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「なっ――――!!」
棚から意識を戻す前。矢で射ぬかれたように、あの空間から放たれたレイピアが冬森の耳元の金髪を打ち抜いた。千切れた数本の髪が空を舞う。
ピキピキピキ、不気味な音がしたので後ろを振り返った冬森。突き刺さったレイピアを中心にして、そこから外に向かって乾いた地面のように壁が大きくヒビ割れていた。
「ヒビ割れ!? そんな! 壁に突き刺さるだけ済むはずじゃ!」
切れ味の鋭い剣ならば、通常は綺麗に壁に突き刺さるだけで、大きく目に見えるようなヒビ割れなんぞ引き起こすことはないだろう。しかし、冬森の見た光景は違った。
通りかかった工事現場で見たような光景だ。巨大な金属の鉄球をクレーンで吊り、高い箇所から振りかざすことで建物を壊していたようなひびの入り方。
(……まさか、あのレイピア――――)
冬森が考えた時だった。
「――――しまっ――――」
――――レイピアの第二射が発射された。気づいた時にはもう遅い。再び発射されたレイピアは冬森の着用するブレザーの襟に直撃し、襟を貫通したままレイピアは壁に突き刺さる。
幸いにも喉元の直撃は避けることができた。だが、
「……このっ、これじゃ……身動きが…………っ」
ブレザーに貫通するようにレイピアが壁に突き刺さったため、冬森の身体も壁に縫い付けられるように身動きが取れなくなってしまった。襟を乱暴に掴み上げ、服を引き千切ろうと試みても不可能。ならば『恋すれば廃人』でレイピアと壁の間の摩擦を零にしようにも、
「…………くっ、どの数式を零に……すれば! ああっ……うっ、ぐッ!」
キョロキョロと小刻みに目を動かし、なおかつ指先を震わせてあちこちの衣服を弄る。しかし、そんな焦る冬森を嘲笑うように、第三射、第四射のレイピアがそれぞれ冬森の腕のブレザーを突き抜けた。
――完全に身動きが取れなくなってしまった。
「――――ゲームオーバー」
背中まで掛かる茶髪のロングを振りまきながら、床を蹴るように勢いよく飛び出してレイピアを両手で構える少女。
「……くっ、このっ、このっ……!」
必死に身体全体で身をよじり、縫い付けられた壁から脱出しようとする冬森。けれども、
「――――遅い!」
道化の奇術師は貯め込んだ力を放出するように、思い切りレイピアを振り抜いた。
「……ぐっ…………あっ……!」
――――斬る、という表現では生温いほどの一撃。
冬森の右肩を直撃したレイピア、壁に縫い付けられたブレザーを引き千切るように彼女の身体は横に吹き飛ぶ。ミシミシと音を立てる骨、キリキリと悲鳴を上げる筋肉、全身が火傷をしたのではないかと錯覚するほどに熱をもつ。
床に一度も触れることなく宙を浮く冬森の身体は、弾丸のような速さで壁に打ち付けられた。大きく目を見開き、そうして冬森は崩れるように倒れ込む。肺に溜まった空気と一緒に、赤い鮮血が口から吐き出され床を汚す。瞳孔は安定せず、吐き出された血液は口元から顎を伝う。
「あたし渾身の『気狂いの拳闘士』のお味はどう? おまけに未来を読み取る『先取り欲張り者』なんてロジックも相手にしなきゃいけないなんて、ほーんとに骨が折れること。せめて自爆覚悟で絶対零度を作り出せばあたしを倒せるのかもしれないけど、それができるならとっくに『保健委員』とは言わず、『図書委員』くらいにはなれているのかもね」
道化の奇術師はカツン、カツンと足音を鳴らして冬森に詰め寄った。そうして冬森の傍に転がるクシャクシャに丸められた紙の塊を拾い上げ、乱暴に紙のしわを拡げ、
「……あー、京ちゃんには教えてあげなかったんだ。こんなにも丸めちゃって、意地になっても弟には読ませないつもりだな」
壁に打ち付けられた肉塊を見下ろす道化の奇術師。ベージュのブレザーは引き千切られ、白のブラウスは口から吐き出された血や、身体からの出血で所どころ赤く染まっていた。だが、
