夏が終わる
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締太鼓や摺り鉦、横笛。近所の子供会によるお囃子演奏が、遮るもののない青田を抜けて、家の前まで響いている。奉賛者の名入れ提灯が並ぶ畦道を山裾の方へ向かってしばらく行くと、赤い鳥居が見えた。屋台から流れてくる炭火の香りに、強や律は辛抱堪らなくなって、小遣いを握り締め、我先にと駆け出した。
「おーい。転ぶなよー」
拝殿まで真っ直ぐ伸びた三百メートル程の参道は、地元住民たちで賑わっていた。敷地の奥に設けられた特設ステージでは町内会による出し物が催され、その脇のテントでは付近の老人ホームから招かれたゲストが、ボランティアの高校生達による、手厚い接待を受けている。
青子は浮足立つ心を胸の底に押し込んで、しずしずと歩いた。薄闇に煌めく電灯の光。石畳の上を大小さまざまな下駄が行き交うリズム。時代物のラジカセから流れてくる、こぶしの利いた歌声。祭りの喧騒はいくつになっても魅惑的だ。
「青子、射的やろう!射的!」
青子は最初蓮吾や恵とともに祭りを見て回った。射的と輪投げにそれぞれ一回ずつチャレンジして(一発も当らなかった)、蓮吾と恵は焼きそばとチョコバナナを、青子は鶏皮を一串食べた。
小さな祭りだ。ものの半時ほどであらかた観終えてしまい、三人は手持無沙汰になった。
「俺、ジュース買ってくる。アオコ、ウーロン茶で良い?」
「ん。ありがと」
蓮吾と恵は、青子を拝殿脇の石段に残して、人ごみに向けて走って行った。二人が戻って来るまでの間、青子は石段に腰かけ、行き交う人々の姿をぼんやりと観察していた。家族連れや学生など、若い人の姿もあったが、平均年齢は高めだ。
(あ……)
しばらくそうしていると、人垣の向こうに、閏の姿を見付けた。頭一つ飛び出しているので、どこにいたって直ぐわかる。声をかけようかとも思ったが、女の子達に囲まれて身動きが取れない様子だったため、自粛した。
(おもてになることで……)
とてもじゃないけど、あの中に飛び込んで行く勇気はない。輝くばかりに美しい彼と、平凡極まる自分が友人だなんて、誰にも信じてもらえないだろうから。
「ねぇ。君、一人?」
青子がちょっぴりつまらない気持ちで頬杖を付いていると、浴衣姿の男に声をかけられた。五人組と見え、その内二人は女の子だった。少し離れたところから、にやにやしながら様子をうかがっている。
「悪いけど……」
連れがいるから。青子が断りの言葉を口にする前に、いつの間にか駆けつけてきた閏が横から割り込んできた。
「友達?」
閏が肩なんか抱くので、青子はびっくりして思わず頷いた。
突然躍り出てきた男の容姿に、五人の顔からいけ好かない笑みが消えた。「あ……なんだ。彼氏いたんだ?」彼等は蛇に睨まれた蛙のように、すごすご引き上げて行った。
「……ねぇ。都ちゃんは?」
って言うか、さっきの女の子達は?
「蓮吾と恵に押し付けてきた。青子は?こんなところで何してるんだよ?」
「疲れたから、休憩中」
「休憩ー?……だめだめ。そんなおばあちゃんみたいなこと言ってちゃあ。ほら立って。立って立って」
「えー?」
参道をへとへとになるまで往復するのが祭のだいご味だと言うのが、閏の主張だった。二人は途中で買ったラムネとウーロン茶を片手に、人々の熱気が充満する黄色い光の中を、お喋りしながら行ったり来たりした。
「あれ、和子だ」
「え?どこ?」
「ほら、あそこ」
和子は友人達に囲まれてヨーヨーすくいに興じていた。ナデシコ柄の浴衣は、ほっそりした彼女に良く似合っている。着付けも上手く行っているようで、青子はほっと胸を撫で下ろした。
「ありがとな。和子のあんな嬉しそうな顔、久しぶりに見た」
青子は首を振った。本当にお礼を言われるべきなのは、母の香苗だ。二度と使う機会はないのに、大事な思い出だからと、綺麗に洗濯してとっておいてくれた。
「安物だけどね。あの浴衣には、ご利益があるから」
「ご利益?」
「うん。あの浴衣を着て、好きだった男の子とお祭りに行ってね。帰り道で告白されたの。……まあ、ひと月後には、別れちゃったんだけどね」
「原因は?」
「もっと、背の低い子が良いって言われた」
閏が顔をくしゃくしゃにして笑うので、青子は少々むっとした。他人事だと思って!
