入学と眼差し
「これでよし!」
眼前の鏡には、私とパトリシア。
私の背後では、オレンジ髪が満足げに揺れている。
彼女に髪を整えてもらった私は、装い新たに学校の制服を身にまとっている。
「こうしてあなたに、お化粧してもらうのも、しばらくはお預けね」
私の言葉で、しばらくは会えなくなる、という事実を突きつけられた彼女は、満足げな表情から一転、うるうると目に涙を浮かべ始めた。
「私は寂しいです~! お嬢さまぁ!」
そういうと彼女は、行かせない、とでも言うかのように、抱き着いてきた。
「離れなさいパトリシア、お嬢様が動けなくなってしまうでしょう?」
「ロセさぁん。だってぇ」
「だっても何もありません!」
ロセの手によって、私にしがみついていたメイドは引き剥がされる。
「あぁ! お嬢さまがぁ! 行かないで~」
今日は私の旅立ちの日。学院へ入学し、家を発つその日。
パトリシアには悪いのだけれど、私も彼女と離れたくはないのだけれど、入学式でのスピーチを任された身。遅刻をするわけにもいかない。
なので、よよよ、と崩れ落ちる彼女を、ロセと一緒に宥めるのだった。
「ごめんなさいね、パトリシア。遅れるわけにはいかないの。学院へ行ってもお手紙は出すし、長いお休みの時は帰ってくるからね? だからそれまで、私の部屋をお願い」
パトリシアには化粧を担当してもらっているが、何もそれだけが彼女の仕事なわけではない。呼び出しがない時は、私の部屋を掃除したり、衣類を洗濯したりと通常のメイドと同じような仕事をしている。
「お嬢さまぁ、ぜったい帰ってきてくださいよぉ」
「はいはい、仕方のないメイドね」
オレンジの頭を撫でる。きちんと手入れのされた髪はさらさらと指通りが良くて、気を抜けばずっと撫で続けてしまいそう。
すぅっ、と息を吸い込み、一呼吸。別れを告げる覚悟をする。
「じゃあね、パトリシア。元気にするのよ。……行きましょうか、ロセ」
「はい、お嬢様」
「頑張ってくださいね! お嬢さまっ」
袖口で涙をぬぐい、笑顔を作る。見送るときは笑顔で。実によくできたメイドだ。
笑顔の彼女を背に、私は歩き出した。
「お嬢さまぁ……」
姿が見えなくなった途端にパトリシアの泣き声は、また廊下に響きだしたけれど。
× × ×
馬車は行く。路面にできた轍に車輪を食い込ませながら馬車は行く。王城を出て、石畳で舗装された道路を進んで目指す先はもちろん私が入学する学園。その名もメルクーリ国立学園。
白い石材でできた学園の門を馬車はくぐる。
その内側は緑にあふれていた。刈り込まれた芝生が、道の両方見渡す限りを埋め尽くしており、その中に点在している木々は、生徒たちに影を提供している。
休み時間なのだろうか、ボールを使って、何やらスポーツをしている生徒もいれば、芝生に寝転がり日光浴としゃれこんでいる生徒まで、一面の緑の上は生徒たちの憩いの場となっているようだった。
道の続く先には、三つの尖塔を携えた白亜の建造物。
あれが校舎なのだろう。学院での生活に緊張と楽しみを感じながら、流れゆく緑と、近づく白を窓から眺めていた。
「お嬢さま、頬が緩んでおりますよ」
隣からのロセの声で、視線は車内へと引き戻された。対面には黒髪黒目の騎士。
「私、そんなにだらしのない顔をしてた……?」
「えぇ、それはもう緩み切った顔をしていました」
「べっ、別にいいじゃない。国民の幸せを喜ぶのも王族の務め! そうでしょ?」
問いかける先は眼前の騎士様。口元には、にやにやと揶揄うような笑み。
「そうだね。可愛かったよ、リア」
「かわッ……そういうことを聞いてるんじゃないってば!」
見られた。シンに油断しきった顔を。
顔が赤くなるのを感じる。それこそ真っ赤なリンゴのように。
ふふっ、と笑うシン。
「ちょっと、笑ってないで何か言ってよっ!」
「……? 可愛いよ、リア」
「そうですね、大変にかわいらしいですよお嬢様」
「だから、そうじゃなくて!」
馬車は行く、私たちを乗せて、騒がしく、にぎやかに。
