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ナレソメ  作者: kaoru
9人目の男
70/80

蓮吾の秘密






 間抜けな青子が漸く最初の異変に気付いたのは、事件が起きたクリスマス・イブから3日も過ぎた、12月27日の事である。


 その日、青子が屋根裏の大掃除に勤しんでいると、階下のレトロな黒電話がジリリと鳴いた。


「はい、もしもし雨霧です。……あ、戸田先生こんにちは。……蓮吾ですか?はい、家にいますけど……?」


 今朝確認したら用事はないと言うので、屋根裏の掃除を手伝わせていたのだ。聞けば今日は部活で、他校の剣道部との練習試合があったのだと言う。


『いえね、べつに問題ってほどのことは……ただこの3日間立て続けに休んでるんで、ちょっと心配になって……』

「?3日間……?」


 じゃあ、昨日も一昨日も部活だったって事?


「ええ、はい……はい、蓮吾に伝えます。どうもご心配おかけして……はい、失礼しますー……」


 文鎮(ぶんちん)みたいに重たい受話器を置いて、青子ははて?と首を捻った。この3日間蓮吾は毎日家にいて、部屋で宿題をしたり、青子の仕事を手伝ったり、子ども達の遊び相手をしたりしている。部活があるなんて聞いてない。


 根がぐーたらな恵ならまだしも、真面目な蓮吾がずる休みなんて珍しい……

 青子が不思議がっていると、ゴミ置き場まで廃材を捨てに出ていた蓮吾が戻ってきた。


「ねぇ、蓮吾。今戸田先生から連絡があって……」


 青子が剣道部顧問、戸田から電話があった事を伝えようとすると、蓮吾はほんの一瞬表情を失くした。小さな雨粒が靴先を掠めるような、微かな違和感。でも、青子は気付いた。


「ああ、うん。なんだって?」


 ドキドキする青子に、蓮吾は開き直るわけでも、悪びれておどおどするわけでもなく、泰然(たいぜん)として聞いた。


「なにって言うか、みんな、心配してるよって……」

「そっか。ありがと」


 美術室のクーロス像みたいなアルカイック・スマイルを浮かべて脇をすり抜けようとする蓮吾を、青子は慌てて引き留めた。「ちょちょちょ、ちょっと待った!」


「それだけ?」


 昨日も一昨日も休んでるって聞いたんだけど?


「サボるのはいいけど、せめて理由を教えてよ。なにか、部活に行きたくない理由があるんでしょ?」

「青子の側にいたいんだよ」


 ああーん( ゜Д゜)?


「……わかった。白状する。……実は俺、辞めるんだ」

「辞めるって、剣道部を?」

「うん。冬休みが終わったら、退部届を出すつもり」


 蓮吾はさらりと重大告白をして、青子を困惑させた。退部って、どうして突然……?


「最近俺の周り、うるさくてさ。とても集中できる状態じゃないって言うか……俺がいると、皆にも迷惑かけちゃうから」


 得心がいかない青子に、蓮吾は後頭部をかきかき弁解した。

 なんでも、雑誌にセクシー写真が掲載されてからというもの、蓮吾の周りには黒山の人だかりができているそうな。


「本当にそれでいいの?だってあんなに頑張ってたのに……」

「いいんだ。半分俺の自業自得みたいなとこあるし、剣道なら学校でやらなくても、前に通ってた道場に戻れば良いしさ。……それに、もう3年だろ?そろそろ受験の準備もはじめなきゃ」

「でも……でもねぇ蓮吾」

「前からずっと考えてた事だから。大丈夫、青子はなにも心配しないでよ」


 それから青子は何度も説得を試みたが、蓮吾は気を変える様子はなく、頑なに部活を休み続けた。

 女の子にもてるのは今にはじまった事じゃないし、友達と喧嘩したわけでも、成績が下がった訳でもない。剣道部顧問の戸田に確認してみても、直接の原因は分からないと言う。


 身内の贔屓目を抜きにしても、蓮吾はしっかり者である。ちょっとやそっとじゃへこたれないし、周りから期待を掛けられているのが分かっていながら、途中で放り出すような真似は絶対にしない。


 次期部長との呼び声も高い彼が、突然部活を辞めたいなんて、実に不可解だ。退部届が受理される前から休んでいるのも気になる。


 なにか、口にできない特別な事情があるに違いないと考えた青子は、しばらく彼をそっとしておく事にした。少し休めば、問題が解決して、また部活に行きたくなるかもしれないと思ったのだ。


 しかし、事はそう簡単には運ばなかった。その日から、青子はしばしば蓮吾の様子に疑念を抱くようになった。


(なにか、隠してる……?)


 表面上はいつもの蓮吾と変わらない。良く笑うし、何かに悩んでいる様子もない。でもなにか……なにかが変だ。


 日頃から心配し過ぎる自分の思い過ごしに違いない。そう楽観しようとすると、言葉にできない僅かな、毛髪一本分の奇妙な気配が、ちらりと視界を掠める。光のように素早いそいつは、だるまさんが転んだ!みたいに、青子が振り向くと同時に隠れ、決して正体を現そうとしない。


 青子がそいつの尻尾を掴んだのは、年末を翌日に控えた12月30日のこと。切っ掛けは、今や末っ子の下僕となり下がった義弟(りゅうたろう)が蓮吾に向かって発した、何気ない一言だった。


「たまには都の相手代わってくれよ。どうせ毎日家にいるんだろ?」


 ?……毎日?家に?


