5-12
「……はぁ、はぁッ!」
キリキリと痛み出す関節、千切れてしまいそうに軋む筋肉。それでも宮西は瓦礫に手を付き、ゆらゆらと立ち上がった。外傷だけでなく頭のはたらきだって靄がかかったように鈍くなり始める。
ホコリのような粉塵のせいで目元が上手く開けられない。
「もういいでしょ? 京ちゃんじゃこんなもん。さっさと諦めて」
暗い空間から響く良く知った声。かつては温かみを感じ取ったその声は、今では絶望へと誘うメロディ、少年にはそう聞こえた。
どうやら道化の奇術師はレイピアを頭上で、円を描くように振り回すことで降り注ぐ全ての瓦礫をやり過ごしたようだ。
本当に滅茶苦茶な能力だ、宮西は思った。
「……ああ、まだヤリ合うっての? ふん、じゃあとことんヤってやろうじゃないの」
少年は額に掛かる髪をそっと掻き上げ、ポケットから一枚のトランプを取り出し、目の前の敵へと構える。
「まだ終わりじゃありません!」
その宣言とともに放たれた一枚のトランプ、迷うことなくトランプは一直線に道化の奇術師に向かって行く。しかし、
「せめて男らしく生身で突っ込んできなよッ!」
右手に携えたレイピアを向かってきたトランプ――――ではなく、足元に散らばった大小様々な瓦礫をゴルフのボールを叩くごとく、片手で振り抜いた。
高速度で放たれる瓦礫の散乱銃。暗闇に溶け込むその散乱銃は飛来するトランプをも呑み込み、そのまま少年を打ち抜いた。
「――――ッ!?」
一つ一つの礫が宮西の全身を叩く。あまりの衝撃に足裏が地から離れ、そのまま後ろへ飛ばされた。
ズサササササッ、と地を擦るブレザー。瓦礫の角や棘が服越しに少年の肉体に痛みを与えた。
だが、それだけの傷を負っても。
よろよろと、時間を掛けても確実に立ち上がる茶髪の少年。光を失わないその瞳で、前で佇む道化の奇術師を見た。
道化の奇術師は呆れとも取れるような笑いを含ませながら、
「まったく、努力どうこうでどうにかなる問題じゃないでしょ? 言っても分からないなら自分の服とあたしの服を見比べてみなよ。それが力量の差。つーか、あたしだって千年近く努力したワケですし。この『気狂いの拳闘士』を構成する魔法だって今の京ちゃんには到底分からないだろうし」
「…………おまけに、あなたには『先取り欲張り者』なんて能力もありますしね…………」
「でも相手にしなきゃならないロジックがその一個だけでよかったよね。あたしは魔女ちゃんみたいに何個もロジックを創らない主義だし」
カチャリと、道化の奇術師はレイピアを構える。そうして再び、笑った。それは余裕ぶったとか、嘲笑とか、そういったものではなく彼を一人の敵として認めた笑み。
「ふん、イイ顔してんじゃん」
「あなただって傷を負ってますし……。今まで一方的だったのは単なるハンデですよ。あなたとイーブンになるためにね」
「……そっか。じゃ、もうちょっと骨のある闘いが楽しめそうだね」
自分の言っていることが強がりなのは分かっている。けれど、だからって一方的に心まで折れる必要はない、宮西は自身に言い聞かせる。
そして考える。
(道化の奇術師の未来を読み取る能力……、本当に未来を読む能力なのか……?)
彼女本人が自身のロジック『先取り欲張り者』のことを、未来を読み取る能力の類だと説明した。しかし、おかしな矛盾点が頭によぎる。
(結末が見えるなら、避けられるはずの攻撃まで受ける必要はないはず……)
『気まぐれな振る舞い』を自分の魔法にする自分に対し、道化の奇術師が自分の頬に拳を叩き込もうとするだろうか? 普通なら危険を察知して一歩退くはずなのに。
(それに、ロジックは心に関係するんであって時間に関与することなんて不可能……。道化の奇術師の説明は嘘で、本当の能力はそれに近い類の……、まさか……)
道化の奇術師は、宮西が何も言葉を発せずにいたのにも拘らず、
「へー、やっぱり気が付くんだね。でもさ、頭ばっかり動かしてないで身体も動かそうよ」
最初に踏み込んだのは道化の奇術師だった。
大きく一歩を踏み込んだ道化の奇術師は、その勢いを生かし素早く右手に持ったレイピアを構え、宮西の顔に居合切りの格好で襲いかかる。
(やっぱり、道化の奇術師は未来を読むんじゃなくて、僕の心を読んで行動してる!)
