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ナレソメ  作者: kaoru
こうして二人は出会った
11/80

夏の夜のフォール・イン・ラブ

無断転載禁止・二次創作禁止

 夕方には示し合わせたように雨霧氏も帰宅し、雨霧家の居間には久しぶりに家族の顔が揃った(相変らず、二人足りなかったけども)。

 最後の夜なので、青子は腕に縒をかけて夕食を作り、皆に振る舞った。(とは言っても、メニューは予算の都合上、豚玉と焼きそばだ)

「アオコ、もう帰っちゃうのかよー。明日から俺達の飯はどうなるんだよ」

「あぁあー、また菓子パン生活に戻るのかー」

 強と律は頻りに残念がって、神経症気味の和子をぴりぴりさせた。

「本当にありがとうございました。恵の命を助けてもらったばかりか、家もこんなにきれいにしてもらって……なんとお礼を言って良いやら」

 都を膝に乗せた雨霧氏は、見違えるほど清潔になった室内を見渡し、心からの感謝を述べた。実際、青子の働きは大したものだった。家具の埃や蜘蛛の巣は残らず取り払われ、天井や壁の染みはクラフト・ペーパーで隠された。廊下は隅から隅まで水拭きしたので、スリッパを履かずに歩き回っても足の裏が真っ黒にならない。トイレも、ステンレスのお風呂も、ビカビカだ。「お礼なんて……私も楽しかったですから」

「ところでその……アオコさんは閏の彼女なの?」

 一しきり微笑み合った後、雨霧氏はついに核心に触れた。

「違うよ」

 青子に代わってすかさず答えたのは、蓮吾だった。

「この間説明したろ。青子は行き倒れた兄貴を拾って、介抱してくれたんだ」

「だってお前、閏が女の子を家に連れてきたのなんて、はじめてじゃないか。それに、あれからもう随分経つし……」

 何か進展があったはずだ。いやあったに違いない。雨霧氏は下種に勘ぐって、期待のこもった視線をちらりと青子の方へやった。

「嫌だなあ、ないない、ないですよ。私、ちゃんと好きな人いますから」

 青子はからから笑って、当然の如く答えた。みんなの「え……?」という視線が、いっせいに閏に注がれた。それまで夢中でお好み焼きを頬張っていた閏は、手に持った箸を取り落した。カランカラン!と音を立てて箸が皿の上に転がるのを、蓮吾は『ほーらな』という顔で見ていた。

「だれー!?名前はー!?」

「えー、秘密だよー」

 座卓の上に身を乗り出す都に向かって、青子は人差し指を立てて見せた。都の諦めは悪かった。しつこく聞きまくり、ついには青子に白状させた。

「魁星学園の、野城龍太郎って人」

 青子が頬を染めて告白すると、閏は一瞬『あいつかあ……!』という顔をした。どうやら蓮吾も問題の人物を知っているらしく、渋面をしていたが、都と盛り上がる青子は気付かなかった。

「その人、ウル君より格好良い?」

「うーん、どうかなぁ?同じくらいかな?」

「どんな人ー?」

「足が長くてすらっとしててー、イケ面でー、すっごく優しいの!あぁあー、またどこかで会えないかなあ?」

 閏と蓮吾は人知れず視線を合わせ、目と目で会話した。断固、阻止すべしという方向で、二秒で話がまとまった。


 楽しい時間はあっという間に過ぎて、夜十一時を少し回った頃。閏は自転車で青子を駅まで送って行った。

 閏は定期を使って、青子をホームまで届けた。時間が遅いせいか、人はまばらだった。二人はベンチに腰かけて電車が来るのを待った。

「手、出して」

 頃合いを見計らって、閏が言った。青子が手を差し出すと、掌の上に、さらさらと細い銀の鎖が落ちてきた。ブルーのクリスタル・ガラスが下がったネックレスだった。

「い、良いよ!こんなの、もらえないよ……!」

「受け取ってくれ。安物だから」

 それにこれは、この間のとは違う。閏が少々きまり悪そうに言って、青子ははっとした。

「……心がこもってる?」

 閏は目を細めて頷いた。

 そういうことなら!青子は喜んで受け取ることにして、ネックレスを閏の手に預けた。彼はそれを、彼女の長い髪をくぐらせて、首に付けてやった。

「どう?似合う?」

 小さなペンダント・トップが鎖骨の間できらきら輝くのを、閏はくすぐったいような、照れ臭いような気持ちで見つめた。猫に首輪を付けたような満足感があった。閏は自嘲した。

(どうかしてる……)

 それはこのネックレスを滞在先の古物市の露店で見付けて、つい購入してしまった時にも思ったことだった。胸の中では、ひと月前の自分には想像も出来なかった恐るべき現象が起こっていた。

「感謝してる。今回のことだけじゃなくて、いろいろ……」

 止むに止まれぬ思いを悟られないよう、閏は、どうしたって優しくなる目元を伏せ、少し硬い声で言った。

「いいってことよ。困ったときはお互い様だよ」

 青子は閏の穏やかでない心中なんて知りもせず、男らしく言って、彼を苦笑させた。

「……あんたが言った通りなんだ」

「え?」

「家の中、滅茶苦茶だったろ?」

 青子は悪いと思いつつ、頷いた。

「本当は、精神的にも体力的にも、ぎりぎりだったんだ……ずいぶん前から」

 自分で手を動かさなきゃお茶一杯出てこない生活に、うんざりしていた。親の金で遊んでいられる気楽な学友達を羨まない日はなかった。世の中に不幸な人間なんて山ほどいる。俺なんかまだまだ幸せな方さと、自分で自分に言い聞かせる度、心が破けそうな気がした。いつか唐突に、気まぐれに、簡単に、全てを放り出してしまう日が来るんじゃないかと、自分で自分が怖かった。

「空港で飛行機が飛ばないと分かった時、今度こそ、もうだめだと思った……」

 逃げられない。捨てられないから、やるしかない。頑張れば頑張るほど、耐えれば耐えるほど、どんどん追い詰められて、パンクする寸前で……

「目の前が真っ暗になった時、あんたの顔が浮かんだんだ……気付いたら、夢中で電話をかけてた……」

 今日、綺麗になった部屋を見て、食卓に並べられた温かな食事を見て、子ども等と一緒に笑っている彼女を見て、どれほど救われたかわからない。生まれてはじめて息が出来た。そんな気さえした。

 やがて寂しい音を立てながら、電車がやってきた。青子が車内に乗り込み、閏は彼女と向き合うように、ドアのところに立った。

「また、会えるか……?」

 閏は期待を込めて青子にたずね、青子は胸を叩いた。

「もちろん。困ったことがあったら、いつでも電話して。どうせ私は暇だからさ」

「……そう言うことじゃないんだが……」

「?うん?」

 彼女を乗せた電車が夏の夜の向こうに消えてしまうまで、閏はホームに立ちつくしていた。やがて誰もいなくなると、陰気な線路を横切り、フェンスを乗り越えて帰路に就いた。



これで、このお話は完結です。楽しんでもらえましたか?明日から、また仕事や勉強、頑張れそうですか?皆の励みになったら嬉しいです。

では、また本命(?)の方でお会いしましょう!

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