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宮西と冬森は実験施設内部から外に出る。ここに来た時と明確に様子が違うのは、空を覆うオーロラか。
「ここからブロムベルグまで走ってもかなり掛かるわ……。バスとかの交通機関をできるだけ効率よく使って、とにかく短時間で……。それでも走ることにはなりそうね……」
「……走ってですか……。ごめんなさい、足引っ張りそうで……」
持久力の欠ける自分が冬森とともに行動するのでは大きく彼女の足を引っ張ってしまう、宮西は申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
「バカね! 男の子なんだからシャキッとしなさい! 気持ちを失くしてどうするのよ!」
冬森は呆れたように宮西のお尻をパシっと叩いた。強い痛みが臀部を襲ったが、同時に、
(……、本当に冬森さんには頭が上がらないな……)
宮西は気合を入れ直すように、両頬を掌で大きくパチンと叩いて、
「そうですね、まずは全力で――――」
最後まで言い切ることができなかった。
「――――ふふーん、宮西京くんはこちらが頂きました」
何者かが宮西の肩に触れた。そして一瞬だった。瞬きをする間もくれないほどの時間。
「こっ、ここは! いつの間に!!」
冬森の姿はなかった。そして見ていた景色も先ほどまでとは全く異なっていた。前方には実験施設はなく、周囲は高いビルに囲われており、この場所に見覚えはない。
と、そんな時、横から聞き覚えのない少年の声がした。
「宮西京、あなたは『イマジナリー』傘下の我々が責任を持って半殺しにしたいと思います。自ら道化の奇術師様にその身を差し出すのなら、我々からは手を下しませんけどね」
そして足音は一つではない。二つ、三つと、数えるのも到底無理なほどにその足音は増えていく。グルリと、宮西たった一人を威圧するように、百人以上もの人間が彼を囲った。
(テレポート!? 僕だけがここに……。『イマジナリー』の傘下ってことは……)
オーロラによって照らされる彼らの右肩部の紋章……。
(等号に不等号のマーク、NにGのアルファベット……。どうも『イマジナリー』が乗っ取ったチームの面々のようですね……)
この人数を相手にするのは無理がある、宮西は考えた。今ほど冬森に喝を入れてもらったのだが、それでもこの人数を見て自分の力量を計り間違えることはない。――気持ちでどうにかなる問題ではなかった。
(……どうする……どうする……! 何か策は……)
自分の魔法は小爆発の魔法『気まぐれな振る舞い』、そして『王女気取りの魔法使い』によって使えるのは、軽い対象物を十五メートルほど飛ばし操る魔法『輪廻の三銃士』、防壁魔法『防御』。この三つの魔法で敵に立ち向かうしかない。
さりとて、敵だっていつまでも気長に彼の思考を手伝ってくれるほど甘くは無いらしい。
「どうか殺さないように、五人単位で彼を攻撃してください」
少年は指揮を執るように、宮西を囲う人間らに告げた。異なるチームから選ばれた五人が宮西の前に現れる。
とにかく抵抗しようと、宮西はポケットからペンとトランプを取り出した。こんなものでどうにかなるものと、状況を脱出できるものではないと思いながらも。
絶体絶命の状況。そしてリミットは迫り、五人は一斉に宮西に攻撃を仕掛けた。
けれども。
「――――たった二人? 何を言ってるんですか、あなたは。あなたの隣にいた人をよく思い起こしてください、彼女はリーダーですよ、それも――――」
声とともに、すぐ傍で大きな爆発が起こった。膨れる光の塊が彼を襲い、すぐに地面に伏せる。
「『キューブ』をお忘れになったんですか? 私たちはいつでもリーダーの味方です」
ゆっくりと目を開け見上げれば、宮西に背を向けるようにベージュのブレザーを着用した面々が頼もしそうに聳えていた。
宮西をこの場に連れ去った少年は苦い面構えで、宮西との間に立つグループを睨みつけた。
「話は全部情報屋さんから聞きました。まったくもう、もっと私たちを頼ってくれてもいいのに。呆れちゃいます」
代表をするのはツインテールの女の子だった。彼女は呆れたように、独り言のように呟く。
「黒川さんからも連絡がありました。『私は参加できないけど、きっとこの先あの二人に助けが必要になるから、いつでも動けるように』って。黒川さんに感謝してくださいよ?」
宮西は起き上がり、そして深々と『キューブ』のメンバーたちに頭を下げ、
「御恩は絶対に忘れません。本当にありがとうございます」
ツインテールの彼女は三角フラスコ型のビル〈ブロムベルグ〉を指差して、
