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ナレソメ  作者: kaoru
そして恋のはじまり
15/80

密やかな思い

著作権は放棄しておりません。

無断転載禁止・二次創作禁止

 青子はバイクで家の前まで送ってもらった。家に帰り着いた時、時刻は夜中の十時前後だった。地面に降り立ってみて、脚が震えていることに気が付いた。

「じゃあ、また」

「うん。送ってくれて、ありがとう」

「……そうだ。これやるよ」

 龍太郎はパンツのポケットからミニカーを取り出して、青子に手渡した。

「あ、上着……!」

 はっと気づいた時には、龍太郎は走り去った後だった。青子はしばらく門扉のところに立ち、遠ざかるエンジン音に耳を澄ましていた。やがて完全に静寂が戻ると、さっきまでの出来事は夢だったんじゃないかと疑いはじめたが、手の中の赤いミニカーと、独特の甘いガソリンの残り香が、現実だと証明してくれた。

「青子!」

 五分も余韻を楽しんだ後家に入ると、先に帰っていた母が気付いて、居間から飛び出してきた。

「もう。いきなり出て行くんだもの。……龍太郎君に送ってもらったの?」

「うん」

「そう……仲良くできそう?」

「……うん……」

 頬を染めて恥じらう娘を、母は複雑そうな視線で見つめたが、舞い上がる青子は気付かなかった。

「夕食は?食べる?あなた、途中だったでしょ?」

「んー……いいや。お腹いっぱい」

 妄想を邪魔されたくなくて、青子は早々に二階の自室に引き上げた。

 ベッドにダイブし、返しそびれた上着に顔を突っ込み、深呼吸する。頭の中で、出会いから別れまでのチャプターをリピート再生する。頭の中で、極めつけの台詞『もう一度君に会えたら良いって、ずっと……』を反芻し、枕を叩く。腹の底から喜びがせり上がってきて、無意識に顔が笑う。

(きゃーっ!)

 タンデムってのは、はじめてだったけど、なかなか良いものだ。不安定な車体が進行方向に傾く時のスリル。風が汗ばんだ肌を撫でる爽快感。苛立つ乗用車の列を横目に、歩道を爆走する優越感。まだ心臓がばくばくしてる。

(うん……?)

 青子は上着のポケットの中に、何か硬いものが入っていることに気が付いた。ジッポーと、ラッキーストライクのメンソール・ライト。注意して嗅いでみれば、上着にも少しだけ煙草の香りが染み付いている。

『男は少しくらい悪い方が良いんだって』

 刹那、青子は友人の言葉を思い出した。提唱したのはミポリンだったか、ユーミンだったか……忘れてしまったが、名言だと甚く感心した。

「…………」

 青子はボックスからラッキーを一本失敬して、鼻の下に挟んでみた。口にくわえてもみた。すると元に戻すわけにもいかなくて、ミニカーと一緒に、飾り棚に大事に飾っておくことにした。ちょっとストーカー染みているかも、なんてまずい考えには蓋をした。だって、彼の上着を預かるなんて、こんな奇跡はもう二度とないかもしれない。

 青子の予想は、翌日には良い方に裏切られることになった。

「じゃあ、行ってくるね。戸締りをしっかりして、火の元に気を付けて」

「わかってるってー。幾つだと思ってんの?ほら、早くしないと遅刻するよ」

 仕事に出かけて行く母を送り出し、青子はシューズボックスの上の置時計に目をやった。

「げ。まだ六時……」

 ベッドに戻ろうかとも思ったが、眼が冴えてしまって眠れそうにない。なら、美味しい朝食を作って、食べながら朝の情報番組を見るっていうのはどうだろう?……なかなか良い案だ。よし。それで行こう。

 頭の中でさっとメニューを決め、キッチンに向かった。冷蔵庫を開けてみて、卵がないことに気が付いた。卵がなけりゃフレンチトーストは出来ない。メニューを変更するなんて、とんでもない。口はすっかりフレンチトーストの口だ。

 青子は手早くその他の材料(食パンや牛乳やバターなど……)をチェックし、財布と上着を持って家を後にした。

 玄関を一歩出ると、早朝の空気が、油断しきった剥き出しの肩をぞわりと撫でた。薄手のパーカーを羽織り、朝露や緑や土の、どこか蒼い香りで肺を満たした。すがすがしい夏の朝だ。

