5-8
「…………もり……さん…………冬森……さん、…………」
声が眠った意識を刺激し、そうしてゆっくりと重い瞼を開いた。
「……冬森さん! 大丈夫ですか!?」
部屋は暗い。しかし聞き慣れた少年の声、頭に回された手の温もりによって、すぐにそれが誰なのかを判別することができた。
「……宮西、くん……? どうしたの、そんな泣きそうな顔して」
全身に這いずり回る痛みによって目は霞む。背後の暗い影が少年を取り巻くが、宮西の瞳はゆらゆらと僅かに揺れ動いていた。そして目尻に小さな雫を浮かべて。
冬森によって指摘された宮西は、目を強く瞑りブンブンと小刻みに頭を振って、
「いっ、いえ……、冬森さんのことが心配になっただけですから……」
宮西は床に崩れる冬森の頭をそっと抱え、心配して彼女を見守ってくれていたようだ。冬森はそのことが嬉しくて、小刻みに震える手で宮西の柔らかな茶髪を撫でてあげた。
宮西は冬森の手を優しく取り、そして、
「……なんで……、僕のためにそうまでして立ち上がってくれるんですか……? まだ、出会って二日も経ってないのに……」
宮西は冬森の手の感触を確かめるように強弱をつけて握り、申し訳なさそうに目を伏せた。
だが、冬森は、
「……バカね……、自惚れるんじゃないわよ……。別に宮西くんのために立ち上がったワケじゃないから…………。私が立ち上がりたいと思ったからそうしただけ……。だから、出会って何日だろうか関係ないのよ……」
彼女は小さな声で言葉を紡ぐ。声が小さいから、きちんと自分の伝えたいことが届くかどうか不安だったが、彼の様子を見る限り想いは届いたようだ。
「――――はいはーい、お互いの絆を確かめられたことがよーく分かるイイ話ですねー。でーもーキミたちー、誰かを忘れてないかなぁ?」
憎たらしい声を響かせて。
カツン、カツンと闇の中から足音を増幅させながら、また一歩近づく声の主。
「京ちゃんね、アンタが気を失った瞬間に割り込んできて、ずーっと看病してたんだよ? いや、ずーっととは言ってもたった数十秒か……。でも、あたしに背を向けてまで看病していた姿に道化の奇術師感動しちゃった」
パチパチと乾いた拍手とともに、威圧するように二人の前に立つ少女――道化の奇術師。
「……だから、それがどうかしたのでしょうか?」
宮西は立ち上がり、珍しく嫌悪感たっぷりに道化の奇術師に対して言い放った。対照的に道化の奇術師は鼻で笑って、
「そこで、そんな京ちゃんにご褒美として――――」
ゆっくりと、一歩に重みを付けながら道化の奇術師は宮西に近づく。宮西は近づく道化の奇術師から冬森を護るように、傷だらけの彼女を抱き寄せた。
|道化の奇術師は時間を掛けるように、右手を少年の頭に差し出しながら、
「――――愛しの魔女とお話しできる時間をあげちゃお!」
◇
真っ白な部屋、そして今自分が座るのはお姫様が眠るような白いベッド。
(道化の奇術師、それに冬森さんが消えた……。いや、僕が移動しただけか……)
そうして宮西京は気が付いた。――――真正面で佇む魔女の姿をした少女に。
「…………あなたが、愛しの魔女……?」
恐る恐る、彼は尋ねた。少女はつばの大きい紺の帽子で目元を隠すように、
「…………はい」
帽子と同じ色の、彼女の身体全体を包み込むマントを手でギュッと掴み、彼女は縮こまるように白のブラウスを着用した身体を隠そうとした。
「……私が……愛しの魔女……です。……その、ご迷惑を掛けて申し訳ありませんでした……:」
彼女は消え入りそうな声で、必死に言葉を紡ぎ出した。言い終えた後で、ブンブンときめの細かい銀髪を揺らしながら小刻みに頭を振って、『違う、これじゃあ約束と……』なんて言っているのは気になったが。
だが、宮西は儚げな彼女に向けて優しく微笑んであげた。
「――――どうして他人行儀なの? 僕たち、敬語なんか使う仲だった?」
えっ? と頭を上げる魔女の格好をした少女。
「一緒に料理を作ったときも、勉強を教えてくれたときも、どんなときだって敬語なんか使わなかったよね? 夏姫はそんなキャラじゃなかったような気がするよ?」
キョトンとした愛しの魔女、そしてわなわなと震えて、
「いつから気が付いてたの!? そんな……まさか――――!!」
宮西は微笑みを崩さずに、魔女を傷つけないようにそっと優しく、
「ホントに漠然とだけど、藤島さんとの件があった頃かな? でも、それが確信に変わり始めたのは道化の奇術師に会ったときと、冬森さんの態度を見たときかな? ここまでこれば、どんなに鈍感でも気が付くよ。なのに気が付くのが怖かったり」
愛しの魔女は両手で顔全体を覆った。そして弟の元へ駆け寄って、
