志川君の噂でもしているんじゃないのかね、はははは」
〔あぁ、かも知れないですね……。では、先程の件、宜しく頼みます〕
「あぁ、任せなさい。当ては有るんだ」
東京郊外のライヴハウスEffervesceの事務室で、社長の杁清茂は黒灰色のP-01Hの終話釦を押下し、パチンと畳んだ。自分の机の周りをうろつきつつ、パナソニックの折り畳み型携帯電話端末伝統のワンプッシュオープンボタンを押して本体を開いては畳み、開いては畳むを繰り返す。軈て歩みを止め、パチン! と一際強く液晶側を畳んだ杁は、
「上手く……行きそうだな」
と独り呟き、ほくそ笑んだ。
昨夜、画質の悪い違法投稿映像から糺凪が受けたものと似た衝撃を、琉歌は今、糺凪から受けていた。数日前カラオケに一緒に行き、糺凪の歌声は聴いているが、遮音環境ではなく音響設備も無い、誤魔化しの効かない完全なる日常空間で聴く其の歌は、尚更鮮烈に琉歌を直撃した。普段からカラオケで歌ってみたい、と冀う程に聴き込んでいる曲なのだから、楽曲の理解度が先ず段違いである。其の上で図抜けた表現力と歌唱技法が累積されるのだ。琉歌が嘗て培った脳内アイドルライブラリーを以てしても、比肩し得る技量の人物はそう居ない。
「……どうですか?」
糺凪は黙りこくる琉歌を不安そうに窺っている。琉歌は半ば虚脱状態で話し出す。
「……いやぁ、半端じゃないね。滅茶苦茶巧いよ。私の歌唱力で釣り合うか、此れは重責だなぁ」
「いやいや、そんな事無いですって! ルゥさん、めっちゃ巧いじゃないですか!」
「……でも糺凪ちゃん、ニコムーンの頃の曲、全然聴いた事無いんじゃないの?」
「……ぐぅ……」
糺凪をぐう以外の音が出なくなる迄追い込んだ琉歌は笑い乍ら、ふと或る事を思い出した。
「あのさ、糺凪ちゃん……。若しかして、他の事務所から勧誘とか、受けてない? 否、此の場合は引き抜きか……」
ビクッと肩を揺らした後、糺凪の表情が岩石の如く凝固した。あの時――糺凪をトロンからの脱退に導く様に、トロンのメンバーに仕向けさせた志川に対して、糺凪が抗議に乗り込んで来た時――の、志川が発した一言に対する糺凪の反応と全く同じだった。
間違い無い。糺凪は競合他社からの接触を受けている。
「――有ったんだね? そう云う事が……」
糺凪は答えない。返す言葉が見当たらないのだろう、と琉歌は判断し、発言を続ける。
「……私としては、糺凪ちゃんが幸せに成れる方へ進んだ方が良いと思う。無理に慰留して糺凪ちゃん自身が後悔する事に為るのは嫌だから……きっと、社長だって同じ考え方だと思う。基本的に、U.G.UNITEDはそう云う所だ、って私は理解してるし……。若し、糺凪ちゃんが移りたいと思ってるんだったら、私は全力で支援するから……」
「……有りましたよ、そう云う話。でも、蹴りました。ルゥさんと会った次の日に」
「……そう、なんだ……」
糺凪は岩と化していた時とは対照的に、さっぱりとした表情で答える。琉歌に対しては一切を隠し立てする必要は無い、と或る種肚を括れたからだ。
「はい。或る日行き付けのカラオケ屋で歌ってたら急に、個室に乱入して来て。有り得なくないですか? で、名刺寄越して来たんですよ。ターバーミュージックのなんちゃら、って言って。あたしからは連絡取ってないんですけど、あたしが其のお店で歌ってると押し入って来るんで、それで3回位会いました。で、つい此の前――あぁ、最後にトロンの皆と会った日ですね、其の日も押し入られて。で、其の時、ルゥさんに触発されてトロンのメンバー全員物凄く燃えてたんですよ。そんな時に地下アイドルを、U.G.UNITEDを馬鹿にする様な事抜かしやがったから、丁重にお断りさせて貰いましたよ。でも……あたし『もう二度と会う事は無い』って啖呵切ったんですけど、『また近い内に』とか気味悪い事言ってましたね……。何だったんだろ? アレ」
琉歌の想定を超えていた。ターバーミュージックと云えば、大手音響機器メーカーであるターバーの子会社で、音楽事業を展開し業界占有率首位を争う老舗レコード会社だ。そんな大手レーベルの担当者が直々に声掛けをしていたなんて……。
「わ……私の立場で言う事じゃないけど、糺凪ちゃんは其れで良かったの? 元々歌手に成りたかったんだよね? またと無い好機だったんじゃ「今は!」
糺凪は琉歌の言葉を遮断した。
「今は、アイドルを遣りたいです。ルゥさんと一緒に、同じステージに立ちたいです」
糺凪の真っ直ぐな視線と、琉歌の視線が交錯する。糺凪の眼には憧憬と自負の色が入り交じり、美しい光を放っている。琉歌は少しの間、其の煌めきに見惚れた。
「……だから、今は岸和田の事はどうでも良いです。ルゥさんのコーラスの事、考えましょう?」
糺凪の言葉で琉歌は正気を取り戻した。取り敢えず、後日結芽と志川に報告を入れておこう。今は、眼の前の作業に集中する時だ。
「――あ、御免。一寸良いかな」
他4人のバンドメンバーに右手を翳し、庵律雅心は演奏を止めた。
「何だよぅ、良い所だったのにぃ~」
「しょうがないでしょ、電話……杁さんからだ!」
ぶうたれる金髪ロングの女性を往なして、雅心はギターを置き、携帯電話に出た。
「もしもし、お疲れ様です!」
〔あぁ、お疲れ。悪いね、練習中だったかな?〕
「あ、えぇ、一寸……。どうしたんですか、態々お電話なんて……」
〔あぁ、そうそう。実は折り入って相談が有ってね……〕
「相談……?」
〔あぁ。僕の知り合いに地下アイドル系の事務所の社長が居るんだがね、彼が新たに立ち上げるグループのバックバンドを探してるんだよ〕
「バックバンドって事は……生演奏で遣るんですか?」
〔あぁ。毎回ではない様だがね。どうもロック系統の曲調で行きたいらしい。基本は全国をドサ回りする様な感じのグループにするらしくてな、偶に広めの会場で興行を打つ時は生演奏でも遣りたいらしい。正直、現段階では僕も今一つピンと来ない企画ではあるが、まぁ彼は変わり者でね。だが実績は保証するよ、怪しい仕事じゃあない〕
「それで、杁さんは其のバックバンドの仕事を、私達に……?」
〔あぁ。条件が有ってな。其の条件に適うバンドが君等しか居ないんだよ〕
「え……光栄です、けど……その、条件って?」
〔先ず、メンバーが全員女性のガールズバンドである事。女性アイドルグループのバックバンド……まぁもっと云えばサポートメンバーって奴としては、男が居ない方がファンの心理的にも単純な見栄えとしても良いだろう、との事だ。で、次に演奏の実力がちゃんと備わっている事。此れは君等、僕が保証するよ。何せインディーとは云え確りしたレーベルから全国流通盤を販売した実績も有るんだからね。売上云々は別として、さ。更に、或る程度スケジュールに自由が利く事。既に売れてるバンドを起用すると、いざバンド形態で遣りたい、って時に押さえられないのは何かと面倒だ、と云う事だ〕
「要は売れてないバンドが良いって事っしょ?」
何時の間にか、立った儘で通話する雅心の周りをメンバーが取り囲み、聞き耳を立てていた。発言し難い事を言ったのは金髪ロングである。「あ、ちょ、馬鹿! 聞こえちゃうでしょ!」と電話を口許から離して雅心が窘めるも、既に優秀なiPhone7のマイクは音声を拾っていたらしい。
〔お……おぉ、何だ、伊志田も聞いてるのか……。相変わらずお前はズバッと斬り込むなぁ。人がお茶を濁して言う事を……〕
「でもそう云う事じゃん。で? ウチ等に何か利点は有んの? 報酬以外に」
「もう尋音良い加減にしてよ! アンタあの頃と何も変わってないじゃない!」
金髪ロング――伊志田尋音の不遜な物言いに雅心が怒りを露わにする。他のメンバーが慌てて鎮火を図る。
「ちょ……落ち着きましょうって二人共! ね?!」
「そうだよ。尋音もそんな言い方しなくても良いじゃんか……」
ドラムの矢的秋穂とベースの一際背の低い藤鵬美玖が割って入るも、いがみ合いは止まらない。
「雅心、其れは言わない約束でしょ? あたしだって変わったよ! 今はちゃんとしてんじゃんか。……美玖、あんただけはあたしの理解者だと思ってたのに……」
「そう云う所よ! 今でも充分非常識だ、って事! あと秋穂! 私は何か悪いかな? 私は尋音を注意してるだけじゃない?」
「あ、いや……御免ね尋音、そんな事無いよ……」
「雅心さん……ウチそんな怒られる事言いました? 何かウチ迄巻き添え喰ったんすけど」
「美玖さんがそうやって甘やかすから尋音が付け上がるんですよ! 秋穂! 一寸口が生意気よ?」
「秋穂、今あたしの事馬鹿にしたよね? 『巻き添え喰った』って何か、あたし等の事目下に見てないかな?」
「はぁ?! 何すか二人して。抑も口論始めたのはあんた等でしょうが! 何で止めに入ったウチがキレられなきゃいけないんすか?!」
「…………ふえぇぇぇ……」
「おい雅心!! あんた何美玖泣かしてんだよっ!!」
「煩い尋音っ!! 秋穂も口の利き方がなってないんだよっ!! 美玖さんも此のタイミングで泣きます、普通?!」
〔…………おーい、皆さーん。喧嘩しないでよ……〕
其の時、ギターアンプから最大音量で甲高い音が鳴り渡った。全員が言葉を失い、電話越しの杁さえ携帯電話から耳を離す程だ。
エレキギターの音色は暫く響いていた。残響が少し落ち着いてきた頃、口論の最中一貫して黙り込んでいた最年少のリードギター担当、栄泥由布子がギターを携えて一声、発する。
「……杁さんの話、聞きましょう。先ずは」
正面から見ると完全に眼が隠れる程伸びた前髪に遮られ、由布子の表情は読み取れない。
〔……栄泥か。助かったよ、治めて呉れて〕
「いえ。杁さん、続き、どうぞ」
由布子はギターを置き、元居た位置に戻って来て、スタジオの床に座った。一拍置いて、全員が座り込み、雅心はiPhone7の通話をスピーカーに切り替える。杁の余所余所しい声がレンタルスタジオの部屋に響いた。
〔……何か、済まんな……〕
「――詰まり、割と注目度の高いと思われる新人アイドルグループのライヴ音源に私達の演奏が使われて、其の音源は確りした録音スタジオで収録出来て、更にYouTubeとかで公開されるPVとかライヴハウスとかでは私達が出演して生演奏出来て、其のアイドルに関わる物には私達のバンド名が掲載されて、其の上私達の本来のバンド活動には一切口出ししない、って事ですか?!」
〔……あぁ、そうだよ。今説明した通りだ。アイドルグループの公演とバンド活動のスケジュールが万一競合してしまった際にも、最大限バンド側の都合を考慮して貰えるそうだ。今は一寸守秘義務が有って、情報解禁迄はメンバーは明かせないが、知名度の有るアイドルが参加するらしいぞ。――名は売れる。バンドとしての活動は邪魔されない。無論、仕事としてギャラは発生する。君等に取って悪い話じゃないだろう? ……さぁ、どうだい?〕
中央のiPhone7を取り囲み、車座になっているメンバー5人は、先程の激しい口論など無かった様に、全員で眼と声を合わせ、返答した。
「「「「「遣ります! 遣らせて下さい!!」」」」」
「よしよし。目論んだ通りじゃないか……」
終話した杁は、パナソニックモバイル製の携帯電話を開いた儘、着信履歴から志川の携帯番号を選び、発話した。
志川雄路はオレンジ色のソファに座り、頭を抱えていた。隣に座る小梢希望が耳打ちする。
「なぁ社長、此の子――」
「皆砥李空だ」
「じゃあ……ナトリね。ナトリって大分……アレ、だよな?」
今、カラオケ店のブース内で歌っているのは李空だ。揺らぐ筈も無く疑い様も無く、今回も継続して屶綱稀羽がセンターを務めるリマーカブルの最新曲を、心地良さそうに歌っている。
「……あぁ。ヤバいレべルの音痴だ」
「あ、其れ普通に言っちゃうんだ」
「……此れは、擁護のしようも無いからな……」
「正直言って、良く事務所に入ろうと思ったな、ってレベルだよな……」
二人の暗澹たる表情など露知らず、弾ける様な笑顔で李空は歌い上げる。――そう、無垢と云うものは時に、強烈な兵器と為るのである。
「……なぁ、因みにウチは……?」
自信無さげに希望は尋ねる。だが、自身の歌唱力に確信が持てないから問うた訳では無い、と云う事は志川にも解る。多少の自信は有るものの、他人に背中を押して貰いたいのだ。勇気を補充したいのだ。――案外、いじらしい所が有る。志川は希望の評価を更新した。
「……普通に、巧かったよ。平均は確実に上回ってる。U.G.の中だったら、10位以内には余裕で入るんじゃないか?」
素直な意見だ。嘘を吐く必要も無い。
「……そうか……そうだよな……」
希望はにんまりと、心底嬉しそうに笑う。……何故、こんな良い娘が複数の事務所を盥回しにされていたのだろう? きっと、何処の事務所も最初の言葉遣いで烙印を捺し、以降は色眼鏡で見ていたのだろう。言葉遣いと云うものは、評価する側の心証に大きな影響を与えるが、其れは決して、評価対象と為る人物の本質と同義ではない。
志川のスーツの内ポケットで、iPhone6が震えた。部屋を出て、廊下で携帯を取り出す。今になって思うが、スーツ姿の30代の男が、年端も行かぬ少女を二人も連れてカラオケに入ったのは、世間的に拙かったのだろうか? 志川はふと、レジのバイト店員の表情を思い出す。希望も李空も、実年齢よりは幼く見える方である筈だ。一抹の不安を覚え乍ら受話する。液晶画面に表示されている相手は、杁だ。
「もしもし、先程は頼み事をしてしまい申し訳有りませんでした……」
〔いやいや、良いんだよ。僕は志川君を応援しているからね。で、其の事なんだが……〕
「あ、ひょっとしてもう当たって下さったんですか?」
〔……あぁ。承諾が取れたよ〕
