希恭の召喚
「篠宮、写真が上がってきた。バッチリ撮れてる」
ビジルの集会に少し遅れて来た不可が少し大きめの茶封筒を佐理に差し出した。
「どれ……」
佐理はそれを受け取ると、中から写真を取り出して確認する。
「たったあれだけの間によくこれだけ綺麗に撮れたな」
不可が感心したように言った。
「抜かりはないさ……」
佐理は当然のように答えた。
「こんな物何するんだ?」
「まぁ見てろよ。あ、ネガは俺が預かっとく」
佐理はそう言うと、自分の鞄に写真とネガを仕舞った。
「さてと、椎名君は少し時間が足りなかったが一応課題をクリアした。次のターゲットは誰にする?誰か意見は無いか?」
不可がメンバーに向って呼びかけた時
「次のターゲットは星河だ」
佐理が静かに言った。
「待て、私情を持ち込むな」
それまで黙って聞いていた二木が低い声で言った。
「俺は私情を持ち込んでる訳じゃない、何のためにこの写真を撮ったと思ってるんだ?それならもう一人一年から選べばいい」
佐理は抗議するように言った。
「じゃあ、一年の人選は俺がする」
不可が言った。
「そっちは任せる。それと星河の課題は俺が出す、それで良いだろ?」
佐理は不可に言った後で二木に向って承諾を求めた。
「お前がそうしたいなら好きにしろ」
二木は佐理の顔をじっと見据えながら答えた。
「じゃ、星河への使者は月曜に出す、そっちは何時にする?」
佐理がはしゃぐように不可に尋ねた。
「こっちは火曜にする、ナビは必要無いな?」
不可は佐理が承知するのが分かっている口ぶりだ。
佐理は不可に目で合図するように軽く頷くと、メンバーに集会の終わりを告げた。
月曜の朝、何時ものように希恭は充と連れ立って登校していた。
「恭兄、綾さん……どうだった……?」
充が小さな声で尋ねた。
「どうって?」
希恭が聞き返す。
「仲直りしたの?」
充は自分のせいで二人の仲がおかしくなった事を非常に気に病んでいた。
「いやまだ。そんな急には無理だよ、心配するなって、綾もその内分かってくれるさ」
希恭は心配させまいとして、というのは勿論だが、そう答えるしかなかったのだ。
「星河先輩〜」
女の子が四、五人小走りにやって来て、例のごとく充の存在など無視して希恭を取り巻いた。
その内の一人が希恭の顔をしたから覗き込むようにして尋ねる。
「先輩、小椋先輩と別れたんですよね?今度どこかへ連れてって下さい、皆んなで遊びにいきましょうよ」
「え、別れてなんかないよ……誰がそんな事言ったんだ?」
「え〜!!だって小椋先輩が『別れた』って言ってたって専らの噂ですよ。皆んなチャンスだって鵜の目鷹の目で狙ってるんだからぁ」
他の女の子が甘ったれた口調で答えた。
(綾が……?)
「嘘だよそんな事……」
希恭は苦笑したが、内心穏やかではない。
(それにしても、こんなとこ綾に見られたら益々拗れそうですだな……)
希恭がそう思った矢先、向こうに見える女子部の校門の前で綾が立ち止まって、じっとこっちを見ているのが目に入ってきた。
「あ……」
希恭が上げた声に、取り囲んでいた女の子たちも希恭が見ている先に視線を移す。
「あっ!、小椋先輩!!」
女の子が小さく叫んだ。
綾は希恭と目が合うと、思いっきり
「フンッ!!」
と顔を背けて見せてから、ズカズカと校門の中へ姿を消してしまった。
(綾の奴……)
希恭は情け無くて溜め息の出る思いだ。
「やっぱり別れたんだ」
女の子が甲高い声を上げた。
「あの様子じゃ別れてないにしても、かなり険悪なムードですね!?」
他の子も嬉しそうに尋ねる。
「先輩、気晴らしに皆んなで遊園地に遊びに行きましょうよ、今度の日曜なんかどうですか?」
「止めとくよ、綾と別れた訳じゃないから」
「先輩って意外と堅いんだ」
「そこがまた良いんじゃない」
女の子達は好き勝手な事を喋りまくると、手を振りながら希恭と別れて女子部の方へ歩いて行った。
押しやられていた充は希恭の横へ戻ると
「綾さん……大分怒ってるみたいだね……」
としょげている。
「そうみたいだな」
そんな充に希恭はごく普通に答えた。
「他人事みたいに……」
充は少し咎めるように言った。
「しょうがないだろ、俺のこと信じないんだから、暫く放っとくしかない。じゃあな」
希恭はそう言って強がって見せると、校門をくぐって校舎へと向った。
昇降口へ入って靴箱を開けると、扉の内側に貼り紙がしてあった。
“本日、星河希恭を召喚する。放課後ビジルへ出頭すること”
紙にはそう書かれていて“トリニティーの使者”と署名してあった。
間違いなく佐理の筆跡だ。
希恭は紙を剥がし、折り畳んでポケットに押し込んだ。
上履きに履き替えて顔を上げると、いつの間にか目の前に佐理が立っていた。
「おはよう、何時も早いな……」
希恭は少し微笑んで言ったが、その声には生気が無い。
「怒ってないのか?」
佐理は穏やかに問い掛ける。
「何を?」
並んで歩きながら聞き返した希恭に、佐理は前を向いたまま答える。
「課題の事」
「あんな事……もう何とも思ってないよ……」