(……そうだ……)


 青子ははっとした。確かにこの何日か、蓮吾はどこにも外出していない。

 日頃からそう遊び歩く方じゃないが、冬休みなんだから、友達と出かけたりしても良さそうなものなのに。毎日家にいて、青子に命じられるまま雑用(畳を剥がして掃除機かけたり、年賀状の宛書書いたり、もらい物の伸し餅切ったり……)を手伝っている。いつもなら真っ先に同伴を申し出るはずの買い物にも、ついてこない。他の弟妹達に遠慮しているのかと思ったが……


(おかしい……)


 洗濯機にトレーニングウェアが入っていないところを見ると、毎朝のロードワークもサボっているようだ。恵の誘い(図書館に行こう)も断っていたし、近所のコンビニにも出かけないなんて……


(いつから……?)


 青子は記憶の川を遡って、6日前のクリスマス・イブの夜に思い至った。彼が外出を避けるようになったのは、確かにあの事件の後からだ。蓮吾が待ち合わせのコンビニから消え、公園で昏倒した事件。


「…………」


 やっぱりあの時、ひと気のない公園で、何かあったんじゃないだろうか。蓮吾が外出を拒むようになるほどの事件が……


「……ねぇ蓮吾、今日、ちょっと付き合ってくれる?」


 青子は真実を確かめようと、蓮吾を買い物に誘った。案の定というべきか、彼は宿題があるからとやんわり断った。


「チビ達を連れて行ってやってよ。喜ぶから」

「いっぱい買うから、蓮吾と行きたいの。青子とデート、いいでしょ?宿題なら別の日でもできるじゃない」

「でも……」

「それとも、なにか他に出かけたくない理由があるの?もしかして、一緒に歩いてるとこ見られたくないとか?」


 青子の指摘が意外だったのか、蓮吾はきょとんとした後、苦笑交じりに「そんな、まさか!」と頭を振った。


「嫌ならいいんだよ、嫌なら。無理に付き合わなくってもさ」

「いえ、行きます。荷物持ちします。ぜひお供させてください」


 冗談めかしてそう言う蓮吾の反応はあまりに普通で、外出をそれほど嫌がっている風でもなく……


 10分後。玄関前に集合した青子と蓮吾は、いつものスーパーより少し足を延ばしてデパートへ向かったのだが、雑談しながら道を歩いているうち、やっぱり気のせいだったのかも……という気がしてきた。


 住宅街を抜け、鉄橋の向こうまで伸びる川沿いの長い土手を、肩を並べて歩く。

 川原では付近の子供会のメンバーが、親子で凧揚げに興じていた。雲一つない、目に染みるような青空に、手作りの六角凧がいくつも浮いている。子ども達は天まで伸びた糸の先を手に無邪気に走り回っていて、親達は集まって談笑したり、携帯を構えて動画や写真を撮影したりしている。


「今年も明日で終わりだなー」


 長かったような、短かったような……

 賑やかな声を背景音楽に、蓮吾はのん気に言った。久しぶりに外出した解放感を全身で味わおうと、四角い背中をしならせ、空に向かってぐーんと伸びをする。そんな彼を見て、青子はふふと笑う。


「だね。蓮吾、来年の抱負(ほうふ)は?」


 青子が投げかけた定番の質問に、蓮吾はむむむと考え込んだ。「抱負。抱負かー……」


「とりあえず、勉強かな。受験生だし」

「まだ勉強するの?蓮吾の成績なら志望校余裕でしょ?あんま頑張り過ぎると、新入生総代とかやらされちゃうんだよ」


 という青子の忠告を、非目立ちたがりの蓮吾は肝に銘じた。「気を付けます……」


「蓮吾は頭いいんだから、もっと上の学校狙えるのに。先生にも言われてるんでしょ?」

「まあ……うん。でも私立は学費高いし、奨学金も返す時のこと考えるとなー。それに俺、家から近いとこが良いんだ。高校入ったらバイトしたいし」


 バイト!蓮吾がバイト!


 今時高校生のアルバイトなんて珍しくもなんともないが、(れんご)の口から聞くと妙に新鮮で。青子は明後日の感動にじーんとなった。むくむくと妄想がふくらむ。


 カフェで接客(エプロン似合いそー)。アパレル販売(おしゃレンゴ。ぷぷっ)。家庭教師(……のお兄さんって響きがステキ)。バイク便、ガソスタ、ガテン系とかも結構良いかも。


「何にやけてんの?」

「え?なんでもないよ、ウフフ」


 ゆっくり歩いてデパートに到着する頃には、青子は己の早とちりを恥じていた。


(やっぱり、気のせいだったんだ)


 外出しなかったのは単に、勉強に集中したかっただけなのだろう。突然部活を辞めると言い出したのも、彼なりの深い考えがあるのかもしれない。1人で勝手に思い込んで、気を揉んで、これじゃあ閏に貧乏性とからかわれても文句は言えない。


