『お姫様』と騎士
「リアッ、リアッ!」
私の体を揺さぶる、たくましい手の感触。だけれど、もう少しだけ|微睡んでいたい。だって、そよぐ風がこんなにも気持ちいいのだから。
「うぅん……もう少しだけ……」
「……目を覚ました! リア、起きて。無事だと言ってくれ、リアッ」
体がとっても怠い。目を開ける気力すら湧いてこない。このまま、眠気に任せてもうひと眠りすれば、きっと気持ちの良い夢が見られるだろう。
だけれど、ぺちぺちと頬を叩く感触によって、私の幸せな二度寝計画は早々に破綻した。
あくびを一つ。続いて伸びを一つ。
日の光が目に眩しくて、ほぼ半目の状態で、私を起こした張本人を半ば睨むように見やる。
「リアッ!」
私が犯人の顔を視認する前に、きつく抱きしめられた。
「大丈夫!? どこか痛いところは?」
あなたが、骨が軋みそうなほどに抱きしめているところが、とても痛いです。
「……シン、痛いわ」
「どこが……っ!」
「まさに、あなたの抱きしめている所。レディはもう少し優しく扱うものよ」
「ぁ、ごめん……」
しゅん、と怒られた子犬のように小さくなった最愛の人、思わずくすりと含み笑いをこぼす。
「龍は? どうなったの?」
「僕より先に、龍の心配かい?」
そう言いながらもシンの指差す先には、氷像と化した黒い龍の姿があった。
我ながらよくもまぁ、こんな大きなものを凍らせたものだ。
「ごめんなさい、シン。それで、貴方は大丈夫なの? どこか痛いところがあったら治すわよ……?」
「大丈夫、リアが気を失っている間にマリエラ先生が治してくれた」
シンの目線の先を追うと、保健室の先生が、こちらに向かってひらひらと手を振っていた。
ひとまずペコリと腰を折り、さしあたっての謝意だけは伝えておく。ちゃんとしたお礼は、また今度。
「すごいね、リアは」
「うん? 何が?」
「魔法だよ、時間を操る魔法を……こんな風に使うだなんて」
「発案はソフィアよ? 時間を操れるなら、未来の自分の力を借りることだってできるんじゃないかって。おかげで二人とも生きてこうしてお天道様の元で笑いあえているのだから、感謝しないとね」
まぁ、道中で体はボロボロになったのだけれど、それはソフィアには伏せておこう。
言ってしまえば、きっと一週間は落ち込むだろうし。
「……晴れたね」
「ええ、晴れたわね」
先ほどまでの分厚い雲はどこへやら、どこまでも青く澄み渡る空にはまばらな雲がのんびりと流れてゆくのみ。望みがかなった感慨はこういう空にこそ映えるのだ。
「もうちょっと格好良く君を守ることができれば、なおのこと良かったんだけれどね」
「私は、だた貴方の後ろで守られているだけのお姫様じゃないの」
「どうやら、僕のお姫様はとんだじゃじゃ馬だったみたいだ」
「ええ、だから精々頑張って手綱を握ってちょうだい」
にやり、口の端を釣り上げながら冗談を交わす。
シンも、これまでより幾分か柔らかい笑みを浮かべながらこちらを見ている。
「あ、そうだ。一つ忘れていた」
「ぇ?」
顎を上へと引き上げられ、直後唇に柔らかい感触。
「騎士とお姫様の物語にはこれがないとね」
どこか余裕を感じさせる笑みを浮かべながら、騎士は口づけを私に施したのだった。
「……ずるいわ」
「ずるいって、何が?」
まだ鼻と鼻が触れ合いそうな距離にあるシンの顔。その瞳が、口が、柔らかくほどけた。にこりと、意地の悪い笑顔を浮かべながら人差し指でつん、私の鼻をつつく。
どくどくと動悸が跳ねあがるのが自分でもわかる。顔が熱を持っている。両手でぱたぱたと顔を仰ぐが、熱が取れる様子はない。
「……わかってるくせに」
「いつもはリアに振り回されてばっかりだからね。それに、手綱を握ってって言ったのはリアだよ?」
「そ、そうだけどさぁ~」
そう言って笑いあう私たちを照らす日は高く、柔らかな光を届けている。
ところどころに焼け焦げた後のある城壁の向こうには、私たちが守り抜いた民たちがいる。
「勝ったんだね、私たち」
「うん。僕としては、不甲斐ないところを見せてしまったから……満点とはいかないけど十分だね。僕たちは僕たちの手で未来を勝ち取った」
「うん。でも、きっとこれからも大変よ?」
「大丈夫だよ、僕たちならきっとなんだって乗り越えられるさ」
「ええ、そうね。なんだって乗り越えられる。私たち二人なら」
辛い事もあったけれど、と言うかついさっきの事だけれど、それでも乗り越えられた。
幸せなことに私の隣にはシンがいて、王城には私たちの帰りを待つメイドたちがいる。
学院で知り合った友達──ミハイルに、ソフィアに、ヨハンも力を貸してくれた。だったらなんだって乗り越えられる。一人じゃあんまりたくさんのことはできないれど、私たちの周りにはいつも人がいて、笑顔があって。
その笑顔を絶やさないようにするためならば、なんだってできる。
× × ×
鐘が鳴る。私たちを祝福する鐘が。新たな門出を祝う喜びの鐘が。
白いドレスに袖を通し、歩き出す。
一歩、この先にある未来に心を躍らせながら。また一歩、幸せを嚙み締めながら。
