9.星祭の準備
「今夜の星座は、『星の女神の冠』です」
アデレード夫人の声が、星祭の準備で賑わう大広間に響く。
天井には、その星座を模した水晶のシャンデリアが新たに設置された。
「伝説では、女神が地上に降り立つ前に、この星座が最も明るく輝いたとか」
夫人が続ける。
「セレスティア様の入場の際には、この星座の真下で・・・」
私は微笑みながら頷く。
昨夜、シリウス様からこの星座の物語を聞いたばかり。
(シリウス様の話の方が、もっとロマンチックだったわ)
昨夜の記憶が、心を温かく満たす。
*
「ほら、ティア」
シリウス様が望遠鏡を覗きながら説明してくれた。
「この星座が描く冠の形は、青い薔薇の冠のモデルになったんだ」
「まあ、本当ですね」
「そして」
シリウス様が私を抱き寄せ、一緒に望遠鏡を覗き込む。
「伝説では、星の女神がこの星座に祈りを捧げた時」
「はい?」
「最愛の人の姿が、星に映し出されたという」
シリウス様の囁きが、耳元で優しく響く。
「ちょうど、今のように」
望遠鏡の中で、星々が私たちの姿を映し出しているかのように見えた。
「シリウス様ったら・・・」
顔が熱くなる。
「そんな素敵な伝説、どこで?」
「ふふ」
シリウス様が、意味ありげな笑みを浮かべる。
「これは、母上から聞いた秘密の物語なんだ」
*
「セレスティア様?」
アデレード夫人の声に、我に返る。
「申し訳ありません」
私は微笑んで答えた。
「星座の話に聞き入ってしまって」
その時、大広間の扉が開く。
シリウス様が、何やら書類を手に入ってきた。
「失礼します」
シリウス様が、私たちに近づく。
「星祭の最終確認を」
「あら」
アデレード夫人が、にこやかに一礼する。
「では、私は他の準備を」
夫人が立ち去ると、シリウス様が私の隣に座った。
「今夜も、星を見に来てくれるかい?」
書類に目を通しながら、さりげなく尋ねてくる。
「はい、もちろん」
答える私の声に、自然と期待が混じる。
シリウス様が、満足げに微笑んだ。
「では、今夜は『星の航路』という星座の物語を・・・」
夜空に星が瞬き始める頃、いつものように月光の庭園へと向かった。
今夜は、青い薔薇の香りが一段と強く漂っている。
「やあ、ティア」
シリウス様は、いつもの望遠鏡の前ではなく、庭園の小さなテーブルで待っていた。
テーブルの上には、星図と、二つのカップ。
「温かい飲み物を用意させたんだ」
シリウス様が、私の椅子を引いてくれる。
「今夜は少し長い物語になるからね」
「まあ」
カップから立ち上る香りは、懐かしい。
「これは・・・星の実のお茶?」
「よく分かったね」
シリウス様が嬉しそうに微笑む。
「アストラティアの北方でしか採れない、珍しい実からできたお茶だ」
一口すすると、甘く優しい香りが広がる。
星型の実から作られるこのお茶は、確か・・・。
「そう」
シリウス様が、私の思考を読むように続ける。
「星の女神が、最愛の人との船旅で初めて口にしたお茶」
「『星の航路』の伝説に出てくる・・・」
「ああ」
シリウス様が星図を広げる。
「この星座を見て」
私たちは、肩を寄せ合って星図を覗き込む。
船の形をした星座が、美しく描かれている。
「星の女神は、愛する人と共に、この星座が示す航路を辿ったという」
シリウス様の声が、物語を紡ぐ。
「そして、その航路の終点で・・・」
「終点で?」
シリウス様は、意味ありげな笑みを浮かべた。
「それは、まだ秘密だ」
「もう、シリウス様ったら」
「でもね」
シリウス様が、私の手を取る。
「その場所へ、君を連れて行きたいと思っているんだ」
「え?」
「星祭の後、星の見える丘に行った後で」
シリウス様の紫の瞳が、深い愛情を湛えて輝く。
「君と一緒に、星の航路を辿りたい」
その言葉に、胸が高鳴る。
「船旅、ですか?」
「ああ」
シリウス様が頷く。
「新しい王と王妃として、そして・・・」
言葉が一瞬途切れる。
「二人の新たな物語の始まりとして」
