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〈ブロムベルグ〉――このセントラルの中核と表現しても差し支えのない柱。およその高さは一キロほど、二〇〇階建の三角フラスコ型のビルだ。百五〇階付近の周囲には、ビルの高さと同じ程度の、直径一キロのドーナツ型の展望台が街に広がる。
十八時を回ればブロムベルグの百八〇階より上の階の消灯は切られ、人の出入りも消えるらしい。
(あのオーロラの出所はビル最上階のようね……、とにかく急がないと!)
R4ナビで時刻を確認すれば、今は十九時の五分前だった。つまり、あと一時間もすれば強制下校時刻。
冬森は高速エレベーターを用いて最上階まで登っていく。が、しかし、
「……しまった!? こうなったら!!」
当然のことながら、消灯時間になったら灯りの消された階、つまり百八〇より上の階にエレベーターでは向かえない。冬森は急いでエレベーター近くの階段から、さらなる上の階へ必死に足を動かしていく。
そして登ること百八五階――――、
「――――待ってました」
人々の流れがないからか、声は暗いフロアの中によく響いた。冬森は声のした方向に向かって、灯りのない暗い廊下を駆け抜ける。
視覚を奪われているからか、胸元を締め付けられるようで怖い。不自然に一つだけ空いた扉に冬森は向かっていく。
「……待たせて悪かったわね、待ちくたびれてどこかへ行ってしまわないか心配したわ」
室内の広さは学校の標準的な教室ほど、扉の向こう側の一面は透明なガラスで覆われている。
――道化の奇術師はそのガラスに身体を預け、妖艶に七色のオーロラと淡い月明かりに照らされていた。
背中まで掛かるような茶髪のロングは髪飾りで結われ、彼女の着用する黒のタキシードはバランスのよい体型と相まって、見る者に凛々しさを感じさせた。両手には白の手袋がはめられ、右手に持つのは腰からつま先まではあろう、黒光りのレイピア。
「まあ、京ちゃんは後から来るでしょ。あれくらいの追っ手はどうにかしてもらわないと、あたしに立ち向かう資格なんてないし。まずは前菜をさっさと頂いて、それから主菜を食べちゃおっと」
道化の奇術師はよっ、と小さく漏らし勢いづけて前に出る。ニヤリと口元を歪め、半目で相対する冬森に目を向けた。
「その前に一つ訊いていいかしら?」
せっかく高揚した気分を害されたと言わんばかりに、道化の奇術師は舌打ちをし、
「ハイハイ何ですか? 質問はもっと早く済ませましょうかー?」
冬森は道化の奇術師の様子など気にすることなく、
「この場で私たちが勝てば、あなたは現実世界で宮西くんを狙わないのよね? そうじゃなかったら、今から闘う必要性なんてないのだし」
「ああ、組織の連中は仮想現実でなるべく事を済ませたいらしいけど。だけれどあたしの気分次第では現実世界でも『愛しの魔女』を引き剥がすことはできるよ。――――でもね」
「…………でも?」
「もし、ここであたしが負けるようならしばらく撤退する。たとえ組織が何と言おうとね。負けてまでしつこく食い下がるのは愛しの魔女にも失礼だし、あたしのプライドが許さない。……けど、そんな仮定は別にしなくてもいいし、要らないよねぇ……」
道化の奇術師はゆっくりとレイピアを冬森に向けた。
「――――このあたしに勝てるなんざ有り得ないんだから」
レイピアから発せられる漆黒の光がギラリと脅威を目掛けた。けれども、
「――――宮西くんなんて必要ない、この私が全てを終わらせる」
駆け抜けるまでもない。風が身体に、髪に絡む瞬間だって一寸たりともない。
冬森凛檎はそこにいた――――瞬く間もなく。
「――――――――ッ!?」
道化の奇術師の懐に入り込むように、月明かりに照らされた冬森が道化の奇術師の瞳を捉えた。
そして。
「――――――はあああッ!!」
冬森は拳を握り、下から道化の奇術師の顎に向けて固く握ったそれを振り上げた。
だが。
「――甘い」
取り乱したような気配は全くなく、道化の奇術師は足を一歩退き、ガラスに身体を預けるように冬森の拳を避ける。そして冬森の左肩部を叩きつけるように、テニスのラケットを振る感覚で右手に持ったレイピアを素早く振り抜いた。
「……くっ」
ゾクリと、鈍い反射を見せる剣先の見た目以上の恐怖が背筋に走った冬森。避けることは止めて、右手の甲で軽く叩くように、襲い掛かってくるレイピアに触れた。
「――――運動量を零に」
発動する冬森凛檎の魔法『恋すれば廃人』。勢いなんぞなかったことにしてしまったように、レイピアは冬森の手の甲でピタリと静止する。そしてその隙を狙うように、冬森は直角に曲げた右膝を道化の奇術師のガラ空きになった鳩尾に叩き込もうとした。
けれども道化の奇術師は、左脚一本でバランスを取る冬森に対して、彼女の胸を左手の僅かな力で押しのけた。それによりバランスを崩し、冬森の右膝は空振り、不発に終わってしまう。
冬森は疑問に思う。
――――まるで冬森の動きを予測していたと言わんばかりの、道化の奇術師の動作に。
(……どうなってるの? まさか……それが道化の奇術師の能力!?)