「本当ですか?! 流石です、社長!」
〔いやいや、まぁそんなに褒めんでも構わないよ、はははは〕
「いえいえ、本当に助かりますよ、有り難う御座います。それで……」
〔あぁ、対面と実際の腕を見るのを早めにしたい、と云う奴か?〕
「えぇ、そうなんです。もうそろそろ動き始めないと……」
〔そうか……。まぁ、今回の子達は既にCDもインディーから出してるから、何なら其のCDでも送ろうか?〕
「あ、そんな実力の有るバンドなんですか? でも、バンド名さえ分かれば此方で調べは付きますので、社長のお手を煩わせる迄も有りません。孰れにせよ、早い所実際に会ってみたいですね。まぁ社長のお墨付きですから、仕事意識だとか人格だとかは、心配する事は無いと思いますが……」
〔いや……まぁ、そうだね。実際会ってみなければ、人は判断出来ん。其処迄心配はしてないが、多少癖の有る奴が何人か居るからな……。顔合わせと演奏と、折角なら同時に遣ってしまった方が良いと思うんだが、そうなるとエファヴェスが空いてる日が良いかね……〕
「えぇ、そうですね。是非エファヴェスさんで出来るなら……」
〔……一寸待って呉れよ、えーと…………。あ、月曜だ! 来週の月曜の夕方以降はどうかね?〕
「……となると、明後日ですか……。此方も出来るだけ都合付けますので、では其の日に!」
詳細な時間は追って決める事として、電話を切った。社員である琉歌の都合は付くとしても、他の4人が対応出来るかは未知数だ。取り敢えず、今此処に年下組二人が居る訳だから訊いておこう、と志川はiPhoneを蔵い乍らブースに戻った。
「――じゃあ、此処でこんな感じで……」
「あぁ! 良いです、其れ!」
琉歌の部屋でコーラスの煮詰めが行われる中、窓外からディーゼルエンジンの排気音が漏れ聞こえてきた。其の音量から、家の間近である事は確かだ。
「……あ! 来たかな?!」
琉歌は不意に立ち上がり、窓際から市道を見下ろす。質実剛健な排気音は凪ぎ、大手宅配便業者の塗装を施された小型パネルバンがハザードランプを焚き始めた時、
「来た!!」
と叫んで、琉歌は階下へと走り去って行った。糺凪は呆気に取られつつも、インターホンの音が鳴り響くに至り、漸く事を理解して琉歌の後を追った。
糺凪が一階に降り立つと、実江が眼を丸くして問うてきた。
「あ、糺凪ちゃん、琉歌どうしたの? 物凄い勢いで駆け抜けてったんだけど……」
「多分、Amazonからのお届け物です」
糺凪は其れだけ言い残し、琉歌の後を追った。
「……変な子達……」
無下にされた実江は不貞腐れた様に呟く。そんな妻を横目に、ソファに腰を据える昌敬は黙ってマグカップを啜った。
糺凪が玄関に辿り着いた時には、既に琉歌は段ボール箱を宅配業者のお兄さんから受け取っていた。
「では、お届け致しましたので」
「はーい、有り難う御座います! ご苦労様でーす」
お兄さんは丁寧に一礼し、玄関先に停車している銀色の車の脇を駆け抜けて行く。間も無く、ディーゼルエンジンの始動音が耳に入り、トラックは忙しなく走り去った。過密な配達予定が組まれているのだろうか。
「……ルゥさん、其の車、昨日の夜は無かったですよね?」
糺凪は玄関扉を閉めようとする琉歌に、玄関先のマツダ車を指差して尋ねた。
「あぁ、其れね、ウチの家族所有車両なの。多分、お父さん夜勤だったんじゃないかな? だから昨晩私達より帰宅が遅かったんじゃない? お父さん、結構年齢いってるけど、割と率先して夜勤熟してるんだよね」
「そうなんですね……」
「でさぁ、アクセラが在るとV35が停められないんだよね。其の点では、昨日父さんが夜勤で良かったよ。ほら、位置的に一旦車出さないと入んないでしょ?」
「……確かに」
一目瞭然、琉歌の説明通りだった。元々敷地内に2台分の車両を収める事は前提としていないので、青いスカイラインは鼻先を無理矢理庭に突っ込んでいる上、後部をマツダ・2代目アクセラスポーツに塞がれている。
「昨日は疲れてたからね。其の上でアクセラ出してサンゴー入れて、またアクセラ戻して、なんて面倒過ぎて遣ってらんなかったし」
苦笑する琉歌に、糺凪は見惚れていた。東京からカローラバンを直走らせ、地元の仲間と再会し、日が暮れたらドリフト走行を熟して、遅い晩餐の場では親友の想いに心を震わせ、自らの所信を表明した。相当に詰め込んだ日程であるが故に、疲労を覚えるのも至極当然である。並の人間なら、ランニングなど臨時休業としてしまう所だろう。然し、琉歌は其の疲労の上で“日課”である60分ランに出て、更に腹筋迄も遣りきったのだ。信念と強い意志が無くては遣り果せない。敢えて悪く云えば意地を張っている様な心境なのではないか。
其の意地を、琉歌は10年に渡って張り続けているのだ。途轍もない覚悟の一端を垣間見た気がして、無意識の内に糺凪は琉歌に敬いの眼差しを送っていた。
「……あの、糺凪ちゃん? そんなに見詰められると、照れるんですけど……」
琉歌の発言で漸く我に返った糺凪は、自分が知らず知らず琉歌を凝視してしまっていた事に気付いた。
「あぅわ……あの、済みません……」
今度は糺凪が赤面する番だった。言い乍らぎこちなく琉歌から視線を外す。琉歌はそんな糺凪の気持ちを知ってか知らずか、あっさり話題を替えた。
「さぁ!! 糺凪ちゃん、来たよ! 我等の秘密兵器が!!」
態とらしくがなる琉歌は、どうやら本気でご満悦の様だ。糺凪も其のテンションに合わせて答える。
「そうですねぇ!!」
無意味な高気圧に乗って来た糺凪に、琉歌は少し驚きつつも、満面の笑みを向けた。二人は笑い合う。
糺凪は何より、琉歌が乗り気なのが嬉しかった。一緒の舞台に立つ糺凪に配慮している訳ではなく、今後活動するユニットの未来を見据えている訳でもなく、もっと単純に、琉歌自身がステージに上がる事自体を楽しみにしている、其の純然たる事実が糺凪には感じられたのだ。
「なにAmazonの箱掲げて盛り上がっちゃってんのよ。二人して私を除け者にして呉れちゃって!」
玄関口で燥ぐ琉歌と糺凪に実江が絡んでくる。先程あしらったのを根に持っている様だ。
琉歌が瞬時に笑顔を引っ込め、眉を顰める気配を察し、糺凪が気を揉んだ其の時――。
「……母さん、やめなさい。琉歌と糺凪ちゃんの邪魔をしちゃいかんぞ」
実江の背後からマグカップを手にした儘の昌敬が声で以て制した。
「お父さん……」
昌敬を振り返り、実江は呟く。糺凪からは背中しか窺う事は出来ないが、其の小さな声には複雑な感情が入り交じっている様に聞こえた。琉歌もそんな感覚を嗅ぎ取ったのか、一瞬にして纏った刺々しい雰囲気を蔵い込み、眉尻を下げた。
嘗て不安で胸を一杯にし乍らも娘を送り出して、次に戻って来た時、娘は精神に酷い傷を負っていた。そして二年後、娘を再び都会へ見送ったが、数ヵ月振りに帰郷した娘は、一度手痛い目を見た業界に再び戻る、と云う手土産を持っていたのだ。数えきれない程の懸念や心配、後悔が有っただろう。他方、本人の意思を尊重し、自由に遣らせたい、出来れば口を挟みたくない、と云うのもまた親心である。相反する二つの感情の狭間で揺れ動き、実江の心が休まる事は無い。束の間、娘が傍に居るのだから、今の内に触れ合っておきたい、と云う気持ちも至極当然だろう。だが、昌敬の言う様に、実江の絡みが二人の妨げに為っている事は否めない。
「琉歌、糺凪ちゃん、行きなさい。悔いの無い様に、全力でな」
実江の肩を抱き留める昌敬が二人を促し、琉歌と糺凪は二階へと向かった。
「……熱いんだよね、お父さん。工場で現場勤務だからかな?」
階段を上り乍ら苦笑気味に言う琉歌に、糺凪は問い掛ける。
「あの……大丈夫ですかね、実江さん……」
「……平気だと思うけどね。一時間もしたらケロッとしてるよ。そう云う人だし。心配しなくても」
僅かに逡巡が窺えたものの、あっさりと言う琉歌に、親子関係にも“応援される者の傲慢”は適用されるのだろうか、と糺凪はふと思った。
部屋に戻り、開梱する。箱の中に朝日電器製の全長3メートルの片耳ステレオイヤホンが2つ在るのを確認して、琉歌は青基調のブリスターパックを一個、糺凪に寄越した。
「成る程、LRの音が片耳に集約される……って事ですよ、ね?」
パッケージのイラストを眺めて呟いたが、昨日琉歌から説明されていた事を思い出し、糺凪は急遽問い掛けの形にした。上目遣いに琉歌の様子を窺う。
「そうそう! じゃあ開けちゃって? 実際どうか、試しに使ってみようよ!」
琉歌は完全にウキウキ状態だ。糺凪の危惧など瞬間に霧散する程の明るい心持ちで、図らずも硬かった糺凪の表情を綻ばせた。
早速包装を開け、イヤホンを取り出す。梱包の為に束ねられていた細いコードを解くと、確かに3メートル程度の長さがある。自由度は高そうだ。
昨日買っておいたイヤホンジャックの分配器をiPhone5sに噛まし、それぞれのイヤホンのジャックを分配器に差し込む。百均で売っていた分配器の雌穴は値段相応に渋かったが、使えない程ではない。ホーム画面のミュージックアプリを起動し、念の為音量を絞る。
「じゃあ、行くよ……」
琉歌は再生釦を押下した。琉歌の左耳に装着されたイヤホンと、糺凪の右耳に取り付けられたイヤホンから、同時に「プロタゴニストの一日は」が流れ出した。
「糺凪ちゃんっ、流れてる?!」
「はいっ! 流れてます!」
ごく自然に、二人はハイタッチを交わした。琉歌が喜ぶ顔を見て、糺凪は嬉しくなって笑う。そんな糺凪の表情を眼に入れて、琉歌は負けじと笑う。そして糺凪は其れを見て、更に上回る様に笑い掛ける。幸福の螺旋階段が、其処には在った。
iPhone7のスピーカーが軽快な呼び出し音を諳んじて、庵律雅心は再びバンド演奏を止めた。
「まーた杁のオッサンかぁ?!」
ダーン! とキーボードの低音側鍵盤を適当に叩き付けて、伊志田尋音はがなり立てる。即座にまぁまぁ、と他の3人が宥めに掛かった。雅心は恒例の如く荒れる尋音を視界の隅に置き乍ら受話する。
「もしもし、えぶ〔おぉ、度々済まないな!〕
雅心の応答を待たず、杁は挨拶を飛ばしてきて、雅心は若干の苛立ちを覚えた。雅心だって、本音を言えば尋音と同じく、バンド練習に集中したいのだ。杁自身が言う通り、度々中断していては捗らない。
「……大丈夫です。先程の件ですか?」
〔あぁ! 明後日、月曜に先方との顔合わせがある。其の時に1~2曲遣って欲しい、との事だ。持ち歌でもカヴァーでも良いだろう。何なら一曲ずつ遣っても良いかも知れんな。未だ具体的な時間は決まっとらんがな〕
例の如く、他のメンバーが聞き耳を立ててきたので途中からスピーカーにして杁の発言を共有していたのだが、雅心は「一寸待って下さい」と言い残し、iPhoneのマイクを指で塞いだ。
「……ワシルカさん達、明後日でも大丈夫かな?」
他の4人は、はっとした表情を浮かべる。
「……そうか、明後日纏めて遣っちゃえば……」
「そうだよね。演奏するって云っても、ライヴハウスとかの方が気持ち良いだろうし……」
「打って付けだし、一緒に出来れば願ったり叶ったりですよね……」
「……多分、ワシルカさん達も大丈夫だと思います。今は自分等の準備待ちな筈なんで……」
尋音、美玖、秋穂、由布子が言葉を重ねた。尋音が壁際に安置してある自身の鞄に飛び付く。ポケットからスマートフォンを掻っ攫い、即座に戻って来る。
「じゃあ、蒼鷲マネにでも訊いてみれば良いんじゃん? 今さ!」
「否、ワシルカさんね!? でも、そうだね! 都合悪いかも知れないけど、駄目元で訊いてみようか!」
違和感が大きい呼び方に突っ込みを入れつつも、雅心は提案に乗った。尋音がXperiaを操作し始める。其れを横目で見つつ、雅心はiPhoneのマイクに声を飛ばす。
「済みません杁さん、一寸掛け直しても良いですか?」
〔あぁ、構わんが……。どうしたんだ?〕
「あ……あの、時間決まってない、って事でしたが、もし……未だ分からないんですけど、其の顔合わせの1時間前位に舞台借りる事って出来ますかね?」
〔ん……? あぁ、夕方の早い時間帯だと厳しいかも知れんが……君等が使いたい、と言うなら最大限対応させて貰うよ〕
「あ、有難う御座います! 直ぐ折り返しますんで、宜しくお願いします!」
〔あ……あぁ、分かったよ。早い所連絡して呉れよ?〕
「はい、必ず! 一旦、失礼します!!」
「何なんだ……?」
杁はP-01Hをパチンと閉じて胸ポケットに蔵う。そして其の儘腕を組み、首を捻った。
iPhone5sが震えた。
「あ、御免ね糺凪ちゃん、電話だ」
琉歌が画面を注視すると、此の間カラオケ屋で糺凪に絡んで来た“センスレスネス”と云うガールズバンドのヴォーカルだと云う、ゆるふわ金髪の眼付き鋭いヴォーカルの女性からの通話だった。
「糺凪ちゃん、イヤホン其の儘で良いよ。多分今度の件だろうから、糺凪ちゃんも関係有るし」
業務用の携帯電話への着信なので、片耳イヤホンを外そうとした糺凪に、iPhoneを手に取り、底面のマイクを口許に向ける琉歌が言った。
「あ、えぇ……」
糺凪が右耳のイヤホンを嵌め直すのを確認すると、琉歌は頷き乍ら画面に指を添わせ、受話した。
「もしもし」
〔あ! ワシマ……マネージャーの方っすか?〕
「えぇ。此の前はどうも。……其の件ですよね? 日付、決まりましたか?」
〔あ……うぅんと、その、まぁ……今の所だけど……〕
琉歌は通話中のiPhoneに向けてうんざりした表情を浮かべる。電話越しでの態度が成ってない相手と云うのは、印象の悪化が割増されるものだ。
〔馬鹿尋音! ワシルカさんに失礼な口利いてんじゃないわよ!! 貸してっ!!〕
〔あ、おい雅心っ! あたしのケータイパクんなよっ!〕