「感謝は言葉ではなく行動で示してほしいものです。どうか我らのリーダーの足を引っ張らないように」
◇
〈セントラル〉中央のビル、〈ブロムベルグ〉で一人の少女が、上空を支配する七色のオーロラを受け止めるように両手を小さく広げ、空を見上げていた。
手で掴みとれそうなオーロラは、これから発動しようとする彼女の能力の証。
「ベル=アメレール――――生まれてしばらくはこんな名前で呼ばれてたね。ははっ、今になって思い出しちゃって……。あたし、どうしちゃったんだろ?」
これから得るであろう満足感に待ちきれない心の揺れからか、少女は適当に理由を付けた。
「待っててね、魔女ちゃん。あたしが取り戻してあげるから。また――一緒になろうね、ずっと、ずっと…………」
取り戻す、なんて言葉はおかしいかと苦笑いを口元に浮かべた道化の奇術師。愛しの魔女の精神を弟に植え付けたのは自分の行いなのだから。だが、二年前の自分の行動は今後すぐに回収される。
道化の奇術師が目的の彼女を取り込めば、最初は心を開いてはくれないだろう。けれども、
「あたしが優しくしてあげれば、心の折れた魔女ちゃんはきっと心を開いてくれるはず。そしたらあたしと魔女ちゃんは…………」
この先ともに描きたい未来を想像し、恍惚の表情で空を眺める。あのオーロラのように美しい未来が彼女を待ち受けていると願って。
そして、『愛しの魔女』を再び取り込めるなら誰に利用されようが知ったこっちゃない。
「魔法を現実世界で発現させる? 本当にガキみたいな願望ね。まっ、使えるなら使い倒せばいいだけだし」
世界を知りたかったこれまでの自分。しかし、今の目的は愛しの魔女にシフトした。
「――――絶対に、絶対にあたしのものにしてあげるんだから」
◇
バスを降りた冬森は街並みを振り切るように、ひたすら足を動かしていく。街を埋め尽くす巨大なビルも、上空を埋める広い夜空も、孤独に街を走り抜ける彼女を嘲笑うようだった。
「……どうして宮西くんが攫われたのよ! もっと私がしっかりしてれば! くそぅ! ナニ油断してたのよこのバカ!」
激しい叱咤を自らに浴びせ、何度も何度も挫け弱りそうな心を戒めていく。
冬森はポケットからクシャクシャに丸められた報告書を取り出し、皺だらけではあるがお構いなしにそれを拡げた。周囲の状況には目もくれず、小さなアリのように紙面を埋め尽くす文字を繰り返し読み取っていく。
走っていくうちに繁華街に出た。強制ログアウトの二十時まで遊びまわっている連中が上空のオーロラを味わいながら賑やかに過ごしている。傍目から見ても楽しそうな雰囲気だったし、美味しそうな食べ物の匂いもした。
けれども、そんな世界に一人取り残されたように、泣きそうな形相で明るい街並みを潜り抜けていく。
「私ごときに何ができるっていうのよ! 散々宮西くんの前で偉そうに先輩ぶってたけど、私ごときじゃ――――!!」
文字を目で追っていくたびに心は折れそうになる。こんなにも現実が残酷だなんて思い知らされそうになる。それでも、そのたびに自分を無理矢理立ち直らせるために、彼のことを脳内に思い浮かべた。
出会ってたった二日。三日前なんか彼のことなんて知りもしないのに。
「――いや、二日前だろうが十年だろうが千年だろうが関係ないわ! 私が助けるんだから!」
彼女は繁華街であるのにも拘らずに必死に叫ぶ。すれ違う人間は何事かと冬森を見るが、そんなことを気にせずに彼女はひた走る。
(まずは〈ブロムベルグ〉の近くの端末で体力を全回復。そんで道化の奇術師を叩き潰す――――)
こんなところで尻尾を巻く訳にはいかない、不安要素を拭い捨てるように彼女は決意した。しかし、ここである考えが思い浮かんだ。
(もし仮想現実から逃げさえすれば、組織は宮西くんを追わない……? たしか報告書に書いてあった? いや、それはあくまでも目立つリスクを恐れるだけで、仮想現実に二度とログインしないとしたら強攻する可能性もあるか……)
と、さらに疑問点が頭に浮かぶ。
(なら、もしこのまま上手くいって、仮想現実の中で道化の奇術師を退けたらどうなるの……? 結局彼女が負けても現実世界で強攻してくる可能性もある……。でも……、道化の奇術師が私たちに会ってきたときに……)
彼女は穏便に事を済ませたいのなら、仮想現実で対処しろと言っていた。つまり、仮想現実で道化の奇術師に打ち勝てば現実世界には手を出さない、彼女は身を引いてくれるのか?
(どちちにせよ構わないわ! 私は今できることを全力でするだけよ!)
冬森凛檎は走り続ける。
七色のオーロラのカーテンに埋め尽くされた夜空を突き抜けるように、真っすぐとそびえ立つ巨大なビルに向かって。




