5-11
道化の奇術師と呼ばれる少女は確かに強い。
だけれども、勝機のない無意味な闘いだとは考えられない。現に愛しの魔女が、道化の奇術師の精神状態はどうあれ数々の魔法で追い詰めたのだから。
だから、これからの闘いは決して勝ち目のない絶望的なものではない、勝ち目はどこかに隠されているはず。
宮西京、そして道化の奇術師の間の距離は五メートル。数歩踏み出せば必殺の間合い。夜空はオーロラで覆い尽くされ、いくつもの高くそびえるビルが威圧するように宮西と道化の奇術師を囲っている。また、エレベーターで降りて来たのか、傷だらけの冬森も重そうな身体を引きずって、やや離れた場所から勝負の行方を見ていた。
道化の奇術師は剣を携えない左手で唇から顎に伝う血を拭う。
「あたしは、あたしはずっと世界の真理を知りたいと思ってた。漠然とだけど、そんな想いをずっと胸に秘めて長い年月を生きてきた」
滑らかなロングの茶髪を星々に照らし、大人とも呼べないその風貌の少女は独り言のように詠う。
「愛しの魔女には負けるかもしれないけど、あたしだって色んな世界を勉強してきた。言語も歴史も風土も、それに自然科学だって余すことなく」
スッと流し目を、艶を放つように少年に向けた。
「どれだけ勉強を重ねても、まだハッキリと世界を構築しているものは分からない。けれど、『言葉』と『数式』で世界がほとんど記述できることは分かった。人の想い、嘘、行動……それを示す『言葉』は世界全体を包み込んでくれる。だけどそんな曖昧に表される『言葉』をカバーするように、何事も再現できるように『数式』が世界の柱になってくれる。…………京ちゃんにはちょっと難しいかな?」
少女は笑った。
「だからって、いくら『ロジック』と『魔法』に身を浸したって、それだけであたしの世界は構築されないんだって思った。その二つだけじゃ絶対に足りないものがある」
右手に携えたレイピアを顔の前に構え、そうして彼女はジロリと、獲物を仕留めようとする獣のように明確に、敵となる少年に刃先と視線を差し向けた。
「愛しの魔女は――あたしが頂くから」
コツン、と。
道化の奇術師は手に持ったレイピアで弧形を描き、そのままコンクリートの地面を叩いた。
たったそれだけで。
キィィィン、と伝わる音に呼応するように、一つの大きな横揺れが宮西の足元に展開された。
「うッ!」
あまりの衝撃に、膝が折れその場に崩れ落ちそうになる茶髪の少年。さらに畳み掛けるように、強烈な立ち眩みが走る。
それでも朦朧とする意識を何とか振り切り、そして目を道化の奇術師の方に向けた。
「……ッ!」
道化の奇術師の前に、数十の黒光りのレイピアが宙に浮き、例外なく全てのレイピアが刃先を少年に向けていた。そうして彼女の振り払う手の動きとともに、弓矢のように全てのレイピアが発射される。
数多くの点状の物体が少年目掛けて飛来する。宮西は愛しの魔女に念じ、彼女に身体の一部を貸すことで余計な動きをすることなく一歩前に飛び込んだ。だけども、
「――ッ!? くぅぅぅぅぅぅ!!」
ベクトル的に前方の動きをしていたにも拘らず、左脚が、さらに身体全体をも巻き込むように無理矢理左方向へ持ってかれる。――――たった左の太ももを掠っただけなのに。
身体のバランスを崩し、地を転がるように倒れた宮西。そのままビルの壁面に叩きつけられてしまった。
「アハハ! まだまだこんなもんじゃないから! お姉ちゃんの魔法をいーっぱい味わいなさい!」
追い打ちを掛けるように、道化の奇術師の前方に出現する多数のレイピア。宮西の待ったを無視するように再び発射された。
急いでビルの壁面に手を付き、道化の奇術師の動向を捉えた宮西は、再度発射される黒光りのそれらを視認。急いでポケットから一枚のトランプを取り出し、
「――――『防御』!!」
声と同時に薄緑の、ドーム型の壁が少年の周囲に展開。飛んできたレイピアの刃先は壁面に食い込むことなく次々と弾かれ周囲に飛散、役割を終えたように消えていく。
少年は足に力を入れて立ち上がる。それも防御壁が消えないうちに。
しかし。
「なっ!?」
ほんの数秒まで数メートル離れていた場所にいたはずなのに。
眩む瞳でも誤魔化しきれない、そう言わんばかりに道化の奇術師が防御壁の目下でレイピアを両手で振り上げていた。
防御壁があるのにも拘らず、宮西は反射的に両腕をクロスするように身構えてしまった。
「ハァァァァァァァァァ!! くたばれ!!」
次の瞬間、道化の奇術師の腕は振り下ろされた。切れ味の存在しない刃が押し込むように壁面に圧力を掛け続ける。そしてついに耐え切れなくなり、薄緑色の防御壁は原型を留めることなく壊された。
ガラスが割れる音とはまた違う周波数の高い大きな音が宮西の耳奥まで響いた。それが引き金となり聴覚は使い物にならない。さらに悪いことに、反射的に構えてしまった自身の腕が邪魔になり視覚さえも奪われる。