向かう先には最愛の人。頬を綻ばせながら私の到着を待っている。
「よく似合っているよ、リア」
「ありがと、貴方もよく似合っているわよ」
いつもとは違う白い装いは、珍しい黒髪黒目を持った、端正な彼の顔をより一層引き立たせている。
袖のカフスは、長らくつけていたヒューギルスの紋章のものではなく、王家の紋章の入ったものをつけている。
「では、お姫様お手をどうぞ」
差し出された手に私の手を預け、腕を組んでシンの半歩後ろをついていく。だけれど胸に抱いた小さな違和感。自分の心に従い、少し大きく一歩。ちょうどシンの隣へと踏み出す。
私たちはこうでなければ。
安心感と誇らしさと喜びに胸を少し張りながら、皆が待つ部屋へと続く扉をくぐる。
「お嬢さまぁ……ご立派になられてぇぇ!」
「静かになさい、パトリシア。祝い事なのです、私たちの役目は寂しがることではなく、笑顔で見送り成長を喜ぶことなのです」
「そう言う、ロセさんだってぇ、目が潤んでるじゃないですかぁ!」
「こっ、これはうれし涙ですっ」
赤いヴァージンロードを挟むように並んだ席、その一つにかけているメイドたちも私の門出……というよりはシンの門入り? を祝ってくれている。
我ながら、良縁に恵まれた。皆が私のことを理解し、時には賛同し、時には諫め、私を正しい方向へと導き、そしてともに歩んでくれる。そういう人たちだ。皆にとっても私がそうであれば良いなと、そう思いながら、白を纏った私はシンと共に歩いてゆく。
最奥にはヨハン。法衣を纏った姿は、どうして様になっている。
「まさか貴方が司祭様になるなんてね」
「学院に居たのもこのためなのですから……僕としては、不思議はないのですが、そうですね。話してはいなかったですね」
「ええ、後で聞かせて頂戴」
コホンと一つ咳払い、居住まいを正すとヨハンは言祝ぎの言葉を口にする。
「新郎シン・メルクーリ並びに、神父アフィリア・メルクーリ。あなた方は病める時も 健やかなる時も富める時も 貧しき時も互いを愛し 敬い 慈しむ事を誓いますか?」
汲んだ腕の先、傍らのシンの顔を見る、彼もこちらを覗き込んで笑顔を浮かべている。
視線を交わし、どちらとなく前を向く。二人で息を揃えて、神の御許に誓いを立てる。
「「誓います」」
「では指輪の交換を」
私の薬指に誓いのリングが嵌められる。シンプルながら複雑な意匠の彫られたそれは、日の光を受け、輝いている。
剣を握り、少し皮膚が固くなった手を取る。私の指よりもずっと太くてたくましいその薬指を、そっと指輪で飾りつける。
どこか厳かな雰囲気を漂わせながら、式は進む。
「では、誓いのキスを」
右を向き、隣の彼と目線を交差させる。
幸せを噛み締めながら、目を閉じて唇を差し出した。
直後唇にそっと触れる控えめな感触。
盛大な拍手が私たちを包み込んだ。
私は物語の『お姫様』みたいにはなれなかったけど、自分の選択を後悔したりなんかしない。これは、ほかの誰でもない私が紡いでゆく、私だけの人生なのだから。
× × ×
「おすすめの……本ですか?」
図書館の司書は、質問の内容を反芻する。
栗色の髪をした彼女は微塵も考える様子を見せず一冊の本を取り出した。
「これなんてどうでしょう? とっても優しくて、お転婆で、だけれどとっても格好いい『お姫様』のお話です」
fin.
お読みいただきありがとうございます!
これにて本作は終幕となります。
いかがでしょうか。
私としては、初の長編作品ということもあり、ああでもないこうでもないと考えたりしながら執筆していたこの数か月は大変苦しくも楽しいものでした。
たくさんの初めてに遭遇し、思ったようにいったこともあれば、そうならなかったこともたくさんあります。
本作の第一目標は『完結させる』という一点でして、そこに関してはとりあえずクリアできたので個人的には良し。という感じなのですが、皆さんにお届けするうえではもっと整えた物をお送りできたのではないかという念が常に頭の中にありました。
途中で長い中断期間も挟んでしまい、読者の皆様には顔向けできないなと言う思いもありながらも、公開した者としての責任を持ち本作の執筆にあたっていました。
本作を完結させるまでに、様々な人の力を借りました。まずは、素敵な挿絵を頂いた三阪様。作品を彩る素敵なイラストがあったことで、ここまで書き続ける原動力になりました。本当にありがとうございました。
作品の展開や表現については、様々な友人から応援、指摘を頂きました。皆様から頂いた言葉が執筆中の支えとなっておりました。感謝の念に絶えません。
と、書籍のあとがきのような謝辞をつらつらと述べましたが、一番に感謝申し上げたいのは、ここまで本作を呼んでいただいた読者の皆様です。
本作をここまで応援いただき大変ありがとうございました。作者にとっても、読んでくださる人がいるというのは、それだけで大変に励みになることでございまして、その数字一つに個心を躍らせながら執筆しておりました。ここまでお付き合いいただき、大変ありがとうございました。
以上小白水でした。また次回作にて皆様に見えることを楽しみにしております。