008 レトという少女2
クライブが目を覚ました。
少年は状況が読めず、視線を巡らせている。
そうやって最後に、ジッとレトを見つめる。
「……あぁ、オマエか」
と言って、ワシワシと義手の開閉を繰り返した。
最低な覚え方である。
レトはグッと怒りを飲み下した。
相手は怪我人かもしれないのだ。
「ひ、久しぶり。身体は大丈夫なの?」
「うん? もしかしてオレ気絶してたか?」
「してた。だから、作業室から運び出したんだ」
「……――エッチなことしてないだろうな?」
クライブはジトッとレトを睨んだ。
思わずレトは握り拳を固める。
顔面へ振り抜いてもいい気分だった。
しかし、今日の予定が狂ってしまう。
深呼吸を挟んで、泣く泣く拳を解いた。
だが、その代わりにレトは「してないよ」と伝えながら、右手の開閉をワシワシと繰り返しておいた。
なぜかクライブが「キャッ」と声を上げる。
自分を抱きしめる素振りとセットで。
「……よ、よく気絶するの?」
「する。すっごくする」
「す、すっごくするんだ」
「変な妄想してないだろうな?」
「してない。集中して気絶するってことでしょ?」
何故かクライブは不満げに「そうだ」と答える。
このままでは自分の憤怒を制御できなくなる。
そう思ってレトは話題を変えることにした。
「今日は話があって来たんだ」
「ニッシッシ、借金のことか?」
「う、うん、その件についても」
「別に急かさないから安心しろ。返せる時に返せばいい」
予感はしていたが、やはり少年は笑うだけだった。
アレだけの大金に、全く執着が無いのだ。
レトの感謝は、次第に尊敬を含み始めていた。
それからレトは、部屋中に視線を巡らせる。
「……この壁の魔力回廊、全部クライブが?」
「ん、あぁ、そだぞ。こうやって思いついては描いて、部屋の壁に貼るんだ。完璧に記憶してから作業に移る。だって十五秒しかないからな」
「本当に大変な作業だね。杖づくりって」
背中の赤樫の杖を想ってレトは微笑む。
それだけの杖を殆ど無料同然で渡してくれたのだ。
このクライブは普通ではない。
ふとレトは、あえて質問を作った。
自分の考えを整理する時間が欲しかった。
「割ってから十五秒を過ぎた杖を時間回帰させれば、時空に異常が生じて【綻び】が生まれる。だから、杖工師は郊外での生活を余儀なくされる?」
「ニッシッシ、孤独な作業かもな」
「例えば、そもそも時間回帰魔法を使わない選択肢はないの?」
「杖を割って、魔力回廊を描いて、普通に接着するってことか?」
「うん。そうすれば都市に住めるんじゃないかなと思って」
「まぁ、無理だな。以前にも言ったが、強度が下がる。高位の魔導士が使う事を想定した時に、魔法を使えば魔力に耐え切れずに杖が崩壊するんだ」
「そっか。そうだよね。普通に考えて接着で済むなら、もう皆がそうしているはずだよね」
「他にも理由はあるぞ。分割された物体は、魔力の巡りが悪くなるんだ。例えば人体も同じだ。一度でも分割されていたら、その部位の魔力の巡りは悪くなる。だから、魔動義手が重宝されるんだ。魔法があれば、別に腕の修復だってできるけどな」
そう言って、またクライブが義手を動かす。
いつも通り、とても嫌らしく。
魔動義手である理由が解説されたが、他の要素が強くて集中できない。
レトは視線を細めてクライブを睨んだ。
「ね、ねぇ、それ止めて。嫌な感じがするから」
「……【義手ワシ】のことか?」
「義手をワシワシ動かす、を縮めたの?」
「そ。義手ワシだ。オレの特技だぞ」
レトは首を左右に振るって諦める。
この少年には何を言っても無駄だ、と思った。
「それで、そろそろ本題を聞かせてくれるのか?」
その言葉にバッとレトは顔を上げた。
いつの間にか、クライブは真剣な表情をしている。
もう寄り道は出来ない、とレトは理解した。
「……まずは事情を説明したいんだ」
「うッ……あんまり聞きたくないような……」
「お願い、聞いて欲しいの」
そこでクライブの表情に警戒心が滲んだ。
しかし、レトは強引に突破を試みる。
