期末試験パニック
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多くの無関係な生徒達に疑問の種を植え付け、魁星学園の生徒達は引き上げて行った。
一部の女子生徒達が真相を解明するべく奔走する中、青子と友人達は何食わぬ顔で午後の授業を終えた。
放課後。青子は部活動に励む生徒達を尻目に、グラウンドを出た。
「あれ、ベンツ?」
「うちの生徒を待ってんの?誰かの彼氏かな?」
校門の前には黒塗りの高級外車が停まっていたが、青子の脳は自動的に、自分には関係ないものと決め付けた。近くを歩いていた下級生の話を聞き流し、異様に目立つそれの脇を通り過ぎようとした時だ。
「お待ちしておりました。お嬢様」
「きゃっ……!」
突然目の前に滑り込んできた男に驚き、青子は悲鳴を上げた。
「だ、誰!?」
「私、天幸寺グループ本社で運転手を務めております、山崎です」
濃紺のスーツに身を包んだ男は、小声で自己紹介をしながら、白い手袋をはめた手で名刺を差し出した。
「天幸寺?それじゃあ……」
「はい。あちらの車で、坊ちゃまがお待ちです」
山崎に案内され、青子は鞄で顔を隠しながら、そそくさと車の方に移動した。車内には閏がいて、青子が乗り込んでくるのを待っていた。
「君と二人で会っているところを学園の連中に見られるわけにはいかないんでね。窮屈だが、我慢してくれ」
窮屈だなんてとんでもなかった。車内は広々としていて、空調が効いていて、座席は柔らかくて、良い香りがした。何泊でも出来そうな程に快適だった。
「この車は?」
「知り合いから借りてきた。俺は何でも良かったんだが、女を迎えに行くと言ったら、こうなった」
「はあ、そう」
「君に渡したい物があるんだ。是非受け取ってくれ」
閏は青子に、小さな紙袋を手渡した。
「?なあに?」
中身を確認した青子はぎょっとした。
「こんなもの、受け取れないよ!」
某ブランドのショルダー・ハンドバッグ。先月発売されたばかりの新作で、とても高校生の小遣いで買えるような代物ではない。青子は慌てて、ロゴタイプの入った紙袋を突っ返した。
「そう構えることはない。ほんの気持ちだ」
「五十万の気持ちって、どんな気持ちよ?」
「……困ったな。断られるとは思っていなかったから、別の物を用意していないんだ」
「だから、いらないってば。良子に謝ってくれただけで十分」
青子は苦笑した。
「私の方こそ、なんか悪かったね。あそこまでしてもらえると思わなかったから、ちょっと感動しちゃった。あんたって義理堅いやつだね」
閏は青子の賛辞を、無言で受け取った。青子は構わず続けた。
「ねぇ、それより二人は元気?都ちゃんだっけ?」
「…………」
「あの年頃の女の子って、かわいいよね。おませさんでさ。私、妹が出来たみたいでなんだか……」
「失礼だが……」
「ん?」
「君は恩人だ。先日の一件では、深く感謝している。だが、我々は他人に過剰に干渉されることを好まない」
見れば、青子を見据える閏の瞳は、冷たい輝きを放っていた。青子はぎくりとして、つい謝った。「あ……そう、ごめんなさい……」
「でも、やっぱり良くないと思うよ。あんな小さい子を、夜遅くまで一人で……」
「これは我々家族の問題だ。君には関係ない」
きっぱりと拒絶されて、青子は漸く気が付いた。彼は感謝を伝えに来たのではなく、片を付けにきたのだ。変に恩を着せられたり、期待されたりしないように。無難で高価な贈り物を持って。
「……そうね。確かに、私にゃあ無関係だ……」
他人の許しや触れ合いを必要としない人種。わかっていたはずなのに、青子はちょっとがっかりしている自分に気が付いた。
「山崎さん、すみませんけど、降ろしてくれます?」
「お宅までお送りします」
「いいんです。寄り道して帰りますから」
青子は学校からそう遠くない、大型デパートやブティックなどが密集する繁華街で車を降りた。
「待って。これを……」
閏はなおもバッグを手渡そうとし、青子はきっぱり拒否した。
「結構です。そんなものを買うお金があったら、もっとちゃんとしたベビーシッターを雇うんだね。あの女最悪よ」
「…………」
「そんじゃ、お邪魔様」
なんだか、酷く惨めな気持ちだった。怒る気にもなれなかった。これでもう、今度こそ本当に、二度と会うことはないだろう。
半ば願望のような青子の予想は、ことごとく外れることとなった。その大事件は、一部の勤勉な生徒達が己の知力とプライドを賭けて雌雄を決する、期末試験当日に起こった。
「ほんじゃあ、答案用紙を配るぞー。教科書しまえやー」
一時限目の、数学のテストがはじまる直前のことだった。
「ねぇ。あの子、誰だろう?」
後ろの席のクラスメートが、窓外を指差して言った。
「きれいな男の子ー。中学生?」
「誰かの弟かなあ?」
声に誘われ、青子はふと校門の方を見た。
(あれは……?)
