6 出会い
お母さんがいなくなってから3日が過ぎた。
私はいつも通りに昼は靴磨き、夜はボーイの仕事をしてお金を稼いでいた。
そうでもしないと不安で押し潰されそうだったから・・・。
それでも家に帰って眠る時間になると、お母さんを想って涙が溢れた。
お母さんともう会えないのかな?
これからこうやって一人で生きていくのかな?
お金がなくて生活が苦しくても、お母さんと一緒なら辛くなかった。
一緒に布団にくるまって眠る時はいつも幸せだった・・・。
私はグッと涙を拭った。
やっぱり、ただ待ってるだけなんて出来ないわ。
また伯爵の屋敷に行ってみよう。
夜にこっそり行けば中に入れるかもしれないもの。
私は次の日、暗闇に溶け込めるようにと、南地区のブティックで黒いシャツとズボンを買った。
そうだ!
今日は働けないって店長に伝えないとよね。
私は伯爵の屋敷に向かう前にお店に立ち寄った。
「お?アニス、今日は洒落た格好をしてるな」
開店前の店に入ると、モジャモジャ頭の店長が出迎えてくれた。
「店長すみません。今日はこれから用があるので働けないんです」
「おぉ。それをわざわざ伝えに来たのか?」
「はい」
「ははっ。お前は元々日雇いみたいなもんだから、別に休む時は伝えに来なくてもいいぞ?」
「え?そうですか・・・」
「それで?そんな格好してどこに行くんだ?デートか?」
「いえっ。違います!ただこれから行くところがあるんで・・・」
「そうか、わかった。明日は出れるか?」
「はい!明日は働きます!」
「おぉ。じゃあまた明日な」
職場ってこんなにゆるいものなのかな・・・?
でもこれで気兼ねなくお母さんを探せるわ!
こないだ通った道はうろ覚えだったけれど、あのパン屋さんを見つけてからは迷うことなく伯爵の屋敷に辿り着いた。
この屋敷には裏門がなさそうね・・・。
屋敷の裏側には別の屋敷が建っていて、出入り口は正門しかなさそうだった。
私は人通りがなくなるのを待って、一番端の柵を乗り越えようとした。
だけど、柵は高くて足をかけるようなところもなく、手の力だけで自分の体重を持ち上げることが出来なかった。
「はぁ・・・はぁ・・・」
柵を越えるのは無理そうだわ、と諦めようとした時だった。
「おい!お前!そこで何をやっている!」
聞き覚えのある男の声がした。
あの時の使用人のおじさんだわ!
私は咄嗟に逃げた。
「こら!待て!!」
門が開く音がして、おじさんが追いかけて来るのがわかった。
捕まっちゃダメよ!
私は必死に住宅街を走った。
何度も角を曲がって振り切ろうとしたけど、とうとう後ろ襟を掴まれて地面に押さえ付けられてしまった。
「離して!」
「お前!こないだのガキだな??」
おじさんは私の帽子を投げ捨てて、両手を後ろ手に掴んだ。
痛いっ。
その時、一台の馬車が私たちの横を通りかかった。
馬車はそのまま通り過ぎるのかと思ったけれど、急に馬が嘶いて停車した。
そしてギィィと扉が開いて中から出て来たのは、明らかに高貴な男性だった。
男性は馬車のステップから私たちを見下ろして首を傾げた。
「こんなところで物騒なことをしているね?」
「お、お目汚しをお許しください。こいつはうちの旦那様のお屋敷に入ろうとしていた泥棒なんです」
「違う!伯爵様がお母さんを閉じ込めてるんでしょ!?」
「こら!でたらめを言うな!」
おじさんは私の後ろ襟を引っ張って無理やり立たせた。
「ほら!行くぞ!」
おじさんが私の両手を拘束したまま歩き出すと、貴族の男性がスッと手を上げた。
「待ちなさい。その者は私が預かろう」
「え・・・?それはどういう・・・」
「私の馬車の行く手を遮ったのだから、その者は私が罰することにしよう」
「そ、そうでございますか?」
「あぁ・・・。だから君は行きなさい」
「そうおっしゃるなら・・・わかりました」
おじさんはぺこっと頭を下げて去って行った。
私が痛む腕をさすって下を向いていると、男性がステップから降りてきた。
「こっちへ来なさい。馬車で少し話そうか」
「・・・・」
「大丈夫。君を罰したりしないから乗りなさい」
「はい」
道端に落ちていた帽子を拾って馬車に乗ると、中はランプが灯されていてとても明るかった。
こんな綺麗な椅子に座っていいのかな?と気後れしていると、そんな私の気持ちを察したのか、彼は私を向かいの席に座るように指示した。
椅子に座って彼と顔を合わせた瞬間、私はハッと息を呑んだ。
胸まであるブロンドの髪はキラキラと輝いていて、青い瞳は吸い込まそうなほどに透き通っていた。
北地区でも見たことがないくらい麗しい人だな、と眺めていると、彼が口を開いた。
「君は・・・どこの生まれだい?」
どうしてそんなこと聞くんだろう?と思ったけれど、別に隠すことでもなかった。
「生まれは東地区って聞いてます」
ネイルデンの東地区は工業が盛んで、工場で働いている人たちが住むアパートや団地が密集している地域がある。
お母さんとお父さんはそこで出会って結婚したと聞いている。
「東地区・・・」
彼は何か腑に落ちない様子だった。
この人は何が知りたいんだろう?
「それで、君は今どこに住んでいるんだい?」
「西地区です」
「・・・そうか」
「あの・・・家に帰ってもいいですか?」
「あぁ、そうだね。夜も遅いからこのまま馬車で送ってあげよう」
「いえ、歩いて帰ります」
私が立ち上がろうとすると、彼が私の腕を掴んだ。
「待ちなさい。ここからどれほどの距離があると思ってるんだ?人の好意は素直に受け取っておきなさい」
そんなこと言われても・・・。
「大丈夫。本当に家に送るだけだから安心しなさい」
「・・・・」
私が大人しく座り直すと、彼は西地区に向かうように御者に指示を出した。
親切な人ね・・・。
こうして私は見知らぬ貴族様に家まで送り届けてもらったのだった。