ゴソゴソ、と大きめの雑音が二つの片耳イヤホンにも届く。琉歌と糺凪は顔を見合わせ、盗み笑った。
〔あ、もしもしワシル…………蒼鷲さんでしょうか?〕
あからさまに「失敗した!」と云う間が空いたので、其れを聞く琉歌と糺凪は再び肩を震わせ合った。
「あぁ……えぇ、そうです。此の間の件、何か進捗御座いましたか?」
気を取り直し、琉歌は応答する。受話音の後方で、電話を奪われたらしき当初の通話相手の声が〔大体、誰だよワシルカって……〕と吐き棄てる様に呟いているのを糺凪は聞き逃さなかった。
「ちゃんと聞こえてますけどね。てか、ルゥさん知らないとか……」
糺凪は応酬する。勿論、iPhoneを手にする琉歌とは離れた糺凪の呟きが、相手方にはっきり聞こえる事が無いのは織り込み済みだ。其処で無用な言い争いをする程、糺凪は幼稚ではない。
直接遣り取りしている琉歌と通話相手は、互いに不穏な雰囲気を背負いつつも、其の間も粛々と情報を伝達していた。
「……では、月曜の夕方を目処に、詳細はまたご報告頂く、と云う事で了解致しました。此方は月曜を空けておきますので」
〔あ、はい! では、お時間決まり次第お電話させて頂きます。申し訳御座いません、失礼致します……〕
「はい、宜しくお願いします」
琉歌は画面上の終話釦を押下した。と同時に糺凪の方を向き、
「そう言う糺凪ちゃんだって、私と会う迄あんまり知らなかったんじゃない? 『ワシルカ』の事」
鋭い突っ込みを入れた。糺凪は余りに鋭利な刃に一瞬言葉を失いつつも、辛うじて返す。
「う……否、あたしは『ワシルカ』って名前とルゥさんの存在は知ってましたもん!! まぁ……確かに、此処何日かでルゥさんの事勉強してますけど……」
「ふーん、そう? ……て云うか眼の前に居る人の事『勉強する』って……」
始めは糺凪をからかおうとしていたが、ふと其の発言を可笑しく思い、琉歌は噴き出した。
「言われてみれば、確かにそうですよね」
糺凪も何故、自分が当人に訊かず、秘密裏に琉歌の情報を蒐集していたのか、指摘されて疑問に思い、苦笑した。
通話が切断され、雅心はXperiaをホーム画面に戻し、画面を消灯させた。そして無言の儘、尋音に某みさえ宜しく頭頂部に拳骨を降らせた。
「……ったー!! 何すんだよ雅心ぃ!」
「いやいや、アンタこそ何言って呉れちゃってんのよ? 言葉遣いだけでも退場処分なのに、ワシルカさん知らないとか、もう除名処分レベルよ?!」
「え……」
「ですよねぇ……。流石にワシルカさん知らないって云うのは些か……伊佐坂先生ですよ」
秋穂も首を縦に振り同調する。
「まぁ、先生の件は良く解んないけど……」
由布子も概ね賛成する。此の自然な突っ込みに、秋穂と由布子――年下組の仲が表れている。
「そうだよ、尋音。『ワシルカ』って通名が出ておき乍ら『誰だ』は無いよ。あんなに有名だった人なんだから」
「……美玖さん、『だった』って云うのも失礼かと思いますけど……。まぁ本人のお耳に入る事は無いので許されるでしょうけど」
「あ、そうだね! 有り難う雅心。御免なさいワシルカさん」
忠告を受けて、美玖は手を合わせ、眼を瞑って天を仰いだ。
「……美玖、ワシルカって人、死んでないと思うよ」
「あ、そうだね! 有り難う尋音。済みませんワシルカさん」
似通った遣り取りを交わし、5人は笑い合う。平和なガールズバンドの図が、其処に有った。
「……そうだ! じゃあ杁さんに折り返し入れるから。そしたら練習再開ね!」
「おう!! 今度の月曜が本番って事は、あたし達も気合入れて仕上げてかないとね! 遣るよ、皆!!」
尋音が引き締める言葉を掛けた瞬間、和んでいた空気は霧散し、真剣なプロの音楽集団の姿が在った。
「唯今」
不意に扉が開き、志川が事務所に戻って来た。
「あ、社長。……お帰りなさい」
志川の姿を一瞥し、結芽はPCの液晶画面との睨めっこを再開した。手許は忙しなくキーボードを叩いている。
「また用事を頼みたかったんだが……遣ってるじゃないか? 珍しく」
冷やかす様な口調で、志川は結芽のデスクへ歩みを進める。事務所が入居する雑居ビルの入り口に設置されている自販機で買って来たポッカサッポロの缶コーヒーを開け、結芽の反応を待ちつつ一口呷った。
「……心外っすね」
語気を強めて一言残しただけで、結芽は志川に構わず作業を続ける。……しまった、茶化し過ぎたか? 志川は一転してあからさまな猫撫で声で以て発言を撤回する。
「いやぁ……冗談だよ、済まん済まん。な……何の作業してるんだ?」
「今からトロンのスケジュール調整です。さっき迄はフラウンダーのを遣ってました」
機嫌を取って来る志川を意に介さず、結芽は飽く迄事務的に返す。表情から察するに、相当根に持っている様だ。
「そうか……。映理が現場主義な所為で甲斐路に皺寄せが来てしまって……面目無いな」
「……別に、今の量ならあたしだけでも何とか熟せますから」
取り付く島も無い結芽の態度に、志川は閉口した。次なる策を練る為、赤いアロマックスの缶に口を付ける。
「でも……助かってるよ、甲斐路には。此処最近の“4速プロジェクト(仮)”が動き出してからは、連絡や折衝の機会も増えてるしなぁ……」
「其れが仕事ですもん。別に感謝される事じゃありません。対価さえ払って頂ければ」
「ま……まぁ、そうだが……。でも、日頃の仕事に感謝を表す事は有っても良いだろ?」
「いやいや、さっき迄『珍しく仕事してる』なんて宣っていらっしゃいましたよね? どの口で言ってんすか、今更」
「……其れは、済まん。言い訳しようも無い」
「そら見た事か、ですよ。浅薄な発言はしない事っすね」
「……返す言葉も無い」
「まぁ、反省して呉れたんなら良いっすけど」
相変わらず醒めた顔でマウスを操作する結芽に対し、遣られっ放しは性に合わんしな、と志川は反撃を試みる。
「……何だかんだ言ってても、俺の言葉には答えて呉れるんだな」
志川の思惑通り、多少は効いた様だ。結芽はみるみる頬を紅潮させていく。
「…………だって、そりゃ……社長は上司ですもん。シカトは出来ないでしょ?」
「まぁ、そうだな。でも、苛付いてますよアピールしとき乍ら俺との会話は続ける、って所が、何つぅか……甲斐路のいじらしいトコ」
志川の声は、結芽がデスクを両手で叩き付ける音と同時に途切れた。
「……社長」
結芽は立ち上がり、俯き乍らゆらりと志川の方に身体を向けた。前髪に遮られ、其の表情は窺えない。
「な……何だ?」
「社長って……あたしの気持ち、気付いてますよね……?」
結芽が顔を上げる。垂れていた髪が流れ、其の眼が露わになる。
――あ、拙い。
次の瞬間、図った様な丁度良い頃合いでiPhone6が着信音を奏で始めた。志川はスーツの内ポケットに手を遣りつつ、
「済まん、電話だ。一寸外すぞ」
と早足に事務所を出て行った。独り立ち尽くす結芽は、閉められる扉を見遣って、
「……逃げたな」
と呟いて、椅子にストンと腰を落とした。其の頬は、発火しそうな程に火照っている。「はぁ~……」と特大の溜め息を吐いて、結芽はデスクに突っ伏す。
「今言う心算、無かったんだけどなぁー……」
ふと漏れ出た独り言を切っ掛けに感情が汪溢し、目頭にも熱を帯びる。くそぅ、泣くもんか泣くもんか……。結芽は口に出さずに自らを説き伏せ続けた。
「――はい、志川です……」
〔あぁ、僕だよ、杁だ。……どうした? 心焉に在らず、みたいな声をして……〕
「あ……あぁ、済みません。一寸、手前の事情で……」
〔そうか……。大丈夫かい?〕
「えぇ……平気です、済みません。何でしょう?」
〔おぉ、月曜の件だがな、例のバンドの面子が我が儘言い出してな。『野暮用が有るから開始を一時間遅らせて欲しい』との事でな。そいつを考慮して、19時頃からで如何かと思ってな〕
「あ! 其れは丁度良かったです。此方のメンバーの最年少の娘が、学校が有りまして、或る程度遅くないと参加出来ないと云う事だったんです。なので此方としては願ったり叶ったりです」
〔そうか、いやぁ良かった。じゃあ、月曜の19時から、と云う事で段取りするよ〕
「はい! 宜しくお願い致します!!」
〔了解、任せておきなさい! ……然し志川君、本当に平気かい? 根詰め過ぎは宜しくないぞ?〕
「いえ、そう云った類のものではないので……。ご心配お掛けして面目無いです……」
終話して、消灯したiPhoneの画面を眺め乍ら、志川は結芽の眼の色を思い出す。
……疾うに解っていたさ。俺だって其処迄鈍くはない。――甲斐路は俺の事を好いて呉れていた。初めに勘付いたのは、何時頃だったか――。志川は暫し回想に耽る事にした。左手に持った儘だったアロマックスを一口、口腔内に流し込み、舌の上で転がす。其の甘みが、記憶をより鮮明にして呉れる。
結芽は嘗て、志川がU.G.UNITEDとして初の本格的アイドルユニットを結成させるべく、街中で勧誘した人物だった。そう、結芽は現在皆木プロダクションに所属する売れっ子女優の琴平遥和が在籍していた事で知られるsur−FIREの一員だったのである。
遥和が皆木プロに電撃移籍した結果、sur−FIREが空中分解し解散に追い遣られた際、残されたメンバーの取った行動は様々だった。U.G.UNITEDに愛想を尽かして他事務所に転籍する者、U.G.UNITEDに残留して新たなグループでの活動を所望する者、解散を機に此の業界から足を洗って引退する者……其の中でも結芽は特殊な道を選ぶ。利嶋映理と共に面談をした時、結芽と交わした会話を、志川は未だ覚えている――。
「結芽、お前はどうする? 移るか、続けるか、辞めるか」
「……社長、スカウトした時、あたしに言いましたよね? 『俺にお前の身を預けて呉れ』って」
「あ、あぁ……」
「じゃあ、責任取って下さい」
「……う、ん?」
「あたしは、もう自分でアイドル遣るのは……限界見えたんで辞めます。けどあれだけの事言ったんです、あたしの面倒見て下さいよ。喰わせて下さい」
「……ど、どうすれば……」
「……手伝って遣る、って事です!! 社長と利嶋さんだけじゃ、貴宮さんが辞めちゃった今、忙し過ぎて遣ってけないでしょうから! あたしを、裏方として会社で雇って下さいよ! で、喰わせて下さい!」
「……あ、あぁ、そう云う事か。映理はどう思う?」
「私は構わないわ。結芽は優秀だし、きっと良い社員に為って呉れると思うわ。それに、雇う程度で責任取れるんなら安いモンじゃない。男として、ねぇ? ……あとさ、志川。アンタ女の子を名前で呼ぶの辞めな。アンタ不器用だから名前で呼んでると距離の取り方ミスるでしょ? だから遥和の事」
「おまっ、其れは言わない約束だろうが!! ……でもまぁ、一理有るよ。呼び方変える事で俺自身の意識を変えていくって事だよな。……じゃあ、甲斐路」
「……はいっ!」
「此れから、U.G.の社員として宜しく頼むよ」
――今思うと、あの時志川に向けられた眼と、先程の結芽の瞳の色は、本質的には何ら変わりないのかも知れない。あの頃から、志川は自身に向けられる結芽の気持ちを、薄々理解していたのだ。
だが、志川の結論は決まっていた。缶コーヒーを一気に飲み干し、空の缶を握り締め、事務所に戻る。
「……甲斐路」
結芽はデスクに突っ伏している。志川は扉を閉め、リノリウム張りの床に膝を突いた。
「申し訳無い!!」
突然の大声に、結芽は気怠げに其の出所に首を向ける。そして、自らの眼を疑った。
志川が、土下座している。
「いやっ、ちょ……何してんすか?!」
結芽の声に構わず、志川は床に額を付けた儘話し始める。
「確かに、俺はお前の気持ちに気付いていたよ。なのに、はぐらかす所か、愚弄する様な真似をしてしまった。男として、最低だ。……済まなかった。申し訳無い!」
若干、大きい声で誤魔化している様な気もしてきたが、結芽は取り敢えず頭を上げる様、声を掛けた。其れを受け、漸く土下座を解いた志川に、結芽は続けた。
「……良いっすよ、そんな。らしくもない……」
「否、よくよく考えたんだ。俺の甲斐路に対する向き合い方は真摯じゃなかった。ちゃんと相対するのを避けていたんだ。其れに関しては、もう本当に……唯々申し訳無いと思う」
「……はぁ」
「で、だな……。甲斐路、お前の其の気持ちは嬉しいんだが……今は其れを受け入れる事は出来ない。俺には未だ、成さなきゃならん事が有る。そいつに鳧を付ける迄は、応える事は出来ない。……済まないが」
「…………あ、そうっすか」
暫しの沈黙の後、思いも寄らぬ反応が帰って来た為、志川は拍子抜けして結芽を見た。
「いや、だって……社長がどう受け取ったかは知らないっすけど、あたしは自分の口からはっきり『あたしの気持ち』は言ってないっすからね? ほら、社長の理解の中での『あたしの気持ち』とあたしの中での『あたしの気持ち』は違うかも知れないじゃないっすか」
飄々と言ってのける結芽に、志川は「えぇ……いや、でも……えぇ?」と首を傾げる。
「だから、回答は無効っす。また然るべき時機が来た時にしますから」
そう言って悪戯っぽい笑みを浮かべる結芽に、何故か志川は釘付けになった。
「だから……今迄通りの『社長と甲斐路』で居させて下さい!」
其の言葉に、志川は肩の荷が降りた気がした。また其れは、結芽が意図した通りの、志川の心の動きであった。結芽に取っては、涙を呑んで、最大限の譲歩をして、志川に責任を感じさせない様にしたのだ。代償として今迄通りの関係性が取り戻せるのならば、此の傷みや気苦労など屁でもない。再び滲んできた此の涙さえ、屁でもない。
「ね? 社長!」
うっすら涙が窺える瞳で微笑む結芽に、志川は素直に思った。
――あれ、コイツこんなに可愛かったっけ……?