 ほっとした青子は、気を取り直して買い物を楽しむことにした。


 年末のデパートは、この狭い町のどこにこんなに人が隠れていたのかと問いたくなるほど多くの客で溢れ返っていた。広い売り場にひしめき合った人々が、我勝ちにセール品を奪い合っている。青子もワゴンに殺到するおば様達に交じって、衣料品等を数点ゲットした。


「安ーい!このバスタオル、3枚で500円だって!こっちのスカートは和子ちゃんでしょー?このシャツはりっ君でー、ジャケットは強。都のパジャマが2着に、子供用靴下が、3、4、5……」


 レジに並んで会計を済ませた青子は、興奮に瞳を輝かせながら、大きな袋に詰められた商品を交ぜくり返した。次は家電コーナーへ行って、広告に載っていた魔法瓶を手に入れよう。予算が合えば新しい毛布も欲しい。


「やっぱり、男子(れんご)に付いてきてもらって良かった。ねぇ蓮吾、蓮吾はなにか欲しいもの……」


 ぱっと、蓮吾の顔を振り仰いで、青子は続きの言葉を失った。


 中身が透けて見えそうなほど真っ白な頬。唇は青ざめ、額から流れ落ちた汗でネルシャツの襟ぐりがぐっしょりと濡れている。「?え、れんご……?」


「大丈夫?もしかして、どっか具合悪い?」


 青子の声は、蓮吾の耳には届かなかった。瞳はぼんやりしてどこを見ているのか分からず。ほの暗い街灯の下でタクシーを待つ幽霊みたいに、儚い様子で棒立ちしている。


「蓮吾!……蓮吾!!」


 青子が再度大きな声で呼びかけると、蓮吾ははっとなって、咄嗟に口元に不自然な微笑みを浮かべて見せた。舌の奥から染み出した苦い唾を飲み込もうと、喉がごくりと波打つ。「ごめん、ちょっとぼーっとして……なに?」


「体調、悪いんじゃないの?いったん外に出て休憩しようか?」

「平気だよ。少し人に酔っただけだから」


 何でもないように答えながらも、蓮吾の胸は朦朧とする脳に酸素を送り込もうと、忙しなく上下している。纏う空気が電気を帯びて、側にいるだけでも、彼が異常に緊張しているのがわかる。


「それより、買い物済ませちゃおう。次はどこ行くんだっけ……」

「待って、蓮吾……!」


 先に歩き出した蓮吾の手を掴もうとして、青子はぞくりと寒気を覚えた。触れ合った指先が、真冬の寒空の下に一晩放置された自転車のフレームみたいに冷たい。その上……


(……震えてる……?)


 どうして……?

 青子が俄かに懐疑的な眼差しを向けた瞬間、蓮吾は素早く手を奪い返してしまった。彼は胸中の動揺を悟られまいと顔を背けたまま、先を促した。「早く行こう。売り切れちゃうよ」


「ね、ねぇ蓮吾、やっぱり一度外に……」


 事態を深刻に見た青子が、再度休憩を提案しようとした、その時。


「すみませんお客様」


 子供服コーナーのレジから、若い女性店員が出てきた。緩く巻かれた長い金髪、甘く薫る香水、童顔の、かわいらしい女性だ。彼女は恐縮した様子で近寄ってくると、手の中の小さな靴下を蓮吾に向かって差し出した。


「先ほどお会計していただいた商品を一点袋に入れ忘れたようで……」


 蓮吾の視線が、服屋の店員らしく綺麗に化粧を施された女性の顔に注がれる。くぎ付けと言っても良いほど凝視された彼女は、頬を赤らめて戸惑って見せた。「あの……?」


 治まりかけた動悸がぶり返す。呼吸が荒くなり、肉体のあちこちからどっと汗が噴き出して、誰の目にもわかるほど明らかにガタガタと震え出した。


 視界が狭まり、音が消え失せ、思考が停止する。


「お客様?大丈夫ですか?」


 蓮吾は遠慮がちに伸ばされた女性店員の手を、反射的に、まるで毒蛾を叩き落とすように思い切り振り払った。振り払われた彼女も、その瞬間を目撃した青子もだが、本人(れんご)が一番驚いている様子だった。彼はうろたえ、パニックして、ゾンビゲームのゾンビみたいに不気味なうめき声を漏らした。「う……ああ……」


 2、3歩後退り、それが原因で転倒する。震えは瞬く間に治まったが、蓮吾は倒れた格好のまま、しばらく動けなかった。


(……れんご……?)


 硬い床に尻餅をついたままショックを受ける彼を、青子は驚愕の眼差しで見つめた。今のは、あのクリスマス・イブの夜に見たのとまったく同じ現象だ。なにかの切っ掛けで突然発症する、激しい痙攣発作。恐らく彼がここ数日外出を控えていた最大の理由……


 青子の考えは間違っていなかった。やはりあの夜、青子が目を離した僅かの隙に、何か事件があったのだ。そして彼は、そのことを隠したがってる。





 何があったの!?蓮吾!








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