「……まさか、もうボロボロでしょ……?」
ピクリと指の先が痙攣するように動いた。瞳孔のはっきりしなかった瞳は、僅かにだが光が灯される。次第に指の動きは力強くなり、掌は床を触れ、腕を支えに少女は震えながらも立ち上がる。壁に左腕を付き、カクンと膝を折って倒れ込みそうになっても、何とか踏ん張りを利かせて道化の奇術師を見据える金髪の少女。
「…………どうして……そんなに酷い仕打ちをするのよ…………」
今にも崩れそうな格好。けれどもその凛とした声は、確かに道化の奇術師に届いた。
「どうして――――、大好だったお姉ちゃんの精神を宮西京に移すようなマネをしたのよ――――」
空を切りそうな鋭い眼差しで道化の奇術師を睨み、冬森は叫びきった。
道化の奇術師はくだらなさそうに笑って、
「どうしてって? それはね、愛しの魔女の心を折るためだよ。大好きな京ちゃんに迷惑を掛け続けてる状態なら、魔女ちゃんは必ず嫌がってるはず。そんで京ちゃんに嫌われるようなら、絶対に心はボロボロになるよ」
「………………」
「本当はね、京ちゃんじゃなくてあたしの中に移そうとしたんだ。なんでそうしなかったのかって言うと、魔女ちゃんの本当の気持ちを知るのが怖かったからなんだと思う。それに京ちゃんの名前を連呼してたことにも嫉妬しちゃったり。それもあるのかも……」
道化の奇術師を前に、冬森は弱く握られた拳で壁を叩いた。
「……そんな勝手な理由で、宮西くんに迷惑を掛けたの? そんなツマンナイ理屈で迷惑を掛けられるなんてホントにコドモね……」
ふん、と道化の奇術師は鼻で笑って、
「単純に迷惑で終わるような話じゃないでしょ? 凡人が超能力じみたチカラを手に入れられたんだよ? 人よりは勉強ができるかもしれないけど、運動神経は凡人以下、トータルで見てもアンタみたいに優れた人間じゃない。知ってる? あの子の趣味の一つ?」
「…………生憎、出会ってから二日しか経ってないのよね……」
「手品だよ。凡人のクセにカッコつけたかったんだよね。でも所詮は凡人の努力、どんなに頑張っても才能には勝てない。突然超能力を植え付けられた京ちゃんはどう思ったのかなぁ? 手品なんてアホみたいなものだと思ったに違いないよ」
スラスラと、まるで原稿を読むように言葉を紡ぐ道化の奇術師。彼女の言葉には、弟に対する侮蔑と皮肉みたいなものが含まれているのだと、冬森はうっすら感じた。
けれども、冬森は道化の奇術師に対して、
「……人の努力を否定するのはどうしてなのよ? 最後には報われるかもしれないのよ?」
「いや、別にイイんじゃない? あーでも、最後に笑っていられるヤツなんて結局は才能がある人間だってこと。ほとんどは散ってくだけ、そうでしょ? だから、京ちゃんのお姉ちゃんを助けたいって必死の努力も報われないはずだよ。だって、あの子だって所詮は凡人、あたしよりも才能がないんだから」
――冬森は笑った。吐き捨てるように、道化の奇術師を嘲笑うかのように。
道化の奇術師は訝しげに冬森を睨みつけた。
「才能が足りないからお姉ちゃんを助けることができない? 笑わせないでよ。才能なんてどうだっていいのよ」
「どうだっていい?」
「そうよ。ずっと助けたいって気持ちを捨てない宮西くんなら、最後は絶対に助けられるのよ。どれだけ時間が掛かっても――――諦めない限りはね」
冬森はフラリと身体のバランスを崩しながらも、大きく一歩を踏み出して、そして、
「――――全部を才能で済ませようなんてことは甘いのよ。――――この臆病者!!」
力強く拳を握った冬森は、一歩を踏み出した勢いで道化の奇術師に襲いかかる。彼女自慢の魔法を使うこともなく、フラフラの拳一本で。
だがしかし、道化の奇術師は右手に携えたレイピアをそっと構えて、
「――甘いのはどっち? そんな拳でどうにかできると思わないで」