「――はい、了解です。……えぇ、宜しくお願い致します。……はい、では」
画面上の終話釦を押下し、琉歌は糺凪と眼を見合わせた。
「決まったね、糺凪ちゃん」
「えぇ、月曜日の18時ですよね……」
「うん。まぁ、大体道筋は見えてきたから、後は実際に合わせて遣っていく感じだね」
「……でも、本当にライヴハウスで、バンドの演奏で歌えるなんて……」
糺凪は改めて、此の不思議な導きに就いて思った。琉歌との親睦を図る為に訪れたカラオケ店で、偶然居合わせたインディーズでの実績を持つバンドのメンバーに絡まれ、突拍子の無い提案に因って、斯うして歌いたかった曲を生演奏で歌う事に為った。それも琉歌が一緒の舞台に立ち、コーラスや軽い振り迄する、と云う。
糺凪に取っては、出来過ぎと云っても過言でない位に理想的な、恵まれた状況である。空恐ろしく感じる程に。
「……どうしたの糺凪ちゃん? 緊張してる?」
琉歌が糺凪の顔を覗き込み、問い掛ける。糺凪の表情から僅かに懼れる色が窺えたからだ。
「いやぁ……何か、恐くなっちゃって。その……怖じ気付いた訳じゃなくて、巧く行き過ぎてて」
糺凪は眉尻を下げて微笑む。琉歌は糺凪に安心感を与えられる様に笑い返した。
「そんなの、私だって思ってるよ。だって意味不明でしょ、偶々出会ったバンドが生演奏で歌わせて呉れるなんて。他人に言ったって信じて呉れないよ」
「……ですよね」
「――それに、そんな環境で、此れからのプロジェクトの実験が出来るなんてね」
何処迄を琉歌が管理するのか、今は未だ定かではないが、糺凪は此れから琉歌がプロデュースする新たなアイドルグループの一員と為る。琉歌が此れからのプロジェクトの事を視野に入れているのも至極当然だった。
思えば、琉歌は親睦のカラオケ会の帰路、糺凪に「ロック系統の曲を糺凪がヴォーカルを取る格好良い感じ」で新たなアイドルグループを構想している、と言っていた。生のバンドサウンドを背景にして、BPMの速いロック調の曲を歌う今度の機会は、正に其の路線が間違っていないかを占う試金石に為る筈だ。此れ以上無い程にお誂え向きである。
矢張り、自分は恵まれている。恵まれ過ぎている――。糺凪は、琉歌と一つ事を成せる幸福と、其の真裏に潜在する微かな不安を噛み締めた。そして、明後日と決まった舞台で最良の結果を引き出せる様、最善を尽くす決意を改めて固める。
「……遣りますよ、ルゥさん。ルゥさんの隣に立つに恥じない最高の歌唱、してみせます……!」
先程迄の虞を感じさせない、沸々と湧き上がる様な闘志を表明した糺凪に、琉歌は肌が粟立った。糺凪の放つ殺気めいた清冽な雰囲気に気圧されただけではない。それだけの期待感、安心安定感を抱かれたからには、意地でも真面なものにしなければ――と云う、遂行意識とでも呼ぶべきものが芽生えたからだ。無論、当初から適当に遣る心算など毛頭無いが。
「――うん。絶対、ベストにして遣ろうね……!」
糺凪と同じく、静かなる覇気を滾らせ、琉歌は呟きかける。糺凪は視線で以て返事をした。見合わせる二人の眼に、同じ色の炎が揺らめく。
「お二人さんっ!! 捗ってるかな!? コーヒーでも淹れようか?!」
一切の前触れ無く部屋の扉が開け放たれ、室内の空気など些かも気に掛ける事の無い実江の溌溂とした声が飛んできた。
「お母さん…………良い加減にしてよっ!! 邪魔しないでって言ったじゃん!!」
琉歌と実江が衝突してから部屋に戻り、小一時間が経っていた。先程の、実江に関する琉歌の発言が正しかったのだ、と糺凪は思い知った。
結構な尖り声で怒鳴った琉歌だったが、翻って実江は全く意に介していない様子である。
「あらあら、そんなに怒んなくても良いじゃないのよ~。『一服どう?』って訊いただけなのに~」
「そ……そうですよ、ルゥさん。実江さんだって悪気が有る訳じゃ無いんですし……」
琉歌の余りの剣幕に、糺凪は自然と実江を擁護する姿勢を取った。だが、琉歌の苛立ちは収まらない。
「悪気がどうとかの問題じゃないの!! もうお母さんは自重してよ!! 何処の世界だって、構ってちゃんは煙たがられるの!!」
「かま……」
琉歌の矢鱈と鋭利な舌鋒に実江が絶句する。其の様子を見て発言した側の琉歌も一瞬たじろぐが、再び眦を決する。追い討ちを掛けようと琉歌が口を開きかけた其の時、一拍先に糺凪が声を上げた。
「ルゥさん、もう止めましょう」
琉歌も、そして実江も、其のひんやりとした声音に、息を呑まざるを得なかった。
「此れ以上遣っても、不毛ですよ。何も良い事は有りません。……あ、部外者が出しゃばって済みません」
形式に沿って謝ったものの、自分の発言が間違いだとは思っていない糺凪の声に、反省の色は無い。だが、琉歌も実江も其処に関しては何とも思わなかった。其れが、完膚無き迄に正論だからだ。
「落ち着きましょうよ。頭冷やしましょう? ……例えば、今から外で練習するのとか、どうですかね? 心頭滅却がてら……」
漸く口調を和らげて、普段吊り上がった眉尻を僅かに下げ乍ら糺凪は提案する。窘められた琉歌は、其れを断る相応しい理由を持ち合わせてはいない。
「……じゃあ、一寸出掛けようか……?」
「――何か、さっきは御免ね? 見苦しい所見せちゃって……」
駿河湾に沿って走る国道を、青いV35スカイラインセダンは直走っていた。僅かな砂浜や無数の消波ブロックは在るものの、ほぼ海と陸との境界線を体現している此の道は、大時化の時などは路面が海水を被るらしい。
何にせよ、此れ迄首都の内で過ごして来た糺凪に取っては非常に新鮮なドライヴである。
見知らぬ地平を駆ける車窓と云うものは、どうして斯うも心を躍らせるのだろう。糺凪は浮つく中で自らを律し、会話に集中する状態へ意図的に切り替えた。
「いえ、あたしは別に平気なんで……。それより、何かルゥさんが自棄に実江さんに突っ掛かってる様な気がして……あ、別にルゥさんの其の辺りの事情を掘り返そうとしてるんじゃなくて……」
過剰気味な糺凪の気配りに、思わず琉歌は笑い声を上げた。静粛性を考慮して、車速と比すると高めの5速に入れているシフトノブに左手を預けた儘、眼の端で助手席側を捉える。
「分かってるよ。糺凪ちゃんはそんな意地悪な事はしない、って」
糺凪は其の台詞に得も云われぬ安心感を抱き、はにかんだ笑みを運転席に返した。
「……何でなんだろうね。改めて考えると良く分かんないや。良識では解ってるんだけどね、あんなに強く当たらなくても良いのに、って事くらい……」
琉歌はステアリングを握り直した。きっと其の動作に、大した意味合いは無い。
「……多分、分かってるから、かな? 私が、お母さんの気持ちを。……或る程度、分かるじゃない? 普通に人間遣ってたら、相手がどんな事考えてるか、って……大体想像出来るでしょ? 特にほら、肉親だしさ……」
「はい……」
「だから……分かってるんだよね、お母さんがどれだけ不安か、とか、大体はさ……。重々承知なんだよ、自分がまたアイドルを遣りたい、って望む事でお母さんに心配掛けてるって云うのはさ……」
糺凪は一つ、頷きを返す。琉歌は視野の端で其れを確認し、言葉を続けた。
「だけど……私が決めた事だし、過干渉はされたくない。幾ら邪魔されたって、私の考えが変わる事は無いんだし。……多分お母さんだって、其れ位は分かってる。で、其の上で止めさせたいって云うお母さんの思いは、私も分かるし。……何なんだろうね? 巧く纏まんないや」
琉歌は眉尻を下げて微笑む。其の横顔には色濃い切なさが漂っていて、隣の糺凪にも伝染する様だった。
沿岸を離れて少々走ると、車窓は明確に山林を映していた。排気量の利を活かし、V35は峠路をものともせずに駆け上がって行く。
「何か……良い山道ですね」
「おっ、糺凪ちゃん分かる? 私結構好きなんだよねぇ、日本平パークウェイ。清水側は旧道も面白いんだけど、最近そっちは工事が進んで路線が結構変わっちゃってね……」
「そうなんですか……」
比較的高所を通過する、左カーブの橋梁に差し掛かった。
「確か此の橋を越えた所に駐車場が在ってね……あ、ほら!」
橋梁を越えて猶、左に回り込み続けるカーブの終わり際の位置でガードレールが途切れている。良い速度で橋梁部を抜けてくると、唐突に現れる入り口に対処出来なそうな場所だ。琉歌も或る程度飛ばしていたのだが、終始安定した挙動を保った儘、V35を道端の駐車場へ滑り込ませた。場内に他の駐車車両は無く、また特に売店や、自販機さえも見当たらない。白線で区画された枠も全体的に消えかかっていて、優先順位の低さがありありと伝わってくる。琉歌は殆ど消えてしまっている枠線に苦労し乍ら、適当な駐車枠にV35スカイラインを停めた。
「んんっーー……。一寸休憩ね」
運転席から脱出した琉歌は大きく伸びをした。助手席側のドアを閉めた糺凪は、申し訳程度に在った傍の朽ちかけた長椅子に歩み寄り、何かを発見した。
「ルゥさん、此れ……」
糺凪の指差す先には、生い茂る木々の葉に覆われそうに為っている看板らしきものが在った。“富嶽台 清水日本平パークウェイ”と白い字で記されている。
「あぁ、何か在るのかな? 駐車場の存在しか知らなかったよ」
糺凪の許に歩み寄りつつ、琉歌は言った。糺凪は看板の左手に首を振る。
「あ、階段在りますね……」
左右から鬱蒼と木の葉が伸びる中、蹴込みの部分にゴロっとした石を幾つか配した階段が続いていた。
「……ちょっくら探検する?」
琉歌は階段を眺めつつ、何気無く言った。
「はい!! 探検しましょう!!」
琉歌の想像の5倍は乗り気だった糺凪は、存外高調に返答した。
「……糺凪ちゃん、随分機嫌良いね?」
「いやぁ……何なんでしょうね? 見知らぬ場所を訪れる事がこんなにワクワクするんだなぁ……って、我乍ら今気付きました!」
其の感情の中で、或る意味最も重大な要素である「誰と」が抜け落ちているが、意図したものなのか否かは糺凪自身でも定かでない。
「そっか……良かったよ。糺凪ちゃんがそんな気分を味わえて」
琉歌はスカイラインの右後部ドアを開け、常時携帯している黒い手提げ鞄を取り出した。
「じゃあ、探検隊発進!」
「了解!!!」
琉歌の想像の8倍は元気に答えた糺凪の心中は、琉歌の想像の64倍ときめいていた。
階段を上りきると、一寸した原野が有った。雑草と呼んで良いかは分からないが、間違っても芝生とは呼べない長さ迄生長した草が一面を覆っている。如何にも手入れされていません、と云った感じだ。
「此れは……想像以上の放置っぷりだなぁ……」
其れでも一応、定期的に訪れる人は居るらしく、通り道らしき踏み均された跡が一本道を形成している。だが、そんな人口獣道を一歩でも踏み外すと、足を踏み入れるのを一瞬躊躇ってしまう程の奔放さで緑が生い茂っている。
「何か……ザ・自然って感じですね……」
糺凪は絞り出した様な感想を述べた。
「まぁ……ほったらかしなだけだよね……控えめに言って」
出生地である琉歌の方が、気遣いの無い分だけ辛辣なのは自明の理である。
「屋根、在りますね」
「あぁ、東屋だね」
砂利の獣道は左右にふらつき乍ら東屋に向かって走っている。取り敢えず道を辿る事にするが、大した距離も無い。東屋の周囲は樹木が茂っていて、見た目鬱蒼としているが、中に踏み入ると思ったより圧迫感は無かった。
東屋には厚い木板で出来た四角い机と、其の各長辺に配された同様の造りの長椅子のみが在る。屋根は在るものの、屋外の吹き曝しであるが故に、机とベンチの脚下からは苔が這い上がっており、脚の中ほど迄到達している。
琉歌は半ば唖然としつつ、視線を前方へ向ける。
「……何も無いねぇ……」
東屋の先には、唯々山林が拡がるのみだった。最早、殆ど人の手が及んでいないに等しい、山野そのものが在るだけだ。
「……ルゥさん、アレ! 何ですかね?」
好奇心旺盛な糺凪は琉歌を追い越し、東屋の先に歩み出した。指差す先には、斜面に設置された簡易トイレの様な縦長の函が傾いでいる。更に近付くと、其の函は当然の如く苔に覆われ、其処に辿り着く迄の獣道は堆積した落ち葉に因って消えかかっていた。琉歌は函の周囲の環境から状況を想定し、糺凪に忠告する。
「……多分、面白い事無いよ。もう使われてないトイレでしょ。下水処理がどうなってるのかも分かんないし、あれだけ傾いてるから可成り足場悪いだろうし……。引き返そう?」
「……ルゥさん隊長がそう言うなら」
若干後ろ髪を引かれる思いもある様だが、割合従順に糺凪は踵を返した。
「あ、其処、気を付けてね。蜘蛛の巣張ってるから」
琉歌の言葉を受け、糺凪は頭を屈めた。蜘蛛の巣を避けて、軽く観察する。
「うわ、デカい蜘蛛居るじゃないですか。……結構キモいですね、やっぱ近くで見ると」
「お、そんなに見れるの? 糺凪ちゃんって虫大丈夫な人?」
「割と平気かもしれないですね。今気付きましたけど。……あ、勿論蜘蛛とかを素手で、って云うのは無理ですよ?!」
「いやそりゃあね。てかそんな無茶振りしないよ」
苦笑を浮かべた琉歌に釣られて、糺凪も笑う。
「……ですよね」
東屋迄引き返すと、未だ好奇心旺盛の糺凪が何かを発見した。
「あの石、何なんですかね……」
上って来た階段の右手側、東屋の斜め手前方向を糺凪は眺めていた。其の目線の先を追うと、其の一角だけ木々が無く、丸太風の柵の先に、くっきりと景観が窺える。そして其の柵の手前に、不自然に四角い石が横たわっている。傾斜地に敷設されている所為で、しっかり安置されている筈の石の方が逆に片方浮き上がって見える。椅子の代わりに置いたとしては些か高さが無さすぎるので、座る用途ではないだろう。
「……其の石、平らだからさ、上に乗るんじゃないかな?」
「ああ!! 『ナンチャラ台』って書いてありましたもんね!」
糺凪は早速石の台に駆け寄る。琉歌は其の姿を見る内に、謎の石の存在意義を把握した。糺凪は石に乗り前方を見て、思わず感嘆する。
「……うわぁ……」
見渡すと緑の山々、其の先には旧清水市街が拡がり、遥か遠方には富士山がうっすら見えた。今日は薄曇りなのでくっきり輪郭が望める訳ではないが、其処に在るのは判る。其の存在感こそ、日本一の山たる所以だろう。
「……だから富嶽台なんだ」
琉歌は呟き、独り得心した。糺凪が立つ其の石こそが、即ち「富嶽台」と云う名の見晴らし台なのだ。見渡しても解説して呉れる様な表示や看板は無かったので飽く迄も類推だが、きっとそう云う事なのだろう。琉歌は歩み寄って、糺凪の背中に声を掛ける。
「もうちょい晴れてれば、綺麗に富士山見えたのにねぇ」
「……いえ、此れで充分です。充分、良い景色です」
暫く見惚れていた糺凪は、デニムパンツのポケットから赤いHTC J Butterflyを取り出し、カメラを起動させ、横向きにして撮影した。
「……見た事無い景色って……良いですねぇ……」
平らな石の上に立ち、眺望を目一杯享受せんとする糺凪は、心地良い風を受け乍ら呟いた。
「――いやぁ~然し、小梢と皆砥があんな仲に為るとは思わなかったよ、ははは! 何て言うんだ……そう! 『喧嘩する程仲が良い』って奴だ!! 俺がカラオケブースに戻ったら、あれを絵に描いた様な関係性に為っててな……」
結芽が志川との“元通りの関係性”を取り戻さんと、自らの涙を散らして以降、志川は矢張り負い目を感じているのか、間断無く喋り続けていた。某古舘氏も斯くや、と云う驀進振りで、回遊魚の如く口を閉じれば死ぬのか、と質したくなる勢いである。
「……あの、社長」
箍が外れた様に喋り捲る志川を半眼で眺めていた結芽は溜め息を吐き、仕方無しに声を掛ける。志川の肩がビクン、と大きく跳ねた。
「あたし、『今迄通り』って言いましたよね? 社長って、そんなにベラベラくっちゃべる人でしたっけ?」
