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【相愛・二人の物語】  作者: motomaru
第一章
3/10

課題

「準備は?」

 少し背の高い植え込みの陰で、佐理が希恭と米倉に言った。

「OK、何時でも」

希恭が小さな声で答えた。

「じゃ、行こう」

そう言って足を踏み出した佐理の直ぐ後に希恭と米倉が続く。

 真夜中の校舎は静寂の中に暗く影を落とし、近寄る者を幻想の世界へ誘おうとしている様に見える。

それでいて、威圧的な恐怖心を圧倒的な強さで押し付け、来る者を拒もうとするのだ。

「なんか…気味が悪いな……」

 希恭が校舎を見渡して言った。

心做しか、寒気さえ感じる。

隣に居る米倉は、希恭にピッタリと張り付いてビクビクしながら辺りを見回している。

 佐理はそんな二人にはお構い無しに身を屈めたまま、小走りに生物室のある中校舎に

へ近付いて行った。

それから二人が来るのを待って、予め葉月に渡されていた鍵束をポケットから取り出すと、その内の一つで通用口を開けた。

 仄かな月明かりに浮かび上がった廊下の奥には、魂を吸い取られてしまいそうな暗闇が口を開けている。

 三人は少し身震いをしたものの、さっそく靴を脱いで中に入った。

「行こう」

佐理が米倉の手を取ると、先に立って歩き始めた。

「佐理……」

後に居る希恭が呟いた。

希恭はこの時

(小さな子供じゃあるまいし、なにも手なんか引かなくたって……)