不気味に、口元を裂くように笑う道化の奇術師。彼女は冬森を視界に捉えながら一歩横に逸れ、そして右肘を大きく後ろに引き、携えるレイピアの剣先を冬森に向けた。
「――――覚悟しろ!!」
弾丸のような速度で、鈍い光を見せる一つの小さな点が冬森の額目掛けて空を走る。
「くっ!!」
額に感じたゾワっとする違和により一瞬目を瞑るが、すぐに左手で顔を守るようにレイピアの剣先に触れ、運動量を零にする。
すぐさま一歩二歩引き下がり、身体を構えた。全身から嫌な汗が噴き出る。
(……ハァ、まずはとにかく落ち着いて。むやみやたらに体術で攻撃しても、全部躱されるだけ…………)
ジリッ、とさらに一歩退き、ゆっくりとだが確実に道化の奇術師と間を空ける冬森。彼女の腕とレイピアの長さを計算し、一振りで届かない距離まで後退する。
道化の奇術師は余裕ぶった表情で、
「へぇ、勉強バカって訳じゃないようだね。それなりの体術も持ち合わせてるとは……、ぜひうちの弟にも見習ってもらいたいものだね」
彼女の言葉に耳を貸さない。いや、貸せるだけの余裕はないと見るべきか。
二メートルほどの距離を空け、冬森は頭を捻り考える。
(こっちの攻撃を把握させないためには、道化の奇術師の視覚と聴覚を奪ってやれば!)
冬森は目の先の道化の奇術師を見定めて、一歩前に足を踏み出した。
「――――光子の量を零に」
右手の指をパチンと弾き、彼女の言葉とともに辺り一帯の淡い光は完全に消えた。何も見えない真っ暗闇が空間を支配する。
そして。
「――――音を零に」
再び指をパチンと弾き、今度は周囲の音を完全に消し去った。そうして作られたのは光も音も完全に失われた空間。その暗黒空間は部屋の窓側における大部分を占めた。
冬森はあらかじめ決めておいたルートを走り、光と音の失われた空間から脱出。そして部屋の片隅に置かれた、横幅五メートルはあろうステンレス製の大きな棚に触れ、
「――――重力を零に」
重力定数を零にすることで、棚にはたらく重力を零にした。棚は床から離れ、風船のごとく宙に浮く。
「――――窒素の粘性を零に」
空気のおよそ八割を占める窒素の粘性係数を零にすることで、冬森から道化の奇術師への直線状に占める窒素の粘性をほぼ完全に消し去る冬森。
そして冬森は棚の端を掴み上げて、棚を道化の奇術師がいるであろう光と音の消えた空間に向けて思い切り投げつけた。棚は下に落ちることなく一直線に、空気の抵抗をほとんど受けずに向かっていく。
――――だが。
暗黒空間に吸い寄せられるようにして消えた棚は数秒で、ガシャン! と耳障りな音を交えてゴロゴロと冬森の元に転がってきた。それも『く』の字に大きく凹んだ状態で。
そして――――――、