「あ、いや…………」
結芽はもう一度、溜め息を吐いた。其の吐息には、少なからぬ後悔が入り交じっている。
「あたし、本当に『今迄通り』が良いんです……。もう、此の儘じゃ普段通りの業務すら真面に出来ないじゃないっすか。社長の方が年長者なんですから、もう一寸巧く遣って下さいよ……」
「……いや、そう、だな………………」
――あぁ、駄目だ。今の社長には何を言っても逆効果だ。きっと今の社長には、あたしの発言が全て自分を詰っている様に聞こえてるんだろうな……。結芽はそう感じ、後悔の念を強くした。あの時、感情的に為って口走らなければ、想いを抑えきれていれば……。何だか、再び目頭が熱くなってくる。結芽は涙が込み上げる時の、鼻がツンとする感覚が嫌いだ。
嫌な感じを封じ込めようと上を向いた瞬間、結芽に取って正に天啓の様に、話題が降臨した。そう、矢張り志川には仕事関連の話を振るのが一番だ。
「――そう云えば社長、さっき何かあたしに頼もうとしてませんでした?」
「あ……あぁ、そうだったな……」
志川は再起動された様に、徐々に平静を取り戻していく。其れが外見から見て取れるのが可笑しいのだが。
「新しいプロジェクトの5人に、来週月曜の午後19時にライヴハウスに集まって貰いたいんだ。新しいプロジェクトは生バンドの音を効果的に使いたくてな、伝手を頼ってガールズバンドを紹介して貰える事に為ったんだ。実際の舞台で協演する事も考えてるから、バンドメンバーとの相性を見ておきたいと思って、演奏を見せて貰いつつ顔合わせをしよう、と思ってな。小梢と皆砥にはもう話は通してあるから、他の3人に連絡を取って貰いたい。……でも、俺が遣ろ「遣りますよ、あたし」
結芽が志川の要らぬ気遣いを前以て制する。
「あたしが遣りますって。連絡とか折衝はあたしの役目、でしょ? 変な気遣わないで下さいよ。普段通り! ……ね?」
一回りは年下の部下に窘められた志川は「……はい」と反射的に返事をしつつ、年甲斐も無く高鳴る胸の理由に勘付き乍らも、暫く瞬きさえ覚束なかった。
「……ん?」
瞳をパチパチさせ、スチール製の書棚に寄り掛かる様に突っ立った儘の志川を横目に、結芽は支給されたiPhone5sを取り出し、画面を見る。数分前に琉歌からメールが届いていた。タッチパネルを操作し、メールを展開し本文に目を通した結芽は、初めワクワクと胸を躍らせ、軈て眼を見開いて一つの仮説を打ち立てる。
「…………社長、ひょっとして、月曜日のライヴハウスって『エファヴェス』っすか?」
「……え……あ……あぁ、そうだ。良く解ったな……。まぁ、俺が仲良くして頂いてるライヴハウスって云うとエファヴェス位しか無いから、解るのかも知れないが……」
「あの……因みに、其のガールズバンドって、何て名前っすか……?」
「あぁ、うーんと、確か……『センスレスネス』って云ったっけかな……」
結芽は大袈裟でなく全身が粟立ち、座っているのに其の姿勢の儘、宙へ浮かび上がる様に錯覚した。結芽の掌から机に放り出されたiPhoneの画面には、斯う記されていた。
【結芽ちゃん久しぶり! 仕事任せちゃっててゴメンね? 今糺凪ちゃんと一緒に地元にいるんだけど、この前偶然出会ったセンスレスネスって女の子たちのバンドに誘われて、今度の月曜日の18時に東京のエファヴェスってライヴハウスで、糺凪ちゃんがカラオケの延長みたいな感じで歌うことになったんだ。それで、今度の新しいプロジェクトに備えて、私も糺凪ちゃんと一緒にステージに立って、予行演習みたいな感じでやってみようと思うんだよね。生バンドの演奏する舞台なんてまたと無いしさ! で、社長は忙しいかも知れないからアレとして、結芽ちゃんに見届けてもらいたいんだよね。結芽ちゃんって、ニコムーン時代の私、好きだったでしょ?(笑) 結芽ちゃんなら、方向性の善し悪しが分かると思うから。都合が合えばの話だけど、大丈夫かな? 追伸:何か分かりにくい文章でゴメンねorz】
「扠、結芽ちゃんにメールしたし、富嶽台で一寸練習してみる?」
メールの送信を完了した琉歌は、繋がった儘で絡まっていた分配器と2本の片耳イヤホンを解し、片方のイヤホンを自身の右耳に装着し、もう一方のイヤホンを糺凪に差し出した。
「はい!!」
糺凪は元気一杯に答える。自身を鼓舞し、喉に活を入れる為に。そして、自分の最大限に陽性の声で、母親との葛藤に苛まれる琉歌を後押し出来る様に。
果たして、琉歌はさっぱりと煌めいた表情で、
「よっしゃ!! 遣ろうか!!」
と気合の声を上げた。
「でも、一寸意外でした」
不意に結芽が呟いた。傍に立つ志川は「……え?」と身構える。
「……違うっすよ、社長の事じゃなくて。希望ちゃんと李空ちゃんです。何か、あの二人ってそんな上手く行かないんじゃないかな、って正直あたしは思ってたんすけど」
「あぁ……。俺もな、実はそう思ってたんだ。あの二人、反りが合わないんじゃないか、ってな。でも此れが予想外にな、打ち解けてる様な具合だったんだよ。単に仲が良い、って訳じゃなくてな、言い争い小競り合いはするんだけど本気じゃないって云うか……じゃれ合ってるみたいな感じなのかな。意外と皆砥が手玉に取る様な感じだったな……」
「へぇ……其れはまた意外ですね……」
自分から振った話題なのに、結芽は腑抜けた返事をした。気付けば結芽は、琉歌と糺凪のエファヴェスでのステージの事で頭が一杯だった。
琉歌を筆頭にした新たなアイドルグループのプロジェクトに、志川は手蔓を頼り、「センスレスネス」と云うガールズバンドを音楽的な要にしようと考え、バンドの演奏力を見がてら新たなプロジェクトのメンバーとの顔合わせを企画した。一方琉歌は、糺凪が「センスレスネス」と云うガールズバンドに誘われ、ライヴハウスにて生演奏で歌う事に為ったので一緒に舞台に立ち、新たなアイドルグループプロジェクトの方向性を定めるステージにしたい、と言う。其の場は共に東京郊外のライヴハウス「エファヴェス」で、明後日の1時間違いだ。
何故琉歌達とセンスレスネスなるガールズバンドに面識が有ったのか、と云う最大の未知の不可解は残るものの、孰れにせよ奇跡的な偶然が成立した事には変わりない。
結芽は打ち震えていた。此れが、蒼鷲琉歌の持つ力なのだろうか? 知らず知らずの内に奇跡を手繰り寄せてしまう、そんな逸話が、ニコムーン時代の琉歌には数多く残っている。故に、とある論客は往時、些か大仰に琉歌の事を斯う呼んだのだ。“天に導かれし必然のアイドル”と――。
此れが、あたしが追っ掛け続けていた「必然のアイドル」の力なんですか、ワシルカさん?! 結芽は心の中で絶叫した。
「……大丈夫か? 甲斐路。何か有ったのか?」
黙り込み、妄想の世界へと飛躍する結芽を不審に思い、志川は問い掛ける。
「あ、えぇ……」
答えかけた時、結芽の脳裏に或る企みが生まれた。此の驚異的で運命的な神の導きと思しき偶然を、志川に教えるのは、惜しい。気付かなかった振りをして、此の世で自分だけが此の事実を知っている、と云う愉悦を享受したって、罰は当たらないのではないか? 況して、今日ならば。
「――……いえ、何も無いっすよ?」
結芽は言葉を呑み込み、神懸かった偶然の事実を胸に蔵い込んだ。
「……そうか? じゃあまぁ、そんな訳で蒼鷲と西船橋と鮎見に連絡しておいて呉れ……るか?」
「……だから!! 其処は『しておいて呉れ』で良いんすよ!! 気ぃ遣わないで下さいって何遍言わせるんすか!?」
「……はい。すんません……」
スゴスゴと社長室へ引っ込んで行く志川の背中は明確に寂しげだった。悪い事したな、と結芽は志川を見遣って心を痛めるが他方、当分は此れ以上素直に謝る気にはなれない。抑も、此方は相当に譲歩したのだ。
「……招集、掛けなきゃ」
口走った事に対する後悔、志川に対する申し訳無さ、反対に泣いて迄譲り渡したのだから、と云う居直り。其の上で、琉歌の神懸かり的な偶然に対する衝撃、畏敬の念が綯い交ぜに為り、グチャグチャの胸中で、結芽は辛うじてiPhone5sを手に取る。
先ずは、琉歌への返信だ。月曜19時の件も含めて……と考える内に、再び一つの企みが結芽の頭に浮かんだ。もし此の儘、月曜の19時にエファヴェスに、と返事をしたら、当然琉歌は志川が宛がおうとしているガールズバンドが、自分達をステージに誘ったと云うセンスレスネスなるバンドと同じであると気付くだろう。其れでは面白くない。どうせ同じ場所で同じ日に、似た様な時間に遣るのだから、態々此方から言わずとも、其の時に為れば知れる事だ。寧ろ18時と19時で連続した時間帯に二つの出来事がある、と云う事は、センスレスネスが19時から用意された舞台を「序でだから」と1時間前倒しして借りたと考え得る。
そうだ、此れはあたしだけの、独り善がり自己満足の吃驚企画にしてしまおう。結芽はそう決めて、画面上の返信釦をタップした。こんな日なのだから、と云う主張を言い訳にして。
社長室に入った志川は、深い溜め息を吐いた。結芽は「告白した訳じゃない」と云う様な事を言っていたが、志川からすれば、あの瞳は告白そのものだった。想いを告げられ、其れを断る場合、失恋した方に注目が当たりがちだが、大なり小なり断る側も傷を負うのだ。相手の想いを分かっていればいる程、相手の感情が切実であればある程、謝絶する方にも相応の覚悟が、決意が問われる。
ずっと握り続けていた所為で、少しだけ凹んだアロマックスのスチール缶を見詰め、志川はもう一度溜め息を吐いた。3つ並んだ同じ形のゴミ箱の内、缶・瓶用に割り振られたものに投げ入れる。空虚な金属音を立てて無事投擲は決まったが、ちっとも心は晴れぬ儘、志川は机に向かいデスクトップPCを立ち上げる。
「何だ此れ……? 『Appleからの領収書』?」
新着メールの案内が有ったので開いてみると、見慣れぬ文字列が並んでいた。
「蒼鷲の支給端末か……。『プロタゴニストの一日は』250円、『風と散り、空に舞い』250円……。曲を購入したのか……何で? 勝手に?」
志川は首を傾げるが、あの琉歌に限って無駄遣いや、下手をすれば横領にも為りかねない行為をする筈が無いとは信じている。次に会った時にでも真意を訊けば良いか、と志川は判断し、メールを閉じた。
気が付けば、陽が暮れかけていた。青空に対し夜が東から討ち入りを仕掛けている。
「……じゃあ、そろそろ戻ろっか?」
琉歌と糺凪を乗せた青いスカイラインセダンは富嶽台を後にした。最後迄、素晴らしい景観を誇る穴場に他の誰かが訪れる事は無かった。
「もっとちゃんと整備して存在を宣伝しないと。あれじゃ寂れて当然だよ」
「まぁ、観光案内的な表示は欲しいですよね……」
「そうだよ。折角見晴らしは良いのに」
琉歌と糺凪は車中で富嶽台の現状を憂えた。其の内にスカイラインは日本平の山頂に到達する。
「……わぁ、ロープウェイとか在るんですね」
「あぁ、でも意外と地元民が故に乗った事無いんだけどね」
「そうなんですか?」
「うん。意外と無い? そう云うの。例えば富士山なんか、静岡県民は皆登ってる、みたいなイメージ、無い?」
「あぁ、ありますね。遠足とかで行くのかな、とか」
「うーん、まぁ近隣の学校だと行事とか有るのかも知れないけど、実は県民でも登った事無い、って人が割と多いんだよ」
「あ、そうなんですか?」
「うん。まぁ私も其のクチだけどさ。で、私も含めてそう云う人が言う台詞は大体同じで、『富士山は登るモンじゃない、見るモンだ』って云う」
「……そう云う論理なんですね」
「そう。静岡市でも一寸歩くだけでドーンと見えたりするからね。或る意味有難みなんか無いんだよ。そりゃ、見る度に綺麗だな、とは思うけどさ。でも立地が良けりゃ庭に出れば見えるんだから」
「『見に行く』でもなく最早『見える』なんですね……」
「そうそう。否応無く視界に入る、みたいな。だからそう云うのと同じで『地元の観光名所程あんまり知らない説』みたいな感じって、多かれ少なかれ有ると思うんだけどさ。まぁ、そんな感じで私はあのロープウェイに乗った事は無い、って云う話」
「じゃあ、今度乗りましょうよ! 今回は明日の内に帰らないといけないから無理でしょうけど、また其の内に、静岡に来た時には!」
「……うん。そうだね!」
V35スカイラインセダンは、日本平パークウェイの静岡側を軽快に駆け下りて行く。
「あちゃあ……お父さん帰って来てるか……」
富嶽台を後にして30分程走り、スカイラインは琉歌の実家に到着した。二階建ての住居の手前に設えられた正規の駐車空間には既にアクセラスポーツが停まっている。数時間前に此処を出た時は、昌敬は外出していた様でアクセラは無く、スカイラインは遮られる事無くすんなり出発する事が出来た。
「御免ね糺凪ちゃん、一寸待ってて!」
琉歌は極限迄スカイラインを路肩に寄せ、インパネ下部に左手を伸ばして丸いハザードランプのスイッチを押した。ドアミラーと目視で通過車両の無い事を確認して急いで外へ出る。小走りで家屋に入って行き、父の愛車の鍵を借りて引き返し、アクセラに乗り込む。エンジンを始動させ、ゆっくりと前進して中央線の無い市道の向かい側にアクセラを退避させてハザードを焚く。
「お待たせ!」
小走りでスカイラインに戻ると、琉歌は速やかにクラッチを踏み込み、6速の横のRギアにシフトノブを入れて目一杯ステアリングを切り、庭先に車両後部から突っ込んで行く。
「こんなモンかな……」
絶妙なクラッチ操作で微後退を繰り返し、サイドブレーキを引いてエンジンを停止する。
「良し! じゃあ糺凪ちゃん、私アクセラ片付けて来るから先に家に入ってて? ……あ、最初から家に行ってて貰えば良かったかな?」
「いえ、あたしルゥさんが運転してるの見てるの、好きですから……」
「あ、そう? 何か照れるね……。あ、アクセラ退かさなきゃ」
琉歌が出て行ってから、糺凪は発言を自覚して赤面した。
「……どしたの糺凪ちゃん? 出て来なよー」
駐車作業を終えた琉歌が玄関から呼んでいるが、後頭部迄も熱くなった糺凪は当分、車内から出られそうにない。
糺凪は食卓の椅子を立ち、直ぐ横の台所に足を向けた。昌敬は居室のソファに腰を下ろし新聞に目を通している。琉歌は糺凪に声を掛け、一足先に自室へと戻っていた。
「あの……ご馳走様でした。済みません、普通にご飯迄振る舞って頂いちゃって……」
とは云うものの、正直、糺凪に自分が持て成された実感は無い。常識として、最低限の行儀を果たしただけだ。
「んん? 良いのよ別にそんな~。ご馳走って程頑張った食事出した訳でもないし……」
夕食の席では最早、実江と昌敬は糺凪を客扱いしていなかった。無論其れは良い意味で、其処に居るのが当たり前の様な、一切の気負いも無い応対だった。居心地の良い、包み込まれる様な安心感は琉歌の持つ雰囲気にも似通っていて、糺凪は蒼鷲家の血の繋がりを感じた。
「いえ、何か……嬉しかったです。家族の一員に為れた様な気がして……」
「あはは、確かに糺凪ちゃんは琉歌の妹みたいな年頃だもんねぇ~。蒼鷲の家系では有り得ない美人さんだけど」
ほほほと笑い乍ら、実江は皿洗いを再開する。糺凪はシンクの中に残された食器達を見遣り、実江に提案する。
「……食器洗い、手伝いましょうか?」
「いいのいいの、気持ちだけ貰っとくわよ。家族同然だけど、糺凪ちゃんは何てったってお客様だからね! 水仕事させたら私が琉歌に怒られちゃうわ」
「そう、ですか……」
遠慮された糺凪は物憂げな表情を浮かべる。
「……そんな顔しないで。家事は私に任せて! 娘達は自分の思う様に、好きな事すれば良いの!」
糺凪は二つの意味で嬉しくなった。一つは実江が自分の事を娘と言って呉れた事、もう一つは、実江が琉歌を応援していると云う言質が取れた事に対してである。