 目覚めたばかりで人通りの少ない町を、足音を消して歩いた。向かったのは、駅前のコンビニだ。

「いらっしゃいませー」

 十個パックの生卵と、ハム(本当はベーコンが良かったけど、なかった)、チーズを手にレジに並ぼうとした青子は、店内奥の飲料コーナーに見覚えのある顔を見付けて寄って行った。

「蓮吾……?」

 急に声をかけられた蓮吾は、手に持ったウーロン茶のボトルを落っことしそうになった。

「やっぱり蓮吾だ。どうしたの?今日は学校?」

 蓮吾は制服を着ていた。肩には仰々しいほど大きな防具袋と、竹刀袋が担がれていた。

「俺は部活。青子こそ、こんな朝早くにどうしたんだよ?まだ六時半だぜ?」

「うん……なんだか目が冴えちゃってさ」

 寝起きで少しぼんやりしている青子を見て、蓮吾は偶然の幸運に感謝した。今日だって本当は、遠回りして彼女の家の前を通って学校に行こうと思っていたのだ。家の前を歩く自分に気付き、彼女が窓から顔を出すことを期待して……

 青子と蓮吾は一緒にコンビニを出た。通りを歩きながら、青子が猫みたいな大あくびして見せ、蓮吾がそれを笑った。

「前髪、跳ねてる」

 車一台通らない交差点で、信号待ちをしていると、蓮吾がふいに手を伸ばし、青子の前髪をそっと、指先で掻くように撫でた。「直った?」「全然」

 蓮吾は青子を家まで送って行った。靴箱の上のガラスの置時計を見ると、集合時間までには大分時間があったので、蓮吾はちゃっかり上り込んで、朝食(ハムとチーズを挟み、蜂蜜を垂らした特製フレンチトーストとサラダだ)までごちそうになった。

「今日はどうしよっかなー」

 テーブルの向かい側に蓮吾を据え、青子はフォークの先を噛みながら呟いた。こんな天気の良い日に、家にいるのは勿体ない。かと言って、町に出て通りに溢れるカップルを横目に、ウィンドウショッピングに興じる程の気力はない。

「青子、今日予定ないの?なら、練習見にきなよ」

 声に退屈が滲んでいたんだろうか?蓮吾は頬杖を付く青子を、勢い込んで誘った。

「練習って、剣道の?」

「そう。今日は部活、午前中だけなんだ。終わったらどっか遊びに行こう」

 青子は蓮吾のプランに、二つ返事で乗った。剣道の練習ってのは見たことがないし、彼が通う東中学校も見てみたい。

 朝食を食べ終えた青子は、五分で支度を済ませ、蓮吾と共に家を出た。

 蓮吾が通う第三東中学校(第一も第二もないのに、なぜか第三だ)は、青子が通う千ヶ丘高校からそう遠くない場所にあった。流石は全校生徒数千五百人を超えるマンモス校というだけあり、設備は立派なものだった。正門から入り向かって右手に旧校舎、左手に一昨年完成したばかりの新校舎があり、手前に広いグラウンドと部活棟が、校舎の裏手には五十メートルプールと、生徒全員とその保護者を容易く収容出できる、巨大な体育館があった。

「休みなのに、結構人がいるんだ」

 グラウンドの中央ではサッカー部がパス練習を行っていて、トラックでは陸上部がハードルを、隅っこの日陰では人数の揃わない軟式野球同好会が素振りをしていた。旧校舎の二、三階では吹奏楽部が教室を全て貸し切ってパート練習を行っており、トランペットやクラリネットや、その他の音がごちゃ混ぜになって、もろこしみたいにこんがり焼けた少年少女達の頭上に降り注いでいる。まだ朝早いので、休暇を返上して指導に当たっている顧問の先生が、人目を憚らず大あくびしている。

「こっち」

 蓮吾は青子を、ひとまず職員室に連れて行った。中にいた先生に校内見学者用のバッヂを借りて、体育館へ向かった。

「誰?」

「蓮吾の姉ちゃんだって」

「おーい!一年!裏から椅子持ってこい!」

 剣道部の生徒達は、青子のためにわざわざパイプ椅子(ステージ裏にあったやつだ。放送部って書いてある)を用意して、コートの隅に特別席を作った。こっそり覗くんだとばかり思っていた青子は、恐縮した。

