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ナレソメ  作者: kaoru
はじめての冬
44/80

そしてふりだしに戻る

著作権は放棄しておりません。

無断転載禁止・二次創作禁止

 割り当てられた狭い書斎のデスクで、青子の父の愛読書と思われる怪奇小説シリーズを片手に、野城龍太郎は思案していた。

 先日、齢十六にしてはじめて女に襲われるという貴重な(奇妙な?)経験をした。実父の婚約者の娘(つまり、青子だが)に押し倒されて、無理やり唇を奪われたのだ。状況が状況だっただけに、かわいさ余ってとか、嫉妬に狂ってとか、色っぽい理由じゃないことは良くわかっている。人工呼吸みたいなぱさぱさのキス。あれは母親が子供を黙らせるために口に飴棒突っ込むのと一緒だ。

 とはいえ……

「龍太郎ー?……なんだ、起きてたの?」

 もうちょっと恥じらうとかなんとかしても良いように思う。あんな大胆なことをしておいて、青子は何事もなかったかのように、涼しい顔をしている。

(ちくしょう)

 昨今の女子高校生の貞操観念はどうなっていやがる。

「早く下りてきて、ご飯食べちゃって」

「?……どこかへ行くのか?」

「?言っておいたでしょ。閏の手が完治するまで、週末だけ家事手伝いに行くって」

 ひと月ほど前、ベンツのドアに挟まれて指を骨折した(ということになっている)閏。聞けば、子ども達はカップ麺や菓子パンで飢えを(大げさな……)しのいでいるらしい。育ち盛りの子どもがそれじゃいかんということで、青子が手伝いを買って出たわけだった。

「なんでお前がそんなことしなけりゃならんのだ。行くな。許さん」

「許さんってねぇ……手が使えないなんて、大変じゃない。それにお昼のバーベキュー、みんな楽しみにしてるんだよ」

 今更断れない。青子の言い分に、龍太郎はへそを曲げた。

「……行きたきゃ行けよ。その代わり、どうなっても知らないからな」

 その脅し文句がもはや意味をなさないことを、龍太郎は知っていた。先の一件で、悪巧みは全て露見してしまった。知恵の回るあの男は、直ぐに手を打ってくるだろう。

 邪魔者の自分がいなくなれば、思い合う二人は晴れてゴールインだ。

 拗ねた目をする龍太郎を、青子はきょとん顔で見た。

「?なに言ってんの。あんたも行くのよ」

「?……あん?」

「もー!ぜんぜん人の話聞いてないんだから!荷物持ちするって約束!九人分の食材なんて、私一人で持てるわけないじゃん」

「…………」

「都ちゃん、あんたに会いたがってるよ」

 まさか頭数に入れられているとは思わなかった龍太郎は困惑した。

「俺が、行くわけないだろ?あいつだっていい顔しないさ」

 騙して、陥れて、それこそ犯罪者になる一歩手前まで追い込んだのだ。もう二度と顔を見たくないくらいには、憎まれているに違いない。望むところだけど。

「ところがどっこい。閏が、龍太郎もぜひおいでって」

「???」

「あんたは自意識過剰なの。……ほらほら、ほら。支度して。早く早く」

 急かされるまま着替えと食事を済ませ、揃って家を出た。途中の激安スーパーで食材や日用品を買い込み、電車に揺られて目的の町へ向かう。

「りゅうたろうーっ!」

 雨霧家に到着して見ると、キリンみたいに首を長くして待っていた都が、短い手足を振って元気いっぱい駆けてきた。都は迷わず新しい友達(龍太郎)の胸に飛び込み、青子を妬かせた。

「いらっしゃい、良く来たな」

 縁側に座って片手で器用に洗濯物を畳んでいた閏が、立ち上がって二人を出迎えた。無意識に、しかし熱く見つめ合う閏と青子に、龍太郎のいら立ちが募る。

「私、これ片付けてきちゃうね」

 青子は、彼女の(食材の)到着を待ち望んでいた強と律に手を引かれ家の中に入ってしまった。敵地に一人取り残された龍太郎は、気を引き締め、疑うような、忌々しいような目付きで閏を睨んだ。

