ある日の出来事
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期末試験を翌週に控えたその日、地元の公立高校に通う宮木青子は、気の合うクラスメート数人と共に駅前のジェラート専門店にいた。店先でチョークボードに書き出されたメニューをチェックし、いざ店内に足を踏み入れようとした、その時だった。
「アオコ!見て!見て!あれ!」
青子は友人の平井良子に促され、そちらを振り向いた。
「あれ、星学の生徒じゃない!?」
良子が指差す方向にいたのは、国内有数の名門進学校、魁星学園の男子生徒達だった。
ブルーグレーのパンツに、鏡みたいに磨かれた黒のローファー。太陽光を反射する白い半そでシャツの襟元には、臙脂にひしゃく型のエンブレムが刺繍されたネクタイ。同じ刺繍が入った、薄手のベストを着ている者もいる。
「本当だ。星学だ」
「あそこの制服、ネットで高く売れるんだよね。頼んだら一着くんないかな」
「うっそ、みんなレベル高いじゃん!特にあの真ん中の人!」
皆が好き勝手言い合うのを黙って聞いていた青子は、同じく友人の佐々木舞香の言葉に釣られて、問題の人物を見た。
「わ、本当だ。綺麗ー」
良子が感嘆し、青子も心の中で同意した。
なんて美しい顔だろう!と、青子は思った。一ミリのずれもなく顔の中心を走る高い鼻に、薄く知的な唇。切れ長の瞼と人より傷付きやすそうな青い瞳を、少し長めの前髪が余計に繊細に見せている。憂いを帯びた横顔を、道行く人々がちらちらと振り返っている。人ごみは彼の周りだけ大渋滞だ。
「ハーフかな?」
「でも髪、黒いよ」
「染めてるんじゃない?学校がうるさいとかさ」
友人達は彼の容姿について考察し、満足するまであれこれ意見を出し合った。
「いいなー、声かけて来よっかなー」
真っ先に言い出したのは、良子だった。三人姉妹の末っ子で、人懐こく卑屈なところのない彼女には、良くあることだった。
「誘ってみない?ジェラート、好きかも」
良子の発案に反対する者はいなかった。みんな『考え付きもしなかった!』という風を装いながら、本当は誰かが言い出すのを待っていたのだった。
どうする?行く?行っちゃう?と、目弾きし合う友人達を見て、青子は漸くその重い口を開いた。
「止めときなってー。有名私立のお坊ちゃんが、あたし等なんか相手にする訳ないじゃん」
「でもぉ」
「ほら、もう行こう。ジェラート、食べるんでしょー」
「アオは色気より食い気だからなー」
舞香は呆れ半分に感心した。その心は決まっているようだった。
「決めた!私、行ってくる!」
良子が少数派の意見をうっちゃって目標に向かって歩き出し、少女達は『そうこなくっちゃ!』と後に続いた。青子は渋々最後尾に付き従った。
「あのー」
良子が控えめに声をかけたのは、グループの中でも一番真面目そうな青年だった。ひょろっとしていて、まあ悪くない顔立ちで、眼鏡をかけている。(眼鏡。ここがポイントだ)
「私達、千ヶ丘高校の二年なんですけど、良ければ一緒にジェラート食べませんか?」
青年は、眼鏡の奥の目をまん丸にして良子を見た。
「千ヶ丘って、あの千ヶ丘?本町通りの?」
良子はうん、うんと頷いた。青年は彼女の背後に続く集団を珍しそうに見渡した。未開の地で原住民に遭遇した探検家みたいな顔だった。彼の瞳がちょっと笑ったので、少女たちは期待したが、一瞬のことだった。
「……おい、冗談だろ?千ヶ丘って言ったら、県内でもトップスリーに入る馬鹿校じゃないか!」