星の実のお茶の香りが、夜風に乗って漂う。
青い薔薇が、私たちを見守るように咲き誇っている。
「シリウス様」
私は、彼の手をそっと握り返した。
「はい、喜んで」
「少し、付いてきてくれないか」
星図を片付けた後、シリウス様は私を庭園の奥へと導いた。
普段は入ることのない、小さな離れ。
「ここは・・・」
「私の書斎さ」
シリウス様が扉を開ける。
「母上が使っていた場所なんだ」
部屋に入ると、思わず息を呑む。
壁一面に星図が飾られ、天井には精巧な天球儀。
そして、部屋の中央には・・・。
「これは!」
大きな地図が広げられ、その上には青い線が描かれている。
航路だ。
「星の航路を、完全に再現したんだ」
シリウス様が誇らしげに説明する。
「母上の日記を頼りに」
地図上の航路は、アストラティアの港町から始まり、北方の海を通って・・・。
「この先は、まだ秘密だよ」
シリウス様が、地図の一部を素早く隠す。
「でも、これだけは教えておこう」
彼が指さした先には、小さな島が描かれていた。
「星降る島」という文字が、優雅な筆跡で記されている。
「母上は言っていた」
シリウス様の声が懐かしむように響く。
「この島こそが、星の女神が最も大切な誓いを立てた場所だと」
「誓い・・・」
「ティア」
シリウス様が、突然真剣な表情になる。
「君を、そこへお連れしたい」
「シリウス様・・・」
「この航路を辿り、星降る島で」
言葉が途切れる。
「いや、これ以上は言えないな。まだ秘密なんだ」
でも、シリウス様の紫の瞳は、期待と愛情で輝いている。
何か、とても特別な計画があるのは明らか。
「楽しみに待っています」
私は微笑んで答えた。
シリウス様は安堵したように息をつき、そっと私を抱き寄せた。
「君が私のそばにいてくれて、本当に良かった」
窓の外で、流れ星が一筋、光を引く。
まるで、私たちの未来を祝福するように。
「ねえ、シリウス様」
「なんだい?」
「これって、夢じゃないですよね?」
思わず口にした言葉に、シリウス様は優しく笑った。
「もし夢だとしても」
彼が私の額にそっとキスをする。
「君と見る夢なら、それも素敵だと思うよ」
書斎から戻る道すがら、夜空には星々が一層輝きを増していた。
「星祭まで、あと3日」
シリウス様が、私の手を優しく握る。
「緊張はしていないかい?」
「少しは」
正直に答える。
「でも、不安はありません」
「それは、なぜ?」
私は立ち止まり、シリウス様を見上げた。
「だって、シリウス様が一緒だから」
その言葉に、シリウス様の紫の瞳が感動で潤む。
「ティア・・・」
突然、彼が私を抱きしめた。
「君という星に導かれて、本当に良かった」
温かな腕の中で、私は幸せな溜息をつく。
首元では、グランツヴェルト家の星のネックレスが静かに輝いている。
「シリウス様」
「ん?」
「星降る島での秘密・・・少しだけヒントを教えてくれませんか?」
シリウス様が、くすりと笑う。
「好奇心旺盛だね」
「だって・・・」
「ただ、これだけは言えるよ」
シリウス様が、私の頬に触れる。
「それは、永遠の誓いに関係があること」
「永遠の・・・誓い?」
「ああ」
シリウス様の目が、夜空のように深く美しい。
「星の女神が、最愛の人と交わした、特別な誓い」
その言葉の意味を考える前に、シリウス様は話題を変えた。
「さあ、遅くなってきたね」
彼が、私の肩に上着を掛ける。
「明日も、星の物語の続きを聞きに来てくれるかい?」
「はい、もちろん」
帰り道、私の頭の中は、様々な想いで一杯だった。
星祭。
星の見える丘。
そして、星降る島での永遠の誓い。
(シリウス様は、いったい何を計画していらっしゃるの?)
でも不思議と、その答えを急いで知りたいとは思わない。
この人との物語が、一歩一歩、確かに紡がれていくことが、何より幸せだから。
部屋に戻る前、もう一度空を見上げると、アストラティアの守護星が、青く美しく輝いていた。