009 暇な一日だってある
◇――暇な一日だってある――◇
クライブは天井を見つめて溜息を一つ。
時計の針は十四時を指している。
机に筆を置いて腕を組んだ。
この筆は魔具ではない。
つまり、杖に魔力回廊を描き込むのとは別の品だ。
端的に言えば、アイデア出し用の筆である。
下書きを作って、記憶して、やがて杖に描く。
今は、その前段というわけだ。
ここは作業室の作業台。
金属製の小さな箱の連続体が少年の筆を待つ。
しかし、待てども少年の筆は走らない。
「……これが時空間魔法用の魔具なの?」
とは、レトからの疑問である。
彼女は対面に座って、クライブの作業を眺めていた。
今は、その視線が作業台に向かっている。
「そだぞ。勝手にいじるなよ。危ないからな」
「私だって魔導士の端くれ。それくらい心得てる」
「どうだかな。自分の適性も知らなかった」
「う、うるさい。仕方ないでしょ」
彼女はムスッとして反論してくる。
「ところで、これに名前ってあるの?」
「【クロノパス】だ。クロノとパスでな」
「時間と通路か。良い名前」
「杖工師の必需品だ。値段を聞くか?」
「うッ……止めておく。眠れなくなる」
「まぁ、オレも師から譲り受けただけだけどな」
レトは自分の両肩を抱いて怯えている。
どうにも大金に対する偏見があるようだった。
クライブは、そんな少女を改めて観察していた。
黒髪ショートのウルフカットに、大きな瞳。
丸顔で童顔、肌は白い。
鼻は高くはないが、その分だけ可愛らしい。
どこか妹感のある小柄な少女である。
いわゆる和の顔立ちをしていた。
ここから東に【日の本】という国がある。
そこで見つけた和服が気に入って、クライブは愛用している。
別名、和の国である。
続けて服装を見る。
白いチュニックに蛇革のズボンである。
チュニックの胸元には座る猫の絵。
ズボンは橙色を基調として黒い斑模様がある。
……ダサい、絶望的なほどだ。
余談だが、蛇革はアーキルムの名産品である。
それも安価で手に入る。
弱い大蛇(魔物)が至る所に生息しているのだ。
「……――なの?」
思考の隙間にレトの声が挟まる。
しかし、途切れて不明瞭だった。
「あ~悪い、聞いてなかった」
「杖工師の初期投資って苦しくない? って聞いたの」
「その通りだ。師から設備を受け継ぐ職人は多いな」
「そうなんだ。……他に方法はないの?」
「稼げる師に弟子入りすること、だな」
「……そうすると、どうなるの?」
「師に借金する。設備を手に入れる」
「あ~……なるほど。一応、道は複数あるんだ」
レトは苦笑しつつ答えた。
その道の過酷さを想像したんだろう。
実際、温情だけで設備を買ってやる師は居ない。
――才能が担保の代わりになるからだ。
「……因みに、クライブの御師匠様って?」
「良い人だったよ。オレには勿体ないくらいに」
全ては答えずに、クライブは受け流した。
レトは「そう、なの」と踏み止まる。
これ以上に踏み込める関係ではない、と。
「ニッシッシ、外に出ないか?」
「……え?」
「アイデアが出ない時は外出が一番なんだ」
「そういうことね、了解」
二人は同時に立ち上がる。
どこか探り探りに会話を続けながら。
どちらもが少しずつ歩み寄る段階にある。
別に焦る必要はない。
きっと、この関係は長く続く。
二人は互いに、そう予感していた。
◇―◇―◇
――杖工房:コリドーを出て三十分後。
二人は森にある湖に来ていた。
つい三か月前に、レトが食われかけた森だ。
クライブは湖に向かって釣竿を振るう。
竿がしなって「ビャンッ」と音を鳴らした。
糸の先には重しと餌のミミズがついている。
つい先ほど、近場の石をめくって取った餌だ。
クライブに習ってレトも釣竿を振るう。
二人は横に並んで静かに釣りをしていた。
直径で三十メートルくらいの円形の湖である。
よほど深いのか、濃い緑色に染まって底は見えない。
未だに釣果は無く、魚は想像上の存在と化していた。
湖から十メートルほどの余白を開けて、周りは木々に囲まれている。
だからか背後を警戒して、なかなかレトは集中できなかった。
いつ魔物が飛び出してきても、おかしくはないのだ。
しかし、隣には完全に油断した少年がいる。
彼はボーっと竿を振るうだけだ。
振る方向を変えつつ、あくまで淡々として。
たまに風が白髪を揺らして、絵になる立ち姿である。
次第にレトは、これが無心になる作業だと気づいた。
余分な思考を削いでリラックスする。
それが発想を生み出す余白を作る。
なるべくクライブに習ってレトも竿を振るう。
勿論、ある程度は警戒心を残して。
「……私って何なの?」
だからか、いつの間にか本音が零れていた。
クライブはレトを窺うように見る。
少女らしく少しだけ不安そうにしていた。
「ニッシッシ、また抽象的な疑問だな」
「いや、違くて……コリドーでの役割のこと」
「そっちの意味か。そりゃコレだろ」
と言って、クライブは義手ワシを披露する。
瞬間、レトは隣に立つクライブへ拳を振るう。
何とか仰け反ってクライブは躱した。
少女は鉄のように無機質な表情をしている。
「ニッシッシ、冗談だ。暴力は止せ」
「じゃあ答えをちょうだい」
「考えている事はある。一般的には助手だな」
「さっき言ってた弟子とかではないんだ」
「別に杖工師に成りたい訳じゃないだろ?」
「うん、まぁそう。正直、私には無理だと思う」
「その通りだ。レトには無理だ」
「……やっぱり殴りたいかも」
上から否定されるとムカつく。
ある種、典型的な感情ではある。
だが、クライブの言うことは正しい。
アレは間違いなく才能の上澄みの世界だ。
少年の作業風景を想ってレトは鼻を鳴らした。
「助手の役割って何? 制作は一人で完結してない?」
「考えている事はあるんだ。まぁ、後で説明する」
クライブは水面を見つめて言った。
波一つない、綺麗な湖面である。
「……いや、今いってよ」
「ダメだ。今は釣りで忙しい」
「い、いや、釣りより遥かに重要でしょ」
「今は釣りの方が重要だぞ」
「絶対に釣りより私の方が重要だから」
「それは――……ちょっと待て」
問答の最中に、ふとクライブが上方を見た。
つられてレトもまた空を見上げた。
「……ア、アレは何なの?」
……――紅蓮に燃ゆる火の鳥が飛んでくる。
まるで、姿を持った夕暮れのようだった。




