初勉強会です。ー3
和泉彰弘は、ほぼ規則正しい生活を送っている。
昨日は心花の勉強会に付き合って、いつもより遅い帰宅をした。
朝は5時に目覚め、支度をして、決まった時間に家を出る。
そして駅のホームに足を踏み入れれば、電車が滑り込む。毎朝乗る電車だ。
いつも通り開いたドアの中に入ろうとしたが、彰弘は止めた。他の利用者が横切り電車に乗り込むが、ただ立ち尽くす。電車は発車して、ホームを出た。
次の電車に乗れば、心花と会えると予想する。
確証はないが、彰弘は少し待ってから来た電車に乗った。
席が空いているが座らずに、ドアのそばに立って次の駅を待つ。
数分間、流れる景色を眺めていれば、その駅に着いた。
ドアが開くと、そこに心花の姿があった。当然、彰弘は驚き目を丸める。
しかし、心花は違う。
にっこりと笑みを浮かべた心花は「おはようございます、和泉くん!」と挨拶した。
その様子から、心花が予知したと推測する。
「おはよう……月見さん」
小柄な心花がぴょこっと電車に飛び乗った。入れ違いになった乗客が座った席に、すんなりと心花は座る。隣も空いていて、心花は座るようにパタパタと叩く。
「興味深いな……。今日、僕は思い付きで乗る電車を変えたのに、予知したのかい?」
彰弘はそこに座って問いながら、分厚いノートを開いた。心花の予知夢の記録ノートだ。
「会えるって、見えたの!」
「ふぅん……」
電車に揺れながら、彰弘は今日の分を書き入れる。
心花の予知夢の内容。
それから彰弘の考えを書き加える。
今回の予知夢の説明が出来ない、と。仮説としては、彰弘の思い付きを心花が無意識に推測して予知夢を見たのだろう。
ふと、視界の隅で心花の足がぶらぶらと揺れていることに気付く。
落ち着きなさの表れ。
彰弘が目を向けると、書き終わることを待っていた心花は、ぱぁっと笑顔を輝かせた。
「まだあるんです! 今日はね、すっごいハプニングだらけなの!」
「ふむ、聞かせて」
まだ予知夢の内容がある。
心花が喜んで話す他の予知夢も、彰弘は書き加えた。
心花の今日一日のハプニング。
「……」
書き終えた彰弘は、その内容を見て眉間にシワを寄せた。
「……ねぇ、これって、多分……いや、恐らく」
「あっ、着いたよ!」
彰弘は言いかけたが丁度駅に着いて、心花は跳ねるように立ち上がる。
パタンとノートを閉じて、彰弘は一緒に電車を降りた。
今日起こるハプニングを知っている心花は、楽しげな足取りで階段を上がる。
その様子をすぐ後ろで見ながら、彰弘は考えた。
改札口を行き交う人混みに巻き込まれないように、隅で足を止めてノートを開く。書き記したばかりの内容を確認した。
「……まぁ……ハプニングを自分で避けているのだから、心配はいらないか」
心花がハプニングと呼ぶものを乗り越えているところまで、予知夢で見ている。
彰弘が手を貸すと、かえって被害を被るかもしれない。
「あれ!? わ、和泉くん!? 和泉くん!」
自分を呼ぶ慌てた心花の声を聞き、パタムとノートを閉じて彰弘は改札口を通る。
人混みに流されかけていた小さな心花の肩を掴み合流すれば、心花は胸を撫で下ろした。
「よかったぁ、はぐれちゃったかと思った!」
「行こう」
心花と並んで歩いて学校へ向かう。
「月見さん」
「はい?」
「今日起こるハプニングとやらを、回避する自信はあるのかい?」
「はい! 回避する予知夢だったので、だいじょーぶです!」
確認すると心花は自信満々に胸を張った。
自分自身で対処できる。
「ふぅん……そう」
彰弘はそれを信じるべきだと思ったが、どうにも心配が拭えない。
だから、そのハプニングの実現を確認するためにも、今日はなるべく心花のそばにいることを決めた。
教室が見える廊下を歩いていれば、心花は彰弘の前に立って掌を突き付ける。
「ハプニングその1です! ちょっと待ってて」
彰弘に立ち止まるように言うと、心花は意気込んだ様子で歩き出す。
空いたままの教室のドアの元に、心花は立つ。一秒経つと、後ろに引き返した。
次の瞬間、パシャン!