眼鏡の探検家は、勇敢なポカホンタスに向かっていきなり発砲した。それが予想外に大きな声だったので、彼の仲間が気付いて寄ってきた。「なに?どうしたの?」
「この子、千ヶ丘だって」
「え!千ヶ丘って、本町通りの?」
「わ、本当だ。頭悪そー」
彼等は良子を囲んで、じろじろとその髪型や顔立ちを観察した。みんなも青子も驚き、耳を疑った。
「なあ、千ヶ丘って偏差値三十しかないって本当?」
「授業、どんなのやるの?九九習った?」
「昼寝とおやつの時間があるって、マジか」
やがて聞き違いでないと分かると、怒りで全身の血液が冷たくなるような気がした。腹を立てた青子が、言い返してやろうと口を開きかけた、その時。
「閏君、ジェラートだって。どうする?」
うるう、と呼ばれたのは、先程から道行く女性達の乙女心を捕えてやまない、青い瞳の青年だった。集団のリーダーと見られる彼は、そのおそろしく整った顔を歪めて、「どうでも良い」と唸った。
方針が決してなお、良子に対する攻撃が止むことはなかった。
「それって千ヶ丘の制服だろ?そんなもん着て、良く外を歩けるよな。私は馬鹿ですって、宣伝してるようなもんじゃん」
「ブランド物の時計なんて、似合わないって」
ふと、眼鏡の男が悪戯に良子の腕を掴んだ。彼女の腕には、昨年の夏休みにせっせとアルバイトして貯めたお金でやっと購入した、某高級ブランドの腕時計がはまっていた。これには青子も黙っちゃいられなかった。
「ちょっと!なにすんの!」
「別に盗ろうなんて思っちゃいないよ。こんな安物の時計」
事件は直後に起こった。振りほどこうと力を込めた良子の手が、思いがけず、相手の男の頬に当たってしまったのだ。パシンっ!と乾いた音が響いて、良子も周りも息を呑んだ。
「あ、あの、ごめんなさっ……」
良子は即座に謝罪したが、男は激昂した。
「……この、援交女が!自分から声をかけてきたんだろ。純情ぶってんじゃねぇ!」
「ごめんなさい!ごめんなさい!」
「どうせその時計だって、パパに買ってもらったんだろうが!?貧乏人め!」
気が付けば、青子は男の顔面目掛けて、持っていた鞄を思いっきり投げ付けていた。鞄は凍り付いている友人達の頭上を飛び越え、男の鼻っ柱に見事命中した。
「黙って聞いてりゃ、いい気になってんじゃないわよ!このぼんぼん眼鏡!」
「なっ……なにすっ……!」
「良子はね、確かに外見は派手で遊び人に見えるけど、一途だし、超彼氏に尽くすタイプなんだから!」
青子の怒声は道の向こうまで響き渡り、買い物帰りの主婦や、外回り中のサラリーマンや、コンビニの前で自分より小さい子をカツアゲする少年達を次々振り向かせた。
「これ以上一言でも喋ったら、悲鳴を上げるわよ!あんた達に襲われたって、そこら中に言いふらしてやる!」
気が付けば、閏と呼ばれた青い瞳の青年は、いつの間にかどこかへ消えていた。だからという訳ではないが、魁星学園の生徒達は青子の脅しに狼狽えた。
「っ……行くぞ!」
しっぽを巻いて逃げて行く彼等を、青子と友人達は中指を立てて見送った。
「行こ。頭でっかちの世間知らずの幼稚園に、あんたの良さは分かんないよ」
「ご、ごめんねアオコ。止めろって言われたのに……」
「いいってことよ。……なに泣いてんのよ。もう、止めてよねー」
一行はギャラリーの目を避けて移動した。現場を離れる際、青子はどこにいるかもしれない青い瞳の青年を……実際には空を、ぎろりと睨み付けた。
(……嫌なやつ……!)
