表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ナレソメ  作者: kaoru
そして恋のはじまり
23/80

彼の半分

著作権は放棄しておりません。

無断転載禁止・二次創作禁止

 日が沈み夜になると、青子は漸く解放された閏に送られ、駅へ向かった。

「ごめん……私、また余計なこと……」

 隣を歩く閏に、青子は項垂れて謝罪した。

「……本当ごめん……」

 青子を突き動かしたのが、純粋な正義感であったなら、こんな後味の悪さはなかったかもしれない。他人ん家の喧嘩に首を突っ込んだばかりか、大人気なく小さな子を泣かしたりして……

「嬉しかった」

「え……?」

「どきどきした。青子が俺を、好きだって言ってくれた時」

 はっとして見れば、閏は頭一つ分高いところから、甘やかな笑顔で青子を見下ろしていた。成り行きとは言え一大告白をしてしまったことに気付き、青子は慌てた。

「そ、それはっ……」

「わかってる。……でも、本当に嬉しかった」

 青子は消沈していたことも忘れて、どぎまぎした。青子は不謹慎な胸の高鳴りを悟られないよう、一歩遅れて閏の視線から逃れた。

「嫌われちゃったかな……」

「平気さ。あれくらいの喧嘩、家じゃしょっちゅうなんだから。明日になったらすっかり忘れてるよ」

 閏はからから笑って、青子の気持ちをいくらか軽くした。

「強や律なら小突けば済むんだけど……女の子って、どう叱って良いかわからなくてさ。こういう時、女親がいてくれたらなって思うよ」

「その……都ちゃんの、お母さんは?」

「亡くなったよ」

「事故か何か……?」

「……練炭」

 閏は夜の静寂に遠慮するように、声を低くして言い、青子は息を呑んだ。

 自殺なんて、そんな、まさか……

「都がまだ二つの時にね。もともと病気で、長くはなかったらしいんだけど……」

「…………」

「……ごめん、言っておけば良かったな」

 血の色を失くした青子の顔を見て、閏はすまなそうに言った。

「さっき、律が言ってたろ?この家にいるのは、しばらくの間だけだって。あいつの父親は今、フィリピンに住んでるんだけど、向こうに家族があってさ。もう日本に帰ってくるつもりはないって。……でも、信じてるんだよな」

 つくづく、勉強なんてしておくものである。偏差値があと一〇……いや五、高ければ、きっとこんな愚かな過ちは犯さなかったに違いない。

「都は本当の母親のことなんか覚えてないし、家ではお姫様だから。かわいそうとか、思わなくて良いよ。あいつ、最近本当に酷いんだ」

「…………」

「俺や蓮吾が言ったって、聞きゃあしないから。青子が来てくれて助かった」

 だから、そんな顔するな。

 閏は泣き出してしまった青子の頭を、子どもにするように撫でた。優しくされるといっそう泣けてきて、青子はあふれ出す涙を堪えるのに、唇をきつく噛み締めた。

 無知で世間知らずの青子。世の中の人間全てが、自分と同じもので出来てると思ってる。龍太郎のことをとやかく言えた義理じゃない。

「……ひっくっ……ぐすんっ……」

 最低だ。友達みたいに仲良くなって、気まぐれにかわいがって、幼さに腹を立てたと思ったら、今度は事実を知ったからって、同情するなんて……

「よしよし。泣くなよ青子。良い子だから」

 子ども達はみんな、人に言えない寂しさを抱えてる。閏は本当は、四千円の人形だってなんだって買ってやりたいんだ。今の青子と同じように。

「そこのコンビニでお菓子買ってやるから」

「……っいらない!もう!いくつだと思ってんの!」

 駅に到着すると、家まで送るという閏の申し出を断って電車に乗った。

 身体は無事家に帰り付いたが、心は雨霧家に残してきてしまったようだった。ぼんやりした気持ちのまま夕食をとり、シャワーを浴びてベッドに入った。

 こういう時は何も考えずに寝てしまうに限る。明日になったらケーキを焼いて、都のご機嫌取りに行こう。

 チッ、チッ、チッ

 暗闇の中、掛け時計の秒針が時を刻む音に耳を澄ます。いろいろあって身体は疲れているのに、眠りは訪れなかった。五回も六回も寝返りを打ち、苛立たしいため息と共に身を起こすと、鞄の中のスマホが震え出した。閏だ。

