11.シリウスの決断
星祭の朝は、澄み切った青空で始まった。
「お嬢様、ご準備の時間です」
アンナの声で目を覚ますと、部屋には既に数人の侍女たちが控えていた。
白い衣装部屋には、星の女神を思わせる純白のドレスが飾られている。
胸元には青い薔薇の刺繍が施され、裾には星々が煌めくように水晶が散りばめられていた。
「まるで、本当に星の女神様のようです」
アンナが、ドレスに袖を通す私を見つめながら感動的に呟く。
鏡に映る自分の姿に、私も息を呑んだ。
銀色の髪は優雅なまとめられ、首元にはグランツヴェルト家の星のネックレスが静かに輝いている。
そして・・・薬指には昨夜シリウス様から贈られた指輪。
「準備は整いました」
アデレード夫人が、厳かな声で告げる。
「青い薔薇の冠の儀は1時間後です」
その時、ノックの音が響いた。
「失礼します」
エドワード兄様が、晴れやかな笑顔で入ってくる。
「ティア、綺麗だよ」
「兄様・・・」
「父上と母上は、既に到着している」
兄様が近づいてきて、そっと私の手を取る。
「二人とも、誇らしいティアの姿を見るのを楽しみにしているよ」
「エドワード様」
アデレード夫人が声をかける。
「そろそろ、大聖堂へ」
「ああ」
兄様が頷く。
「では、ティア」
私は深く息を吸った。
今日という日のために、どれだけの人々が、どれだけの想いを込めてきたのだろう。
大聖堂への廊下を歩きながら、ふと窓の外に目をやる。
するとそこに——。
「シリウス様・・・!」
中庭で、シリウス様が青い薔薇の冠を大切そうに手に持っていた。
彼も既に正装姿。
金色の髪に王冠が輝き、紫の瞳には決意の色が宿っている。
私たちの視線が重なった瞬間、シリウス様は優しく微笑んだ。
言葉は交わせないけれど、その笑顔だけで十分だった。
(さあ、新しい物語の始まりです)
大聖堂の扉が開かれる。
天井高くまで届く青い薔薇の装飾、水晶のシャンデリアが放つ光、そして集まった人々の期待に満ちた視線。
パイプオルガンの音色が、厳かに響き渡る。
私は、エドワード兄様に導かれながら、中央の祭壇へと歩を進める。
両側には、アストラティアの貴族たちが整然と並び、前方にはシリウス様が、凛として立っていた。
王冠に身を包んだ姿は、まさに新王に相応しい気品を湛えている。
その横には国王陛下が、穏やかな表情で私たちを見守っておられた。
「では、儀式を始めます」
*
大司教の声が、聖堂に響く。
シリウス様が、青い薔薇の冠を手に取る。
その瞬間、天井から一筋の光が差し込んだ。
まるで、星の女神が微笑みかけているかのよう。
「セレスティア・グランツヴェルト」
シリウス様の声が、感動的に響く。
「この冠と共に、私の永遠の伴侶となることを誓いますか」
私は、はっきりとした声で答えた。
「はい、誓います」
青い薔薇の冠が、そっと私の頭に載せられる。
不思議と重さを感じない。
むしろ、星の光に包まれているような温かさ。
続いて、シリウス様が新王としての宣誓を始めた。
「私は誓います」
その声には、強い決意と深い愛情が込められている。
「アストラティアの民を、星のように導くことを」
シリウス様の言葉一つ一つが、大聖堂に響き渡る。
「この国を、希望の光で満たすことを」
私は、彼の紫の瞳に映る決意を見つめる。
「そして、愛する妻と共に」
シリウス様が、私の手を取る。
「永遠に変わらぬ導きの星となることを」
その瞬間、大聖堂の天井一面に、星々が浮かび上がった。
魔法で描かれた星座が、私たちの誓いを祝福するように輝いている。
「これより、シリウス・フォン・ヴァイスクローネを新王として」
大司教の声が続く。
「そしてセレスティア・フォン・ヴァイスクローネを新王妃として承認いたします」
歓声が沸き起こる中、シリウス様が私を抱き寄せ、優しくキスをした。
青い薔薇の香りが、大聖堂いっぱいに広がる。
私たちの新しい物語は、確かに始まったのだ。
*