「ヒポクリットめ。恋敵をもてなそうってお前の神経を疑うぜ」

 本当ははらわた煮えくり返っているくせに、クールぶって、いけすかない。

 警戒心丸出しの龍太郎に、閏は苦笑した。「何万年も昔のことを、いつまでも気にするなよ。それはそれ、これはこれだ」

「俺はお前と違って苦労人だからな。いちいち敵を作ってたらきりがないって、身に染みてるんだよ」

 嫌よ嫌よじゃ世の中渡っていけない。気に入らない奴とでも、上手に付き合っていくのが大人。そんな風に言われてしまうと、負けず嫌いな龍太郎は口を噤まざるを得なかった。

「それに俺は、使えるモノは何でも使う主義だ。今日のお前は労働力」

「ふざけるな。なんで俺が……」

「青子ー!実はこの怪我……!」

「っ……わかったよ手伝えばいいんだろ!?」

 思わず声を荒げた龍太郎の額を、都がぺちん!と叩く。「ケンカはいけません!」

「そうぷりぷりするなよ。冷蔵庫にビールあるぞ。毎年お中元にもらうんだけど、親父はあんまり飲まないんだよな」

「…………」

「青子にはうまく言っておいてやるから」

 買収はあっさり成功した。龍太郎はビールと都を片手に、強と律の宿題を見ることになったわけだが……

「夏休みの宿題じゃねーか!」

 もう十一月だぞ!

「二人とも、それが終わらない限り冬休みはないと思えよ」

「「ええー!!」」

「はははっ!よかったなぁ、いい家庭教師が見付かって!」

 賑やかな居間の様子に耳を傾けながら、青子はこのひと月訪問できなかった分を取り返すように、思う存分働いた。

 和子に手伝ってもらいながら、新聞を縛ったり、牛乳パックを開いてまとめたり、ベルマークを切り抜いたり、……夏服は防虫剤と一緒にダンボールに入れて物置にしまい、ずっと気がかりだった庭のアシナガ蜂の巣は、龍太郎に手伝わせて撤去した。お昼には部活動で学校に行っていた蓮吾や恵が帰ってきて、みんなでバーベキューを楽しんだ。

 夕方、蓮吾と恵と和子の三人は、忙しい青子に代わって足りない備品を買いにスーパーへ。通りに散らばった落ち葉を片付け戻ってきた青子は、さて?と首を傾げた。さっきまで騒がしかった居間の方が、やけに静かだ。不思議に思って覗いてみると、中にいた閏が人差し指を唇に当てて見せた。しー、静かに。

「?寝てる……?」

 酔っぱらい(龍太郎)と都が、畳に手足を投げ出して、ひっくり返っていた。強と律の姿は見当たらず、床に放られた算数のドリルは、たったの三ページしか進んでいない。

(逃げたな?)

 さしもの龍太郎も、やんちゃ坊主の家庭教師は荷が重かったようだ。

「毛布、毛布」

「カメラ、カメラ」

 シャッターチャンスを逃すまいと、閏は急いでデジカメを持ってきた。角度を変えたり、設定を変えたりして、何枚も撮影する。都のクマを抱かされた赤ら顔の龍太郎を見て、青子は笑いを噛み殺した。烈火のごとく怒り狂う彼の姿が目に浮かぶ。「楽しそうねー。私、知らないからね」

「一番良く撮れたやつを、プリントしてアルバムに貼るんだ」

「?ふうん?」

 目に入れても痛くないほどかわいがっている妹と憎まれっ子(龍太郎)を一緒にフレームに収めたがる閏の心は、青子には理解できなかった。龍太郎は以前から閏に激しい対抗意識を抱いており、示威行為や挑発を繰り返している。てっきり、もっと仲が悪いのかと思ってた。

「俺はべつに、嫌いじゃないよ」

 青子をめぐって衝突はしたものの、龍太郎自身の性格や価値観について、どうこう思ったことはない。(っていうか、実は良く知らない。あんまり喋ったことないし)