教室のドアから水が飛び出して、廊下を濡らした。
「……ご、ごめんねー。躓いちゃって」
ドアから顔を出した女子生徒が手に持つのは、花瓶だ。
「はい、大丈夫です!」
「そ、そう……」
元気よく頷いて見せた心花は、彰弘を振り返ると親指を立てて見せた。
ハプニングとやらを、見事回避した。
彰弘はそそくさと掃除を始める女子生徒を観察する。明らかに心花が無事だという事実に戸惑っている様子だ。
今日のハプニングその1。毎朝、花瓶の水を変える係りである女子生徒に、水をかけられる。ただし、無事回避。
「……」
心花は弾むような足取りで教室の中に入る。それを眺めたあと、彰弘はノートを開いて"予知夢通り回避成功"と書き加えた。
ハプニングその2。
二時間目の休み時間。次の授業を行う教室に向かおうと、心花と杏が黒板の前を横切った。
黒板消しで綺麗にしていた日直の女子生徒が、心花を見るなり、黒板消しを手から離す。小柄な心花の頭に、チョークまみれの黒板消しが――――
落ちなかった。
心花は持っていたファイルを、頭の上に置いて防いだのだ。
「ご……ごめんねー。うっかり落として」
「はい、大丈夫です!」
黒板消しを渡すと、心花は笑顔で頷いた。
直撃していれば、髪がチョークの粉まみれになっていたはずだ。代わりに粉まみれになったファイルを振って粉を落とす。
「大丈夫?」
杏は女子生徒を一瞥すると、心花の顔を覗く。またハプニングを回避できた心花は、笑顔で応えた。
その二人が教室を出る姿を見送ると、彰弘は女子生徒を観察する。
なんとも言えない表情で、黒板消しを見つめていた。
今日のハプニングその2。
本日、日直の女子生徒に黒板消しを頭に落とされる。ただし、無事回避。
彰弘はノートに"予知夢通り無事回避"と書き加えた。
ハプニングその3。
昼休みの掃除の時間が始まり、当番ではない生徒達は机を後ろに運ぶとそそくさと教室を出る。
当番ではない心花も杏と教室を出ようとした。
その心花が通り掛かるのを見計らって、掃除当番の女子生徒がモップでバケツを倒す。満杯に入れられている水が心花にかかるはず――――だった。
「とうっ!」
心花はタイミングよく飛びはねて避けて、見事無事回避。
「ごっ……ごめんね!」
「はい、大丈夫です!」
心花は笑顔で頷くと、また機嫌よく弾むような足取りで教室を出る。
一部始終を眺めていた彰弘は、掃除当番の女子生徒を観察した。
唖然とした様子の女子生徒は、水やり係りの女子生徒と日直の女子生徒と顔を合わせる。その3人は少し顔を青ざめた。
その様子を見ていたのは彰弘だけではない。杏も横目で見ながら、心花に続いて教室を出た。
今日のハプニングその3。
掃除当番の女子生徒がバケツを倒し、水がかかる。ただし、無事回避。
彰弘はまたノートに"予知夢通り無事回避"と書き加えた。
「……問題はこれからか」
心花が予知したハプニングはこれで終わり。
こそこそと話している三人の女子生徒を見て、彰弘はパタムとノートを閉じた。
どう考えても心花が言うハプニングは、嫌がらせと呼ぶべきものだ。
事故ではない。故意だ。
それを見事に回避されて、三人は戸惑っている。
動機は嫉妬。
圭太郎との勉強会が引き金だと推測出来る。圭太郎は口が悪くとも、ルックスのいい御曹司のため女子に人気だ。
頻繁に一緒にいる心花が、嫉妬の的。不思議ちゃんと認識されている心花に、なんとしても一撃を与えたいとヒソヒソと話している。
しかし一方で、不思議ちゃんの回避に不気味がっていた。
彰弘は自分の顎に手を当てて考える。心花が彼女達の嫉妬に気付いていない原因。
そして、何故嫌がらせを3つしか予知していないのか。
考えられるとしたら、もう嫌がらせはされないと言うことだ。
しかし、彼女達はまだなにかを仕掛ける気だ。ならば次の嫌がらせは、彰弘が防ぐべきだろう。
3人を注意深く見張ることにした。
六時間目の移動教室。
3人は行動に出ようとした。お手洗いに行った杏の分も教科書とノートを抱えて、ひょこひょこと一人で歩く心花に向かおうとする。