大広間では、祝宴が華やかに催されていた。
シャンデリアの光が星のように煌めき、『星の導き』の旋律が優雅に響く。
「新王陛下、王妃様」
リリアーナが、ジークハルト様と共に近づいてきた。
「本当におめでとうございます」
「ありがとう、リリアーナ」
私は心からの笑顔を向ける。
かつての婚約者と、その愛する人。今では大切な友人となった二人。
「兄上」
シリウス様がジークハルト様に向き直る。
「ありがとう。私に王位を譲ったことを後悔させないよう努めるよ」
「いや」
ジークハルト様が穏やかに微笑む。
「これは、正しい選択だった。お前こそが、アストラティアに相応しい王なんだ」
その時、音楽が変わる。
『星の女神のワルツ』——星祭の伝統的な舞曲。
「踊っていただけますか?」
シリウス様が、私に手を差し伸べる。
「新王と新王妃の、最初のダンスを」
私たちが踊り始めると、他の貴族たちも次々とフロアに出てくる。
青い薔薇の冠が、クルリと回るたびに光を放つ。
「ティア」
シリウス様が、私の耳元で囁く。
「君は本当に、素晴らしい女性だよ」
「シリウス様・・・」
「でも、これはまだ始まりに過ぎないんだ」
彼の紫の瞳が、期待に輝く。
「明日、星の見える丘へ行こう。そして、その先には・・・」
「星降る島」
私が言葉を継ぐと、シリウス様は嬉しそうに頷いた。
「そう。母上が最後の日記に記していた場所」
シリウス様の声が柔らかくなる。
「永遠の愛を誓うのに、最も相応しい場所だと」
「永遠の愛・・・」
ダンスの途中、窓の外に目をやると、夜空には満天の星。
その中でも特に明るく輝く青い星——アストラティアの守護星が、私たちを見守っているよう。
「ねえ、シリウス様」
「なんだい?」
「幸せです」
素直な気持ちを伝える。
「こんな素敵な物語の主人公になれて」
シリウス様は、ダンスの動きを止め、そっと私を抱きしめた。
「違うよ、ティア」
その声には、深い愛情が込められている。
「物語を紡いでいるのは、君自身なんだ」
*
祝宴も終わりに近づき、大広間には穏やかな空気が流れていた。
「セレスティア」
両親が近づいてきて、父が静かに私を抱きしめる。
「立派だったぞ」
「お父様・・・」
「青い薔薇の冠が、こんなにも似合う王妃は初めてだと」
母が誇らしげに微笑む。
「周りの貴族たちも、そう言っていたわ」
その時、シリウス様が丁寧に一礼して、両親に向き合った。
「伯父上、伯母上」
シリウス様の声には、深い感謝が込められている。
「セレスティアを、私に託していただき、ありがとうございます」
「シリウス陛下」
父が、珍しく優しい表情を見せる。
「かしこまらないでいただきたい。これからは家族なのですから」
「はい」
シリウス様が、晴れやかな笑顔を浮かべる。
「明日は、星の見える丘へ」
父の目が懐かしそうに潤む。
「それは・・・」
「まあ、あなた」
母が、意味ありげな笑みを浮かべる。
「それは、若い二人だけの思い出になるべきことよ」
夜も更けて、祝宴が終わりを迎えようとしている頃。
シリウス様が、そっと私の手を取った。
「月光の庭園まで、少し散歩しないか」
庭園に出ると、満天の星空が私たちを出迎えた。
青い薔薇の香りが、夜風に乗って漂う。
「明日は、日の出とともに出発しよう」
シリウス様が、私を抱き寄せる。
「星の見える丘で、君だけに聞かせたい話がある」
「シリウス様」
私は、彼の胸に顔を埋めた。
「ありがとうございます。こんな素敵な一日を」
「いや」
シリウス様が、私の額にそっとキスをする。
「これは、私たちの物語の序章に過ぎないんだ」
青い薔薇の冠が、月明かりに柔らかく輝く。
首元の星のネックレスと、薬指の指輪も、静かな光を放っている。
「新しい明日が、きっと素敵なものになりますように」
私の願いに、シリウス様が応えるように微笑んだ。
「なるよ、必ず」
彼の紫の瞳が、星空のように輝いている。
「君という星に導かれて」