「……じゃあ、お言葉に甘えて!」
打って変わって糺凪は満面の笑みを浮かべた。糺凪が階段を上がっていく足音が止んだ頃、実江は呟いた。
「……やっぱり糺凪ちゃんはアイドルね。笑顔が最高に可愛いもの。琉歌がべた褒めする訳だわ」
「それに、率先して皿洗い迄遣ろうとなんて、なかなか出来るものじゃない。本当に良く出来た娘さんだ」
昌敬は新聞を広げた儘言った。実江は洗剤の付いた皿を濯ぐ手を止め、水道水を閉止する。
「本当ね……」
糺凪が部屋に入るなり、琉歌が駆け寄って来た。
「糺凪ちゃん!! カローラバンの整備、終わったって!」
琉歌は此れ以上無い程に満面の笑顔でスパークリングブルーのソニーエリクソン製au向け端末を見せ付けてきた。凡そ1677万色を表示可能で、ワイドVGA+の解像度を誇る3.3インチTFT液晶画面には、Eメールの受信画面が表示されている。差出人は「唯惟」となっており、琉歌の母校である専門学校の生徒の坂西唯惟であると糺凪は瞬時に理解した。文面は簡素で、カローラバンの整備が完了し、明日には引き渡せる、との旨が書かれている。
「おぉ、良かったですね! て云うかルゥさん、遣り取りメールでしてるんですね?」
「あぁ、うん。やっぱり何かと分かり易いんだよね。S007みたいなのだと技術的にね、LINEは旨味が無いし」
「そうなんですか?」
S007は、少なくともauの携帯電話としては最高到達点に位置する端末である。連綿と進化してきたKCPの完成形であるKCP3.2を採用し、1620万画素のメインカメラや前述の優れた液晶画面、ワンセグ放送とFMラジオの受信機能を両立する等、性能上でも比肩する機種は、全携帯会社を見渡しても稀だ。更に実用性の高い回転2軸式の筐体や、その薄型で端整な意匠、駄目押しに絢爛なイルミネーションを搭載し、性能も外観も完成度が高い。ガラケーからスマートフォンへの過渡期に登場した、正しく究極のau携帯電話端末と云えよう。
そんな究極の機種を以てしても、抗えない事も有る。――時代の変化には打ち勝てないのだ。
スマートフォンと云う、より高次な処理動作を行う端末を対象に開発された、LINEを筆頭とする新たなサービスは、遍くガラケーを過去の遺物へ追い遣った。即時性が売りのLINEだが、フィーチャーフォン版では進行中のトークの常時反映はされず、任意にページを更新しなければ最新の遣り取りを享受する事は出来ない。また既読機能も実装されないなど、其の最大の利点が散逸されてしまうのだ。
「だから私は私事ではLINEとか使ってないんだ。支給端末には入ってるから仕事では使ったりもするけどね」
「そうなんですね。あたしも個人的にSNSとか苦手で……LINEもあんまり使わないんですよ」
「そうなんだ! 珍しいね……未だにガラケー使ってる私が言えた事じゃないけど」
二人は笑い合った。
「……じゃあ、明日には帰るんですね?」
「うん。……今更だけど、御免ね? 何か急に静岡迄連れて来ちゃって」
「いえ、あたしも何だかんだ楽しんでますし、出会う人は良い人ばかりですし……。東京じゃ出来ない経験ばかりで、あたしが逆に『有り難う御座います』って感じです」
「本当? 無理矢理で嫌じゃなかった?」
「とんでもないです! あたし、良かったって思ってますよ? 本当に感謝してます、ルゥさんに。……ルゥさんに気ぃ遣ってる訳じゃ無いですからね?」
「そっか……良かったよ。流石に強引だな、って思ってたから」
琉歌は心底胸を撫で下ろした様な笑顔を浮かべる。糺凪は其の表情を見て、心の充足を覚えた。
「じゃあ、最後にもう一回、2曲通しで練習しておこう? 今日はずっと練習してたし、糺凪ちゃんの喉の事も考えないとね」
「あ、あたし全然平気ですよ? 毎回確り発声練習してますし、あたしの喉、結構強靭みたいで、発声さえちゃんとしてれば潰れたりしないんで! 今も調子良いですよ!」
糺凪はそう言って、「風と散り、空に舞い」の冒頭のハイトーンを空で易々と歌ってみせた。
「ほら!」
天真爛漫を絵に描いた様な面持ちを見せる糺凪に、琉歌は愛らしさと頼もしさを感じた。思わず糺凪の肩を抱く。
「可愛いよ~糺凪ちゃん!!」
「ちょ、一寸ルゥさん……」
不意の接触で、糺凪の心拍数は跳ね上がった。此の動悸が琉歌に伝播してしまわないか、不安に為る程に。
「じゃあ、本番だと思ってガチめのを2回遣って、其の後ストレッチと腹筋ね! 私は其の後走って来るから!」
「ふ……腹筋はルゥさんのランニングの準備運動ですよね? あたしは遣らなくても……」
「駄目! 糺凪ちゃんも遣るの!! マネージャー命令だからね!?」
「こ、斯う云う時だけ……狡い……」
「何か言った?!」
琉歌が余りにも積極的に来るので、糺凪は観念した。
「…………いえ」
「じゃあ決まり! 『プロタゴ』から行くよ?」
「……はい」
エルパの片耳イヤホンを装着しつつ、糺凪は返事をした。其の瞳には、数瞬前とは打って変わり、本番想定の練習に臨む職人気質の志が、確かに宿っている。
そして、二股に分岐したイヤホンから「プロタゴニストの一日は」が流れ出した。
「……ふぅ。糺凪ちゃんはお風呂入った?」
「あ、はい。ルゥさんが走りに行ってる間に頂きました」
糺凪は携帯から眼を離して首を回し、部屋の入り口付近に立つ琉歌を見上げた。
「そっか。風呂は染み入るよねぇ~疲れた身体に。……私ももう若くないよなぁ~……」
首にタオルを掛けた琉歌は、うっすらと風呂上がり特有の色っぽさを醸し出している。切なげに細められた瞳も、其の見え方に寄与しているだろう。
「……ルゥさんって、あたしの5歳上でしたよね?」
「うん、そうだね。25……今年で26に為るよ」
「……まだまだじゃないですか? 大手のグループには其の位の年齢の人だって、今は沢山居るじゃないですか」
「うん……まぁそうだけどね……。私より年上で現役ってアイドルの方もいらっしゃるけど……私自身、2年間の隠居期間があって、最近また準備しだしてるじゃない? 一寸疲れ易くなってるの、現役と比べて。振り付けったって、今回はそんなに踊るって訳じゃないし、歌もコーラス程度だし、そんなに根詰めて練習はしてないのに、何か疲れるんだよね。勿論、疲労困憊になる程じゃないんだけど……」
琉歌は頼りなげに微笑む。だが、糺凪は確信している。
「……ルゥさん、きっと其れは、加齢の所為じゃありませんよ。2年間遣ってなかった事をまた遣りだしたから、少しだけ身体が置いてかれちゃってるだけですよ」
「そうかなぁ……」
「そうですよ! それに、毎日1時間走って筋トレも欠かさない様な人が、何言ってるんですか! 普段大した事してないあたしなんかよりよっぽど、ルゥさんの方が体力有るに決まってるんですから!」
自信満々に語る糺凪に、琉歌はほんの僅かに呆れた様な表情を浮かべた。
「いや……其れは、どうだろう……」
糺凪は琉歌の言わんとする事を汲んだ。
「まぁ……あたしは現役なのに些か怠慢かも知れないですけど……。でも、ルゥさんより鍛えてないアイドルは多いと思います」
「……うーん……」
ひょっとしたら、琉歌の頭脳には多くのアイドルの鍛錬の量が知識として入力されていて、女性アイドルが一般的に日々の体力作りに費やす時間は糺凪の想定より多いのかも知れない。糺凪が持ち合わせていない其れ等のデータと比して、琉歌は悲観的に為っているのかも知れない。それでも、糺凪は確信している。
「あのね、ルゥさん。あたし、物事って『継続しようとする意志』が一番大事だと思うんです。誰だって、何かを始める時に『絶対遣り抜くんだ』って思うじゃないですか。でも、其の気持ちを何時迄保ち続けられるか、なんですよ。何かを願う時にしたって、其れをどれだけ願い続けられるかが重要なんです。其の点で言えば、少なくともあたしは、ルゥさん以上に想いの強いアイドルを知りません。なんせ10年も毎日1時間走って筋トレして……其れを唯単に熟してる訳じゃなくて、願掛けとして遣ってるアイドルなんて……あたしは知りません。其処だけは絶対、誰が何と言おうとルゥさんが一番だと信じてます。あたしが保証します!」
正直に言うと、此れは詭弁なのかも知れない。だが、糺凪の確信は揺るがない。絶対の自信に満ち満ちた顔付きで語り掛ける。
「こんっなにも、長く……強く願ってるんですよ? そんな人が報われないなんて、有り得ない。こんなにもアイドルでありたい、と願い努力する人が、アイドルで居られない訳が無い。……あたしはそう思います」
琉歌の頬を、不意に温かな雫が伝った。一転して心配の表情を浮かべる糺凪を琉歌は首タオルで目尻を拭い乍ら制する。
「有り難う……有り難うね、糺凪ちゃん……。私、嬉しいんだよ。何だか……何だろうな? 嬉しいよ……」
泣いて喜ぶ琉歌を、糺凪は堪らなく愛しく感じた。胸の中心稍左寄りの内側が収縮する様な痛みが走る。
「済みません。さっきからあたし、偉そうでクサい事ばっかり言って……。でも、本当に思うんですよ。ルゥさんの想いが報われない世界なんて、間違ってる、って。……えへへ、クサ過ぎますかね」
流石に少し恥ずかしくなって、照れ笑いをした糺凪に、琉歌の身体が打つかってきた。
「何だろ……自分でも、良く……分かんないよ。御免ね、糺凪ちゃん……」
糺凪の胸に顔を埋め、琉歌は肩を震わせた。糺凪は泣きじゃくる琉歌を、其の感情ごと抱き留める。
「……良いんです、大丈夫ですよ。……此れから世界に、ルゥさんの想いを宣言しに行きましょうよ。世界は間違ってなんかない、って……証明しに行きましょう……」
糺凪に最上級のクサい台詞を言わせたのはきっと、腕の中の琉歌の身体が思ったよりも華奢な感触だったからだ。
「有り難うね、糺凪ちゃん。甘えちゃって御免ね」
暫く涙に暮れ、軈て平静を取り戻した琉歌は、はにかんだ表情を見せて糺凪の腕の中から離れていった。其の瞬間に覚えた微かな喪失感に、糺凪は我乍ら軽く虚を衝かれた様な思いだった。
「……そろそろ寝ようか?」
「……そうですね。明日は移動日ですし」
「移動日って言うと……ふふっ、何だか静岡が郷里みたいじゃない?」
「……言われてみれば、そうですねぇ……。えへへ、全く違和感無かったです」
糺凪が照れ笑いを浮かべると、呼応する様に琉歌は破顔した。
「ははは。まぁ私は嬉しいよ! 糺凪ちゃんが私の故郷を気に入って呉れたんならさ!」
「否……『気に入る』とは一寸違うかも知れません」
「……え、そうなの……?」
「はい。だって……『気に入る』って何だか上からじゃないですか? あたしはそんな、見下す様な言い方じゃなくて、もっと斯う…………あっ」
糺凪は純度100%の、充足感に溢れた笑顔を琉歌に向けた。
「……『好き』ですかね……。うん、ルゥさんの地元が、好きです」
心做しか頬を染めて言う糺凪は、琉歌に対して強力な破壊兵器と為った。琉歌は釣られる様に紅潮しつつある頬を誤魔化す為に、不自然な仕草をし乍ら言った。
「わ……分かった、から……兎に角、寝よう? ねっ?!」
言うなり琉歌は、床に並べて敷いた座布団に横に為った。
「あぁっ! ルゥさん駄目です! 今日はあたしが床で寝るんですから!」
「いやいや、糺凪ちゃんは飽く迄も客人なんだから……」
「またルゥさんはそう遣って、あたしを家族として見て呉れないんですか?!」
「いや、其れと此れは別じゃないかな……」
「いぃや!! 別じゃないです! ……じゃあ良いですよ。今日はルゥさんを床で寝させない理屈を色々考えてたんですから! まず一つ! 後輩であるあたしが二日間ベッドを占領するのは、流石に気が引けます! ルゥさんを床で寝かせるのは忍びないです!」
「……其れ、糺凪ちゃんこそ、先輩後輩で見ちゃってるじゃん。家族として対等なら、先輩とか年上とか無くない?」
「うっ……」
「じゃあ、二人して床でも良いんじゃない?」
「……否、駄目なんです! えっと……ルゥさんは明日、運転手さんじゃないですか? まぁ、あたしも免許は一応持ってますけど、殆どペーパードライバーなんで高速は運転出来ないんでお願いしたいんです。そんな責任重大な運転手さんには、ちゃんとベッドでぐっすり眠って頂いて、確り休養を取って貰わないと困りますから!」
「……なら、二人でこっちは!?」
琉歌は邪気の無い顔でベッドを指差す。糺凪は分からず屋の先輩に対して呆れ気味に問い掛ける。
「……ルゥさん、そんなにあたしをベッドで寝かせたいですか?」
「勿論!! 家族みたいに思ってはいるけど、糺凪ちゃんはやっぱり可愛い後輩だし、護るべき所属タレントだし、社歴で云えば先輩だし、此処は私の家で招いてる訳だし……そりゃあ糺凪ちゃんは当然ベッドだよ! 其の上で、糺凪ちゃんが『どうしても』って言うんなら、私も折れる気は無いし……いっそ二人でベッドって選択でも、私は全然構わないよ! ……まぁ、流石に狭いけどね」
あっけらかんと笑う琉歌に対し、糺凪は頬を染めている。モジモジする糺凪を見て、琉歌は首を傾げ、微笑み掛けた。
「そんなに身構えられると、一寸悲しいなぁ……。小難しく考える事無いよ、同じベッドを共用するだけだって。ね?」
「……で、ですよね……」
「糺凪ちゃん……私と寝るの、嫌?」
不安そうな表情を浮かべる琉歌に、糺凪は射貫かれる様な感覚がした。
「や……嫌、とかじゃない、です……」
「じゃあ良いよね? ……私、何か糺凪ちゃんが傍に居て呉れると、安心するんだ。だからまぁ、狭いけどさ……。さっきは、胸借りちゃったけど、もうそんな事も無い様にするし……」
糺凪の胸中は葛藤の状態にあった。琉歌に頼られるのは、嫌ではない。寧ろ、泣くのなら、自分の前だけにして欲しい。涙に暮れる琉歌を癒やすのは、自分でありたい。だから――いざとなると支えきれるかは曖昧だが、琉歌にはもっと頼りにして欲しい。他方、琉歌と共寝をするのは抵抗がある。勿論、琉歌が嫌な訳ではない。隣で寝たりなどしたら、自分の過剰な緊張が琉歌に伝わってしまわないか、体臭や口臭は大丈夫だろうか、寝相が悪くて呆れられたりしないだろうか……そんな懸念が脳裡を擡げていた。
だが、閉め切っている筈の室内に、矢庭に微風が吹き、糺凪の懊悩を無き物にした。
「……じゃあ、ご一緒しても良いですか?」
暫く思慮していた糺凪を待つ間、拒絶されたら凹むなぁ、と考えていた琉歌は、糺凪の返答で緊張感から解放された。
「良かった!! じゃあ、寝よ!!」
意気揚々とベッドに潜り込む琉歌を、糺凪は慈しんで眺めていた。心地良い一陣の風と共に、糺凪は全てを受け容れた。誰よりも孤独に己と向き合ってきて、誰よりも愛されるべき蒼鷲琉歌と云う人物を、そしてそんな琉歌に対する自身の気持ちを。
要は、行き着く先は一つだったのだ。琉歌に頼られたい、琉歌が泣くのなら自分が癒やしたい、と云う思いも、自分の緊張を琉歌に露顕したくない、自分を臭いと思われたくない、愛想を尽かされたくない、と云う思いも、方向性は全く同じである事に気付かされた。
「はい! 糺凪ちゃん、どうぞ!!」
「……お邪魔します」
屈託の無い笑顔で掛け布団を捲り上げる琉歌は、遠慮がちにベッドに入り、端の方に横たわる糺凪に呼び掛ける。
「もっと真ん中迄入って来なよ。そんな端っこじゃ落っこちちゃうよ?」
「……じゃあ……」
糺凪はもぞもぞと驟き、琉歌の方に躙り寄る。琉歌は其の様子を視界の端で捉えて、満足そうに瞳を閉じた。
琉歌と肩を並べ、枕を共にした糺凪は、琉歌が寝息を立て始めてからも眼が冴えてしまい、なかなか寝付けなかった。
「……ん」
明くる日曜、糺凪は自らの身体が外的要因で揺さぶられた事で目覚めた。