と思ったのだ。

暗いとはいえ、月明かりの差す廊下は周りが全く見えない訳では無い。

それなのに佐理は態々米倉の手を引いてやっているのだ、何より希恭は佐理が親友の自分よりも米倉のほうを優先させた事に少々むくれていた。

 やがて、三人は校舎の中ほどにある生物室の前にやって来た。

佐理は片手で入口の鍵を開け、静かにドアを開くと、希恭に

「恭、米倉の手を握ってやっててくれ」

と言って、米倉の手を握ったまま差し出した。

「はぁ?子供じゃあるまいし、なんで俺がそんな事……」

声を抑えてはいたが、希恭はあからさまに不快感を表して抗議するように言った。

すると佐理は少し微笑んで

「恭、気付かなかったのか?」

と言った。

「え、何を……?」

希恭が聞き返すと、佐理は米倉の顔を見ながら

「米倉は…暗所恐怖症、もしくは閉所恐怖症…だろ?」

と、確認するように言った。

「あ…はい…」

米倉が頷いた。

それを聞いた希恭が改めて米倉を見直ると、米倉は

「僕…暗い所…ダメなんです……」

と、力無く肩を落とした。

「それでか……」

 希恭は佐理が自ら立会人を買って出た事に納得した。

 佐理は米倉の手を希恭に握らせると

「じゃあ、始めよう」

と言って生物室へ入って行った。

希恭も自分の腕にしがみついている米倉を気遣いながら直ぐ後に続く。

佐理は教室の奥へ進んで教壇の脇にある準備室の引戸を開けた。

柔らかな月明かりが差し込む生物室とは違い、暗幕の引かれた準備室は漆黒の闇を纏い、不気味なほど静まり返っている。

 佐理は背負っていた鞄から懐中電灯を取り出して中を照らした。

「うわッ!」

「うわッ!」

希恭と米倉が同時に声を上げた。

懐中電灯の灯りに照らし出された人体標本や骨格標本、それに生物標本達が暗闇の中に浮かび上がり、不気味な様相を醸し出している。

それでなくても、昼間でさえあまり気持ちの良い物とは言えないのだから、突然現れたこの”物体“に希恭達が肝を潰したのも無理はない。

しかし、佐理は別段驚く訳でもなく、それらの物を一通り見回すと、鞄を下ろしてサッサと支度に取り掛かっていた。

 その様子を見て希恭はバツが悪そうに

「佐理…何とも無いのか……?」

と尋ねた。

「何が?」

佐理はしゃがんで鞄からまた何かを取り出しながら、軽い口調で答えた。

「その…気味悪くないのか……?」

「別に、何で?」

「何でって……だからその……」

逆にそう聞かれて答えに詰まっている希恭を見て佐理は目を細めた。

「一度死に損なった人間がこれくらいの事で驚く訳ないだろ」

「佐理……」

希恭は佐理に掛ける言葉を探したが、それを見付けることは出来なかった。

「そんな事よりコレを」

 佐理は希恭の心情を察したように話しを切り替えて、鞄から取り出した物を希恭に手渡した。

「マスク…?」

希恭が少し不思議そうに佐理の顔を見る、渡された物は普通の物よりも確りとした造りの物だった。

「着けといたほうが良い」

佐理はそう言って自分もマスクを着けた。

二人共、佐理の指示に素直に従った。米倉はともかく、希恭は、大抵佐理の言うことに間違いの無い事を承知しているからだ。

佐理は二人がマスクを着け終るのを確認すると、次の準備に取り掛かった。

 肘の上まで腕まくりをして、取り出した薄いゴム手袋を嵌めてから立ち上り、生物標本が並んでいる所へ行って胎児の入ったガラス瓶を慎重に抱えると、傍らにあるシンクにゆっくりと運んだ。

佐理は二つに仕切られたシンクの片方に瓶を下ろして、もう片方に四角いバットを用意した。

「恭、少し下がれ」

側まで来ていた希恭達に佐理はマスクを通したくぐもった声で言った。

「分かった」

希恭は直ぐにそう答えると、米倉と一緒に入口まで下がって、そこで待機した。

 佐理が瓶の分厚い蓋を開けた。

途端にホルマリンの鼻を突く強烈な匂いが辺りに立ち込め、マスクをしているにもかかわらず、佐理は思わず顔を背けずにはいられなかった。

「頭痛くなりそう…」

佐理がそう言って希恭達に苦笑して見せたが、状況か状況なだけに却って不気味にしか見えなかった。

「さてと……」

佐理は意を決するように呟くと、瓶の中に手を突っ込んで胎児の標本を取り出し、バットへと移した。

 それからの行動は速かった。

佐理は傍らにある洗面台で手袋のまま手を洗った。

瓶を元の位置に戻し、希恭に懐中電灯を手渡してから、自分はバットと鞄を手に、合図をすると準備室を出て中校舎を後にした。

希恭も懐中電灯を消して、米倉と共に佐理の後を追った。

向った所は勿論、礼拝堂だ。

 佐理は手にしていた物を礼拝堂の正面で下ろして、一度何処かへ消えたかと思うと、脚立を肩に背負しょって戻って来た。

(いつの間に?)

