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ナレソメ  作者: kaoru
そして恋のはじまり
21/80

青子の決心

著作権は放棄しておりません。

無断転載禁止・二次創作禁止

 家に帰ると、丁度玄関から母が出てくるところだった。『嫌だなあ、誰にも会いたくなかったのに』なんて勝手なことを考えながら、青子は平静を装った。

「荷物を取りに帰ってきたの。また直ぐ出るけどね」

 母は青子の瞳に疑問を見て取って、大きな紙袋を掲げて見せた。中には、彼女が長期出張の時には必ず持って行く、ヘア・ドライヤーや化粧水が入っていた。またしばらく帰って来られないようだ。青子は少し安堵した。「そっか……行ってらっしゃい」

「台風が来るから、今夜はもう外には出ない方が良いわよ。買い物はしてきたから、戸締りちゃんとして、家にいてね」

「うん。わかってる」

「それから、悪いんだけど裏の室外機のカバーを玄関に入れておいてくれる?去年は飛んじゃって大変だったから」

「やっとく」

 青子は素直に頷いたのに、母は少し変な顔をした。

「青子……また龍太郎君に会いに行ってたの?」

「え……?」

「煙草の臭いがする」

 言いながら、母はお茶目に鼻をつまんで見せた。批判的にならないよう、彼女なりに気を使っているらしかった。思わず俯いてしまった青子に、母は苦笑を漏らした。

「青子が夢中になる気持ち、わかるけどね。あの子、格好良いもん。高校生にしては大人びてるって言うか……同級生には、ちょっといない感じ?」

「…………」

「兄弟にしちゃうのは、かわいそうかな」

 母は理解ある友人を装おうとしたが、その額にはありありと『心配』の二文字が刻まれていた。はっきり会うのは止めろと厳令すれば良いのに、それが出来ないのが、宮木香苗という女性なのだった。

 青子は遣る瀬無さを胸の底に押し込み、無理に笑顔を作って見せた。

「心配しないで。もう、会わないから……」

 会いたくても、会えない。今まで青子が運命だと信じてきた理想の人は、最初からどこにも存在しなかったのだ。

 消沈する青子を残して、母は仕事に出かけて行った。青子は言われた通り、ビニール製の室外機カバーを玄関にしまい、戸締りをして家にこもった。

 母が買ってきたコンビニのナポリタンとサラダで夕食を済ませ、風呂を沸かして入り、リビングでテレビを観はじめたが、頭に入らなくて早々に消した。

「…………」

 夜の七時を過ぎた頃、台風は予定通り青子の家の上空に到着した。

 薄い窓ガラスが、叩き付ける雨と吹き荒ぶ風で、がたがた言っている。殷々たる雷鳴と合わさって、不穏な空気を醸し出している。四人掛けのソファにぐったりと身を預け、考えるのは結局、龍太郎のことだ。

『あんな馬鹿女、使い捨てで十分だ』

 予感はあった。いや、本当は気付いていた。でも信じたくなかった。今でも半分信じられない。

『独りは寂しくて……』

 時折見せる、あの寂しげな瞳まで演技だったと言うのか。

(……そうかもしれない)

 友人が言うには、青子は恋愛音痴だそうだから。事実、胸を張れるような経験値はないし、舞香みたいに嘘発見器付きの目も持ってない。気付かなかったんだろう。見る目がなかったのだ。


(でも……)


『これからは、青子が傍にいてくれる』


(だけど……)


『馴染めなくてさ。俺は少し、普通じゃないから』


 彼は今頃、どうしているだろう?まだあの店で飲んでいるだろうか?もう家に帰っているだろうか?高級マンションの最上階、モデル・ルームみたいに綺麗で、巨大金魚と二人ぼっちの、がらんとしたあの部屋に。

(あっ……)

 鞄の中からスマホを取り出そうとした青子は、黒いコウモリ傘の存在に気が付いた。昨日、龍太郎がわざわざ追いかけてきて、手渡してくれたものだ。

「…………」


「なんだ、また来たのか?」

 翌日。青子が再び店に訪ねて行くと、さすがの龍太郎も驚いたようだった。「懲りないねお姉さん。ひょっとして、あれなの?マゾなの?」

「それとも、やっぱり俺に抱いて欲しくなった?」

 VIP席には龍太郎の悪い仲間達がいて、口元にいやらしい薄笑いを浮かべながら成り行きを見守っていた。青子は怖気づきそうになる心を叱咤し、龍太郎の傍に歩み寄った。

「……これ、返しに……」

 青子は鞄の中からコウモリ傘を取り出して、龍太郎に手渡した。「……わざわざどうも」

「なに?まだなんか用?」

 青子はテーブルの上に素早く視線を走らせた。七枚ずつ配られたトランプ。真ん中にはカードの山の他に、吸い殻が溢れた灰皿と、ウォッカの瓶にグラス。それに……使用済みの注射器(注射器!)が転がっている。

