第39話『追わずに残るもの』
黒い霧が細く尾を引きながら、瀕死のネヴラの身体がゆっくりと持ち上げられていく。
シェルヴァ、ネザリオ、ラグド=オラ。
三体の影が、その身を支えるように並び立った。
誰も言葉を発しない。
だが、その動きだけで分かる。
──退くつもりだ。
「……待てよ」
ライゼルが息を荒くしながら、一歩前へ出た。
肩から先はまだ震えている。
それでも、まだ立てる。
「ここで逃がしたら、また来るだろ……!」
雷はもうほとんど散っていない。
それでも、足は勝手に前へ出る。
追撃すれば、今度こそ仕留められる。
その未来は、確かに“ある”。
だからこそ──
躊躇が生まれた。
追えば勝てる未来。
だが、その先に何が残るのかは、まだ視えない。
それでも、足は前へ出る。
「行くぞ──!」
ライゼルが叫び、五人が揃って踏み出しかけた、その瞬間。
ふっ、と。
足元の影が、ほんのわずかに重くなった。
「……よせ」
耳元で響いた声は、怒気も焦りも含まない、乾いた響きだった。
リュオス=アマル。
いつの間にか、五人の少し前に立っていた。
光柱はもう消えている。
だが、残滓のような金の光がリュオスの輪郭を淡く縁取っていた。
ライゼルが歯を食いしばる。
「何で止めるんだよ!今なら──!」
「弱き者を追うは、我の好むところではない」
リュオスは振り返らない。
ただ前を見たまま、淡々と言う。
「ぬしらもだ。今のネヴラとやらは、もはや“獲物”にすらならぬ」
ガルザスが眉をひそめた。
「弱いだと?」
さっきまで命を削るように戦っていた相手だ。
簡単にそう言い捨てられることに、納得がいかない。
リュオスはそこで初めて、ほんの少しだけ視線を横に向けた。
「勘違いするでない。ぬしらが弱かったという話ではないぞ」
ゆるやかな口調。
だが、その言葉は鋭く芯を持っていた。
「限界まで立ち続けた。それはよくやったと、我も思う」
ルナリアが目を瞬く。
リュミエルが小さく息を呑んだ。
「だが──」
リュオスは再び前を向く。
「地を汚す行いをやめた者を、わざわざ追いすがって打ち倒す理由は、我にはない」
ネヴラたちの足取りは重い。
もはや星の神気を吸い上げる気配もない。
ただ、這うように退いていく背中。
「この星の神気を喰らい続けるなら、その時は我が相手をしてやろう。だが今の奴らは──ただ傷ついた者どもよ」
リュオスは軽く肩をすくめた。
「そこまでして追う価値があるか?よく考えるがよい、ぬしたち自身がな」
沈黙が落ちる。
ライゼルは悔しそうに拳を握ったまま、それでも足を止めた。
「……チッ。言い方はムカつくけどよ」
雷の気配はもうほとんど残っていない。
無理に走れば、本当に倒れる。
ガルザスも大きく息を吐き、拳をほどいた。
「次来たときに今度こそ叩きのめせるように、備えるしかないか」
ルナリアは影を胸元に戻し、ネヴラの背をにらみつける。
「二度と、あんな“ひずみ”に怯えないように」
リュミエルは両手をぎゅっと握った。
「みんなが、もっと……守れるように」
セリオスは静かに目を閉じる。
「未来は変えられるはずだ。今日よりも、もっと上手くやれるように」
三体の影は、瀕死の主を抱えたままやがて視界の端から消えた。
追う者はいない。
残されたのは、砕けた大地と、疲れ切った五人
そして──
その少し先で、どこか他人事のように空を見上げている光冠の神子リュオス=アマルだけだった。
風が一陣、血と土の匂いをさらっていく。
「さて──」
リュオスが空を見たまま、ぽつりと漏らした。
「この星を次にどうしていくかは、ぬしたちが決めるがよい」
その言葉は、命令でも庇護でもない。
ただ、責任だけを静かに手渡すような響きだった。
五人はそれぞれの胸に、重く、熱いものが残っているのを感じていた。
戦いは終わった。
だが、この先どうするか──
それはまだ決まっていない。