「充だからか?それとも出題者が俺だから?」
佐理が意味ありげに尋ねた。
「いや、別にそういう訳じゃない……でも正直ちょっと驚いたよ、お前があんな課題を出すなんて思わなかったから……」
希恭は佐理の方へチラッと目を遣った。
佐理は前を向いたまま希恭を見ようともしない。
「そうか……それで、今日は来るんだろうな?」
佐理の口調が変わって、途端にビジルの参謀に戻ってしまった。
希恭は急に突き放されたような気がして、一抹の淋しさを覚えた。
「気が向いたら行くよ……」
希恭が静かに答えると
「逃げられないのは分かってるだろ?必ず来いよ希恭」
それだけ言い残して佐理は先に教室へ向って行った。
いつの頃からか、佐理は“恭”と呼ばなくなっていた。
近付いて来た佐理の心を掴もうとすればするほど、希恭の手をするりとすり抜けて遠くなっていくような気がする。
この頃、希恭は佐理と話しをした後に何時もそんなもどかしさを感じるのだった。
(佐理……お前がまた恭と呼んでくれる日は何時になったら来るんだろう……)
希恭は佐理の後ろ姿を見詰めながらそんな思いに独り沈んでいった。
「断わる!!」
放課後、ビジルの部室の椅子に座って佐理と対峙していた希恭は、静かにそれでいてハッキリと答えた。
「課題を拒否するつもりか?」
目の前で腕組をした佐理が希恭を見下ろすように訊いた。
「ああ、そうだ」
「懲罰を受けたいのか?」
佐理がまた静かに尋ねた。
「懲罰!?笑わせるな、この民主主義の日本で自由に拒否する事も出来ないなんて馬鹿げてる!何に対する懲罰なんだ!?」
希恭は声を荒げた。
「たとえ民主主義と言えど、法で定められた事を拒むことは出来ない筈だ」
佐理はしごく冷静だ。
「課題は法律じゃない!!」
「いや、この紫苑ではビジルの決めた事が法律だ。従って……それを拒む者にはやはり懲罰を与えなければならない」
「勝手な事を言うなッ!!俺はそんな事認めない!!」
希恭は毅然として言うと、立ち上がった。
その時、暗闇からがっしりとした体格の男が現れて、いきなり希恭の頬に強烈なパンチを食らわせた。
会長の二木である。
〔ガツッ〕という鈍い音がした後に、口の内に錆臭いものが広がって唇に血が滲んだ。
殴られた方へ二、三歩よろめきながらも、歯を食いしばって堪えた希恭の腹に二木は続けて突き上げるような拳を叩き込んだ。
あっという間の出来事だった。
「お前のそのちっぽけな正義感のために佐理がどんな目にあったか、忘れた訳じゃないだろうな!?」
その行動とは裏腹に声は冷静だ。
「カハッ」
希恭は腹を抱え込むように膝からガックリと床に崩れ落ちた。
(いっ……息が……出来……ない……)
鳩尾を強打されたために一時的な筋肉の麻痺による呼吸困難に見舞われ、息を吸う事も吐く事も儘ならない。
それでも尚、体は柵の如き苦痛の中でもがくように短い息を継いで酸素を求めようとする。
「カハッ……ハクッ……カッ……んんっ……」
「止めろ二木ッ!!会長のお前が短気を起こすようでは困る!!」
佐理が二木を強く制した。
目の前で希恭か傷付けられると、佐理は抑えが効かなくなる。
いや、目の前でなくてもだ。
今はまだ、他の者にそれを知られる訳にはいかないのだ。
それに佐理にとって二木は味方にしておく必要がある存在だ。
しかしこのままでは二木に刃を向けることになりかねない、それを防ぐために二木を止めたのだった。
「大丈夫か希恭、立てるか?」
佐理はしゃがみ込んで少し希恭の呼吸が戻るのを待ってから、抱き抱えるようにして椅子に座らせた。
それから自分のハンカチを取り出して横に立っている二年の朽木に手渡した。
「濡らして来てくれ」
朽木が奥でハンカチを濡らして来ると、それを受け取った佐理は跪いて希恭の顎に手を助けた。
「あんまり強情を張るからだ……」
宥めるような口振りで言いながら希恭の口許を拭いていく。
もう血が乾き始めていて、拭いた後に微かな輪郭を残す。
佐理はハンカチの面を変えてそれを丁寧に拭った。
「ッつ……」
希恭が声を漏らすと佐理は少し手を休めた。
「それで?どうしても課題を拒否するつもりか?―――内が切れてるな……少し腫れるかもしれない」
佐理は血を拭い終ると、希恭の口許を指で軽く触りながら言った。
「何をされようと俺はビジルに従うつもりは無い。こんな馬鹿げた事……いいかげん終わりにしろよ」
「後悔する事になるぞ」
伏目がちな佐理が静かに言った。
「後悔なんて山ほどしてきたさ」
希恭は真っ直ぐに佐理を見詰めている。
佐理はそれを聞くと黙って立ち上がり、希恭に鞄を手渡した。
そして脇へ退いて
「帰してやれ」
と言った。
壁際に並んで立っていたメンバーの一人がドアを開くと、他の一人が希恭に肩を貸して外へ連れ出した。
「この始末はどうするつもりだ?」
ドアが閉まると二木は早々に佐理を問い質す。
「こうなる事は初めから予想していた。星河の事は俺に任せる約束だろ?まぁ……少し楽しませて貰うとしようか……」
そう言った佐理は薄笑いを浮かべながら鋭い視線をドアの方へ投げ掛けていた。