と思うくらい何もかも用意周到で、希恭は改めて佐理の細やかな気配りに感心させられてしまう。

 佐理はそのままの格好で吊るす場所を探して、位置が決まるとその下に脚立を据えた。

先に脚立に上がりフックを取り付けてから、一度降りて何かゴソゴソしていたかと思うと、再び脚立に登った。

「照らそうか?」

希恭が小声で尋ねると、佐理は

「いや、いい」

とだけ答えて黙々と作業を続けた。

夜中とはいえ、懐中電灯を点けた事で万が一にも誰かに見られる可能性を危惧したのだ。

「終わった……」

 まもなくして、脚立から降りた佐理が小さな声で誰にともなく言った。

希恭はさっきまで佐理が居たあたりを見上げた、脚立の上、その延長線の先には、小さな“人”なるものが容赦無く吊り下げられていて、希恭は少し胸が痛んだ。

「ウッ…ゴホッゴホッ……」

 堪えきれなくなったのか、佐理がマスクをしたまま激しく咳き込みながらしゃがんで手袋を外すと、口を押さえた。

「佐理、大丈夫か?」

希恭は米倉と手を繋いだまま、直ぐに佐理の横にしゃがむと背中をさすりながら顔を覗き込んだ。

咳は直ぐに止まったものの、佐理はまだ苦しげに

「ハァハァ」

と大きな息をしている。

「佐理……」 

希恭が顔を曇らせた。

「ごめん、ちょっと咽ただけだから」

心配げに気遣う希恭に、佐理は薄っすらと汗ばんだ顔を上げて答えると立ち上がった。

そして、続いて立ち上がった希恭に

「さ、早く片付けて帰ろう」

と、改めてニッコリと笑って見せた。

 その後、片付けを済ませて、米倉を家まで送り届けた二人は、言葉を交わすことも無く家へ続く路を、ただ歩いた。

佐理の家のあるマンションに向かう坂道に差し掛かった時、それまで黙り込んでいた佐理が先に口を開いた。

「じゃ、ここで……」

「うん。佐理…大丈夫か?」

まだ顔色の冴えない佐理を気遣って希恭が尋ねた。

「大丈夫」

佐理は少し微笑んで答えたが、明らかに疲労の色が窺える。

希恭にはそれが精神的なものから来ていることが分かっていたが、口には出さなかった。

「そか…じゃ、帰るから」

「恭……」

 一歩踏み出した希恭の背中に、佐理が静かに声を掛けた。

「ん?」

希恭は直ぐに振り返って次の言葉を待った。

「恭…俺……」

佐理は希恭の肩に顔を伏せて続ける。

「俺はきっと……地獄に落ちるな……」

「佐理……」

「だってそうだろ……?標本とはいえ、一度はこの世に生を受けた者を、俺は……冒涜したんだ……」

佐理の声は静かで、その思いを表すように酷く悲しげだった。

「そんな事無い、これはお前の意思じゃないだろ?お前が地獄に落ちるなんて…そんな事あるわけ無い」

「たとえ自分の意思じゃなくても……やったのは俺だ……」

「もし、そうだとしたら……お前独りじゃ行かせない。地獄に落ちるなら俺も一緒だ」

その言葉に、佐理は顔を上げて真っ直ぐに希恭の顔を見た。

希恭も真っ直ぐに佐理を見返してニッコリと笑った。


(変わらない……あの時と同じ笑顔……)


佐理は希恭と始めて言葉を交わした時の事を思い出して、そう思った。

 

 五年生になって間もない昼休み、教室の片隅にポツンと座って本を読んでいた佐理に希恭が声を掛けてきたのだ。

「何時も独りなんだね」

「え?」

佐理は突然の事に驚いて、自分の正面に立っているこの、物好きな同級生を見上げた。

どことなく他人を寄せ付けない様な雰囲気を漂わせている佐理に、これといった用も無いのに話し掛ける者など誰もいなかったからだ。

「何時も独りだよね?みんなと遊ばないの?」

希恭がまた尋ねた。

「あ…うん」

佐理は戸惑いながらも、小さく頷いて答えた。

「どうして?」

「どうしてって…別に……」

佐理は言葉を濁すと、視線を逸らせる。

「じゃあ、僕と遊ぼうよ?」

「え……でも……」

躊躇する佐理に、どちらかと言えば明け透けな性格の希恭は

「僕のこと嫌い?」

と、ストレートな質問を投げかけてくる。

「別に…そういう訳じゃ……」

佐理は目を逸らせたままだ。

「じゃあさ、僕と友達にならない?」

「え……」

佐理は驚いて希恭の顔を見上げた。

その佐理に向って希恭は

「ね、友達になろうよ」

と言いながら、満面の笑みを浮かべて手を差し出したのだった。

そして佐理は、その余りに屈託の無い笑顔に惹きつけられるように、差し伸べられたに自分のを重ねていた。

希恭は佐理の手を握りしめ、引き上げるようにして立たせると

「今から友達だよ」

と言って、またニッコリと笑った。


 あの時と同じ笑顔が、今も変わらず自分に向けられている事を佐理は嬉しく思う。

「まだちょっと時間が有るから、少しだけでも寝ろよ」

希恭は佐理を気遣って言った。

「そうする」

佐理は心配させまいと、小さく頷いて微笑んだ。

 そして二人はお互いに手を挙げて別れると、其々の家に帰って行った。


その日の朝、学校中が大騒ぎになった事は言うまでもない。














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