彰弘は引き留めようと歩調を速めたが、女子生徒3人とともに足を止めることになった。
心花と女子生徒3人の間に立つのは、ポニーテールを結び直した杏だ。
「わたしの友だちになにかする気なら……容赦しないわよ」
凍てつく鋭い眼差しで彼女達を見据えて、杏は微笑んで告げた。
時折他人を近付けさせない冷たい雰囲気を纏う杏に、苦手意識を持つ女子生徒達はビクリと震えると固まる。蛇に睨まれた蛙。
ニコッ、と杏が笑みを深めれば、彼女達はそそくさと心花を追い越して廊下を去った。
それを確認した杏は、彰弘と目を合わせる。そしてにこりと笑いかけると、スタスタと心花に追い付いて肩を並べた。
「……なるほどね」
彰弘は納得して呟く。
杏が終止符を打ったからこそ、心花は3つの嫌がらせの予知夢しか見なかった。
その放課後の図書室。勉強会を始める前に心花は嬉々として圭太郎にハプニングの件を話した。
「……はぁ!? おいっ、それ! どう考えても!」
当然、故意の攻撃だと気付いた圭太郎が大声で言いかける。だが、彰弘は「矢田。ちょっと話がある」と遮った。
困惑する圭太郎を連れて、心花から離れる。心花はきょとんとしたが、勉強を始めた。
「な、なんだよ……」
「月見さんは、今回のことをハプニングと思いたいんだ」
「は?」
身構える圭太郎に、彰弘は推測を言う。
「以前、君の事故を予知した時は、君の交際相手の浮気まで言い当てた。当然、今回の動機も予知できたはずだ。推測に過ぎないが、月見さんは無意識に悪意を向けられていることを認識したくなくて、ハプニングと解釈したんだ」
人間は意識しているよりも、遥かに多くの情報を得ている。
心花の頭は無意識の情報から予知夢を見ている、と彰弘は仮説を立てていた。
今日の予知夢は、無意識に彼女達の嫉妬を感知したからだ。しかし内容を意識に留めても、嫉妬は無意識の中に放った。
「悪意を向けられたことを知らせれば……笑えなくなるかもしれない」
「あ……ああ……」
悪意を知ったのなら、心花は笑えなくなる。
そう言えば圭太郎は納得して、心花に目を向けた。
「ハプニングを回避できた。ただそれだけを、喜びたいんだ。蓮田さんも彼女達の悪意に気付いても話さなかった。本人が拒否しているなら、話すべきじゃない」
彰弘も心花に目を向けて言う。すると圭太郎がじろりと疑うような目で彰弘を見た。
「……お前、意外に他人の気持ち、わかるんだな」
「……僕は鈍感じゃない」
「……どうだか」
何を言い出すのかと彰弘が怪訝にしかめると、圭太郎は鼻で笑い退ける。
「言っとくけど、月見さんはハプニングを回避できたことだけに喜んでいるわけじゃないぜ。予知夢について話せるから喜んでんの。予知夢を話す時、いつも嬉しそうにニコニコしてるじゃん。そういうとこ、ほんっとロボットだよな」
鈍感だと遠回しに告げると、圭太郎は心花の元に戻った。
納得出来ないと膨れっ面をしながら、彰弘も戻る。
「月見さん。今日ハプニングを起こした子の名前教えて?」
「え? どうして?」
「またうっかりハプニングを起こさないように釘をさして来てやるよ。誰かが注意しておけば、気を引きしめるだろ」
にっこぉーと心花に優しく笑いかけて、圭太郎は3人の女子生徒の名を聞き出した。
「じゃあちょっと待ってて」と心花の頭を優しく撫でる。
彰弘は図書室を出ようとした圭太郎の顔を見た。怒りでしかめた表情。
聞き出した名前の女子生徒が、自分に好意を持っていたと知っている。心花に対する嫌がらせは、自分が原因だと理解して怒りは増幅。
その様子から、本当に釘をさすだけで済むのか、彰弘は疑問に思った。
「頭撫でられると……なんか嬉しい……」
「……ふぅん」
心花は両手で頭を押さえると、へにゃりと綻んだ。
そんな心花の表情を頬杖をついて観察した。
それからノートを開く。
予知夢は無意識に操作が出来ること。嫉妬は無意識に遮断したこと。それらを書き加えた。
最後に"僕に予知夢を話すことは嬉しい?"と疑問文を書く。
その疑問文と、綻んだままの心花を交互に見る。
「……」
その疑問文をシャッシャッと二つの線で書き消した。
20141227