「今日はお客さんがいるんだから、みんな真面目にやれよ」

 三年生の号令で練習がはじまると、しばらくして顧問の先生がやってきた。まだ若い(と言っても四十歳前後の)男の先生で、名前を戸田正輝と言った。青子は素早く立ち上がり、頭を下げた。

「どうもこんにちは。蓮吾のお姉、さん?」

「いえ、それが……」

 青子があははと笑って言葉を濁すと、戸田は「いいんですよ、いいんですよ」と、人好きのする笑顔でフォローした。戸田は青子に、蓮吾の部活内での様子なんかを話して聞かせた。保護者にするように丁寧語で話すので、青子は背筋がむずむずした。

「今年の剣道大会では、はじめて団体戦で三回戦まで残れたんです。蓮吾のおかげです」

「強いんですか?」

「二年の中では、頭一つ飛び出してますよ。地力のある子ですから、身体がでかくなるにつれて、もっともっと伸びるでしょう」

 青子は感心して、仲間たちと竹刀を交える蓮吾を見詰めた。雄々しい気合とともに、小手、面、胴を繰り出している。

「責任感が強くて、みんなを良くまとめてくれます。次期部長の呼び声も高いんですが、本人が良い顔をしませんでね」

「そうなんですか?」

「ええ。表に出るのは苦手なんだそうです。人気者なのにね。見て下さい、ほらあれ」

 戸田は体育館の側面を指差した。制服や学校指定のジャージや体育着を着た女子生徒達が群れになり、出入り口を塞いでいた。

「あれ全部、蓮吾が目当てなんですよ」

「え!」

「びっくりでしょう?休憩の度に、代わる代わる覗きに来るんです。最初は注意していたんですが、きりがないので、最近じゃ放っておいてるんです」

 戸田はからからと笑って言った。確かに、少女等の熱い視線は蓮吾に注がれているようだった。戸田は「ちょっと失礼」と断わって、出入り口の方に向かって歩き出した。三歩ほど行くと、女子生徒等は蜘蛛の子を散らすように逃げて行ったが、しばらくすると戻ってきて応援を再開した。「ほらね」

「蓮吾は、ほら、相手がどんなに仲の良い友達でも、壁を作るようなところがあるでしょう?きっちり線引きしてるって言うか……」

 青子は蓮吾を、社交的で人懐こい子だと評価していたのだが、戸田の意見は違うようだった。まあ、学校の先生が言うんだから、そういうところもあるかもしれない。話の腰を折るのもあれなので、青子はとりあえず相槌を打った。

「女の子からすると、そこがクールで格好良いんだそうです。我々大人から見ると、危なっかしくて、放っておけない感じかな」

「はあ……そうですね?」

「どうやら、あなたには心を開いているようだし、これからも相談に乗ってやって下さい」


 蓮吾がふと見ると、青子はパイプ椅子に深く腰掛け、うつらうつらしていた。ほんのついさっきまで顧問の戸田と話し込んでいたのに、いつの間に。

 蓮吾は竹刀を振る手を止め、迷いのない足取りでそちらへ近寄って行った。

「……ねぇ。あれ、誰かな?」

 その様子を出入り口のところから見ていた女子生徒の一人が、背中に続く観衆に向かって投げかけた。

 一同は今まで気にも留めていなかった、コートの隅で居眠りする女性に注目し、そういえば誰だろう?と首を傾げた。PTAにしては若すぎるし、転校生にしては女すぎる。タンクトップにミニスカートという出で立ちと言い、中学校の汗臭い体育館には凡そ相応しくない感じだ。見れば、隣のコートの女子バドミントン部の生徒達も、ラリーを止めてそちらに注目していた。

 たくさんの目が見守る中、青子の傍に寄った蓮吾は、徐に手を伸ばし、頬にかかる髪をそっと除けてやった。

「…………」

 ほんの二、三秒の出来事だったが、優しい眼差しが、思いやりにあふれた手付きが、彼の心中を物語っているようだった。映画のワンシーンみたいな美しい光景に、少女達は息を呑んだ。

「なんか、ね……」

「うん……ね」

 センセーショナルな出来事は一時、目撃した者の声を奪い、動揺から回復すると、誰ともなしに顔を見合わせた。

「……戻ろうか?」

「うん。戻ろう、戻ろう」



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