「……帰ろう、龍太郎君」

「あん?」

「帰ろうよ。学校も行かないでこんなところにいるって知ったら、おじさん、きっと心配するよ」

 青子が顔面蒼白になりながら懇願すると、龍太郎は目を丸くした。

「おい。突然乗り込んできて、気色の悪いこと言うな。お前には関係ないだろうが」

「関係なくなんかないよ。だって私たち、もうすぐ家族になるんだよ」

 青子が主張すると、事情を知らない悪友達はぎょっとした顔を見合わせた。ざわつく彼等を黙らせるように、龍太郎が激しく舌打ちした。

「独りぼっちが嫌なら私、傍にいるよ。龍太郎君が寂しくならないように、楽しくなるように、ずっと傍にいる」

「……ストーカー女め……」

「こんなことはもう止めて。お酒だって、毎日こんなに飲んでたら、身体を壊しちゃうよ」

 青子がめげずに哀訴していると、仲間の一人が控えめな口調で龍太郎に進言した。「こんなに言ってるんだし、今日のところは帰ってあげたら?」

 はじめ、龍太郎は誰が帰ってやるものかという風だったが、少しすると考えを変えた。

「……帰ってやっても良いぜ」

 悪巧みを思い付いたようだった。挑戦的な笑みに、青子の背筋はぞくりとした。

「ただし、これを飲んだらな」

 龍太郎は徐に、上着の胸ポケットから小さな包みを取り出した。包みの中には白い粉末が入っていて(なにかの薬だろうか?)、彼はそれをなみなみ注いだウォッカの中に混ぜ、青子の前にどん!と置いた。

「飲めよ」

「えっ……」

「一気できたら、帰ってやる」

 龍太郎が非情に言い放ち、青子は顔色を失くした。

「龍、やばいって……」

「いいから、黙ってろ」

 青子はたっぷり五分間、一見何の変哲もない透明な液体と睨み合った。

 混入された粉末はなんだろう?持っているだけで両手が背中に回るような、一口で夢の世界から戻って来られなくなるような、やばい薬じゃないだろうか?

「……どうした?飲まないのか?……俺のことが心配なんだろ?」

 ショットグラスを持つ手が、がたがたと震え出す。額からは冷や汗が噴き出して、頬や首筋を伝う。心臓はバクバク言っている。

「なあ、君、無理して飲まなくても……あっ!」

 見かねた仲間の一人が声をかけた瞬間、青子は一思いにぐいとやった。アルコール度数の高い酒が、ジュースで甘やかされた喉を焼く。炎の塊を飲み込んでいるみたいだ。

 青子が見事一気飲みして見せると、龍太郎は店中に響き渡るような大声で笑い出した。笑い声はだんだん遠ざかり、ものの五分で青子は意識を失った。


 青子が目を覚ましたのは、四時間後のことだった。

「良く眠ってたな。もう夜だぜ」

 窓辺でテキーラを引っ掛けていた龍太郎が、視線をさ迷わせる青子に気付いて言った。

「……ここは……」

「店の二階。一晩借りたから、安心しろよ」

 青子は一度起き上がろうとしたが、直ぐに諦めた。気持ちが悪い。頭ががんがんする。

「あのお酒の中身は?」

「ただの即効性の睡眠薬だよ。不眠症でね。……具合悪い?」

「すごく……」

 くつくつと、喉の奥で一しきり笑った龍太郎は、シャツを脱いで上半身裸になり、青子が横たわるベッドに乗りかかった。

「な、なに……?」

 龍太郎は青子の腰を跨いで馬乗りになると、目を白黒させる彼女のTシャツを、胸の上までたくし上げてしまった。通販で購入したレースのブラジャーが間接照明の光の中に露出し、青子は血相を変えた。「嫌!止めて!」

 龍太郎は抵抗しようと突き出した青子の両腕を掴み、ベッドに縫いとめた。

「嫌ってことないだろ?本当は期待してたくせに。こんな可愛い下着付けちゃってさ」

「ち、ちがっ……」

「だとしても、自業自得だよな?こんな店にのこのこやってきて、男の言いなりに睡眠薬なんか飲んで……美味しく食べて下さいって言ってるようなもんだ」

「……約束、破るの?」

「……家には帰るよ。やることやったらな」

 龍太郎の唇が、首筋や鎖骨まわりを滑りはじめた。滅茶苦茶に抵抗してみたが、強い力で押さえ付けられた腕はびくともしない。青子は恐怖に震え出した。どうしよう……このままじゃ、本当に……

「……そんな顔するなよ。気持ち良くしてやるから。あの男よりも」

「?……あの男?」

「天幸寺。付き合ってるんだろ?」

 思いもよらない質問だったので、返答が遅れた。龍太郎は構わずに続けた。

「あの朴念仁、美人に言い寄られても顔色一つ変えやしない。てっきりホモかと思っていたら、こういうのがタイプだったとはな」

 青子が質問の内容を咀嚼している隙に、龍太郎の右手が彼女の背中に回り、ブラジャーのホックを器用に外した。阻止する間もなく、右手はそのまま青子の脇腹を滑り、下着の中に潜り込んだ。