「……ごめんね……っ、ごめんね京ちゃん……っ、ずっと隠してて……! 怖かったよね……気持ち悪かったよね……、いっぱい迷惑を掛けて本当にごめんなさい!!」
愛しの魔女は目いっぱいの力で弟の身体に抱き着いた。嗚咽を上げる愛しの魔女、温もりが宮西の肌に伝わる。
ごめんなさい、そう連呼するように抱き着く愛しの魔女の後頭部を撫でてあげる宮西。だが、彼は愛しの魔女の肩を掴んで、そっと彼女を引きはがした。
「……僕は許してないから。……許さないことがあるから……」
掌でごしごしと涙を拭き取る愛しの魔女は、弟の一言に瞳を揺れ動かし、静かに顔を伏せた。
「……そうだよね……許してくれるはずないよね……」
「ずっと辛い想いをしてたのに、ずっと僕に相談してくれなかったことが許せない」
「…………え?」
「夏姫は道化の奇術師に良いようにヤラれて辛かったんでしょ? 自由も奪われて苦しかったのに、僕のことばかりを考えて何も相談しなかったことが許せないってこと」
憮然と呆れる様子を見せる宮西。愛しの魔女は上目使いで、
「…………これからはキチンと相談すれば、許してくれる?」
「もちろん」
宮西は即答した。
愛しの魔女はつばの大きい紺の帽子と、全身を覆うマントを取り払い、
「……茶髪じゃなくて銀髪で、肌の色も白くて、おっぱいも大きくないこんなお姉ちゃんでも、お姉ちゃんとして受け入れてくれる?」
「もちろん、姿なんて気にしないで」
愛しの魔女はボロボロと涙を零して、ギュッと弟を抱きしめた。
「……京ちゃん…………京ちゃん!」
宮西京だって痛いくなるくらいに愛しの魔女を抱きしめた。
「――――道化の奇術師に打ち勝つためには、愛しの魔女の力がどうしても必要だから。だから協力してほしい。いいかな?」
愛しの魔女が出した答えは言うまでもなかった。
◇
「……宮西くんに何をしたのよ……」
崩れそうになりながらも、冬森は目を閉じ倒れ込む宮西の傍を離れない。
「何って、愛しの魔女と会わせただけだけど?」
道化の奇術師によって頭を触れられた宮西は、突発的に床に倒れ込んだ。しかし、無防備になった宮西に追い討ちを掛けることもなく、道化の奇術師はニヤつきながら弟を眺めていた。
道化の奇術師は独り言のように述べる。
「嫌われたくないがために正体を現さなかった愛しの魔女が実際に会うことになればどんな気持ちになるんだろう? 下手しちゃったら精神崩壊も考えられたり。まぁ、でもぉ…………迷いがなくなって戻って来れたら、それはそれで嬉しいかも」
「嬉しい…………?」
「そう、あたしも逃げないで、魔女ちゃんの本当の気持ちを確かめないと。そのためにはあの子の迷いをまずはなくさないとダメ。その後であたしに対する本心をしっかりと聴いてあげて、そうしてあたしは魔女ちゃんと一緒になる」
道化の奇術師はそっとしゃがみ込む。警戒する冬森だが、道化の奇術師は冬森に目もくれず、怪しげな笑みそのままで宮西の髪を撫でた。
そして彼女は弟の顔を視界に入れると再び立ち上がり、ゆっくりと窓ガラス方向に歩み寄り、
「――――そろそろかな、お目覚めは」
道化の奇術師の声とほぼ同時だった。
彼女の予言に応えるように、傍に横たわる少年の目が徐々に開かれていく。彼は冬森の顔を確認した後、足腰に力を入れてその場に起き上がった。
「……宮西くん、大丈夫?」
冬森も宮西に合せるように、歯を食いしばり、壁に手を付きゆっくりと立ち上がった。
彼は哀しげな表情など一切見せることなく、どこかスッキリりした面持ちで答える。
「才能がなかったら、もしかしたらどこかで諦めなければならないのかもしれません。道化の奇術師に対して、僕に勝算があるような才能なんてありませんし。だから僕がこのまま挑んでも何もできずに返り討ち、だと思います。だけど――――」
宮西はガラス側の道化の奇術師に視線を変え、ポケットからトランプとペンを取り出し、
「――――今は一人ではありませんから。冬森さんだって、それに愛しの魔女だって一緒に闘ってます。足りない才能なんていくらでも補えますよ」
彼はそう言いながら、左手を用いて素早くトランプに書き込みをしていく。
そして。
風化に伴って今にも崩れそうな砂のオブジェが風で流れ去っていくように、少年の髪の先から顔全体、喉元、胴体、そして足先の順に、眩い光が彼を取り巻くようにサラサラと崩れ去っていった。そうして崩れて流れた塵は再び光を伴って一つの塊に集合していく。その塵はやがて少年とは別の――――魔女の姿を造り上げた。
愛しの魔女。
白い肌、銀髪、つばの大きい帽子、紺のマントを羽織る華奢な身体の少女。彼女は左手に持った、身長ほどの大きさの杖を道化の奇術師に向けた。
「京ちゃんと私で――――あなたを倒す」