「もしもし?」

『俺だ。悪い、寝てた?』

 時計を見上げると、丁度零時だった。「ううん。大丈夫」

『今からちょっと、出て来られないか?』

「今から?」

『都が、青子に話したいことがあるんだって。明日にしろって言ったんだけど、どうしても直ぐじゃなきゃ駄目だって聞かなくて……』

「都ちゃんが……?」

『今、青子の家の前にいる』

 青子は驚いて窓から顔を出した。防犯灯の灯りの下に、Tシャツにスウェット姿の閏と、大きな男物のパーカーを羽織った都が立っている。

 青子は慌てて部屋を飛び出した。

「夜中にごめんな」

 閏は寝ているところを叩き起こされたのか、頭に寝ぐせを付け、寝ぼけた目をしていた。青子は困惑した。

「私は良いけど……」

 青子は閏の陰に隠れてしかめ面をしている都を見た。

「……ほら、都。早く話しちゃえよ」

「うる君はあっち行ってて!」

「はい、はい」

 閏は都を青子に預けて、ひとまず四つ角の先へ身を隠した。二人きりで取り残されると、青子は戸惑った。明日改めて謝りに行こうと思っていたのに、不意を突かれた感じだ。

「あの……どうかしたの?都ちゃん」

 こんな夜遅くに訪ねてくるくらいだから、余程重大な用向きだろう。

 青子がたずねると、都は少し案じふくれた後、親戚のおばさんみたいな口調で切り出した。「ん、ちょっと……ちょっと考えたんだけどね……」

「アオコちゃんになら、うる君、半分あげても良いと思って……」

 それは都が小さな頭で一生懸命考えて、やっと探り出した妥協点だった。青子は目を丸くして都を見た。

「…………」

 眠れぬ夜を過ごしていたのはどうやら、青子だけではなかったようだ。ちら、ちら、と青子の顔色をうかがう都の瞳には、「全部欲しいって言われたらどうしよう?」と書いてある。

「っ……半分もくれるの……?嬉しいっ……!」

 なんてかわいいんだろう。なんて逞しくて、なんて愛しいんだろう。青子は破顔して、都をぎゅうと胸に抱きしめた。彼女の涙の理由は、幼い都にはわからなかったが、なにかとても良いことをしたのだと子供心に理解した。都は胸のつかえがとれて、にこにこした。

「おーい、まだー?」

 四つ角のところから、しびれを切らした閏が顔を出した。

「こらいじめっ子。青子になにを言ったんだよ」

 閏は青子の頬に涙の痕を見付け、都を問い詰めた。「知らないもーん」

「秘密だよ。ねー?」

「ねー」

 青子と都は揃って、口元に人差し指を当てて見せた。仲間外れにされた閏は、不服そうに口を尖らせた。

「ねぇ。それよりもう終電ないんじゃない?」

「げっ、本当だ。……もー。都のせいだぞー」

 都が知らん振りして、青子の笑いを誘った。

「泊まって行きなよ。今日はちゃんとお布団敷くから」

 その夜は都のたっての希望で、リビングに布団を敷いて、川の字で横になった。

「もう寝ちゃったよ。人騒がせなやつだなあ」

 閏は枕の上に頬杖を突いて、小悪魔の頬を突きながら言った。

「?どうかしたか?」

「う、ううん……」

 都を挟んでいるとはいえ、男の子と同衾なんてはじめての経験だ(岡野を除く)。ドギマギする青子を、閏は不思議がった。

「なんだか、修学旅行みたいだな」

「え?」

「こうやって布団並べてさ。枕投げとかするんだ」

 閏が幼ぶって言うと、青子は脱力した。止めよう、緊張しているこっちが馬鹿みたい。

「小学校の修学旅行、どこだった?」

「京都。……うそ。ごめん。本当は、行けなかったんだ。親父が仕事抜けられなくてさ」

 閏は目を細めて、苦笑交じりに告白した。

「魁星はホテルで、全員個室だから」

「…………」

 おのれ、ブルジョワめ。うっかり同情しかけたじゃないか。

 しばらくお喋りしていると、青子の意識は思い出したように夢路を辿りはじめた。まだ肝心なことを伝えていないのに……駄目だ、目を開けていられない。

(朝になったら……)

 朝になったら、真っ先に伝えよう。とろけはじめた頭に、閏の驚き顔が……目やにのこびり付いた瞼を大きく見開き、青い瞳がこぼれ落ちそうになっている姿が浮かぶ。

「おやすみ、青子」

 闇の中に優しい声を聞きながら、青子は幸福な気持ちで瞼を閉じた。翌朝にはタイミング悪く仕事から帰ってきた母の絶叫が響き渡り、青子の計画は失敗に終わった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