「あっ……!」

 ささやかな膨らみの頂きを、指先で転がされる。腰に甘い痺れが駆け抜け、思わず声を上げると、龍太郎の瞳が急に熱を帯びた。

「なあ。あいつはいつもどうやってお前を喜ばせるんだ?優しくしてくれる?」

「いやっ……!」

「お前が俺の物になったと知ったら、どんな顔をするかな。今度二人で挨拶に行こうか?」

 耳元で意地の悪いことを囁かれると、青子は堪らなくなって泣き出した。彼女の頬を透明な雫が伝うのを、龍太郎は面白そうに見下ろした。

「も、止めてっ……どうしてこんな酷いことするの……?」

「どうして?……さあ。どうしてかな?理由なんかないけど、あえて言うなら、暇つぶしかな」

「暇つぶし……?」

「言ったろ?退屈で仕方がないんだって。ただのゲームさ。あの男を怒らせるのは、なかなか面白そうだ」

「…………」

「……いいね。その表情、そそる」

 青子は両手で顔を覆い、本格的に泣き出した。少しの間好き勝手に青子の身体を弄っていた龍太郎だったが、青子があんまり酷く泣くので興をが醒めてしまい、ついには忌々しげな舌打ちと共に手を止めた。

「……鍵はかけといてやるよ」

 龍太郎は元通りシャツを着て、青子の身体にシーツをかけると、そう言い残して部屋を出て行った。

 青子は乱れた衣服を整え、荷物を持って部屋を出た。薬と強い酒のせいで、足元が覚束ない。本当はもっと休んでいたいが、こんなところには一秒だっていたくない。

 幸い、二階の突き当たりのドアが外階段に続いており、誰にも会わずに外へ出ることができた。

「うっ……ひっくっ……」

 夜が更けて、目覚めはじめた歓楽街。泣きながら歩く青子は相当目立っていたが、面倒に巻き込まれたくないのか、誰も声をかけてこない。

 自宅まで後少しというところで、青子は急に思い立って進路を変え、最寄りの駅から電車に乗った。四つ目の駅で降りて、郊外へ向かって歩き出す。

 安堵したい一心だった。汚れた脚に絆創膏を貼ってくれる、あの優しさに会いたくてたまらない。震える肩を大きな手で包み込んで、もう大丈夫だと笑って欲しい。

 田園の真ん中に目的の灯りを見付けた時、やっと息を吐くことが出来た。青子はぬかるんだ畦道を、足が汚れるのも構わず夢中で歩いた。正面玄関の前に到着した頃には、額は汗でびっしょり濡れていた。

(どうしよう……)

 青子は雨霧家の表札の前に立ち、煌々と輝く窓を見上げながら、しばし考え込んだ。つい勢いでここまで来てしまったが、突然こんな遅くに、それも泣き腫らした目で訪ねて行ったら、驚かれるに違いない。何かありましたと言っているようなものだ。

 少しの間二の足を踏んでいた青子だったが、やはり顔を見ずには帰れないと思い、門扉の影からそっと居間の方を覗いた。

「…………」

 閏は前庭に面した縁側にあぐらをかいて座り、せっせと洗濯物を畳んでいた。都チョイスの美少女戦士Tシャツに、つんつるてんのスウェット。大きな黒縁メガネをかけ、前髪は邪魔にならないよう、ちょんまげにしている。

 青子の唇から思わず笑みがこぼれる。同じ魁星学園、同じエリートなのに、龍太郎とはあまりに違う。

 青子がしばらく観察していると、そのうち風呂から上がった強と律が居間に入ってきた。抜き足、差し足、そーっと閏の背後に忍び寄った二人は、一、二の、三でその背中に飛びかかった。閏は彼等の首根っこをつかまえて、反対にチョークスリーパーで動きを封じる。三人がどったんばったんじゃれ合っていると、そこへ都がやってきて、畳んだばかりの洗濯物にダイブ。あおてんして嘆く閏の腹を、強と律と都の三人がくすぐりだす。

(私……)

 落胆しながらもめげずに洗濯物を畳みはじめた閏を見ていると、腹の底から言い知れない力が湧いてくるのを感じた。

(馬鹿だ……)

 ここ何日も鬱蒼とした森の中を歩いているような気分だったのに、突然視界が開けたようだった。冷静になって振り返れば、上っ面に騙され、大切な物を見失っていた自分に気付く。なんて愚かだったんだろう。真心も豊かさも、求めていたものは、全てここにあったのに。

「っ……」

 青子は滲み出した涙を乱暴に拭うと、温かな灯りに背を向けて歩き出した。

 やられっ放しで黙っているなんて私らしくない。一発パンチを食らわせてやらなけりゃ、合わせる顔がない。

「もしもし。……あ、お母さん?ちょっと相談なんだけど……」

 戦おう。頑張っている友人に、恥ずかしくないように。



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