充の疑問
綾は自分の部屋で佐理との遣り取りを思い返していた。
彼が何故態々訪ねて来たのか?友達だから?佐理はそう言った、しかし綾にはそれだけとは思えなかった。
言葉として言い表せない、漠然とした“何か”がある……。
そう思ってはいても、やはりハッキリとした意図を掴む事は出来なかった。
綾は得体の知れない不安に駆られてリビングへ降りて行った。
電話を前に少し躊躇ってから受話器を取ってプッシュボタンを押した。
『はい、星河です』
受話器の向こうから懐かしい希恭の声が聞こえてきた。
そう……綾には何故かとても懐かしく思えた。
「恭……」
綾は小さく呼び掛けた。
「あ……や?綾か?」
希恭が確かめるように尋ねた。
「うん。逢いたい……」
『俺も……』
「明日逢える?」
『逢えるに決まってる!何時が良い?迎えに行くから』
「じゃ……10時にしようか?」
『10時だな?分かった。綾……有難う、信じてくれたんだな……』
「お礼なんて言わないで、情け無くなっちゃう……明日話そう……じゃあ明日ね」
静かに電話が切れた。
結局綾は佐理が訪ねて来た事を希恭に言えなかった。
正確には言いたくなかったといってもいい。
今の綾にとって佐理は掴みどころのない曖昧で不安を抱かせる存在になっていたのだ。
「良かった……」
希恭は電話を見詰めたまま呟いた。
(でもどうして急に電話する気になったんだろ……?)
そこの所がいまいち腑に落ちない。
(ま、いっか。何にせよ分かってくれたようだし……やっぱり俺のこと恋しくなったんだな)
一人悦に入った希恭の口元が緩む。
「そうだ!!充に教えてやらないと……!」
希恭は直ぐに思い立って家を出ると、隣の充の家へ飛び込んだ。
「充!!みつる〜!!居ないのかぁ〜!?」
大きな声で呼び掛けると、吹き抜けになった二階のホールから充が顔を覗かせた。
「どうしたの?大きな声で、そんな大声出さなくても聞こえるよ、上がって」
充は玄関を見下ろしながら答えた。
「じゃ上がるぞ」
希恭は急くように靴を脱ぐと、急いで揃えてから階段を駆け上がった。
「どうしたの?そんなに慌てて……」
充は一番手前に有る自分の部屋へ希恭を通すと自分も中に入ってドアを閉めた。
希恭は充が座る僅かな暇ももどかしい様子で、待ちきれずに口を開く。
「充、綾から電話が有ったんだ!!」
「えっ本当!?何時?」
「たった今。で、お前にも知らせておこうと思って」
「本当に!?それで?」
充も希恭を急かす。
「明日逢おうって、それで10時に迎えに行くことにした」
「はぁ〜やったね!これで僕も一安心だ……」
「充にも心配かけたからな……」
希恭は少し照れ臭そうだ。
「あ、そんな事……元はと言えば僕のせいなんだし……だけど本当に良かった……」
嬉しそうな希恭の顔を見ると、充も肩の荷が下りたような気分だ。
しかし希恭の事を心から喜んではいても、直ぐに浮かれることは出来なかった。
マンションでの出来事が未だどこか尾を引いていて頭から離れないのだ。
「充……?どうかしたのか?」
希恭は充が少し浮かぬ顔をしていることに気付いて問い掛けた。
「あ……ううん、ちょっと思い出しただけ……」
「思い出した?何を?」
「篠宮先輩のこと……」
「え……」
「あの人……どお言うんだろ……思考回路がめちゃくちゃで……分裂症じゃないかと思うよ、なんだか訳が分からない……あの人怖いよ……」
充は何かに思いを巡らせているようだった。
「充……佐理が何かしたのか?」
希恭の表情が強張った。
「別に……ただ揶揄われただけなんだけど……何を考えているのか分からなくて……ちょっと怖いような気がした……」
充はマンションでの出来事を話せなかった。
ただでさえ佐理の話をすると希恭の顔は暗くなる、況してやあんな事があったと知ればどう思うだろう……?
充は希恭に余計な心配を掛けたくなかったのだ。
「そうか……今は……あまり佐理に関わらない方が良い……」
「そんな事言って恭兄はどうなのさ!?あの人と恭兄が友達だなんて信じられない!!あの人恭兄にそぐわない、どう考えたって合わないよ!」
希恭は顔を強張らせたままじっと充を見ている。
「恭兄……篠宮先輩の話しになると何時もそんな顔するんだね……」
心做しか充の声も淋しげに沈んでいる。
「篠宮先輩だって以前はもっと優しい人だと思ってたのに……恭兄、篠宮先輩と何が有ったの?僕見たんだ、先輩の手首の傷痕……それに先輩が言った事……恭兄のために死んでたかもしれないって、どういう事なの!?」
「あぁ……」
希恭は溜め息とも呻きともつかない声を漏らした。
希恭の目は大きく見開かれ、まるで何かに怯えている様にさえ見えた。
「それで恭兄の所へ来なくなったの?ビジルと何か関係が有るの?話してよ!!」
充は畳み掛けるように問い詰める。
「俺の口からは……話せない……」
(俺の口から話すべきじゃないんだ……)
あの時の事を思うと、やはり他人に話す事は出来ない。
佐理はおろか希恭自身さえも未だあの悍ましい出来事の呪縛から脱け出せないでいるのだ。
「佐理があんな風になったのは俺のせいなんだ……だから……だから佐理のことあまり悪く思わないでくれ、本当は……本当のあいつは……とても優しい奴なんだ……」
「恭兄……」
充は、佐理の事となるとまるで元気の無い希恭を見ていると、二人の間にに何が有ったのか益々知りたくなって歯痒くなってしまう。
充はある種の不快感を憶えて立ち上がった。
「恭兄、僕ちょっと出掛けてくる」
「何処に?」
「ちょっと……買いたい本が有るから」
「付き合おうか?」
「いいよ、恭兄は明日の準備でもしなよ」
「分かった……じゃ俺は帰るよ」
希恭の声は元気が無い。
充は希恭と一緒に家を出たが、帰って行く希恭の後ろ姿が淋し気に見えて思わず呼び止めた。
「恭兄」
「ん……?」
振り向いた希恭はやはり生気が無い。
「暗いなぁ、そんなんじゃまた綾さんに嫌われちゃうよ、もっと笑って。明日はうんと楽しんできてよ、約束だよ?」
「充……ああ……分かってる」
希恭は無理に笑って答えた。
「じゃあ、行ってくるね」
充は小さく手を振って別れて行くと、大通りへ向って歩き出した。