「……あー、やっぱ起こしちゃったか……。御免ね糺凪ちゃん」
「んあ……いえ、お気遣い無く……」
顎が外れんばかりの大欠伸を噛ます糺凪に、琉歌は心底申し訳無さそうに言う。
「いやぁ……昨夜は此処迄思い至らなかったなぁ……。そりゃあ同じベッドで寝てたんじゃ、片方が起きたらどうしたって起こしちゃうよね」
起き抜けで極端に回転しない頭脳の儘、糺凪はしょんぼりしている琉歌の頭頂部を撫でた。
「いやぁ、そんな事で謝らないで下さいよぉ……ルゥさんは本当、真面目過ぎるんですからぁ……」
此処迄口にした辺りで、漸く糺凪は覚醒し、自分が何を仕出かしているのかを、正確に理解した。
「あっ!! ……す、済みません!! 寝惚けてて失礼な事を……!!」
糺凪は琉歌の頭からばっと手を離した。心做しか赤面している琉歌が、一瞬名残惜しそうな目線を送って来た気がしたのは、流石に糺凪の思い上がりだろうか。
階下へ降りると、実江の手に因って恙無く当然の様に用意されていた朝食を、琉歌と糺凪は揃って食んだ。糺凪は完全に蒼鷲家に溶け込んでいた。より正確に云えば、糺凪は蒼鷲家に受け容れられていた。日曜朝の報道番組を肴に会話を交わす蒼鷲家の3人と糺凪の間に、一切の垣根は存在しなかった。
「……10時に学校に行けば良いんだって」
食後、S007を注視していた琉歌がふと顔を上げ、糺凪に声を掛けた。昌敬と実江を含めた4人が一様に壁掛け時計を見遣る。
「……一寸時間有りますね」
そう言って糺凪は琉歌に視線を送った。琉歌は其れに呼応する。
「じゃあ、支度も有るから、どっちか一曲だけ合わせよっか?」
「はい! じゃあ、『風と散り』の方で!」
バタバタと階段を上がっていく二人を、昌敬と実江は温かい目で見送った。
「……琉歌と糺凪ちゃんって、本当に何日か前に知り合ったのかしら?」
「……まぁ、人間急速に親しくなる事だって珍しくは無いよ。波長が合う様な仲だったら、時間なんかひとっ飛びだ」
「そうね……」
実江は、もう誰も居ない階段の方をじっと眺めていた。暫くして、ぼそっと呟く。
「……『時間なんかひとっ飛び』は、些か気障に過ぎるわね」
「ねぇ……糺凪ちゃん」
出がけに、糺凪は実江に留め立てられた。其の声は、糺凪が彼女と出会ってから最も真剣なものだった。
「……はい、何でしょう?」
三和土で靴の爪先をトントンしている糺凪に、実江はそっと耳打ちした。
「琉歌を宜しくお願いね?」
其の囁きに糺凪は氷水をぶっ掛けられたかの様な衝撃を覚え、「……え?」と訊き返す事しか出来なかった。
「いや、重く捉え過ぎないでね? ほら、琉歌って何かと頑張り過ぎる所が有るし、ああ見えて猪突猛進な傾向も有るでしょ? だから、あの子が前見えてないな、って時にブレーキ掛けてあげて欲しいのよ。無理して突っ走らない様に、ね? 我が娘の様な糺凪ちゃんにだったら安心して任せられる、って思ったから」
実江は優しく語りかけて微笑む。糺凪は其の笑顔に、身の引き締まる思いがした。意味合いは軽いとはいえ、母親から琉歌を託されたのだ。此の責任は重い。
「……分かりました。お任せ下さい」
殆ど反射的に口走った言葉を、後から糺凪は噛み締める。
あたしは、ルゥさんの一番近くで、ルゥさんを見詰め、支え、共に生きる。此れは、あたしに課せられた使命なのだ――。糺凪はそう誓い乍ら玄関を後にし、琉歌が呼ぶV35の許へ向かった。
「糺凪ちゃん、大丈夫? お母さんに何か言われた?」
「あ……いえ、何でもありません」
「…………本当?」
「本当です! 何も有りませんから! ……さ、もう行きましょ!! 昌敬さんも待たせてますし!」
V35スカイラインを脱出させる為には、ファミリーカーであるアクセラスポーツは移動させなければならない。昨日琉歌が言っていた様に、独りで2台の車の移動を行うのは、考える迄も無く非効率的である。故に、先程琉歌が出発の挨拶をした際に、昌敬がV35脱出の手伝いを買って出て、アクセラを市道へ退避して呉れていた。
「……そうだね。通行者や車両達にも迷惑だし。……でも、本当にあの母親」
「大丈夫ですって!! さぁ、行きますよルゥさん!!」
「……あと糺凪ちゃん、ウチのお父さんの事も名前呼びするのは一寸……何か怪しい気がする、って云うか……」
「え……そうですかね? ルゥさんのお母さんを『実江さん』ってお呼びしたんで、お父さんも『昌敬さん』ってお名前でお呼びしたんですけど……」
「……何か納得出来ない」
琉歌はむすっとした仕種を作った。斯う為ると、最早愚図っている幼児と大差無い。
「……分かりましたよ! じゃあ訂正しますね? 『ルゥさんのお父さんもお待たせしてるんで、早く出発しましょう!』 ……此れで良いですね?」
「……ん、苦しゅうない」
斯くして、スカイラインセダンは蒼鷲家を後にした。
日曜の午前中だと云うのに、専門学校には作業に当たった生徒の全員が顔を見せていた。
「お。来たね、琉歌君。仰せの通り、仕上がってるよ」
武藤教員は琉歌と糺凪を迎え入れるとそう言って、坂西唯惟に詳細を説明する様に指示を出した。
「カローラバンのクラッチの交換を行いました。琉歌さんの仰った通り、中程度の摩耗が確認出来ました。あれ以上進行すると正常な走行に支障を来す可能性が出て来る位の摩耗具合だったので、丁度良い頃合いだったと思われます。あとは、エンジンオイルを筆頭に各オイルの交換も行いました。あと、タイヤも多少マシな中古品に交換しておきました。同等のサイズですが、校内やあたし達のバイト先とかから掻き集めたので、乗用車用のタイヤに為っています。銘柄もまちまちですが、昨日作業完了後に実走確認をして、特に問題は無かったので、大丈夫です」
一端の整備工然とした立派な説明に、糺凪は感心した。尤も、ごく一般的な機械音痴である糺凪には、専門的な説明は右から左へ流れ去ってしまい、「何か全体的に良くなった」程度の理解しか出来なかった。概ね其の通りでは有るのだが。
「タイヤ迄替えて呉れたんだ?! 其処迄して呉れなくても良かったのに……」
琉歌は思わず正直な感想を漏らした。瞬間、場に流れた微妙な空気を逸早く察知した琉歌が「あ、否……」と挽回の言葉を継ごうとした時、
「まぁルカ、そんな鰾膠も無い事言って遣るなよ」
シャッターの向こう側から宇部把佑麻の声がした。
「此奴等なりの餞別だろうよ。素直に喜んどけって。……まぁ、ルカの事だから、単純に後輩達の労力を慮っただけなんだろうけどな」
稍くすんだオレンジ色の頭髪の佑麻の背後に姿を見せた碓氷崇貴が、佑麻の発言を継ぐ。
「まぁ、皆分かってますよ。琉歌さんがそう云う人じゃないって事は。……皆、琉歌さんを応援したいんです。自分の本当に遣りたい事に、再び立ち向かわんとする琉歌さんの力に、少しでも為りたいんですよ」
真っ直ぐな目線と共に届けられる崇貴の言葉を引き継ぎ、灰色の実習服を身に着けた生徒達が口々に声を上げる。
「そうです! 応援してますから!!」
「頑張って下さい!」
「何でも言って下さい!!」
一人、昨日から同じ台詞の奴が居るな……と糺凪は思ったが、一々口を挟むのも無粋なので黙っておいた。抑も、今は糺凪が喋る場面ではない。
「み……んな…………」
琉歌は瞳に、今にも零れ落ちそうな程に涙を溜め込んでいた。そして数秒俯くと、其の場で日頃の鍛錬を思わせる軽やかで鮮やかな一回転をした。旋回と同時に涙を振り払ったのだ。キュッと靴底を鳴らして凛然たる立ち姿を見せた琉歌は、何とも綺麗な笑顔で宣誓する。
「皆、本当に有り難う! 皆の気持ちに報いられる様に、全力を尽くして、完全燃焼するから!! ……どんな言葉でも表せない位、感謝しています! 糺凪ちゃんと、あと何人かの仲間達と、此のカローラバンで東奔西走して、全国に私達の名前を轟かせる様に精一杯努力します! 此れからも見守っていて呉れたら、心強いです。此の恩は忘れません! 本当に、有り難う御座いました!!」
琉歌は頭を下げる。隣に立つ糺凪も、釣られて辞儀をする。暫くの間、車庫内で温かな拍手が鳴り止む事は無かった。
琉歌と糺凪が出発する少し前に束の間、銘々気儘に雑談をする時間が訪れた。糺凪は琉歌の話し相手が途切れた隙を見計らい、耳打ちする。
「あの……ルゥさん、一個気に為ってた事が有るんですけど……」
「あぁ、良いよ。何でも訊いて?」
「その……佑麻さんは、日曜もお仕事なんでしょうか……?」
離れた所で会話している佑麻は一昨日と全く同じ、黒々とした油染みが点在する大成石油の制服を身に纏っている。
「うーん、どうだろうね……。そう云えば一昨日、明日も仕事だ、って言ってたっけな……」
眉間に皺を寄せた琉歌は、当人ではなく崇貴を呼び出し、声を絞って尋ねた。
「あのさ……ゆーまって、今日も仕事なの?」
「あぁ……じゃないですかね。幾ら佑麻さんでも休日には私服着るでしょうから……。まぁ、もし休みでも『一寸顔出しに行くから』とか言って職場行っちゃいそうですけどね」
崇貴が苦笑しつつ答えると、琉歌は呆れと危惧が綯い交ぜに為った表情を見せた。
「それじゃ休みなんて無いじゃん……。仕事、好きにも程が有るでしょ」
「大丈夫ですよ。佑麻さんのスタンドの運営母体、碓氷興産の関連企業なんで、厳しく言い付けてますから。俺から佑麻さんにも直接言ってますし。だから心配しないで下さい。佑麻さんに無茶はさせませんから」
「でもタカキ、あんた社長さんと上手くいってないんでしょ? 『言い付ける』なんて出来るの?」
「あ、発言力は或る程度保持してますよ、俺。兄貴が良く出来た人間で、親父と巧く遣って、猶且つ俺と親父の関係も取り持って呉れるんですよ。まぁ親父が何しろ俺を嫌ってるんで、大した権限は無いですけどね。でも関連会社に圧力掛けて監視する位は出来るんで。だから平気ですよ」
崇貴は唯惟達と歓談する佑麻を見遣り、琉歌と糺凪にしか聞こえない程度の声量を維持して、呟く様に宣言する。
「佑麻さんは、俺が護りますから」
其の横顔は、不覚にも格好良い、と糺凪に思わせる程度には男らしいものであった。
利嶋映理は申し訳程度に、安普請の極みである薄っぺらな扉を打擲し、志川雄路が“社長室”と言い張る空間へ返事を待たずにぬるりと入って行った。
「志川、入るわね?」
「……もう入ってんじゃねぇか。どうした? 映理」
映理は、沈鬱な表情で机上に頬杖を突く志川に視線を送った。
「……『どうした?』は此方の台詞よ。何なの? ……まぁ大概予想付くけどね」
映理の言葉に一切反応せず、渋面の儘、志川は缶コーヒーに口を付ける。
「……結芽と何か有ったでしょ?」
其の一言が耳に入ってきた瞬間、志川は口中のコーヒーを噴き出した。
「うわっ! ……飲み物噴く人って居るのね、現実に……」
映理は手近に在ったボックスティッシュを箱ごと志川に投げ渡した。志川はティッシュを数枚引き出すと、自身の纏うジャケットやスラックスに飛散した褐色の液体を手早く拭き取り、目の前に有ったデスクトップPCのキーボードを雑に拭った。数回噎せつつ、顰めっ面で映理を一瞥する。
「……安いスーツで良かったよ、全く。…………やっぱり、映理には隠し事は通じないな」
「そりゃ、ねぇ……。何だかんだ志川とは長い付き合いですから、ね?」
蠱惑的なウィンクを志川に返す映理を志川は一顧だにしない。映理は無反応を決め込む志川に対し、一つ鼻息を吐いて、慈しみの色を浮かべた眼で問い掛ける。
「……話、聞くわよ? 貴方が望むなら、ね」
暫く押し黙った後、志川は昨日の結芽との顛末を吐露した。的確な相槌を返しつつ、頷いて志川の発言に耳を傾けていた映理は、全てを聞き終えて微笑みを湛え乍ら、言った。
「……志川、アンタ切腹しなさい」
「……え?」
「当たり前じゃない!! アンタが百万%悪いじゃないの、其れ!! ……全く、そんなの小学校中学年の男子じゃないの。……否、今日日小学生でももう少し上級な恋愛してるわよ」
志川は今一つ腑に落ちていない様な、冴えない表情をしている。映理は深い溜め息を吐いた。
「……だから、アンタは結芽の事が気に為ってるのよ、ずっとね。で、気に為ってるからこそ、其の相手の反応を見るのが楽しくてからかうんでしょうが。其れを世間じゃ『小学生男子』って云うのよ。アンタのした事は小学生男子レベルって事。……本当に自覚無いのかしら? もしそうだとしたら、アンタ相当重症よ」
「……はっきり言って、気付いてなかった。昨日、初めて思い知ったんだよ。俺が、その……甲斐路を、あの……す、気に為ってる……とか、さ」
映理は芝居染みた大袈裟な溜め息を吐いた。
「……本っ当に、自分の事と為ると無頓着なのよね、アンタは。……『無頓着』って云うより『鈍感』か」
「何とでも言え。……甘んじて受け入れるさ、今なら何言われてもな」
志川は吐き棄てると、今度こそ落ち着いて缶コーヒーを口にする。映理は先程よりも茶化しの要素の少ない溜め息を吐いて、志川に問う。
「……で、アンタは自分の感情を自覚しました。それで、アンタの結論は?」
「其れは、決まってる。今は浮ついてはいられない。そう云う状況じゃない。……其れは、何が有ろうと変わらない」
「仕事最優先な所、やっぱり志川ね。人格が変わってなくて一安心したわ」
「俺は俺だよ。色恋沙汰で揺らぐ程度の男じゃないさ」
「……とか言って、遥和の時は相当取り乱してた癖に。貴宮君を敵視し続けてるのだって、遥和を取られたのが悔しいからじゃない。どの口が『色恋沙汰で~』なんて宣うのかしら」
映理の精確無比な舌鋒に、志川は脂汗を滲ませるのみしか出来なかった。映理の攻勢は続く。
「……アンタだって解ってるでしょ? あの時、遥和が皆木プロへ行ったのは正解だった。其れどころか、あのタイミングしか無い、って位に絶妙な時機だった、って事。あれより早くても遅くても、今の遥和の成功は無い。アンタの信条に照らし合わせると、彼を責めるのはお門違いなんじゃない?」
志川は心の安寧を求め、握り締めた缶コーヒーを口中に流し込んだ。一気に飲み下す音が、自棄に響いて聞こえる。
「……きっと、貴宮君だって分かってたのよ。『今、遥和を他事務所へ遣らなければ彼女の可能性を摘んでしまう』って事をね。だから「だから、沈みそうな泥船から自分も首尾良く抜け出した、ってか?」
志川が俯いて、映理の言葉を遮断する。顔を上げた志川の瞳には、鋭利な眼光が浮かんでいた。
「俺が貴宮を憎んでるのを、琴平を奪い去って行ったからだと思ってたんなら、映理、お前も未だ未だだな。抑も、琴平は俺のものでも何でも無い。アイツが琴平の将来を想って移籍させたんなら、俺だって大手を振って送り出したさ。……どうして、アイツは何も言わなかったんだ?」
貴宮颯馬は、琴平遥和を中堅芸能事務所である皆木プロダクションに移籍させるに当たり、周囲に一切の相談をしなかった。当時、日々共に働いていた志川や映理にさえ事前の報告は無く、貴宮は自分ごと、皆木プロに転籍してしまった。遥和の電撃移籍は、貴宮の独断で推し進められたのだ。
「アイツは、何一つ俺に言って来なかった。姿を消す其の前の日迄、何ら表情を変える事無く、俺と、映理と、働き続けてた。其れが一晩経ってどうだ?! ……俺は人間が出来ちゃいねぇからよ、此れがアイツの裏切りじゃねぇ、とは到底思えねぇんだよ。俺を、映理を、U.G.UNITEDを! 今にも沈没しそうな泥船だと決め付け!! 挙句稼ぎ頭の琴平迄持って行って!! 黙って出てってのうのうと皆木で業務遂行してるアイツが!! 許せねぇんだよ!!!」
椅子から立ち上がり、志川は机に缶コーヒーを叩き付けた。僅かに残っていたコーヒーが飛沫と為り、机上を汚す。映理は其の様子を一部始終見終わると眼を瞑り、「そうね」と呟いた。そして徐ろに豊満な胸の下で組んでいた腕を解き、ティッシュを2回引き出した。腕を伸ばし、天板に飛び散った缶コーヒーの雫を拭き取って遣る。