変な名前!青子は自分のことをひょいっと棚に上げて、彼を罵った。
「もー、いい加減に泣き止みなさいよー」
「そうだよ良子。あんたが悪いことした訳じゃないんだからさぁ」
人目に付かない公園に移動しても、良子の涙は止まらなかった。頭を撫でたり、ジュースを与えたり、あの手この手で慰めようとしたが効果はなく、ほとほと困り果てていた時だった。
「なにか、あったのか?」
一人の見知らぬ青年が声をかけてきた。彼の制服が魁星学園の物だったので、青子達の視線は自然と険しくなった。
「そう警戒しないでくれ。さっき、君たちがうちの高校の人間に絡まれているのを見かけたんだ。大丈夫か……?」
聞けば彼は、気になってわざわざ後を追いかけてきたそうだった。良く見れば、さっきの青い瞳の青年にも負けず劣らず、いい男だ。優しい言葉と爽やかな容姿に、一同の評価はぐんと甘くなった。(醜男だとこうはいかない)
「だから、私達、一緒に遊ぼうと思って誘っただけなんです」
「なんだ、そんなことか……」
代表して舞香が事情を説明すると、青年は苦笑した。そんなこととはなんだ!と、青子はちょっとムッとしたが、鼻につく笑い方でなかったのと、その後のフォローで、直ぐに態度を改めた。
「あいつ等は、一事が万事その調子なんだ。どうせ親の金で遊び回っているくだらん連中だ。君達が気にすることはないよ」
だが、どうしても腹の虫がおさまらないなら、学校に抗議しよう。青年は親切にもそう申し出た。良子は遠慮した。
「いいです、いいです。急に声をかけた私が悪かったんです。……馬鹿は本当だし……」
「本気で言っているのか?あの中に、君より賢い男はいやしない」
青年はうつむく良子の手に、糊のきいたハンカチを握らせた。
「君は美人だ。怪我がなくて本当に良かった」
イケメンのお世辞は、良子の傷付いた心にてき面に効いた。涙は笑顔に、悲しみはときめきに取って代わられた。
「あ、あの、お名前は……」
「魁星学園二年の、野城龍太郎と言います」
青年はその場にいた全員の乙女心を奪って颯爽と去って行った。いつもは野良猫みたいに勝手極まる少女達は、よく訓練されたボクサー犬とか、ドーベルマンとかいった警察犬みたいに一列に並んで、几帳面に四角い背中を見送った。
その後、憂さ晴らしに入った激安カラオケ店では、彼の話題で持ちきりだった。「今頃、くしゃみしてるね」なんて言いながら、ハンカチを嗅いだり、口調を真似たりした。
「でもさー、惜しかったよね」
「?惜しかったって、なにが?」
ほら、あの青い瞳のさ。首を捻る青子に、舞香が匂わした。きょとんとする青子を尻目に、事情通の友人達は口々に同意した。
「だねー。モブに邪魔されて、声かけらんなかったけど」
「もう彼女とかいるのかなー?どこに住んでるんだろー?」
「名前、閏君って言ってたね。一度で良いから、あんな人と腕組んで歩いてみたい」
きゃあきゃあと興奮する友人達を、青子は軽蔑の眼差しで睨んだ。「……あんた達、趣味悪ーい」
「アオコは潔癖過ぎるんだよ。別にあの人が悪口言ったわけじゃないじゃん」
「そうだけど……黙って見てたんだよ。女の子がいじめられてるって言うのにさ」
きっと冷たい人間に決まってる。青子の言い分を聞いた友人達は、顔を見合わせてけらけら笑った。「そこが良いんじゃん!」
「誰にでも優しい男なんて、あたしゃ嫌だね。攻略のし甲斐がない」
「そうそう。男は少しくらい悪い方が良いんだって。きょんきょんだって言ってるじゃん」
「アオコん家は母子家庭だから、男に夢見てんだよねー」
青子は臍を曲げた。
「私、帰る」
「ありゃ、拗ねた?」
「違う。今日、親帰ってくる日なんだ。悪いけど、またね」
別作品の方でハラハラ展開が続いているため、いつも応援してくれてる皆さんに感謝を込め、込め、書いてみました。安心して読める(と、思う……?)ラブコメディです。箸休めに、どんじょ!