あえて理由を知ろうとしてない。
そんなクライブの様子には気付いていた。
クライブは「わ、わかった」と呑むように言った。
「御母さんが病気になったの。だから、薬が必要で……でも、高くてさ。もともと裕福な家じゃないし、どうにかしてお金を作る必要があったんだ」
「……どうなったんだ?」
「…………え?」
「オレとの借金で御母さんは治ったのか?」
「う、うん。ここ三カ月は介助してたの」
「そっか。苦労したんだな」
明らかにクライブは安堵していた。
その素振りから、レトは思い知った。
彼が理由を知ろうとしなかった訳について、だ。
人より優しすぎるから、自分を制御していたのだ。
助けるだけが正解ではない、そう知っていたから。
偏屈な所がある、彼らしいとも思った。
「一応、二ヶ月間で殆ど治って、残り一ヶ月はお店を手伝ってたんだ。病み上がりの御母さんだけじゃ心配だったから」
「お店……何屋なんだ?」
「飲食店だよ。アーキルムの防壁沿いにある小さなお店なんだけどね」
「そりゃ場所が悪いな。儲からないだろ」
「……ク、クライブってデリカシーがないよね」
「…………デリカシーってなんだ?」
「急に惚けちゃって。知らないわけないでしょ」
「――デリカシーってなんだ?」
依然として真剣な表情でクライブは繰り返した。
レトは言葉に迷って、首を横に振るう。
「と、とにかく、まずは近況報告がしたかったの」
「つまり、ここ三カ月は忙しかったんだな」
「う、うん。まぁ、そう」
「ニッシッシ、納得した。金は何時でもいい」
結局のところ、クライブの結論は変わらなかった。
最初から一貫して、全く催促してこない。
逆に心配になってしまうくらいだった。
でも、だから、レトの決心は固まったのかもしれない。
「それで、ね。……お願いがあって、ね」
「……飲食店の移転の資金の無心か?」
「いや、違くて……でも、近いかも」
「近いって……強盗か?」
「――バカ、だったら気絶してる間に盗るでしょ」
「……そういえば何も盗ってないだろうな?」
「と、盗ってないからッ!」
「明らかに動揺している。……怪しいッ」
「い、いや、だから、違くてぇ――……
……――働かせて欲しいのッ、コリドーでッ!」
勢いに任せて、思いの外に大声が出てしまった。
レトは顔を真っ赤に染めて、早口で補足し始める。
「その、面の皮が厚いって意味で近いってことで……」
「ここで働きたいのか?」
「そ、そのぉ……うん」
「……――志望動機は?」
茶化すことなく、少年の表情は澄んでいた。
レトは動揺してアワアワと口を動かす。
急な面接開始に酷く緊張してしまっていた。
「以前、クライブが言っていたでしょ。杖工師の最高傑作は、循環を作ることだって。だから、私もクライブに恩返しがしたくて……この恩を循環させたかったの」
「……ふぅん、我が工房の理念に共感したわけか」
「ま、まぁ、難しく言えば、そう」
クライブはジッとレトの顔を眺める。
なんとなくレトは、視線を受け止め続けた。
約一分にわたって、二人は視線を交換し続ける。
それから、クライブは左手で鼻をほじる。
徐々に視線は上へと昇っていく。
天井を眺めて数秒、少年は静かに開口した。
「……――採用」
「……え?」
「我が工房にレトを歓迎する」
「ほ、ほんとう!?」
「ニッシッシ、本当だぞ。そんな嘘はつかん」
「嬉しい。……理由を聞いても?」
「理由は――……」
クライブは天井からレトに視線を降ろす。
それから「義手ワシ」をし始める。
「良かったからだ。オマエが気に入った」
「……ね、ねぇ、何が良かったの?」
「詳しくは言えない。今は、な」
「すっごく嫌な感じがするから直ぐ言って」
「いや、まだレトには早い」
そこでレトは追及を止める。
少年の言葉に強く反応してしまったからだ。
彼は今、間違いなく「レト」と言った。
初めて名前を呼んでくれたのだ。
思わず口元が緩んで笑みが零れる。
そんな自分が恥ずかしくて。
だからレトは、追及を止めた。