見覚えのある顔の中学生が、校門から一直線に校舎に向かって駆けてくる。
(蓮吾!)
青子は驚き、椅子を蹴っ飛ばして立ち上がった。
「なんだ。どうした?宮木」
「私、ちょっとトイレ!」
「あ!おおい!」
青子は教室を飛び出し、昇降口へと走った。
「蓮吾!」
蓮吾は青子の姿を発見すると、ほっとしたような、泣き出しそうな顔を作った。彼の様子で、青子は事態の深刻さを悟った。
「なんかあったの?私に用があるんでしょ?」
「都がっ……都がいなくなったんだ……!」
蓮吾は息も絶え絶えに説明した。
「い、いなくなったって……」
「ベビーシッターが目を離した隙に……学校に連絡もらって飛んできたんだけど、どこ捜してもあいつ、いなくてっ……」
「お兄さんはどうしたのよ?連絡は?したの?」
蓮吾は首を振った。
「出来ないよ!兄貴は今日、大事な試験なんだ!親父は仕事でいないし、俺、もうどうしたら良いかっ……」
それを言うなら、青子だって今日は試験日だ。難易度で言えば閏の試験のがよっぽどだろうが、これを休めば追試を受けるしかなくなる。いやどっちかって言えば、青子の方が崖っぷちだ。
「……もしかしたら、誘拐されたのかも……前にも何度かこういうことがあって……」
蓮吾が呟き、二人の頭に最悪の想像が浮かんだ。迷っている時間はなかった。
「とにかく、警察に電話っ……」
「駄目だ!警察は……!」
「どうしてよ?誘拐かも知れないんでしょう?」
「……駄目なんだ。そんなことしたら、兄貴が……」
「……なにか、事情があるの?」
蓮吾が重々しく頷き、青子はため息を吐いた。
「とにかく、こうしていたって仕方ない。手分けして捜そう」
青子は蓮吾を連れて学校を出た。教室の窓辺で担任がわーわー騒いでいたが、振り切った。
「都ちゃーん!」
「都―――っ!」
青子と蓮吾は、都を捜してそこら中を走り回った。橋の下や茂みの中、他所ん家の庭の中まで、頼み込んで捜させてもらった。
都が見付かったのは、日もとっぷりと暮れた、夕暮れのことだった。
「いやね、商店通りをふらふら歩いてたから、声かけたんだよ。住所を聞いてもわからないって言うし……見つかって本当に良かったよ」
都は青子の家の直ぐ近くの交番で保護されていた。相当泣き喚いたのか、彼女の大きな眼は真っ赤に充血していた。
「小さな子を一人で出歩かせるのは、あんまり感心しないね」
「はい。どうもすみません……」
「ご迷惑おかけしました……」
青子と閏は膨れる都を連れて、交番を出た。
「駄目じゃない。一人で外へ出ちゃあ」
「だって……」
「だってじゃないだろ!?どれほど心配したと思ってるんだよ!!」
口を尖らせる都を、蓮吾が鋭い声で叱りつけた。都は口を噤み、涙を称えた瞳で爪先を睨んだ。
「ねぇ、どこへ行こうとしてたの?」
都は黙って、青子の顔を指差した。
「うち?」
都が頷いて、蓮吾が深いため息を吐いた。
「この間の夜がよっぽど楽しかったみたいで……都、そのことばっかり話すんだ」
青子は切ない気持になった。家族と離され、お世辞にも優秀とは言い難いシッターに一日中預けられる彼女の寂しい心情を思うと、どうにも怒る気になれなかった。
「ね。そう言えばお兄さん、そろそろ試験終わったんじゃない?」
「あー……たぶん。でも、試験の後は学校主催の打ち上げがあるから」
青子が困惑顔をして、蓮吾がフォローした。「邪魔したくないんだ」
青子は二人を駅まで送って行った。
「本当に二人で大丈夫?送って行こうか?」
「平気。いつものことだから」
泣き疲れて寝てしまった都を背負い、蓮吾は疲労の滲む顔で、気丈に言った。
「今日は、本当にありがとう。それから、ごめん。学校さぼらせちゃって……」
蓮吾は青子に、心からの感謝を述べた。
「いいってことよ。どうせろくな授業はなかったのさ」
「その、今日のこと兄貴には……」
「わかってる。内緒にしておくよ」
青子が保証すると、蓮吾はにっこりほほ笑んだ。それがあんまり綺麗な笑顔だったので、青子はどきりとした。
二人を乗せた電車が行ってしまうまでホームで見送り、青子はのんびりと元来た道を引き返しはじめた。
「追試かあ……」
端の方からじんわりと闇が滲みはじめた夜空を見上げ、ぽつりと呟いた。