「確かに、彼は何も言わなかったわ。社会人としての報連相は欠けていたかも知れない。でも、彼だってU.G.を『沈む船だから抜け出そう』なんて事は思ってなかったわ。私達、前の日迄一緒に働いてたんだから、分かるでしょ? きっと、彼なりの色々な事情が絡んでいたんじゃないかしら? ……そう考えられる位の柔軟性はあっても良いかな、と思うけどね、貴方にも」
「……其れが出来てりゃ苦労しないさ。そんなの、俺じゃねぇ」
映理の口角が持ち上がる。机を拭くのを止め、顔を志川に向けた。
「……やっと、志川らしくなったんじゃない?」
「あぁ。俺の原点は遣る瀬無さに在り、其処から沸く怒りを初期衝動に換えて推進力にしてきた。其れを再確認したよ。恩に着る、映理」
志川は苦み走った微笑みを映理に見せた。映理も柔和な笑みを志川に返して、ふと言った。
「……で、結芽に対しては死んで詫びなさいね?」
「おま……其れはもう終わったんじゃないのかよ?! 今の話の流れでそっちに戻すか、普通?!」
「いや、だって……元はと云えばアンタが『俺は色恋沙汰では』云々かんぬん抜かすから斯う為ったんでしょ?! ……多分、結芽だって落ち込んでるわよ。きっとあの娘だって『今言う心算じゃなかった』って思ってるわ。『社長と軽口叩ける部下』って云う関係性を誰より壊したくなかったのは、結芽自身でしょうから」
志川は映理の精緻な分析に感嘆した。
「……良く分かるな……」
「大体は、ね。だから、そうなった時、アンタに出来る事は唯一つ。本当に割腹する訳にもいかないんだし、そうなったらアンタが今迄通りの態度で接する事。何事も無かったかの様に、ね。其れ位の方が却って結芽も救われるわ。普段通りの志川に徹する――此れがアンタに出来るせめてもの罪滅ぼしよ」
「……映理、お前昨日見てたのか?」
志川は驚愕の余り、有り得ないにも程がある世迷い言を漏らした。
「そんな訳無いでしょ……」
映理は軽くせせら笑って続ける。
「言ったでしょ、『大体は』って。結芽の性格ならこう考えるかな……って想像してるだけよ。ま、其の反応だと結芽からもそんな事言われたみたいね?」
「あぁ……。妙に自覚しちまったから、自然に振る舞うのが難易度高くてな……。上手く行かなくて、土曜は甲斐路も居心地悪そうにしてたな、終業迄……」
「そんなモンよ。何事もそうじゃない。自覚すると途端に普段通りになんか出来なくなるの。半ば無意識に為している事こそが“普段通り”って事なんだから。……そして結芽には死んで詫びろ」
「未だ言うかよ、其れ!?」
映理はセ氏-273℃よりも冷ややかな眼で志川を射抜く。
「そりゃそうでしょ。なに気ぃ遣わせてんのよ結芽に!! 大事な部下でしょ、数少ない戦友でしょ!? 此れで気ぃ遣い続けて辞めちゃったらどうする心算よ!?」
「…………否、まぁ、其れは…………な?」
「『な?』じゃないでしょ!! ……全く、何遣って呉れてるんだか……。結芽がアンタに惚れてるの、アンタ自身が大体分かってると思ってたわ」
「其れは俺も薄々勘付いてたよ「じゃあ、何で木偶の坊の方がマシ、みたいな応対しか出来なかったの?! 断るのは決まってるんなら……」
志川の言葉尻を逃さず捉え、攻勢の手を緩めず更に締め上げようとしていた映理だったが、黙って俯く志川の姿を見て、流石に同情の念が湧いてきた。
「あ……まぁ、人間関係だからね。そう定型的にはいかないのも分かるけど……。特に異性との関係だし……うん……」
……否、何で私が志川に気ぃ遣ってるのよ? 映理が至極真っ当な疑問を覚え、口を噤んだ時だ。
「……ぅううんああぁ~~!!!!」
志川が天を仰ぎ、声帯が千切れんばかりに加減無く雄叫びを上げた。室内に谺が残る中、映理は反射的に暴れた自らの搏動を宥めつつ尋ねる。
「……何? どうしたの?」
眉間に皺を寄せた映理の問い掛けを無視し、志川は傍から見ていて若干引いてしまう程に思い切り、自身の右の頬を張った。バチィン!! と苛烈な音が響く。
「…………此の話はもう終わりだ。切り替えてくぞ」
頬からの痛覚に思わず表情を歪め乍らも、志川は毅然と言い放った。
「……切り替えなきゃいけないのはアンタだけでしょ。自分に言い聞かせてるだけじゃない……」
映理は処置無し、と云った風情で首をフルフルと左右に振った。
「……まぁ、何はともあれ日曜甲斐路が休みで良かったよ。映理に打ち明けられたし、そうじゃなくとも昨日の今日じゃ、斯うして俺自身を立て直すなんて出来なかったからな」
映理は志川の表情を見てフッと笑い掛ける。
「漸く、吹っ切れたんじゃない?」
「あぁ。……まぁ、よくよく考えたら、俺が“吹っ切る”ってのも違う気もするがな」
「じゃ、其の吹っ切れた状態で明日からも宜しくお願いしますよ、社長!!」
映理は語尾を強調して言い残し、便宜上社長室と呼称される空間から出て行った。
「あぁ。此れから“4速”が始まるからな。もう一段、忙しくなるぞ……」
沼の底から復活した志川の双眸がギラリと、猛禽類の如く煌めいた。
――心残りは、ココロの凝り。心の凝り、解しませんか? 秘密厳守、どんな事でもご相談承ります。諏訪部法律事務所。電話番号……
「ラジオ、聴ける様に為ったんですね」
「ね! 何か実習場の片隅に転がってた余り物のCDデッキも序でに付けて呉れたって。『序で』で出来る様な作業量じゃないのに……。クラッチもバッチリだし、タイヤ迄換えて呉れて。有り難いよ。……さっきも言ったけど、此の想いに報いられる様に、此れから頑張らなくちゃ。ね?」
「あ、は……はい!」
糺凪は、身が引き締まるとは正に斯う云う事だ、と身を以て体感した。助手席に座した儘、再び武者顫いする。
「先ずは『センスレスネス』とのステージだね……」
自分に言い聞かせる様に呟く琉歌は、心做しか笑みを浮かべている様にも見える。
カローラバンは、一路東京を目指し、東名高速道の上りを快調に直走る。
《1-5 了》
本作は架空の創作物です。
文中に登場する人物名、団体名等は、現実のものとは関係ありません。
また、文中に実在する著名人名、企業名、商品名等が描写された場合も、其れ等を批評・誹謗する意図は一切ありません。
前話から通読して頂けている方が居られましたら感無量で御座います。
前話では可成り苦労して校正作業を行いましたが、理想的なのは投稿時点で完璧な作品ですがそう上手くはいかず、実際は細かな修正を加えました。1-5-1のみならず、過去の回でも漏れ無くそうであるし、一度発表した後でも改稿出来るのがネット小説の利点である、と云う免罪符の許に、今話は可成り校正作業を端折っております。折を見て修正が必要な箇所が有れば対応していくので、ご了承下さい。
扠、前話の後書きにて「1-5-2は半分弱は書き上がっていて、構想も殆ど纏まっているので近々上げられる」旨を書いておりましたが、結果的には此の体たらくです。結論から申し上げますと、①今回の決定稿に対して、前話の後書きの時点で書き上がっていたのは2割弱だった(要は僕の見通しが甘かった)と云う事と、②働き始め、日がな一日好きに書いていられる時間的余裕が無くなった、と云う2点が、更新が遅れた大きな要因となります。毎度毎度、言い訳から後書きが始まるのは本当に情けないのですが、此れを言っておかないと気が済まないので、もし何でしたら読み飛ばして下さっても構いませんので、お時間に余裕がおありでしたらお付き合い頂けると幸いです。
先ず①ですが、何とまぁ恐ろしい事に、前話の後書きで「半分弱」と宣っていた段階で書き上がっていたのは、「志川が希望と李空を引き連れてカラオケ屋に行き、李空の衝撃的な歌唱力が露呈する」シーンの辺り迄でした。何と云う事でしょう。其れ以降の、志川と結芽の絡みなど影も形も無かったのです。見通しが甘い、とかそんなレベルじゃありませんね(笑い事じゃなく)。
まぁ矢張り、其の点に関しての最大の原因は、自分の執筆スタイルの悪さが可成り影を落としているのは間違い無いでしょう。本当に大まかな、ストーリーの要所は決まっていて、後は書き進めつつ決めていく、と云うアドリブ戦法なので、どうしても文章を生み出す時間が掛かってしまうのです。決め打ちしてから書こう、と心掛けて書いた事も有りましたが、結局書いていく内に足して足して……みたいになってしまい、意味が無かった過去があり、其れ以降此の戦法で行くしかないのか、と或る種諦めました。だからこそ、時間を潤沢に注いで遣りたかったのですが、うだうだ怠けている内に遣える時間(≒預金残高)が無くなってしまい、②の理由に移行して更に時間が掛かってしまう事に為ります。
取り敢えず、時間を取る事を最優先し、パート職で週4日、勤務時間も短い、と云う条件下で職場を探し、とある会社で働く事に為りました。然し、今にして思えばあらゆる面で見通しが甘かったですね。詳細は余りにも生々しく且つ現在進行形の話なので控えさせて頂きますが、兎にも角にも見通しの甘さ、と云うのが僕の人生での課題と云えそうです……。
話が逸れましたが、そんなこんなで前職よりは遥かに負荷は軽い筈で、実際に前職の時代と比較すると書けてはいるのですが、理想としていた執筆時間、執筆量には達していません。其の主因は時間の遣い方が悪い――究極に突き詰めると“覚悟”が足りないのだ、と云う事は重々承知なのですが、なかなか自己改革が進みません。昨今は正直、大分気持ちが落ち込んでいます。
話は変わりますが、今作中でフィーチャーフォン版のLINEが登場しますが、実際には’18年11月現在、フィーチャーフォン版LINEのサービスは終了しています。
また、今作中に登場する、日本平の富嶽台も実在します。作中で琉歌が結構貶していますが、実際に訪れてみると「あぁ……」となると思います。此の後書きを執筆するに当たり検索を掛けた所、夜景スポットとして幾つかのサイトが取り上げていますが、現場には外灯など灯りに為る物が無い為、飽く迄も昼間に景観を楽しむべき場所だと思います(言及しているサイトも有りますが)。僕自身は夜間に訪れた事が無いのですが、恐らくは軽い肝試しになる程度の恐怖感を覚える暗闇であろうと推測されます。何はともあれ、拙文では伝えきれない、素晴らしい景色が見られる超穴場スポットである事は確かなので、日中に静岡市を訪れた際には立ち寄ってみても宜しいかと思います。
また、東屋の先の簡易トイレ的な函も実在しますが、誰かしら個人乃至法人の所有物である筈なので、くれぐれも悪戯などされないようお願い申し上げます。振りではなく。函の周辺は足場も悪いので、発見しても近付かない方が賢明かと思います。聡明な読者の皆様なら其の辺りは弁えて下さると思いますが……。
此れ迄本シリーズでは、サブタイトルに「其の回でスポットライトが当たる4速プロジェクトのメンバー」の名前を据えてきましたが、今話では其の条件に適う人物が居ません。抑も今話は飽く迄も前話に含まれるべきもので、1-5-1を分割せざるを得なかったから発生した、云わば派生した回です。なのでサブタイトルをどうするか考えた時に「此の回で一番の功労者の名を冠しよう」と思い、其れは誰かな、と思案した所、結芽が最もご苦労だったな、となりました。取り敢えず、当初予定していたメンバーは5人揃ったので、次話からのサブタイはどうしようかなぁ……と思案している所です。乞うご期待、と云う事にしておきましょう。
実は、今回の後書きのネタを本編の最後に纏めてメモしていたのですが、切り取り→貼り付けの要領で此の後書きの入力画面に反映させようとして失敗し(他の文章をコピーしてしまい反映出来ず)、イチからの入力になってしまったので凹んでいる、と云う理由から今回の後書きは全く凝った所の無い、詰まらないものに為っています。「後書きで本気出す、と言われる作家を目指す」と前話の後書きで宣言したものの、早速其れに適わず、面目無く思っています。また、特に後書きが乱文と為っている点もお見苦しい限りです。凹んでいるから、と気分の所為にしましたが、気分で作品を書く奴が大成出来る訳が無い、と思い直しました(とは云え、此の後書きを綺麗に纏め直す気力も、今現在は無い事も確かです)。
仕事の事、家族の事、金銭面や自らの来し方行く末……悩みは尽きず、ネガティヴの沼に嵌まると「最早人生が終わる事でしか此の懊悩が解決する事は無いのか」と云う思考と常々闘う事に為ってしまいます。まぁ、前話の後書きであれ程大上段で自殺反対を唱えた手前、自死に至る事は無いとは思います(「自殺はしない」と云うのは僕の人生に於いての誓いでもあります)。
全ての失敗、全ての経験を糧にして、強かに生きて遣ろう、と云う気持ちが欠片でも心裡に有る内は未だ大丈夫だと思うので、其の思いに薪を焼べつつ書いていきたいと思います。
本作では今後もそんな、無数に失敗を重ねつつ戦闘態勢を取り続ける、諦めの悪い奴等を描いていきたいと思います。
そんなこんなで、次話もじわじわ進めていきたいと思いますので、どうぞ気長にお待ち頂けると有り難いです。忘れた頃に更新していると思いますので、今後もどうぞご贔屓にして頂けますよう、重ねて宜しくお願いする所存で御座います。
また、引き続きエブリスタ、カクヨムにて「theBlueField」名にて展開しております。ぶっちゃけ、両サイト共さしたる進展はありませんが、ちまちま進めてはおりますので、そちらの方も気が向きましたら宜しくお願い申し上げます……。
(チラシの裏に書いとけレベルの)駄文のコーナー
以前の後書きで、宮島礼吏先生の「AKB49」に影響を受けている、と書きましたが、もう一つ、筒井大志先生の漫画「アイドロール」のアツさにも多分に影響を及ぼされております。
また、吉田丸悠先生の「きれいなあのこ」や、平尾アウリ先生の「推しが武道館いってくれたら死ぬ」も設定等に舌を巻く、アイドルを題材にした作品です。
お察しの通り、漫画を読むのが趣味で、毎月何かしら発行される新刊の予算を工面するのが大変なレベルです。現在愛読している漫画、人生に深く刻み込まれている名作など、漫画に関して語りたい事はそれこそブログでも起こして書き連ねたい程に有りますが、そんな事遣ってる暇が有ったら小説を進めろよ、と自己突っ込みが脳内で入るので、此の先もし考えが変わったら、何処かで何か遣っても良いかな、と思っています。然し、此処暫くは漫画を読む時でさえ「其れより小説を遣れよ」「PCを開いて進めろよ」と云う囁きが頭を擡げて、どんどん所謂“積ん読”状態に陥っています。然もそう云う風に強迫観念的に為る時は大概PCと向き合うのも嫌になっちゃうんですよね……。
気付いたらまた愚痴になってました、申し訳有りません。兎に角、僕は漫画読みで、小説よりも漫画の方が好きです。幼少期は漫画家に成りたくて、ボールペンやシャーペンで自由帳に漫画を描いていました。中学時分に付けペンなどの本格的な道具を用いないと此の先にはいけない事に気付き、また単純に己の画力を自覚してフェードアウトし、其の頃から小説を遣り始めました。小説家よりも、独りで脚本も作画も出来る漫画家の方が凄い、との思想も、此の頃から来ていると思われます。まぁ今、冷静に考えれば、表現の技法が異なるだけで、物語の創作、と云う点は共通なのだから、そう卑屈になる事も無いのですが。漫画家さんは人並みに文章も書ければ画も描ける、然し小説家(と云うか僕)は画は描けない。まぁ肝心の文章も大した事が無いので処置無しなのですが、兎に角そんな劣等感から来る憧れに似た尊敬を漫画家さん達には抱いています。