とはいっても、もう学内に入っているので、到着したのはそれからすぐのことなのだけれど。
× × ×
緩やかな停止感とともに馬車が停まり、ゆっくりと扉が開かれる。
「どうぞ、お嬢様」
先だって馬車を降りたシンが、私に手を差し出した。すっかりよそ行きの顔つき。
「ありがとうございます、シン」
かくいう私もよそ行きの顔。
身近な人たちの前では『アフィリア』として振舞っても何の問題もないけれど、国民の前であれば『メルクーリ王女の』という前置きが必要になる。
身に染みついたその所作は、いわゆる『お上品』。
幼少から叩き込まれた貴族しぐさで、猫かぶり。
窮屈だけれど苦しくはない。
シンの手を取り、ゆっくりとステップを下りる。新品のローファーが石畳に触れ、硬質な足音が鳴った。
眼前は一面の白。実に巨大な建造物。
「あれってもしかして……」
「あの馬車、王宮の紋章があるぞ!」
馬車を降りると、周囲の視線と喧騒が私を迎え入れた。
それに応えるように、顔には微笑を張り付け軽く手を振る。
「では、私は荷物をお部屋にお持ちいたしますので……シン様、お嬢様を任せます」
「はい、この身に変えても」
「行きましょう」
シン、それは少し大げさすぎではないだろうか。口から出かかった言葉を薄い笑みへと変えて、歩を進める。
× × ×
「新入生代表アフィリア・メルクーリ、前へ」
「はい」
精いっぱいの通る声で返事をして立ち上がり、コツコツと足音を響かせながら登壇する。
息を吸い込み一呼吸。
「皆様、ご機嫌よう。この度、メルクーリ国立学園へ入学し、皆様と机を並べることと相成りましたアフィリア・メルクーリと申します」
当然ながら、壇上からはさまざまな生徒の顔が見える。
緊張に顔を、体を、強張らせる生徒。
新しい出会いへの期待にあふれた表情をしている生徒。
長い式典に疲れたのか、ふらふらと前後に体を揺らし、夢の世界への船出をしている生徒もいた。
「ご存じの通り、私はこの国、メルクーリの王女です。ですが、この学び舎においては、私たちは共に勉学に励む仲間です。ぜひご忌憚なく話しかけていただきますようお願いいたします」
私の肩書を聞くと、皆の目が変わる。
それは憧憬。それは羨望。それは打算。
様々な感情を一身に受けながら私は語り掛ける。
「この学院には、私たちの才能を磨くための知識があります。新たな才能を開花させるための設備があります。皆様を教え導いて下さる教員の方々がいます。それを最大限に活用してください。努力してください。そして何より、楽しんでください。そうして、悔いのない、充実した学生生活を皆さんにお送りいただけたなら、それより嬉しい事はございません。」
そもそもの学院の建設理念が、教育機会の均等化にある。各集落に学校を建設し、王都に最高学府たる王立学院を据える。それによって、すべての民が最低限の教育を受けられるようにするのだ。
王立学園ヘの入学自体は誰でもできるが、試験によってクラスが分けられる。
機会の均等化とは言いつつも、やはりそもそもの教育資本の差があり、上のクラスになるほど貴族の割合は多くなる。
入学式の席は、特に決められておらず、したがって知り合い同士や、そうでなくても身分の近いもの同士が、自然と集まって座っている。
その後方の一角。平民の多いクラスの生徒たちが私に送る視線は、ほかの生徒とは毛色が違った。私の立場を羨み、妬み、自分の糧にしようとするそれではなく、私に対する恨みと怯えが混じったものであった。
お読みいただきありがとうございます!
挿絵は、キャラデザに引きつづき三阪様に描いて頂きました!
いやぁ、可愛い、微笑ましい。
挿絵があると私の中の解像度も、ぐっと向上します。そういう意味においても挿絵を頂けるというのは大変ありがたいものでございます。
時たまこういった形で挿絵が上がることがございますので、お楽しみにしておいていただければ幸いです。
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皆さまのご期待に沿うことのできるように頑張ります!