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振り向きざまだった。
「……あれは?」
黒のタキシードを着た女性だった。茶髪のロングの髪、引き締まる箇所は引き締まり、出ている箇所は魅力たっぷりに出ている、誰がどう見ても抜群のスタイルをした女性。
(……タキシードに白の手袋? まるでマジシャンみたい……)
冬森凛檎は思った。
宮西を元気づけるために、冬森はお気に入りの高台まで彼を連れて行ってあげた。そこから帰還しようとする際の出来事。
目の先にいる女性に見覚えはない。それならば、隣の宮西の知り合いだろうか?
「…………どっ、どうしてここに……」
意外な反応だった。
どんな場面でも比較的冷静な少年が、僅かだが呼吸を乱し、頬には一筋の汗を流した。驚きとも動揺とも見て取れるような顔つきで、タキシードの彼女に向けて指を差す。
「どうしてって――――京ちゃんに会いに来たからだよ?」
女性はニコリと笑って、二人に親しみを込めて答えた。
「京ちゃんって……あの女性、知り合いなの?」
柔和な笑顔、しかしながら冬森は一つの違和感を覚える。
宮西京は揺れる感情を抑えるためか一つ呼吸をし、そして答えた。
「はい、あれは僕の姉です。まさかこんなタイミングで会うにはできすぎてますよね……」
宮西京の姉――宮西夏姫と言ったか。彼がもしかしたら二重人格では? と疑っている女。
(……そう、あの表情の違和感……まるで取り繕っているみたい……。あれは計算して?)
あれこれ考えてみたが、推測だけでは答えが得られそうにない。冬森は一旦考えるのを諦めて、動揺する隣の少年の代わりに話を伺うことにした。
「えっと、どのような要件で私たちの元に来たの?」
「それはさっきも言ったけど、京ちゃんに会いに、そんでお話しをしに来たからだよ? もっと言えば――ちょっとした真相のお話しをしにだけど」
真相? 彼女は何らかの関係者なのか? 冬森らが追う『イマジナリー』という組織に関わっているとでも言うのか?
言葉が出かかった冬森だが、先に尋ねたのは宮西の方だった。
「……その前に一つだけ訊かせてください……。今のあなたは……『特殊能力研究所』で藤島さんを襲った張本人ですか?」
夏姫は首を捻ったが、それでも夏姫を見つめ続ける弟に観念したように笑って、
「流石は京ちゃん。お姉ちゃんが大好きで仕方ないんだね。――そう、今の私は……あたしは京ちゃんの大好きなお姉ちゃんとは別人。付け加えるなら、前のお姉ちゃんの心はこの身体にないよ」
「ないって……、なら今はどこに……」
クスリと笑い、夏姫は弟の顔をいやらしそうに目した。そしてニタァと口元を裂けて、
「今は教えてあげないであげる。教えちゃうと魔女ちゃん怒っちゃうもんね」
魔女ちゃん? 夏姫の以前の人格の名とでも言うのか? それは単なるあだ名なのか? 冬森が疑問に思っていたところに、
「……本当はじっくりと聞きたいところですが、今はいいです。とりあえず今は、あなたが話したいことを話してくれるだけで構いません」
「……えっ、いいの!? あれだけ真相が知りたかったはずじゃ……」
冬森は尋ねたが、宮西は沈むように目を伏せ、
「……今は構いませんよ……、今は……」
彼の煮え切らない、曖昧な態度に対して不満に思った冬森。
「――――怖いんでしょ、本当の現実を知ることが」
夏姫は弟の心を見透かすように、的確なタイミングで言い放った。
ピクリと肩を揺らす宮西。彼は顔を静かに伏せ、冬森はその表情を読み取ることができない。
「ふふっ、そうだよね、怖いよね。――――いざ、その真実を知ることになると」
ジリッと一歩、また一歩と弟の元に近づく夏姫。だからと言って、
「御託はいいからさっさと話しなさい! さもないと――――」
怯える宮西を庇うように、冬森は夏姫の行方を手で遮った。
「さもないとナニ? まさか『恋すれば廃人』程度でどうにかなるとでも思ってるの? 雨谷衣巧レベルでも全く相手にならなかったのに――――冬森凛檎さん?」
「なっ、どこで私の能力と名前を――――」
「あたしは『イマジナリー』のリーダー、宮西夏姫改め――道化の奇術師。『イマジナリー』は『RCS』の下、宮西京の中に眠るもう一つの人格――愛しの魔女を回収しにきた」
「ハァ!? それで理解できると思ってるの? もっと分かりやすく説明しなさいよ!」
「なんでも理想通りに教えてくれると思ったら大間違いだよ? たかが二十年も生きてないガキが。千年近く生き続けているあたしの言葉をありがたく頂戴しろ、その若さ溢れる脳ミソに擦り付けるように」
吐き捨てるように冬森に言った。
「回収計画は今夜に終わる予定。ああでも、京ちゃんが逃げたら失敗になっちゃうか。まーでも、それなら現実世界の方で影響が出ちゃうかもね。できるならあたしも穏便に仮想現実で済ませたいところだし。京ちゃんだってそっちの方がいいでしょ? 計画は本日の下校時間、時刻二十時までに終わる予定だから。よかったらお二人とも計画を止めにきなよ」
彼女はある箇所に向かって真っすぐ指を差した。
〈ブロムベルグ〉。
このセントラルで一番の高さを誇る三角フラスコ型のビル。直径一キロほどのドーナツ型の展望台がビルに刺さるように、街の中央に展開されている。
そして最後に、道化の奇術師は元気に手を振って、
「じゃあね、京ちゃん!」
暗闇に溶け込むように、道化の奇術師と名乗った少女は二人の前から消えて行った。
冬森と宮西、二人は黙って彼女を見送ることしかできなかった。
「今夜はすぐには帰れなさそうですね……。冬森さんはどうします? 僕の問題なので無理をしてくれる必要は……」
柔らかな髪を風に乗せるように揺らし、少年は手すりから風景を感慨深そうに眺めていた。
対照的に冬森は忙しくR4ナビを操作し、
「つまらないこと言わないの、ここまで来たのなら引くに引けないでしょ? 大丈夫よ、お母さんには遅くなるってメールしといたから。宮西くんは余計な心配をする必要ないの」
「そうですか、本当にありがとうございます……、どれだけお礼を言っても足りないくらいですね……」
穏やかな顔つきで笑う。けれども、彼の顔にはどこか寂しさのような哀愁が含まれていた。
冬森はナビをポケットに仕舞込み、
「『イマジナリー』の拠点はもう分かってるわ。えーっと今は……十八時を回ったところね。時間に余裕があるわ。まずは〈ブロムベルグ〉に行く前に、そちらへ行きましょう」




