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「あー京ちゃん、ここ間違ってるよ? 磁界の向きは右ねじの向きだから、答えはこっち」
ピンクのカーテンにいくつもの可愛らしいぬいぐるみ、それにハートを散りばめたベッドが配置された何とも女の子らしい部屋に、二人の男女が四本足のテーブル前で密着していた。
テーブルの右側には左利きの少女が、左側には右利きの少年が寄り添う。テーブルには中学生の理科の参考書やら教科書、ノートが置かれ、ペンを持った少女がそれらに丸を付けたり書き込みをしたりしていた。
「………………」
少年は耳元まで掛かる茶の髪を指でクルクル丸めながら、視線をやや斜め下に逸らす。
お風呂上りの隣の少女からは甘い香りがする。中学生にしては身体の発達が早い彼女の胸元は、キャミソールという薄着のせいで、思春期まっしぐらの少年にとってかなり刺激が強い。
「あれ~、京ちゃんどしたの? せっかくお姉ちゃんが勉強教えてあげてるんだからっ、ちゃんと聞かないとダメだよ?」
背中にまで掛かる、少年と同じ色の髪を振りまきながら、少女はさらに身体を密着させる。
少年――宮西京はバツが悪そうに頬を掻いて、
「その……、胸が当たると集中できないんだけど……。……いや、夏姫は無防備すぎるって……。いくら姉弟だからって、もう少し身体を隠してもらわないと……」
隣にいるのが、仮に恋人だとしたら嬉しいかもしれない。しかし隣の彼女はしっかりと血の繋がった姉、無防備な胸元を見せられては何とも言えない複雑な感情が入り混じる。
姉――夏姫は小さく額にしわを寄せ、
「む~~、別にいいじゃん、暑いんだしさ~。お姉ちゃんお風呂上がりだよ? こうでもしないと汗かいちゃうんだから。汗くさいお姉ちゃん嫌でしょ?」
「そ、そうだけど……。……あの、学校でもそうやって胸元を露出してるの? それはちょっと弟としては恥ずかしいなぁ……」
夏姫はムスっと口を結んで、
「……こんな格好するの京ちゃんの前だけに決まってるじゃん……」
「……えっ?」
驚く宮西に、夏姫があたふたと手を振って、
「ち、違う違う!! 弟の前だからラフな格好ができるってことだよ!?」
「びっくりした……。僕を性的な目で見てるかと思った……」
若干引きつる宮西。夏姫は話題を変えるようにサッと、再び理科の教科書に話を戻していく。と、その時、
「ちょっと京ちゃん! またお姉ちゃん取ってる! 京ちゃんばっかりズルイ!」
入ってきたのは宮西よりは一回り年齢が低そうな女の子、妹の愛海だった。普段はツインテールなのだが、風呂上りということもあって茶色の髪をほどいていた。
「えー愛海ちゃん、さっきお姉ちゃんとお風呂に入ったでしょ?」
「でーもっ、私もお姉ちゃんに勉強を教えてもらいたいの!」
苦笑いで妹を諭す姉だが、妹はムッとした顔つきで頭を横に振る。ワガママな妹だなー、と内心思う宮西。中学一年生になって一緒にお風呂に入ってもらっている時点で相当なものだろ、とは口では言えなかったが。
愛海のワガママ攻撃を受けている夏姫は、妹から逃げるように頭上の時計を目で追い、
「あー、もうすぐ寝る時間だねっ。そうだ! 今夜は三人で一緒に寝よっか!」
えっ、と口に出しかける弟の腕を無理矢理掴みベッドに運ぶ夏姫。ふかふかで甘い香りのするベッドに身体を預けた宮西、その右側に夏姫が、左側には愛海が横たわってきた。
「京ちゃん、恥ずかしがらなくたっていいじゃんっ。みんな一緒に寝れば空調代も節約できるんだしっ。あっ、愛海ちゃん、三人で一緒に寝ることはくれぐれもナイショにね? 学校でお友達にバラしちゃダメだゾ!」
ルンルン気分で夏姫は言った。対して愛海は隣にいるのが姉ではなく、彼女にとっての兄であるので不満顔。二人の狭間の宮西京は、やれやれと諦めた様子だった。
だけれど宮西は思った――――不思議と気分は悪くないと、むしろ心地よかったとさえ。
そんな日々を送っていた宮西京にある転機が訪れることになる。
「あー、せめて暗くなる前に返してくれればいいものを……」
文化祭の準備で帰宅時間が遅くなってしまった宮西。中学校から自宅までの距離は比較的近いが、それでも夜の街を一人で歩くことには抵抗感がある。人通りは少なく、十メートルごとの薄ら気味悪い白の街頭が行先を照らすだけだった。
「あーもうっ、怖いなあ……。こういう時は音楽でも……」
そこはかとなく感じる恐怖を忘れるため、学校に持ち込むことは許されていない音楽プレイヤーを取り出して音楽を聞こうとした。
しかし、
「――――あっ、そうだ! …………――そんなに――――」
女の声だった。声の方向は狭い道路に面した茂みの多い小さな公園から。
声の様子から、誰かが巻き込まれているみたいだった。声を聞いて、心臓が強く握られている感覚に陥り、足の動きは鈍くなる。
(……いや、僕は関係ない、関係ない。早く家に帰ろう…………)
暗闇の中、照らすのは気味の悪い街頭の光のみ。恐怖は加速していく。音楽プレイヤーに繋がれたイヤホンを、指の震えで耳に付けることができない。
「――――ねぇ、こっち来てよ」
ふわりと、耳元に生温かな吐息が掛かる。
「――――――ッ!」
声がしたと思ったら柔らかな手によって右腕を掴まれ、茂みの中に引きずりこまれていく。
「……あっ、……あああ……」
恐怖で身体は動かず、ガチガチと唇を震わせることしかできない宮西。声の主は少年の耳元でそっと、
「――よかったね――――のお願いが叶って」
それ以降、少年の意識は途絶えた。
その後、なぜか宮西は自宅のベットで目を覚ました。母親に何があったかを聞いてみると、公園で眠っていた宮西を姉の夏姫が自宅まで運んできてくれたとのことだった。公園と自宅までの距離が比較的近いことと、宮西の体重が軽いことによってできた芸当らしい。芸当で済ませる問題じゃない、と思った宮西は身に起こった出来事を母親に報告、そして警察が動き出した。翌日、警察は公園の傍の道路で金髪の女の遺体を発見するに至った。
◆
『エレメント』、R4の開発に大きく携わったとされる組織に、宮西京はちょっとばかしお世話になることが決まった。
『エレメント』にも様々な部門があり、仮想現実の開発から医療分野の開発まで、その中で宮西が配属された部門は『特殊能力研究所』。
宮西京の担当になるのは、
「やあ、宮西くん。僕は藤島真純、『特殊能力研究所』の一員だ。君に発現した特殊能力について、今日から一緒に研究してくことになるからね。どうかよろしく」
歳は三十前後のやや細身、メガネの似合う男性だった。初対面の感想として、優しそうな人物という印象をもった。そしてその眼の奥に秘めた情熱を、確かに感じ取った宮西。
(……この人なら……!)
ほんの僅かだが、何か光が見えたような気がした。