宮西はすぐに構えた腕を振りほどいた。しかし、至近距離に彼女はいた。自分の髪と同じ色の茶髪を少年の頬に絡ませて。
見慣れた顔立ち。不敵な笑み。肘を小さく下げて拳を握って彼女は――――、
「――――しまっ」
瞬間、道化の奇術師の右拳が少年を襲いかかった。右脚を小さく一歩退き、腰の回転を利用した強烈な一撃が、風を絡ませ少年の左頬目掛けて放たれる。
だが、己の身体に命令を下すことなく反射的に宮西の右手が道化の奇術師の右手を掴んだ。しかしそれだけで勢いを殺すことはできず、少年はなぎ倒されるようにコンクリートの地面に擦るように吹き飛ぶ。
背中を強く打つように叩きつけられた宮西。――――が、
「……甘く見ないでくださいっ」
少年の声と同時に、ボン! と道化の奇術師の右手から火花が散った。
「……痛っ!」
歯を食いしばり火花の散った部分を擦る道化の奇術師。
けれども彼女はすぐに平常心で、
「京ちゃんの『気まぐれな振る舞い』はトランプを爆発させる魔法じゃなくて、触れたものを爆発させる魔法だったもんね、そういえば。まーでも、この通りレイピアを握るには差し支えないレベルの爆発だし」
言葉の通り、彼女は右手にレイピアを出現させて確かめるように柄を握る。
甘かった、宮西はそう考える。
(くっ、瞬時のことだったから完全な魔法の発動ができなかった……ッ)
けれど、とにかく一矢は報いることができた。――――だけれど道化の奇術師はそんな少年の心持を見透かすように、
「今程度の攻撃で一矢報いたなんて思ったら大間違いだよ」
足元に落ちる数個のレイピア。
道化の奇術師がその一本の柄を踏みつける。
そうして足を少しだけずらして、レイピアの柄の先をコツンとつま先で触れた。――直後、
「――――ッ!?」
ブワリと風が凶器のように宮西の右頬を靡いた。ジリジリと焼けるような熱さを持つ頬の肉。さらに続くのは地鳴りのような背後の壁が砕けた音。何事か! と振り返る宮西。あろうことかレイピアはミシミシと音を立て、勢いを殺すことなく壁を突き進んでいた。
「まだまだだよ」
道化の奇術師は足元に残る数本のレイピアに対しても同様のことをした。次々に発射される弾丸のようなレイピア。レイピアは一つの例外もなくコンクリートの壁を抉っていく。
「……な、何を!?」
少年には意図が分からない。自分を狙わずに背後の壁を狙う行為に。それが己に恐怖を与えるためだけの行為なのか、それとも別の狙いがあるのか。
タキシードを纏った少女はニィっと唇を裂き、少年の求めたい答えを見透かすように、
「上、見てみなよ」
上? 道化の奇術師の動向を気にしつつ上を見上げた宮西。
「……まさか!?」
ギョッと目を見開く少年。
顎と首の角度を全開にしてみても見えないほどの高さを誇るビル。その頂上が振り子のように揺れていた。
「こーんなに高いビルなんだからさぁ、それを支えるためには絶対に柱が必要だよね?」
宮西の頬に伝う一筋の雫。
「逆に考えてみようよ。柱が存在しないビルってどうなると思う? あったとしても、それが折れたりしちゃったらどうなるかな? お姉ちゃんからのとっておきのクイズ。さ、頭のいい京ちゃんならすぐに分かるよね?」
背筋が凍るような感覚がした。
まさかだとは思う。
「そのまさかだよ」
宮西はもう道化の奇術師の言葉なんて聞いていない。
足腰に力を込め立ち上がり、急いでその場から逃げ出そうとした。それも堂々と敵に背を向けて。余裕なんて全くない心を持って。そんな行為が恥ずべきことなんて瞬時に分かっても、宮西は精一杯の力を足腰に入れた。後ろの道化の奇術師だけでなく脇目にすら一切目を向けずに。
道化の奇術師は甲高い声で笑っていた。
「キャハハ! ほぉら逃げろ逃げろォ! ダッサイ負け犬のごとく尻尾振りまいて撒いて逃げろよ! キャハハハハハハハハッ!!」
いくらバカにされようと、宮西は振り向かない。振り向けない。逃げて、逃げて、そして逃げて。
その時、道化の奇術師の声が冷たく突き刺さる。
「――――ビルがお空から降ってくるなんて、ホーントにマジカルな世界だこと」
あらゆる音が消えた。
消えたと思ったら、その反動を楽しむように全身を原子レベルまで分解してしまうと感じてしまうほどの衝撃波が少年を貫いた。
爆音に乗せられるように少年の身体は軽く浮き、受け身を上手く取ることもできずに固い地面にゴロゴロと吹き飛ばされる。
なぎ倒されて地面に直撃したコンクリート製のビルは衝突後、数々の破片に別れて粉塵を混ぜながら上空を再び舞う。舞ったいくつかの砕けたコンクリート、ガラスは倒れ込む少年に降り注いだ。
「ガッ、ぐっ……ふッ!」
口の中に広がる鉄の味、肺に溜まった空気とともに赤い鮮血が口から吐き出された。