しかし、宮西は読んでいたと言わんばかりに身を屈め、彼女のレイピアを難なくやり過ごす。そして上体を起こし、道化の奇術師の胸元目掛けて魔女に委ねた左手を、彼女の身体を掴むように振り抜いた。
「ぐっ、このっ!」
レイピアを振り抜いたことにより大きく身体を開いた道化の奇術師、隙だらけの状態、ガラ空きになる胴体部。だが何とか地面を蹴り、少年の左手を回避することができた道化の奇術師は、窮屈な姿勢ながらも左手に出現させたレイピアで宮西の頭部を再度なぎ倒そうとする。しかし宮西は内部の魔女に導かれるように、地面を這うことで攻撃を回避した。
零距離になる二人。道化の奇術師は小さく一歩引き、間髪入れずにレイピアを振りかぶり、宮西の背中目掛けて身体全体を粉砕しようとする。しかれど、宮西は道化の奇術師が振り下ろす同時に一歩横に回転し攻撃をかわした。
(とにかく中途半端な間合いが一番マズイ……。零距離の方がまだマシか。それにあの様子だと、愛しの魔女の心の動きは雨谷衣巧と同じように適用外なはず……)
通常、斬る(『気狂いの拳闘士』の場合は叩くという表現が適切か)動作は、背後に肘を引いて刺すという動作を除いてある程度の間合いが必要になってくる。さっきのレイピアを使わずに拳という形で攻撃しようとしたのだって、それがあってのことだろう。ゆえに勝利を手繰り寄せたい場合、なるべく間合いを詰めていくことが肝心だろう、と宮西は思った。が、
(近づいたとしても、『先取り欲張り者』で僕の行動なんて手に取るように分かるし……。かといって、愛しの魔女に身体を貸してあげ続けたらすぐに僕の頭に限界がくる……。僕の『気まぐれな振る舞い』だって近距離で使う分には僕が危険だし……。さて、どうする?)
もっと数式の知識があれば、自分の魔法で傷つくなんて愚かな行為は回避できるのだが、それは仕方ないと割り切る。
宮西はポケットに仕舞い込まれた一枚のトランプを素早く取り出し、それを道化の奇術師の胸元に投げ込んだ。直後、魔法『気まぐれな振る舞い』が発動する。
火花を散らし、凄まじい衝撃を発生させるトランプ。しかしながら、道化の奇術師は冷静な表情で一歩横に逸れ、いとも容易く爆発を回避した。
(……完全に読まれてる……、考えても考えても僕の考えは筒抜け……)
宮西は道化の奇術師の行動を見届けると、敵に焦点を合わせながら距離を詰めることはせず、駆け足で彼女との距離を置く。
そして宮西は手を動かすことを止めず、四秒程度である魔法の数式を組んだ。
道化の奇術師は接近戦を挑むことに警戒したのか、立ち止まりながら宮西の動きをじっと捉え続ける。そして道化の奇術師とは八メートルほどの距離を隔て、
「ほらほら、お得意の接近戦で来てくださいよ? あれ、怖くなったんですか? あー、色んな手数をを読み取ったから怖くなっちゃったんですか? 意外と小心者ですね」
「テメーの行動くらいこっちの手の内だよっ!」
その言葉と同時に道化の奇術師の頭上にあったビルの一部が爆発。破片が彼女に降り注ぐ。だけども道化の奇術師は左手のレイピアで、破片をいとも容易く薙ぎ倒した。
「さっきからしょうもない攻撃を仕掛けてくるけど、さっさと本気だしてよ! ンじゃないと痺れを切らしちゃうよ!」
破片をなぎ倒したレイピアを一旦収め、余裕の笑みで道化の奇術師は少年を振り返った。
けれども、間髪を入れずに再び爆発は起きる。
「しまっ――――ッ!」
道化の奇術師は呆気にとられながらも、レイピアで再び防御する。だが咄嗟のことにより、少なからず破片によるダメージを負ってしまった。
しょうもない攻撃、だけれども彼女は確かに傷を負った。
(やっぱり……)
道化の奇術師は強い。それは見ていれば分かるし、実際に闘ってみれば嫌でも感じる。だけれど、だからって彼女に付け入る隙もなく返り討ちにされてしまうようなレベルだとは思えない。
なぜなら、道化の奇術師は自分の前で泣きじゃくったのだから。
間接的には彼女の手下でもある雨谷衣巧の振る舞いから、そして直接的にはかつてお世話になった藤島真純に対する彼女の仕打ちから、道化の奇術師は人の心の内を隅の隅まで読み取る達人だと思っていた。だけれども、肝心の愛しの魔女の心の動き、内面を読み取れなかったことが、彼女も完全無欠の人間ではなく弱点を持った人間なのだと否が応でも説明しているのだ。
そして弱点は彼女の能力でもある『先取り欲張り者』、『気狂いの拳闘士』にも存在する。
(『輪廻の三銃士』で『気まぐれな振る舞い』をビルに飛ばしたけど……。とにかく今ので分かったことは、道化の奇術師が心を読むのにも射程範囲がある。八メートルだと読み取られて十二メートルじゃ読み取られなかった。僕の『輪廻の三銃士』の射程範囲が十五メートルだから、何となく見積もって、道化の奇術師から十メートルから十五メートルが僕の攻撃範囲。そこで『気まぐれな振る舞い』を飛ばし続けてダメージを減らしていけば……。タイムリミットまであと六分、間に合うはず……)




