5.揺れる宮廷
「セレスティア・グランツヴェルトと、第二王子、シリウス・フォン・ヴァイスクローネとの婚約を、ここに発表する」
国王陛下の声が、宮廷の大広間に響き渡った。
集まった貴族たちから、驚きと喜びの声が上がる。
私は、シリウス様の隣で静かに頭を下げていた。
深い紺青のドレスに身を包み、胸には青い薔薇。
シリウス様もまた、昨日の衣装合わせの時と同じ装いで、凛として立っている。
「おめでとう」
エドワード兄様が、誇らしげな表情で私たちに近づいてきた。
「父上も母上も、心から喜んでおられるよ」
「エドワード、ありがとう」
シリウス様が、親友である兄に微笑みかける。
その時、宮廷の片隅で小さな騒ぎが起きた。
「聞いた?」
「まさか、あの方が・・・」
「本当なの?」
私たちが視線を向けると、そこにはジークハルト様が立っていた。
そして、彼は国王陛下の前に進み出ると、一つの宣言をした。
「陛下」
ジークハルト様の声が、大広間に響く。
「私は、王位継承権を、弟シリウスに譲ることをここに宣言いたします」
再び、大きなざわめきが起こる。
しかし、それは驚きの声というよりも・・・期待のような、安堵のような声だった。
「ジークハルト」
国王陛下が、静かに問いかける。
「それが、お前の本心からの決断か?」
「はい」
ジークハルト様は凛として答えた。
「シリウスこそが、アストラティアの未来を導くに相応しい」
その言葉に、シリウス様の手が僅かに震えるのを感じた。
私は、そっと彼の手を握る。
「ティア・・・」
シリウス様の紫の瞳が、不安と決意を映している。
「大丈夫です」
私は小さく囁いた。
「シリウス様なら、きっと・・・」
宮廷の騒めきが続く中、国王陛下は静かに立ち上がった。
「シリウス」
陛下の声に、大広間が静まり返る。
「お前の覚悟は?」
シリウス様が一歩前に進み出る。
その背筋は真っ直ぐで、紫の瞳には迷いがない。
「陛下」
シリウス様の声が、凛と響く。
「兄上の決断を、重く受け止めます」
そして、私の方を振り返る。
「そして、セレスティアと共に」
私は小さく頷いた。
どんな未来が待っていようと、この人と共に歩む覚悟は出来ている。
「ふむ」
国王陛下が、意外にも柔らかな表情を見せた。
「実は、これは予想していた展開でな」
「父上・・・?」
シリウス様の声に、驚きが混じる。
「ジークハルトが幸せを選んだように」
陛下は穏やかに続けた。
「お前も、自分の道を選んだ。そして、その傍らには相応しい伴侶がいる」
私の方に向けられた陛下の眼差しは、まるで実の娘を見るような温かさがあった。
「セレスティア」
陛下が私に語りかける。
「お前は既に、王妃としての資質を見せている。婚約破棄の際の冷静な判断、周囲への配慮、そして」
「シリウスへの深い愛情」
「陛下・・・」
思わず、目頭が熱くなる。
「さて」
陛下が大広間の人々に向かって宣言する。
「この場で、二つの発表をしよう」
全員が息を呑む。
「一つは、シリウスとセレスティアの婚約」
陛下の声が力強く響く。
「そしてもう一つは、シリウスを次期国王として指名することだ」
大きな歓声が上がる中、シリウス様が私の手を取った。
「ティア」
囁くような声。
「怖くはないかい?」
「いいえ」
私は微笑んで答えた。
「シリウス様となら、どんな未来でも」
シリウス様の紫の瞳が、深い愛情で潤む。
「君という導きの星がいれば、私は・・・」
*
宮廷での公式発表から数時間後。
月光の庭園で、私たちは静かな時間を過ごしていた。
「本当に良いのですか?」
シリウス様の横顔を見上げながら、私は尋ねた。
「突然の決定で・・・」
「ティア」
シリウス様が、私の手の中の青い薔薇に触れる。
「実は、兄上から前もって相談があったんだ」
「え?」
「『シリウス、お前のほうが国を治める器を持っている』と」
シリウス様が懐かしむように微笑む。
「『僕には、リリアーナとの幸せな人生の方が合っている』ともね」
風が吹き、青い薔薇の香りが漂う。
「でもね、ティア」
シリウス様が真剣な表情で私を見つめた。
「本当の決め手は、君なんだ」
「私、ですか?」
「ああ」
シリウス様が、私の頬に触れる。
その手の温もりに、心が震える。
「君が婚約破棄の時に見せた判断力と優しさ。誰も傷つけず、しかも王国のことまで考えた決断」
シリウス様の紫の瞳が、深い愛情を湛えている。
「その時、私は確信したんだ。この人となら、アストラティアの未来を築いていけると」
「シリウス様・・・」
「ねえ、ティア」
突然、シリウス様が私を抱き寄せた。
「君は私の、導きの星であり、支えであり、そして・・・」
言葉が途切れた瞬間、唇が重なる。
月明かりの下での、深く優しいキス。
「愛しい人だ」
シリウス様の囁きに、私の頬を涙が伝う。
それは喜びの涙であり、決意の涙。
「私も」
震える声で告げる。
「シリウス様と共に、新しいアストラティアを作っていきたいです」
「ありがとう」
シリウス様が、私の涙を優しく拭う。
「君がいてくれるから、私は強くなれる」
青い薔薇の花びらが、風に舞い上がる。
それは、まるで私たちの新しい物語の始まりを祝福しているかのよう。
原作の「悪役令嬢」の運命は、もう遠い過去のもの。
今の私には、愛する人と共に歩む、輝かしい未来がある。
*
月光の庭園から戻る途中、廊下でエドワード兄様と出会った。
「ティア、シリウス殿下」
兄様の表情には、珍しく柔らかな微笑みが浮かんでいる。
「二人とも、幸せそうだ」
「兄様・・・」
「シリウス」
エドワード兄様が、幼なじみである第二王子・・・いえ、次期国王となる人に向き直る。
「私からも、正式に申し上げます」
「エドワード?」
「グランツヴェルト家を代表して」
兄様が一礼する。
「妹を、そしてアストラティアの未来を、お任せいたします」
「エドワード・・・」
シリウス様の紫の瞳が、感動に潤む。
「ありがとう。君の信頼に応えることを、ここに誓おう」
「それと」
兄様がにやりと笑う。
「宰相として、精一杯補佐させていただきますよ」
「!」
「兄様が宰相に?」私の声が、廊下に響く。
「ああ」
エドワード兄様が頷く。
「陛下から、先ほど正式な要請があってね」
シリウス様が、満足げに微笑んだ。
「これで、私たちの新しいアストラティアの礎が整ったというわけだ」
月明かりが、三人の上に静かな光を落とす。
青い薔薇の指輪が、その光を受けて神秘的に輝いた。
「ティア」
シリウス様が、私の手を取る。
「明日から、星祭の準備が本格的に始まる」
「はい」
「そこで、改めて」
シリウス様の声が、夜空のように深く響く。
「アストラティアの、そして私の王妃となってくれるかい?」
エドワード兄様が、温かな目で見守る中。
私は、迷いのない声で答えた。
「はい、喜んで」
星々が、私たちの誓いを祝福するように、いっそう明るく輝いていた。