 閏のあっさりした感想を聞いた青子は、龍太郎をちょっと不憫に思った。完全な一方通行、熱烈片思いというわけだ。その上閏は……

「青子の弟なら、俺の弟も同然だ」

 などと懐の深いところを見せて、青子をきゅんとさせた。

「青子も写真撮ろう」

 龍太郎と都の撮影会が終わると、閏は青子の方にカメラのレンズを向けた。青子は慌てて背を向けて逃亡する。「嫌だ、だめだめ、止めて」

「どうして?良いじゃない一枚だけ」

 家の中を逃げ回る青子を、閏はしつこく追い駆けた。とたぱた、とたぱた、居間から廊下へ、廊下から二階へ、二階から再び一階へ下りて裏口から外へ、ぐるっと回って玄関から入って、階段を駆け上がってまた二階へ……

 追いかけっこは五分も続き、青子はとうとう、二階の廊下の隅で捕まった。

「さあ、追い詰めた。両手を頭の後ろに。ゆっくり振り返るんだ」

 閏はカメラを構えて、冗談めかして言った。暗くて逆光になっているため、良い写真は撮れそうにないが、もはやどうでも良かった。

「一枚三百万円」

 走って上がった息を整え、降参のポーズで振り返った青子の上半身を、ファインダー越しに捉える。シャッターを押そうとして、閏は気が付いた。

「……それ……」

「?うん?」

「付けてくれてるんだな……」

 彼女の胸元で揺れる、青く澄んだ友情の証。

「ん……もう外さないよ」

「本当か?寝る時も、風呂に入る時もか?」

「うん。絶対、外さない」

 肌身離さず身に付けて、我が子みたいに大事にすると誓う。青子ははにかんで約束して、閏に決意させた。来年の夏までには、もっと良いカメラを買おう。


 青子と龍太郎が暇を告げたのは、夕食と後片付けを終えた、夜九時頃のことだった。

「またいつでも来いよ」

 という閏の誘いに答える代わりに、龍太郎は強と律に向き直った。

「二人とも、来週俺が来るまでに、十五ページは進めておけよ」

「「ええーっ」」

「宿題全部終わるまで逃がさんから、覚悟しろ」

 頼もしい家庭教師の発言に、閏は手を叩いて喜んだ。これで課題に集中できる!

「ドリルが終わったら、読書感想文と自由研究も頼むな」

「…………」

 青子と龍太郎が帰路につくと、子ども達はそれぞれの部屋へ引き上げてしまった。見違えるほど清潔になった居間で、青子が帰りがけに淹れてくれたお茶を飲みながら、ぼーっとする。

 いつもなら夕飯も済んでいない時間だというのに、やることがなにもない。青子が閏に課した仕事は、明日の朝六時に炊けるようにセットしてあるご飯を、忘れずかき混ぜることだけだ。

「愛だなあ……」

「?……なにぶつぶつ言ってんの?」

 独り言に返事が来て、驚いて振り返れば、風呂から上がったばかりの蓮吾が立っていた。

「やっ、青子は凄いなと思ってさ……!」

「ふうん?……どうでもいいけど、あんまり浮かれない方が良いと思うよ」

 蓮吾は不思議顔をする閏を勿体付けるように、続き間になっている台所の冷蔵庫から牛乳を取り出し、コップに半分ほど注いでぐいぐいと一気に飲み干した。たっぷり三十秒ほどの空白は、長兄の意識を集中させるのに最適な時間だった。彼の聞く耳の準備が整ったことを確認して、蓮吾は口を開いた。「青子、この間合コン行ったんだ」

「合コンー?青子が?……まさか」

「そのまさか。相手は星学の生徒だってさ」

「…………」

「青子のことだから、どうせ人数合わせかなんかだろうけど。うかうかしてると誰かに取られちゃうぞ」

 さもありなん。閏は蓮吾の忠告を、神妙な顔で聞いた。「お前に言われなくても、わかってるよ。そろそろちゃんとするよ」

「っていうかお前、そういう情報どっから仕入れてくるんだ?」

「ひ・み・つ」


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