「男の子って、なんだかんだ言って小柄な子が好きなんだよね。閏だって、自分より背が高くちゃ嫌でしょ?」
彼より大きい女の子なんて探す方が難しいので、無意味な質問だった。
「俺は気にしないよ。高くても、低くても」
「?ふうん?……ねぇ、閏はどんな子が好みなの?髪は?長い方が好き?」
青子が興味津々でたずねると、閏は面白そうな顔をした。
「短い方が好きだって言ったら、髪を切るか?」
「……うーん……」
青子が真剣に悩みはじめて、閏は苦笑した。「髪の長さなんて、どうでも良いよ」
青子は納得しなかった。その後も質問攻めは続いた。
「太った子と痩せた子、どっちが好き?」
「どっちでも」
「じゃあ、一重の子と二重の子、吊り目とたれ目どっちが好き?」
「一重でも、二重でも。吊り目でも、たれ目でも」
閏の回答は一貫して要領を得なかった。外見に恵まれていると、美醜に頓着がなくなるのかもしれない。
次第に夜が更け、祭の盛り上がりは最高潮に達した。ステージでは居合抜きや舞踊などの演目が披露され、すっかり出来上がった老翁達が、どこかで大合唱している。
歩きながら、閏はラムネなんか購入したことを悔いていた。蓋のビー玉を落とす際、中身が噴き出して、手がべとべとになってしまったのだ。おかげで、身体の横で揺れている彼女の華奢な右手に触れられない。あわよくばと思い、ずっと機会をうかがっていたというのに……
「…………」
思い切って頼んでみようか?はぐれるといけないから、腕を組んでいてって。
「ああ!いたぁー!」
「んもう!どこ行ってたんだよー!」
閏が葛藤していると、今まで気ままに祭を楽しんでいた強と律が、二人の姿を見付けて駆け寄ってきた。
「青子!こっちきて!きて!早く!」
「早く!早く!」
二人は彼等の財布である兄には目もくれず、青子の手を引いた。
「いきなりなんだお前達?走ると転ぶぞ」
「緊急事態なんだってばー!」
青子が連れて行かれたのは、敷地奥の特設ステージだった。
「焼きそばコンテストー?」
係員の話によると、参加者が思うように集まらなくて困っているそうだった。
「いろいろ声かけてみたんだけどね。……そうだよなあ。突然ステージで焼きそば作れって言われても、困っちゃうよなあ」
弱り果てた様子の係員に、強が張り切って申し出た。「はい!はい!この人が出ます!」
青子はぎょっとした。
「良いだろー!?青子、料理得意じゃんか!絶対優勝できるってー!」
「え、ええー……?」
「みんなでたこ焼きパーティしたいんだよぉー!」
聞けば、優勝賞品はたこ焼き器と材料のセットなのだそうだ(焼きそばコンテストなのに)。ちなみに二位は胡蝶蘭。三位は洗剤と五百円分の商品券だ。
そりゃ焼きそば作るくらい朝飯前だが、ステージでとなると話が違う。青子の迷いを察して、閏が助け船を出した。「こらお前達、困らせるんじゃないよ」
「なんとかお願いできないかなあ?スポンサーの手前、中止にするわけいかないんだ」
「材料なんかは、全部こっちで用意してるから。ね。ね。お願い!」
係員が両手を合わせて懇願し、青子は根負けした。
「出てみますかな」
「やったあー!!」
「でも、優勝できるとは限らないんだからね」
数分後、青子は係員に借りた臙脂色のエプロンをして、その他の参加者と共にステージに立っていた。四人の参加者の中で、十代は青子一人だけだった。
「エントリーナンバー三番、地元の高校に通う現役女子高校生の宮木青子さん!元気なご兄弟が惜しみない声援を送ります!」
「がんばれ青子ー!」
ぱらぱらと、まばらな拍手が起こる。いまいち盛り上がりに欠ける中、競技がはじまった。即席のキッチンに移動し、具材を選んで、切って炒めて……シンプルな塩焼きそばを作った。
自分なりに一生懸命やったつもりだが、相手は主婦歴三十年の強敵で、結果は惜しくも二位だった。
「なんだよー!花なんか食えないじゃん!」
「しっかりしろよなー」
賞品の胡蝶蘭を受け取り戻ってみると、たこ焼き器を期待していた強と律は口を揃えてぶーぶー言った。
「面目ない……」
「ちぇっ。まーいいや。次の時までに、腕を磨いておけよな」
二人は生意気に言い捨てて、もう用はないとばかりに走り去った。敗者に冷たい連中だ。青子はしょんぼりした。
「ごめんね。せめて三位の洗剤なら、使い道もあったのに……」
お花、綺麗だけど、食べられない。
「気にするなよ。初出場で二位なんて、大健闘じゃないか。料理してる青子、凄く格好良かった。惚れ直した」
しょげ返る青子を、閏は張り切ってよいしょした。青子は持ち直し、ようやく笑顔を見せた。「迫田のおじいちゃん、お花、好きかな」
気を取り直して祭り見物に戻ろうとすると、こちらをじっと見ている女性の存在に気が付いた。主婦歴三十年のベテランで、この度の焼きそばコンテストで見事優勝した彼女は、腰を低くして近寄ってきて、素晴らしい提案をした。
「良ければその胡蝶蘭、私の賞品と交換してくれない?」
近所に住む花好きのご老人が育てたと言う胡蝶蘭は、枝振りが立派で、花屋で購入すれば二万円はくだらないという代物だった。どうしても欲しくてコンテストに出場したのに、幸か不幸か優勝してしまい、がっかりしていたところへ、二人の会話が耳に流れ込んできたというわけだった。
青子と閏は顔を見合わせ、一も二もなく承知した。「「是非!お願いします!」」
女性はたこ焼き器の他に、売れ残りの野菜を箱一杯に詰めてくれた。青子と閏が両手に溢れるほどの土産を抱えて現れると、強や律は驚喜し、青子の健闘とラッキーを称えた。
次の日、雨霧家では待望のたこ焼きパーティーが開催され、子ども達は夏休み最後のイベントを、思う存分満喫したのだった。




